いにしえ)” の例文
しかしもし大胆なる想像を許さるれば、いにしえの連歌俳諧に遊んだ人々には、誹諧の声だけは聞こえていてもその正体はつかめなかった。
俳諧の本質的概論 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「王政のいにしえに復することは、建武中興けんむちゅうこうの昔に帰ることであってはならない。神武じんむの創業にまで帰って行くことであらねばならない。」
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
今日の軍人政治家が未亡人の恋愛にいて執筆を禁じた如く、いにしえの武人は武士道によって自らの又部下達の弱点を抑える必要があった。
堕落論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
千三百年のいにしえ、太子がこもらせたもうた御姿を想像し、あの暗澹あんたんたる日に美しい黎明を祈念された太子が、長身に剣をしかと握りしめ
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
みずから自我の衣を脱いで、世界を吹き渡る多衆的熱情の衣をまとう、いにしえの楽詩人に見るような、生きたる客観主義であるべきだった。
このいさめようのよきこといにしえもさるためし多し。ふさがりたる処を知らずして、いかにちゅうをつくしていさむとも、聞き用いざれば益なし
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
そして駅にはいにしえもかわらぬ可哀かあいい女がいただろうから、そこで、「妹が直手ただてよ」という如き表現が出来るので、実にうまいものである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
こと癇癖かんぺき荒気あらきの大将というので、月卿雲客も怖れかつ諂諛てんゆして、あたかもいにしえの木曾義仲よしなかの都入りに出逢ったようなさまであった。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
いにしえから最近のものまでの文献が、番号をうってずらりと並べてあり、そして各項について読後の簡単な批評と要点とが書きこんであった。
四次元漂流 (新字新仮名) / 海野十三(著)
『五山ノ称ハいにしえニ無クシテ今ニアリ。今ニアルハ何ゾ、寺ヲとうとンデ人ヲ貴バザルナリ。古ニ無キハ何ゾ、人ヲ貴ンデ寺ヲ貴バザルナリ。』
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
いわんや後進は先進にまさるべき約束なれば、いにしえを空しゅうして比較すべき人物なきにおいてをや。今人こんじんの職分は大にして重しと言うべし。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「わははは、何を戸惑うて。——これ両人、きょうはいにしえ鴻門こうもんの会ではないぞ。いずくんぞ項荘こうそう項伯こうはくを用いんや、である。のう劉皇叔りゅうこうしゅく
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いにしえより忠は宦成におこたり病いは小に加わり、わざわいは懈惰けだに生じ孝は妻子に衰うという、また礼記らいきにも、れてしかしてこれを愛すといえり
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
いにしえは兵農一致と論じたのは有名なことであるが、人によってはこれを平時に武士が下人を指揮して、農業を営んでいたというだけに解して
家の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
いにしえより、武力を以て人の国を侵略したという国の結果は何時いついことはない。露西亜ロシアが無闇に侵略をする。この侵略に日本が反対をした。
東亜の平和を論ず (新字新仮名) / 大隈重信(著)
それわが国いにしえより教あり、天然の教という。その法、人をしておのずか本然ほんぜんの性にかえらしむるものにして、すなわち誠心の一なり。
教門論疑問 (新字新仮名) / 柏原孝章(著)
いにしえ曾子そうしのいわく「もって六尺の孤を託すし、以て百里の命を寄す可し、大節に臨んで奪う可からず、君子人か君子人なり」と。
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
「見えるわ。見えるわ。瓜、一面の瓜だ。」見覚えのあるような所と思ったら其処はいにしえ昆吾氏こんごしあとで、成程到る処累々たる瓜ばかりである。
盈虚 (新字新仮名) / 中島敦(著)
いつか使に来た何如璋かじょしょうと云う支那人は、横浜の宿屋へ泊って日本人の夜着を見た時に、「これいにしえ寝衣しんいなるもの、此邦このくに夏周かしゅう遺制いせいあるなり。」
開化の良人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
いにしえの歌を歌ひしのみならず、今の歌も歌ふなり。日本の歌を歌ふのみならず、支那西洋その他あらゆる国の歌は皆歌ふなり。
人々に答ふ (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
右に畝傍山・香久山、左に耳無山みみなしやま、その愛らしい小丘の間を汽車はせて行く。いにしえの藤原の京、飛鳥の京の旧跡は指呼の間に横たわっていた。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
いにしえから美女は京都を主な生産地としていたが、このごろ年ごとに彼地へ行って見るが、美人には一人もわなかったといってよいほどであった。
明治大正美人追憶 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
そしてその裏にいにしえのキリスト信者の標徴であった所の、魚の形を見つけました。が形や模様が普通に見出されるものとはかなり異っていました。
皇室御親政のいにしえにかえすという力が動いていたので、摂関家に抑えられていた反対勢力が、院の御所の事務長官である院別当べっとうなどを頭に立てて
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
いにしえの三人の美の女神に加えて第四の憂愁の女神というのがあり、しかもそれがほほえんでいるのだとすれば、彼女はまさしくそれであったろう。
古豪族 の事で、この種族はその名のごとくいにしえの豪農あるいは豪商らの子孫であって、今なお多くの財産土地を持って地方において権力がある。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
いにしえのギリシャにあこがれの誠をいたすにつれ、今のギリシャの悲境を見るに見かねて、これが救済にせ向かわんとした情熱の人詩人バイロンに
茶の本:01 はしがき (新字新仮名) / 岡倉由三郎(著)
女子は殖産と小児の養育とのために忙殺せられて、最早いにしえの如く男子と協力して戦闘に従事することは不可能であった。
私の貞操観 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
が、要するに容易に説明のできるところになんの大教理が存しよう。いにしえの聖人は決してその教えに系統をたてなかった。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
イヴに禁断の果実を与えた楽園の蛇の故事に呼応して、東洋のいにしえにも次の箴言しんげんがある。曰く「智慧出でて大偽あり」と。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
勝永も涙を面にうかべ「さりながら、今日の御働き、大軍に打勝れた武勇の有様、いにしえの名将にもまさりたり」と称揚した。
真田幸村 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
未だ見ぬ東邦諸国のいにしえへと夢のような憧憬あこがれを懐かしめたものであったが、ちょうど、ああ言ったような気持……何から何まで、見るもの聞くものが
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
夢見ゆめみさととももうすべき Nara la Morte にはかりよんのおとならぬ梵鐘ぼんしょうの声あはれにそぞいにしえを思はせ候
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
我が日常目睹している事実の点からいえば陳腐な事実である。しかしいにしえよりこの事実を取って俳句にした者はない。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
この恐しい山蛭やまびる神代かみよいにしえからここにたむろをしていて、人の来るのを待ちつけて、永い久しい間にどのくらい何斛なんごくかの血を吸うと、そこでこの虫ののぞみかな
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
帰来きらい急に『六国史』を取ってこれを読み、いにしえの聖君英主海外蛮夷を懾服しょうふくしたるの雄略を観て、慨然として曰く、「われ今にして皇国の皇国たる所以を知れり」
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
つぎに、「文武忠臣良弼ありて、又臣民の心に、順逆の理をわきまえ、大義を知れる故に、いにしえの制度に復しぬ。」
支那の鱷は只今アリガトル・シネンシスとクロコジルス・ポロススと二種知れいるが、地方により、多少の変種もあるべく、またいにしえありて今絶えたもあろう。
いにしえの人はあごの下まで影が薄い。一本ずつ吟味して見ると先生の髯は一本ごとにひょろひょろしている。小野さんは鄭寧ていねいに帽を脱いで、無言のまま挨拶あいさつをする。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
燭台の光が煌々こうこうとかがやき渡って、金泥きんでいふすまに何かしらいにしえの物語めいた百八つの影を躍らせているのだった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
今日の芸術家はかのいにしえのブロメシヤスの如く絶へず経済的必迫の巖上に縛せらるるが故に自由なる創造に従事することが出来ないのであると一般に云はれてゐる。
少数と多数 (新字旧仮名) / エマ・ゴールドマン(著)
我らは中国がこの際唐朝以前のいにしえかえり正しき国民軍隊を建設せん事を東亜のために念願するのである。
戦争史大観 (新字新仮名) / 石原莞爾(著)
いにしえのギリシアやローマにおけるが如く、わが英国にももし公共の恩人に対して彫像を贈る法令が発布されるならば、この輝ける市民は確かにそれを受けるであろう。
このわずか一、二の例からいにしえにまで遡って一律に取り扱うことは、大胆な推断のようであるが、暗黙の間に事想の一脈相通ずるものがあることは誰しも認めるであろう。
山の今昔 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
これをめていなごをたべてたとすればいにしえのユダヤの予言者は決して粗食だったとはいえないであろう。
胆石 (新字新仮名) / 中勘助(著)
本名を内海文三うつみぶんぞうと言ッて静岡県の者で、父親は旧幕府に仕えて俸禄ほうろくはんだ者で有ッたが、幕府倒れて王政いにしえかえ時津風ときつかぜなびかぬ民草たみぐさもない明治の御世みよに成ッてからは
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
... あまとあるは、海に潜る海女にてはなく、いにしえは海辺の遊女の異名であったあまを指したもので」。刀自殿はな顔をして「それまた、変った御説よの」と乗出してこられた。
玉取物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
いにしえの武者修行者のやり方にしたがって、簡潔単純な一騎打ちによろうと思ったにちがいない。
この、討つ、討たれつが、いにしえからの武門の慣い、武士の辛いところじゃ——お前は、恋のために、武士を捨てよと申すであろうが、わしは、恋も完うし、武士も完うしたい。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
女の来るのを待ちあぐねているいにしえの貴公子のようにわれとわが身を描いたりしながら。……
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)