間口まぐち)” の例文
連歸つれかへりしかど我が家は貧窮ひんきうにして九尺間口まぐち煙草店たばこみせゆゑべつに此方へと言所いふところもなく夫婦諸共ふうふもろとも吉之助をいたはると雖もよるの物さへ三布蒲團みのぶとん一を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
階下は小売商店の立続いたしば桜川町さくらがわちょう裏通うらどおりに面して、間口まぐち三間さんげんほど明放あけはなちにした硝子店ガラスてんで、家の半分は板硝子を置いた土間になっている。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いずれも表の構えは押しつぶしたようにのきれ、間口まぐちせまいが、暖簾の向うに中庭の樹立こだちがちらついて、離れ家なぞのあるのも見える。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
例えば城内の支那人街の店へはいって見ると、間口まぐちが狭くて薄汚く見えるにもかかわらず、奥行おくゆきはずっと深く、そして商品が店一杯に詰っている感じであった。
満洲通信 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
壁は刑事の手に依ってドアの如く左右に押し開けられ、忽ち間口まぐちけん奥行おくゆき三尺ばかりの押入れが現われた。その押入れの中央に仏壇ぶつだんの様に設置してある大冷蔵庫。
白蛇の死 (新字新仮名) / 海野十三(著)
間口まぐち奥行おくゆきは広い。そして、真四角な暗闇くらやみと板床であること。いつ眼をさましてみても、少しの変りもない。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
煉瓦の高塀で角の二方を圍まれた、ちよツと見榮みばえのする家で——間口まぐち一間の玄關の、摺りがらす入りの兩びらき戸を入ると、直ぐ左りが西洋風の應接室である。
泡鳴五部作:05 憑き物 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
それはすこぶる大がかりのもので、奥座敷を三ほど打ち抜いて、正面には間口まぐち三間の舞台をしつらえ、衣裳や小道具のたぐいもなかなか贅沢なものを用いていた。
半七捕物帳:03 勘平の死 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
備前の海岸の間口まぐちという湾の端には、船で通る人のよく知っている裳掛もかけ岩という大岩があります。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それがかくして土一升金一升の江戸で大きな間口まぐちを張る商家の主となったが、今度は一つ、何とかして娘のお園を名のある侍へ縁づけて、お武家を親類に持ちたいものだ。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
露路口に総後架そうこうかのような粗末な木戸があった。入口に三間間口まぐち位な猿小屋があった。大猿小猿が幾段かにつながれていて、おかみさんがせわしなくたべものの世話をしていた。
壁と草鞋とランプのほかに何にもないから、自分はそう鑑定した。間口まぐちは一間ばかりで、入口の雨戸が半分ほどててある。残る半分は夜っぴて明けて置くんじゃないかしら。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
日本橋通り四丁目に八間間口まぐちの呉服屋を開いて、一時越後屋えちごやの向うを張った「福屋善兵衛ふくやぜんべえ」、丁稚でっち小僧八十人余りも使おうという何不足ない大世帯の主人ですが、先月の末から
けん間口まぐち、大戸前の表の戸を、すっかり下ろして、灯という灯を、ことごとく消してしまった、米問屋に向って、バラバラとうりつけ、すさまじい憎悪の叫喚きょうかんをつづけている。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
みせは二けん間口まぐちの二かいづくり、のきには御神燈ごしんとうさげてじほ景氣けいきよく、空壜あきびんなにらず、銘酒めいしゆあまたたなうへにならべて帳塲ちようばめきたるところもみゆ、勝手元かつてもとには七りんあほおと折々をり/\さわがしく
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
両隣りとソックリの貸事務所になっている北向きの二間半間口まぐちで、表に「H株式取引所員……※善かねぜん……児島良平……電話四四〇三番」と彫り込んだ緑青ろくしょうだらけの真鍮看板を掛けて
鉄鎚 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
あな間口まぐちしやくすんに、奧行おくゆきしやくの、たかさ四しやく長方形ちやうはうけい岩室がんしつで、それにけたやう入口いりぐちみちがある。突當つきあたりに一だんたかところがあつて、それから周圍しうゐ中央ちうわうとにあさみぞつてある。
「それじゃはいるとしたら、僕の手で僕の会社へ契約してくれ給え。何も急ぐんじゃない。枯木も山の賑かしってことがある。勧誘員ってものは、兎に角間口まぐちを拡げて置くのが成功の第一歩だ」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
勝久は看板を懸けてから四年目、明治十年四月三日に、両国中村楼で名弘なびろめの大浚おおざらいを催した。浚場さらいば間口まぐちの天幕は深川の五本松門弟じゅう後幕うしろまく魚河岸問屋うおがしどいや今和いまわと緑町門弟中、水引みずひきは牧野家であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
友人いうじん北洋ほくやう主人(蒲原郡見附の旧家、文をこのみ書をよくす)くだんの寺をたるはなしに、本堂間口まぐち十間、右に庫裏くり、左に八けんに五間の禅堂ぜんだうあり、本堂にいたるさかの左りに鐘楼しゆろうあり、禅堂のうしろに蓮池れんちあり。
見ると、やはり黒ずんだ間口まぐち十間ほどもある古風の料亭である。
新樹の言葉 (新字新仮名) / 太宰治(著)
僥倖さいはひに肥前屋小兵衞は二百八十兩程の代物しろもの只取たゞとりになし是より増々仕合せよく相成けるに付間口まぐち三間半の店をひらき番頭手代小僧共五六人召仕めしつかひ何れも江戸者を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
戸をおろした六けん間口まぐち艾屋もぐさやの軒下に、すばらしい大釜おおがまが看板にえてあった。釜で覚えていたのである。
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
穴の間口まぐちはさほどに広くもないが、深さは一間半ほどに達しているらしく、しかも殆んど切っ立てのように掘られてあるので、それから這いあがることは頗る困難であったが
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それより床山を間にして間口まぐちはなはだひろきものはすなわち菊五郎の室にして隣りは片岡市蔵かたおかいちぞうそれよりやがて裏梯子の降口おりくちに秀調控へたりき。三階は相中大部屋あいちゅうおおべやなればいふに及ばざるべし。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
左右の寸法、即ち間口まぐちは、広過ぎるよりも狭過ぎて困る場合の方が多い。左右すれすれにレコードが入るような棚では、第一に出し入れのたびごとに袋のへりが擦れていたみやすい。
だから、あらゆる方面に向つて、奥行おくゆきけづつて、一等国丈の間口まぐちつちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨ひさんなものだ。うしと競争をするかへると同じ事で、もう君、はらけるよ。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
その新富座の茶屋丸五まるごの二階。盛時をしのばせる大きな間口まぐちと、広い二階をもったお茶屋が懇意なので、わたしは自作の「空華くうげ」という踊りの地方じかた稽古所けいこじょに、この二階をかりてあてた。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
友人いうじん北洋ほくやう主人(蒲原郡見附の旧家、文をこのみ書をよくす)くだんの寺をたるはなしに、本堂間口まぐち十間、右に庫裏くり、左に八けんに五間の禅堂ぜんだうあり、本堂にいたるさかの左りに鐘楼しゆろうあり、禅堂のうしろに蓮池れんちあり。
見るに間口まぐちは六七間奧行おくゆきも十間餘土藏どざうは二戸前あり聞しにまし大層たいそうなるくらし成りければ獨心中に歡び是程の暮しならば我等一人ぐらゐどのやうにも世話してれるならんと小腰こごし
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
これでも震災前までは四間半しけんはん間口まぐちを張つて、少しは気の利いた西洋料理屋をつてゐたんですが、震災で何も型無かたなしになつて仕舞つたので、半分を隣のパン屋に貸して……。
赤い杭 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
で、新富座本建築のときは、四十二軒あった附属茶屋を、おお茶屋の十六軒だけ残して、あとはちゅう茶屋も廃した。間口まぐちの広い、建築も立派な茶屋だけ残したのだから、華やかなはずだった。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
二人は自身番へ寄って、ひと通りの報告を聞いて、更に家主の案内で次右衛門の煙草屋へ踏み込んだ。二間間口まぐちの小さい店で、奥は六畳と二畳のふた間、二階は四畳半のひと間である。
半七捕物帳:55 かむろ蛇 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
祠は間口まぐち九尺に足りない小さい建物であるが、普請ふしんは相当に堅固に出来ていると見えて、二十年以上の雨風に晒されているにも拘らず、柱や扉などは案外にしっかりしているらしかった。
半七捕物帳:58 菊人形の昔 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
曲者は藪から出て来たらしいと云うのであるが、その竹藪は間口まぐち四、五間の浅いもので、うしろは畑地になっているのであるから、曲者は再び藪をくぐって畑を越えて逃げ去ったものであろう。
半七捕物帳:60 青山の仇討 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
悪い奴に引っかかって、大事の息子を心中させて、気の毒なことをしたと思いながら、半七はそっと覗くと、四間間口まぐちで、幾人かの奉公人を使って、ここらでは相当の旧家であるらしく思われた。
半七捕物帳:68 二人女房 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
もかくも家のなかへ這入つて、熱い紅茶の一杯もすすつて、当坐の寒さをしのがうと思つたのである。店は間口まぐちけんぐらゐのバラツクだてで、おもての見つきはよろしくなかつたが、内は案外に整頓してゐた。
赤い杭 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)