釈迦しゃか)” の例文
旧字:釋迦
これからはほとんど人の歩るいた事のないような谷合を通り、前黒山まえぐろやま釈迦しゃかヶ岳の山の中腹を迂回して深林の薄暗い中をくのである。
「ああ、いい事があらあ」釈迦しゃかの十蔵と云うだ二十二三の男が叫んだ。彼は忠次のさかずきを貰ってから未だ二年にもなっていなかった。
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
釈迦しゃか竜樹りゅうじゅによって、基督は保羅ポーロによって、孔子は朱子によって、凡てその愛の宝座から智慧ちえと聖徳との座にまで引きずりおろされた。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「十津川をけて、あの釈迦しゃかたけの裏手から間道かんどうを通り、吉野川の上流にあたる和田村というに泊ったのが十九日の夜であった」
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この美貌の好色一代女があにはからんや、H21などという非詩的プロザイクな番号をもっていようとは、お釈迦しゃか様でもごぞんじなかった。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
お番所勤めをしている者がばくちをやるといっちゃ聞こえがわるいが、そこはそれ、お釈迦しゃかさまのおっしゃるうそも方便というやつさアね。
もし釈迦しゃかの呼吸した雪山の空気の中にこのガスの若干じゃっかん量が混じていたならば、仏教もよほど異なったものができたかもしれず
脳髄の進化 (新字新仮名) / 丘浅次郎(著)
いわ嵯峨さがのお釈迦しゃか様が両国の回向院えこういんでお開帳だとか、信濃しなのの善光寺様の出開帳だとか——そのうちでも日蓮宗ははなやかだった。
聖人になりたい、君子になりたい、慈悲の本尊になりたい、基督クリスト釈迦しゃか孔子こうしのような人になりたい、真実ほんとにそうなりたい。
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
芸妓、紳士、通人つうじんから耶蘇ヤソ孔子こうし釈迦しゃかを見れば全然たる狂人である。耶蘇、孔子、釈迦から芸妓、紳士、通人を見れば依然として拘泥こうでいしている。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
仏体自身が飛鳥仏(とくに法隆寺の釈迦しゃか三尊)のように浮彫式ではなく、完全に円味を帯びているので、光りの流れは滞るところを知らない。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
縦令たとい如何いかなる罪障や欠点があるにせよ、釈迦しゃか基督キリストの如き聖人を初め、歴史上の碩学せきがくや英雄を無数に生んだ功績は大したものではありませんか。
産屋物語 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
それは天皇家に限るものではない。代り得るものならば、孔子家でも釈迦しゃか家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代り得なかっただけである。
堕落論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
本尊の釈迦しゃか如来像に大喝をくれていた、「……きさまは何処どこのなに者だ」それは天蓋をびりびり震わせるほどの声だった
荒法師 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そんなことは釈迦しゃか経文きょうもんをそらんじているより、百も千も合点がてんしている万吉にしてこの失策は遺憾至極いかんしごくといわねばならぬ。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ことにキリストや釈迦しゃかのような先人を持っている私は、与えらるるものを持ちながら与えずにいるのをシュルドとして感ぜずにはいられません。
青春の息の痕 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
いや其様そんなことを云うまでもなく、釈迦しゃかにさえも娑婆往来おうらい八千返はっせんぺんはなしがあって、梵網経ぼんもうきょうだか何だったかに明示されている。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
天上天下唯我独尊といって生れた釈迦しゃかと同じ日に、ただの平凡な人間が生れる。仏縁あって同じ日に生れる、という風にこの作者は見ていない。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
自分の事が信じられなくてたとえイエスであろうと、お釈迦しゃかさまであろうと、貧しい者は信ずるヨユウなんかないのだ。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
秋の授業を始める日に、まだ桜の葉の深く重なり合ったのが見える教室の窓の側で、私は上級の生徒に釈迦しゃかの話をした。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
二千ばこは遅れている。——監督は、これではもう今までのように「お釈迦しゃか様」のようにしていたって駄目だ、と思った。
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
斉彬公に、建白書などと、釈迦しゃかに説法だとは思わんか。筆がちぢんで書けぬことはないか? 俺は、ただ、斉彬公のおこころに、これ従うという方だ。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
独逸ドイツから帰って来てからの漣は出山の釈迦しゃかが成覚したように小説家たる過去を忘れてお伽噺とぎばなし小波さざなみとなってしまった。
釈迦しゃかはもとより慈善家なり。しかれども釈迦の来たらざる前に人類の慈善を行なうものそれ幾千人なるか。かの二氏はもとより平民的の政論家なり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
四月八日のお釈迦しゃかの誕生の日に、紫雲英げんげと薊とこの花とを以て、花御堂はなみどうの屋根をく習わしもあったから、天竺餅の名はそれから出たのかも知れぬ。
釈迦しゃか、孔子のごときは論をまたず、陽明、カントのごときもその心、実に日月より明らかなるものあり。陽明、ときに死せんとす、門人遺言を問う。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
釈迦しゃかが東西南北の門をで、あるいは病める者あるいは死せる者、あるいは老いたる者あるいはまずしき者を見て、人生観に新しき立脚地を開いたが
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
嵯峨さが釈迦しゃか堂付近、知恩院古門前、南禅寺あたりの豆腐も有名だが、いずれも要は良水と豆に恵まれたせいだろう。
美味い豆腐の話 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
麻川氏の番頭さんは云う「奥さんのような美人も好きだし、赫子さんのようなのも好きだし。」麻川氏「つまり、釈迦しゃかに拝し、キリストに拝し……。」
鶴は病みき (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
釈迦しゃか八相」の翻案、中本仕立の読み本である。挿絵なども尚ほ目に残つてゐる。悉達太子と提婆とが武芸争ひをする条を読んだのが、全く初読である。
釈迦しゃかの説いた教によれば、我々人間の霊魂アニマは、その罪の軽重けいちょう深浅に従い、あるいは小鳥となり、あるいは牛となり、あるいはまた樹木となるそうである。
おぎん (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
源氏は御堂みどうへ行って毎月十四、五日と三十日に行なう普賢講ふげんこう阿弥陀あみだ釈迦しゃかの念仏の三昧さんまいのほかにも日を決めてする法会ほうえのことを僧たちに命じたりした。
源氏物語:18 松風 (新字新仮名) / 紫式部(著)
一体口の先は調法なもので、口の先では豪傑にも聖人にも孔子こうしにも釈迦しゃかにもなれる。これは今の人間の智恵が、昔の人間の智恵よりよほど進んだのである。
「まさか、自分の盗んだ品物を警察へ届ける奴があろうとは、ほんとうにお釈迦しゃか様でも御存じあるまいよ」
心理試験 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そこにあるほどの器具うつわ類を——岩壁に懸けられた円鏡や、同じく岩壁に懸け連ねられた三光尉、大飛出、小面、俊寛、大癋見おおべしみ、中将、般若はんにゃ釈迦しゃかなどの仮面や
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
孔子こうし釈迦しゃか耶蘇やそもいろいろなちがった言葉で手首を柔らかく保つことを説いているような気がする。
「手首」の問題 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
その途々みちみち、廊下にも、庭先にも、戸棚の上にも、床の間にも、金仏、木像、古いの、新しいの、釈迦しゃかも観音も薬師やくし弁財天べんざいてんも、大小あらゆる仏像が置いてあるのは
去年ながらの落葉をめこんで、足障あしざわりが柔かく、陰森なる喬木林から隠顕する富士は赤ッちゃけた焼土で、釈迦しゃか割石わりいしと富士山中の第二高点、見ようによっては
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
お蚕の時に使う栃の木で刳抜くりぬいた盆にのせると非常によくはまって、丁度お釈迦しゃか様の甘茶の時のように中に小さく桃があって面白いと思ってそれに載せて出したが
回想録 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
この点において我々は、彼が釈迦しゃかの平等の思想を生かせ、キリスト教の「神の前での万人の平等」の思想と多分に相通ずるものを持つことを、否むわけに行かない。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
桜さく三味線の国は同じ専制国でありながら支那や土耳古トルコのように金と力がない故万代不易ばんだいふえきの宏大なる建築も出来ず、荒凉たる沙漠や原野がないために、孔子こうし釈迦しゃか
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ときどき、男が恋しくなったって、お釈迦しゃかさまだって叱りゃしめえよ。なんなら、ひとつ、ぶッつかって見るか? くよくよ、物案じをしているのは、娘ッ子のしわざだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
にわにいっぱいひとがいて、おれのふえくらいのおおきさのお釈迦しゃかさまに、あまちゃをかけておりました。おれもいっぱいかけて、それからいっぱいましてもらってました。
花のき村と盗人たち (新字新仮名) / 新美南吉(著)
やいとすえたいうやないか、男子の中で一番えらい精神的な仕事した人は、お釈迦しゃかさんでもキリストでも中性に近かった人やないか、そやさかい自分みたいなんは理想的人間や
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
釈迦しゃか堂の南西の隅の日当りのよい所、最もパルコルの中の道の広い所であるがそこの石の上に
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
くるとしの二がつ十五にちは、お釈迦しゃかさまのおくなりになった御涅槃ごねはんの日でしたが、二さいになったばかりの太子たいしは、かわいらしい両手りょうてをおわせになり、西にしほうそらかって
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
このように暗号には、鍵の数字というやつが大切なのですが——いや、お釈迦しゃかさまに説法のようで恐縮ですが——これがまた厄介なことに、一ヶ月ごとにひょいひょいと変る。
暗号数字 (新字新仮名) / 海野十三(著)
釈迦しゃか明星みょうじょうの光を仰いで悟りをひらいたといわれています。ニュートンは林檎の落ちるのを見て引力いんりょくの法則を発見したといわれています。いずれも偶然といえば偶然であります。
青年の思索のために (新字新仮名) / 下村湖人(著)
車の上の鎧櫃にめざすたまがはいっていようなどとは、お釈迦しゃかさまでも気がつくまい——。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
如来は、如実の道に乗じて、きたって正覚しょうがくを成す、とある通り仏の最上美称であって、阿弥陀あみだ釈迦しゃか薬師やくし大日だいにちなどをいうのであります。如来が一番むずかしいものとなっている。