たくわ)” の例文
家を堅くしたと言われる祖父が先代から身上しんしょうを受取る時には、銭箱に百文と、米蔵に二俵のたくわえしか無かった。味噌蔵も空であった。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
少しばかりのたくわえを廻して三十年の間安穏あんのんに暮し、主取りをする気もなく、江戸の下町に住んだのが、私の仕合せだったかも知れません
三月に入ってから、彼の妻は到頭女の児を産んだ。譲吉は色々の出費でたくわえの過半を費した。妻は猿のように赤い赤ん坊を抱きながら
大島が出来る話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
残っている五つのたいまいを作り終ったら、御禁制の解けるまで生地作りはやめるつもりでいるし、そのために少しはたくわえもある。
枡落し (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そのために百の力を持っていながらも、後の機会のことを思って、九十の力をたくわえ、十の力を出すようなやり方を極端に排撃するのだ。
二、〇〇〇年戦争 (新字新仮名) / 海野十三(著)
其處そこ乘組人のりくみにん御勝手ごかつて次第しだい區劃くくわく彈藥だんやく飮料いんれう鑵詰くわんづめ乾肉ほしにく其他そのほか旅行中りよかうちう必要品ひつえうひんたくわへてところで、固定旅櫃こていトランクかたちをなしてる。
平尾さんのお志は感謝しますが、実は、私も貧乏の中で娘を亡くし、いろいろ物入りもして、今日の処少しのたくわえもありません。
可厭いやらしくすごく、不思議なる心持いまもするが、あるいは山男があまぼしにしてたくわえたるものならんも知れず、しからぬ事かな。
遠野の奇聞 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
別に一文のたくわえあるでは無し、朝から晩まで内職をして其の日/\の煙を立てゝ居りました、それが為に手前は始終不在勝でございまして
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
厚い皮革製の胡服こふくでなければ朔北さくほくの冬はしのげないし、肉食でなければ胡地の寒冷にえるだけの精力をたくわえることができない。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「まこと旅用のたくわえなど、多分に所持はいたしませぬが、せっかくのご所望わずかなりと、妾がご用立ていたしますゆえ……」
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
十貫を利用して資本力が十五貫にましたなら、その時に十二貫出すと、つねに余裕よゆうたくわえておいてこれをたねとして進みたいと思うのである。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
それが一段はげしくなるとたちまち「何を生意気な」という言葉に変化した。細君の腹には「いくら女だって」という挨拶あいさつが何時でもたくわえてあった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
床の間のわき、押入の中の手箱には、些少さしょうながら金子たくわえおき候えば、荼毗だびの費用に御当て下されたく、これまた頼入り候。
自分のたくわえの中から、お産の金を出すと云う事は、隆吉に顔むけならない気持ちで、自分の自転車はぬすまれた事にすればよいと思っていたのだ。
河沙魚 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
かれは盗賊に殺されたのか道連みちづれに殺されたのか、それらの事情も判然しなかつたが、彼女かれのふところには路銀ろぎんらしいものをたくわへていゐなかつたので
小夜の中山夜啼石 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
ただにこれを得て一時の満足を取るのみならず、ありのごときははるかに未来を図り、穴を掘りて居処を作り、冬日の用意に食料をたくわうるにあらずや。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
その上になお一つ、我々日本人の民間暦の進歩、すなわち輸入暦法の文字知識以前に、自然の体験によって少しずつ、覚えたくわえていた法則があった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
すると、おつたくわえておいたみずきかかったころ、にわかにそらくもって大雨おおあめってきました。そして一井戸いどにはみずて、草木くさき蘇返よみがえりました。
神は弱いものを助けた (新字新仮名) / 小川未明(著)
現に我々の使用しようする水瓶みづがめに比しては其容量ようりやう誠に小なりと云ふべし。おもふにコロボツクルは屋内おくないに數個の瓶鉢類を並列へいれつして是等に水をたくわきしならん。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
そして地中で養分をたくわえている役目をしているから、それで多肉たにくとなり、多量の澱粉でんぷんを含んでいる御蔵おくらをなしているが、それを人が食用とするのである。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
良平りょうへいうちでは蚕に食わせる桑のたくわえが足りなかったから、父や母は午頃ひるごろになると、みのほこりを払ったり、古い麦藁帽むぎわらぼうを探し出したり、畑へ出る仕度したくを急ぎ始めた。
百合 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
もっとも平生へいぜいは往々士官の身にあるまじき所行も内々有之これあり、陣中ながら身分不相応の金子きんすたくわえ居申し候。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
研究材料の方は、運んでくればよいので、事実、アラスカの氷河から、大きい氷の単結晶を何トンと運んできて、それを低温室の中にたくわえておいて使うことになった。
ウィネッカの冬 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
京都きょうとの某壮士或る事件を頼まれ、神戸こうべへ赴き三日ばかりで、帰るつもりのところが十日もかかり、その上に示談金が取れず、たくわえの旅費はつかいきり、帰りの汽車賃にも差支さしつか
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)
大空をわたる雲の一片となっているか、谷河の水の一滴となっているか、太洋たいようあわの一つとなっているか、又は思いがけない人の涙堂にたくわえられているか、それは知らない。
小さき者へ (新字新仮名) / 有島武郎(著)
元禄の半頃なかごろから、西国方面の密貿易ぬけがい仲間は、急激に、数と力を加え、莫大な利をしめて、巨財をもつと共に、外国製の武器、火薬なども、ひそかに、諸所の島へたくわえ出した。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
田舎とはいえ大阪神戸に近いために、都会なみの物価高の中で、一坪の土地もたくわえもない女はその日から働かねばならぬ。そして働く前に食糧や燃料のことを考えねばならぬ。
妻の座 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
一人いた下女も暇をとって出て行き、少しばかりあったたくわえもすっかりなくなって、心細いうちに享徳四年が暮れた。年はあらたまったが、世の乱れは依然としておさまらない。
たくわえの一切を焼いてしまった上に、せめて、頭の飾りとかなんとかひとくさでも残っていれば、多少とも急場を救うの金目にならないとも限らないが、それすら無いのですから
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
死・愛・孤独・夢……そうした抽象観念ももはやわたしにとって何になろう。わたしの吐く息の一つ一つにすべての記憶はこぼれ墜ち、記号はもはやたくわえおくべき場をうしなってゆく。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
幕府にてしもせき償金しょうきんの一部分を払うに際し、かねてたくわうるところの文銭ぶんせん(一文銅銭)二十何万円を売りきんえんとするに、文銭は銅質どうしつ善良ぜんりょうなるを以てその実価じっかの高きにかかわらず
それをたくわえて置いて夏になると各地へ輸送していたが、東京の方に大きな製氷会社が出来るようになると次第に誰も手を出す者がなくなり、多くの氷室がその儘諸方に立腐れになった。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
「この店譲ります」と貼出はりだししたまま、陰気臭くずっと店を閉めたきりだった。柳吉は浄瑠璃の稽古に通い出した。たくわえの金も次第に薄くなって行くのに、一向に店の買手がつかなかった。
夫婦善哉 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
たくわえの金子きんすほとんど全部をふところにねじ込み、逃げるようにして家を出た。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
別に収入の道はなさそうであったが、幾らかたくわえがあると見え、かせぐということをしないで、本を読む間々あいだあいだには、世間の隅々に隠れている、様々な秘密をかぎ出して来るのを道楽どうらくにしていた。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
とやかく暮らしてゆくのでさえ非常に困難ではあったが、二人はたがいに心を合わして、たくわえることのできる金はまず何よりも、母がポアイエ家から借りてる負債を返すのにあてることとした。
こっちに移って来てからというもの、不運つづきで、少しばかりのたくわえで買った田地は大水で流れるし、松若は病気をするし、なかなか楽な渡世ではないよ。優しくしていればきりがつかないのだ。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
主従二人は、精を出して買いたくわえた夥しい柴を、家の四方へ積んだ。
討たせてやらぬ敵討 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
母はせがれの心尽くしですから、魚もきらいな人がこれだけは喜んで食べ、味噌みそ醤油しょうゆにつけなどしてたくわえて食べたりしました。
その前年の不作は町方一同のたくわえに響いて来ている。田にある稲穂も奥手おくての分はおおかた実らない。凶作の評判は早くも村民の間に立ち始めた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
余裕のあることはまことに結構であるが、一生余裕のたくわえだけで発揮せずに宝の持ち腐れで終わることはどうであろうか。はなはだ惜しく思う。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
その人はひげたくわえて、洋服を着けたるより、かれはかく言いしなるべし。官吏?は吸いめたる巻煙草を車の外に投げて、次いでいそがわしくつば吐きぬ。
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「これは私ども商人に限らず、自分にたくわえがあり友人知己に頼まれれば、どなたでもなさることだと存じますが」
改訂御定法 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
またはこの島が船の交易によって、かねてから輸入してたくわえてきたことを意味するか、どちらかの一つであろう。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
アヽ私もねこゝにいる気はさら/\無いから、形見分かたみわけのお金も有るのだけれども、四十九日まで待ってはいられないから、少しは私のたくわえも有るから、それを
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
一人は富田という市病院長で、東京大学を卒業してから、この土地へ来て洋行の費用をたくわえているのである。
独身 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この戦車の中には、食料品のたくわえがないことは、はじめからしっていた軍曹だった。だから、黄いろい幽霊のことばは、パイ軍曹の腹へ、大砲のごとく、こたえた。
地底戦車の怪人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
あるいはたまたま身本みもとたしかにして相応の身代ある者も、金銭をたくわうることを知りて子孫を教うることを知らず。教えざる子孫なればその愚なるもまた怪しむに足らず。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
日傭取ひようとりの子で金を目当てにさらわれるはずもなく、お新の母親のお豊は武家の後家ごけで、少しはたくわえもあるようですが、長いあいだ賃仕事をして、これも細々とした暮しです。