衣桁いこう)” の例文
蒔絵まきえの所々禿げた朱塗りの衣桁いこうに寄りかかって、今しがた婆やに爪をってもらった指の先きを紅の落ちない様にそっと唇に当て乍ら
かやの生立 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
それはコゼットのへやの中においてだった。コゼットは修道院の寄宿生徒だった時の古衣がかかってる衣服部屋の衣桁いこうの方へふり向いた。
衣桁いこうに着物が掛けてある。壁に三味線が二丁、一丁には袋がかけてある。火のともった行灯あんどん。鏡台と火鉢ひばちがある。川に面して欄干あり。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
といって、買物を止める気にはさらさらならない、と、目についたのが、衣桁いこうにかけた例のイヤなおばさんの形見の小紋の一重ねです。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
三味線棹しゃみせんざおが、壁に、鼻の下の長い自分をわらっているようにいやに長く見える。衣桁いこうに脱ぎすててあるふだん着の紅絹裏もみうらを見ても焦々いらいらする。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すみには黒塗の衣桁いこうがあった。異性に附着する花やかな色と手触てざわりのすべこそうな絹のしまが、折り重なってそこに投げかけられていた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
芝居で見覚えている通りの泥棒の腰付で、部屋の隅の衣桁いこうに掛けてあるお神さんの派手な下着と、昼夜帯をソーッと盗み出した。
芝居狂冒険 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
女たちがまた手伝って、衣桁いこうにかけてあるあでやかなお振袖を取って、お蝶のすくんでいる肩に着せかけた。錦のように厚い帯をしめさせた。
半七捕物帳:07 奥女中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
朱塗りの衣桁いこうが立ててあって、「連歌盗人」の都雅な衣裳が、無造作に掛けられてあるところは、古風で美しい光景であった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
さらに、おくけると、百姓家しょうやにしては、ぜいたくすぎる派手はで着物きものが、おなじように高価こうかおびといっしょに衣桁いこうへかかっていました。
子供は悲しみを知らず (新字新仮名) / 小川未明(著)
そばへ寄るまでもなく、おおきな其の障子の破目やれめから、立ちながらうち光景ようすは、衣桁いこうに掛けた羽衣はごろもの手に取るばかりによく見える。
貴婦人 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
羽織をいて衣桁いこうへかけて、平次の身体を床の中へ横たえると、上から蒲団ふとんを掛けて、トントンと二つ三つ軽く叩きます。
ただそこには薄暗い洋灯ランプに照らされて、家内の脱ぎ棄てた衣裳が衣桁いこうから深いひだを作っているばかりでございました。
蒲団 (新字新仮名) / 橘外男(著)
金には決して不自由していないのに、机も衣桁いこうもなく、電気の笠もかけたままで、いつまでたっても、今方引越して来たばかりだという体裁である。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そして次の間とのふすまざかいに衝立ついたてがわりの衣桁いこうがたててありましてそれへ日によっていろいろな小袖こそでがかけてある
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
衣桁いこうのショールをとりながら、そばの箪笥たんす抽出ひきだしをがたぴしさせている閑子にいうと、閑子はふりむきもせずに
妻の座 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
しづえが腰をかがめて、内の障子を一枚開けた。このには微かな電燈が只一つ附けてあった。何も掛けてない、大きい衣桁いこうが一つ置いてあるのが目に留まった。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「おかえりなさいまし」お内儀かみのおつまは、夫の手から、印鑑いんかん書付かきつけの入った小さい折鞄おりかばんをうけとると、仏壇ぶつだんの前へ載せ、それから着換きがえの羽織を衣桁いこうから取って
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
衣桁いこうあり、飾り棚があり、塗机があり、書道の手本とすずりが並べてあるという豪奢ごうしゃな貴婦人好みであった。
奥の六帖には長火鉢、箪笥たんす、茶箪笥、衣桁いこう鏡架かがみかけなどが並んでい、板の間には仕事道具が揃えてあった。
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
先づ衣桁いこうに在りける褞袍どてらかつぎ、夕冷ゆふびえの火もこひしく引寄せてたばこふかしゐれば、天地しづか石走いはばしる水の響、こずゑを渡る風の声、颯々淙々さつさつそうそうと鳴りて、幽なること太古の如し。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
衣桁いこうにかけられた若々しい色彩。そして、部屋の片隅に、埋火を隠した小さな火鉢が、馬耳の寒い空虚な心と睨み合ふために、探るやうな疑ひの目を凍らせてゐた。
(新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
ひげって、いい男になり、部屋へ帰って、洗濯物は衣桁いこうにかけ、他の衣類をたんねんに調べて血痕のついていないのを見とどけ、それからお茶をつづけさまに三杯飲み
犯人 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「本統に馬鹿にお寒いじゃあありませんかね。何か上げましょうね。ちょいとこれでもはおッていらッしゃい」と、お熊は衣桁いこうに掛けてあッた吉里のお召縮緬ちりめんの座敷着を取ッて
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
みだれ籠の前に立って、博多の帯のはじを取ると、さらりと流してかたわらの衣桁いこうにかけた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
このへやは女の衣装を着替える所になっていたので、四面にずらりと衣桁いこうを並ベ、衣紋竹えもんだけを掛けつらねて、派手なやら、地味なやらいろんな着物が、虫干しの時のように並んでいる。
竜舌蘭 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
奥様は丁寧にたたみし外套がいとうをそっと接吻せっぷんして衣桁いこうにかけつつ、ただほほえみて無言なり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
と言った老人、チョコチョコと隅へ行って、衣桁いこうに掛けてある羽織をひっかけた。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
伸子は、自分達の部屋へ来、衣桁いこうにかけて置いた羽織に再び手を通した。戸棚から毛織のコートを出した。手袋をはめてしまうまで、伸子はわざと時間をかけるようにして夫を心待ちした。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
泊まり替えたその宿屋でもまた、朝になってみるてえと、衣桁いこうにかけておいた着物までが、ぐっしょりと水びたしになってね、おまけにまだぽたぽたとしずくがたれていたっていうんですよ。
右門捕物帖:23 幽霊水 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
そのうちに、上衣を衣桁いこうにかけようとした妻は、ふと
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
衣桁いこうの方へ立ってゆくのでした。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
春雨はるさめ衣桁いこうに重し恋衣こいごろも
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
けば/\しい金蒔絵きんまきえ衣桁いこうだの、虫食いの脇息きょうそくだの、これ等を部屋の常什物にして、大きなはい/\人形だの薬玉くすだまの飾りだの、二絃琴にげんきんだの
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
衣を着るゆえに衣桁いこうの如く、飯をくらうゆえに飯ぶくろの如く、酒を飲むゆえに酒桶の如く、肉をくらうがゆえに肉ぶくろに似たるのみだ。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は煙草へ火をけようとして枕元にある燐寸マッチを取った。その時袖畳そでだたみにして下女が衣桁いこうへかけて行った縕袍どてらが眼にった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
金助はあたりを見廻すと、衣桁いこう鳴海絞なるみしぼりの浴衣があったから、それを取って引っかけて、なおも煙草をふかしている耳許でブーンと蚊が唸ります。
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
鍋島火鉢。その前に朱塗の高膳と二の膳が並べてある。衣桁いこうにかかった平馬自身の手織紬ておりつむぎの衣類だけが見すぼらしい。
斬られたさに (新字新仮名) / 夢野久作(著)
幻の民五郎は、唐紙からかみ屏風びょうぶの絵の中へも溶け込み、衣桁いこう衣紋竹えもんだけの着物の中へも消えて無くなると言われました。
金屏風きんびょうぶとむきあった、客の脱すてを掛けた衣桁いこうもとに、何をしていたか、つぐんでいて、道陸神どうろくじんのような影を、ふらふらと動かして、ぬいと出たものがあった。
みさごの鮨 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
女役者の部屋だけに、万事万端なまめかしい。衣桁いこうには赤いきぬがかかっている。開荷あけににも赤い衣が詰まっている。円型大鏡の縁も台も、燃え立つばかりの朱塗りである。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
やがて眠った赤子を、並べて敷いた小さな夜具に寝かせると、彼女は寝衣ねまきえりを合わせながら起きあがり、衣桁いこうから羽折はおりを取ってはおり、夜具の上に戻ってきちんと坐った。
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
蛍はふわりと五六尺の高さに舞い上ったが、もう舞う力がない程弱っており、部屋を斜めに横切って、片隅かたすみ衣桁いこうに、まだあのままるしてあった彼女の衣裳いしょうの上に留まった。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
黒塗に蒔絵まきえのしてある衣桁いこうが縦に一間を為切しきって、その一方に床が取ってある。婆あさんは柔かに、しかも反抗の出来ないように、僕を横にならせてしまった。僕は白状する。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そばに二三枚の新聞紙を引※ひつつくね、衣桁いこうに絹物のあはせを懸けて、そのすそに紺の靴下を畳置きたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
自分にはかまわず片すみの衣桁いこうに掛かっている着物のたもとをさぐって何か帯の間へはさんでいたが、不意に自分のほうをふり向いて「あちらへいらっしゃいね、坊ちゃん」と言った。
竜舌蘭 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
箪笥たんす衣桁いこうとがおいてあり、アイロンが小さい地袋の上に光っている。
そのあかい色が美しいので衣桁いこうの上にかけて置くと、夜ふけて彼が眠ろうとするときに、ひとりの美しい女がとばりをかかげて内を窺っているらしいので、周はおどろいてとがめると、女は低い声で答えた。
怪しみながら、車に乗って相府へ帰ってみると、貂蝉の衣は、衣桁いこうに懸っているが、貂蝉のすがたは見当らないのである。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やなぎれて条々じょうじょうの煙をらんに吹き込むほどの雨の日である。衣桁いこうけたこんの背広の暗く下がるしたに、黒い靴足袋くつたび三分一さんぶいち裏返しに丸く蹲踞うずくまっている。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)