若狭わかさ)” の例文
旧字:若狹
三好、松永の乱にわれて、諸国を逃げあるいていた亡命の将軍家義昭よしあきは、先頃から若狭わかさ武田義統たけだよしむねを頼って来て、そこに身を寄せ
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いま一人ひとり此処こゝるさうぢやが、お前様まへさま同国どうこくぢやの、若狭わかさもの塗物ぬりもの旅商人たびあきうど。いやをとこなぞはわかいが感心かんしん実体じつていをとこ
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
泉仙介はすぐ要談をはじめた、それは若狭わかさの梅田源次郎らを中心に同志を糾合し、彦根城を奪取して倒幕の義兵をあげようというのである。
日本婦道記:尾花川 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
小野氏の『本草啓蒙ほんぞうけいもう』にると、佐渡の他にも但馬たじま若狭わかさ、奥州にも四国にも椰子の実の漂流してきた前例がすでに有った。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ちょうど長州藩からは密使を送って来て、若狭わかさ丹後たんごを経て石見いわみの国に出、長州に来ることを勧めてよこした時だ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
東山道からは、近江、美濃、飛騨ひだのものが来たが、東海道では、遠江とおとうみから東の者は源氏に味方し、それが北陸道となると、若狭わかさ以北は一兵も集らなかった。
簑田は曾祖父そうそふ和泉いずみと申す者相良遠江守さがらとおとうみのかみ殿の家老にて、主とともに陣亡し、祖父若狭わかさ、父牛之助流浪るろうせしに、平七は三斎公に五百石にて召しいだされしものに候。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
猴を神使とせる例、『若狭わかさ郡県志』に上中郡賀茂村の賀茂大明神降臨した時白猿供奉ぐぶす、その指した所に社を立てた。飛騨宕井戸村山王宮は田畑の神らしい。
予には比企ひき判官はんがん能員よしかずの娘若狭わかさといえる側女そばめありしが、能員ほろびしそのみぎりに、不憫ふびんや若狭も世を去った。今より後はそちが二代の側女、名もそのままに若狭と言え。
修禅寺物語 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
はい、あの死骸は手前の娘が、片附かたづいた男でございます。が、都のものではございません。若狭わかさ国府こくふの侍でございます。名は金沢かなざわの武弘、年は二十六歳でございました。
藪の中 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
若狭わかさなる三方の海の浜きよみい往き還らひ見れど飽かぬかも」(巻七・一一七七)、「百伝ふ八十やそ島廻しまみぎ来れど粟の小島し見れど飽かぬかも」(巻九・一七一一)
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
「ええ、——一本橋を渡ったな、君、——もう少し行くと若狭わかさの国へ出る所だそうです」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
夕方路地を入った人間をいちいち覚えている人はあるまいからいても無駄だ。庭から裏へ抜けると路地を通って横町へバアと出る。左手は横田若狭わかさ様の塀か、五千五百石の御旗本だ。
この前のが多景島たけじまで、向うに見えるのが竹生島ちくぶじまだ——ずっと向うのはての山々が比良ひら比叡ひえい——それから北につづいて愛宕あたごの山から若狭わかさ越前えちぜんに通ずる——それからまた南へ眼をめぐらすと
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それというのも、日本一の称をもってなる若狭わかさ小浜おばまの春秋のさばを主材としてつくられているからである。さばは若狭が第一、次に関西ものにかぎると言うのは、私の独断ばかりではない。
若狭春鯖のなれずし (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
それから仁和寺にんなじの前を通って、古い若狭わかさ街道に沿うてさきざきに断続する村里を通り過ぎて次第に深いたにに入ってゆくと、景色はいろいろに変って、高雄の紅葉は少し盛りを過ぎていたが
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
「実は国許へ帰っている妻から今朝送ってきましたのでちょうどいいから先生に差上げたいと思ってもってまいりました。笹がれいと若狭わかさでは呼んでおります。お口に合うかどうかわかりませんが」
かれいの贈物 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
筒井氏の調査によると、冬季降雪の多い区域が、若狭わかさ越前えちぜんから、近江おうみの北半へ突き出て、V字形をなしている。そして、その最も南の先端が、美濃みの、近江、伊勢いせ三国の境のへんまで来ているのである。
伊吹山の句について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
北陸道というのは、若狭わかさ越前えちぜん、これが福井県。加賀かが能登のと、これが石川県。越中えっちゅう、これが富山とやま県。越後えちご佐渡さど、これが新潟にいがた県。以上の七国四県であります。昔はこの地方を「こし」の国と呼びました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
夏山や通ひなれたる若狭わかさ
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
一族の典厩てんきゅう信繁、ほか諸角豊後守、山本道鬼、小笠原若狭わかさなどの名だたる幕将たちも多く戦死し、或いは傷ついているのにひきかえて
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その中でも多くの書物に載せられたのは、若狭わかさ白比丘尼しろびくにという女であって、八百歳になるまで、美しさは娘のようであったと言われている。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
松平若狭わかさ家で去定といっしょになる、という予定であったが、音羽のほうが早く済んだためだろう、去定の来るまで、半刻ほど待たなければならなかった。
これを食う時は大いに人を損ずと、怖るべしと見え、『中陵漫録』に、若狭わかさ小浜の蛇、梅雨時章魚たこに化す。常のものと少し異なる処あるを人見分けて食わずといえる。
勤王攘夷きんのうじょうい急先鋒きゅうせんぽうと目ざされた若狭わかさ梅田雲浜うめだうんぴんのように、獄中で病死したものが別に六人もある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
若狭わかさが読んでるのは歴史だよ、国史専修の先生だもの、しばらくの間も研究を怠らない。」
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
女は巳之助が買いなじみの女郎で、品川の若狭わかさ屋のお糸というのであった。勤めの女が店をぬけ出して、今頃こんな処にさまよっているには、何かの仔細がなければならない。
半七捕物帳:52 妖狐伝 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「君見たように叡山えいざんへ登るのに、若狭わかさまで突きける男は白雨ゆうだちの酔っ払だよ」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
宮崎は越中、能登のと越前えちぜん若狭わかさの津々浦々を売り歩いたのである。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
若狭わかさから越前へ移って、そこの朝倉義景あさくらよしかげへ身を寄せたところ、ここに、朝倉家の家中にはれられず、不遇をかこっていた一人物がいた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ままごとの地方色はいろいろある中に、若狭わかさ常神つねかみ村などでカラゴトというのが、やはりその川原事かわらごとであったらしい。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
若狭わかさへ帰省する私もおなじところとまらねばならないのであるから、そこで同行の約束やくそくが出来た。
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
幕府では三河みかわ尾張おわり伊勢いせ近江おうみ若狭わかさ飛騨ひだ伊賀いが越後えちごに領地のある諸大名にまで別のお書付を回し、筑波辺の賊徒どものうちには所々へ散乱するやにも相聞こえるから
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「君見たようにむやみに歩行あるいていると若狭わかさの国へ出てしまうよ」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
若狭わかさに猩々洞あり。
総軍十万といわれ、その旗幟を国別に見ると、尾張、美濃、伊勢、丹後、若狭わかさ因幡いなば、越前、加賀、能登のとの九ヵ国にわたっている。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
若狭わかさ関谷川原せきやがわらという所は、比治ひじ川の水筋がありながら、ふだんは水がなくして大雨の時にばかり、一ぱいになって渡ることの出来ない困った川でありました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
若狭わかさ帰省きせいするわたしもおなじところとまらねばならないのであるから、其処そこ同行どうかう約束やくそく出来できた。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
だから、秀吉は、かれに対しては、本領の若狭わかさ近江おうみ越前えちぜん加賀かがの一部など、百万石に近い報酬ほうしゅうと優遇をもってした。当然な報恩である。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甲州の武田は、釜無かまなし川の上流に名字の地があったがための武田であるけれども、そのある者は上総かずさに移住し、またある者は若狭わかさに移住してもやはり武田を名乗っている。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「ほほう、この若狭わかさ商人あきんどはどこかへ泊ったと見える、何か愉快おもしろい夢でも見ているかな。」
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
出してくれた、若狭わかさのさる物持ちの道楽息子のくずれだとか申しているが、それはあのじんの、欲が手伝っているはなしだし
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
熊谷くまがい安芸あきに移り、武田が上総かずさ若狭わかさに行っても、なお武田であるような風は鎌倉時代の末からである。すなわち日本では地名の方が不動で、家名が動いたのであった。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「ほゝう、若狭わかさ商人あきんど何処どこへかとまつたとえる、なに愉快おもしろゆめでもるかな。」
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「朝倉家こそは、お味方として、必ず起とう。若狭わかさ、越前の二州が参ずれば、北陸の諸豪は、競って旗下に馳せ加わろう」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土地の人とはまるまる疎遠そえんでもなかった。若狭わかさ・越前などでは河原に風呂敷ふろしき油紙の小屋をけてしばらく住み、ことわりをいってその辺の竹や藤葛ふじかずらってわずかの工作をした。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
見ているうちに、その一つが、ぱっと消えるかと思うと、たちまち、ぽっと、続いて同じ形があらわれます。消えるのではない、かすかに見える若狭わかさの岬へ矢のごとく白くなって飛ぶのです。
雪霊続記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そこから小手をかざしてみると、うッすらとした昼霞ひるがすみのあなたに、若狭わかさ三国山みくにやま敦賀つるが乗鞍のりくら北近江きたおうみの山々などがまゆにせっしてそびえている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
椿もまた特別の樹木の一つとして、社にえ家に移し、いわゆる園芸の先駆をなした上に、若狭わかさ八百比丘尼はっぴゃくびくにのごとき廻国の伝道者が、手に持つ花の枝も多くは椿であった。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「ふとしたら、義貞のいる金ヶ崎城へ落ちたか、なども考えられる。若狭わかさ街道や、龍華越りゅうげごえへも、追手をやったか」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)