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永代
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えいたい
ふりがな文庫
“
永代
(
えいたい
)” の例文
以前木造であった
永代
(
えいたい
)
と
両国
(
りょうごく
)
との二橋は鉄のつり橋にかえられたのみならず橋の位置も変りまたその両岸の街路も著しく変っていた。
すみだ川
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
久しい
後
(
あと
)
で、その頃
薬研堀
(
やげんぼり
)
にいた友だちと二人で、
木場
(
きば
)
から
八幡様
(
はちまんさま
)
へ
詣
(
まい
)
って、
汐入町
(
しおいりちょう
)
を
土手
(
どて
)
へ出て、
永代
(
えいたい
)
へ引っ返したことがある。
海の使者
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
と足を早めると、なるほど、泰軒と栄三郎は、もう
永代
(
えいたい
)
寺門前通り山本町、名代の火の見やぐらの下あたりにさしかかっている。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
平助は正直者であるので、座頭が形見の小判五枚には手を触れず、すべて
永代
(
えいたい
)
の
回向
(
えこう
)
料としてその寺に納めてしまった。
青蛙堂鬼談
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
伊達領内の金山は、豊臣秀吉から「
永代
(
えいたい
)
伊達家の専有」とすると約束され、徳川氏もそれを認めて課税さえもしない。
樅ノ木は残った:03 第三部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
▼ もっと見る
同じ夜、
子刻
(
ここのつ
)
(十二時)過ぎ、
永代
(
えいたい
)
のあたりから
漕
(
こ
)
ぎ上がった
伝馬
(
てんま
)
が一
艘
(
そう
)
、浜町河岸に来ると、船頭が
舳
(
とも
)
の
灯
(
ひ
)
を外して、十文字に二度、三度と振りました。
銭形平次捕物控:083 鉄砲汁
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
味覚としての「いき」は「けもの
店
(
だな
)
の
山鯨
(
やまくじら
)
」よりも「
永代
(
えいたい
)
の
白魚
(
しらうお
)
」の方向に、「あなごの
天麩羅
(
てんぷら
)
」よりも「
目川
(
めがわ
)
の
田楽
(
でんがく
)
」の方向に
索
(
もと
)
めて行かなければならない。
「いき」の構造
(新字新仮名)
/
九鬼周造
(著)
『今夜の会は、
永代
(
えいたい
)
の千鳥庵でして、大川尻の
眺
(
なが
)
めもなかなかいい所です。まあ一度来てごらんなさい』
濞かみ浪人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そうして毎日出て本所から直ぐ鼻の先の大川の
永代
(
えいたい
)
の
上
(
かみ
)
あたりで
以
(
もっ
)
て釣っていては興も尽きるわけですから、話中の人は、川の脈釣でなく海の竿釣をたのしみました。
幻談
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
唯
(
た
)
だ一体に清潔なのと観望に富んで居るのとが
遊客
(
いうかく
)
を喜ばせる。
永代
(
えいたい
)
供養を捧げる
富家
(
ふか
)
の信者が在住支那人中に多いと見えて
何
(
いづ
)
れの堂にも朱
蝋燭
(
らふそく
)
の
明
(
あかり
)
と香煙とを絶たない。
巴里より
(新字旧仮名)
/
与謝野寛
、
与謝野晶子
(著)
随って昔のおもかげは明治半ばにおおよそ退転、まず旧
永代
(
えいたい
)
は無論木橋でやや上流の箱崎町寄り、橋の上から下流を見ると、まだ月島の埋立地はなく
佃島
(
つくだじま
)
だけで、今よりもよく海が見えた。
明治世相百話
(新字新仮名)
/
山本笑月
(著)
「どうです。先生、もう弓も飽いたから——貴様、この矢場で、鳥でも飼え、なんと来た日にゃあ、それこそ
此方
(
こっち
)
のものだ……しかしこの弓は、
永代
(
えいたい
)
続きそうだテ」こんなことを言って
混返
(
まぜかえ
)
すので
千曲川のスケッチ
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
昔の
永代
(
えいたい
)
橋の右岸の
袂
(
たもと
)
から、左の方の
河岸
(
かし
)
はどんな工合になって居たか、どうも
好
(
よ
)
く判らなかった。その外八丁堀、越前堀、
三味線堀
(
しゃみせんぼり
)
、
山谷
(
さんや
)
堀の
界隈
(
かいわい
)
には、まだまだ知らない所が沢山あるらしかった。
秘密
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
止め給ふ事
肝要
(
かんえう
)
ならんと申ければ
則
(
すなはち
)
兩國橋
(
りやうごくばし
)
と
永代
(
えいたい
)
との間へ
新大橋
(
しんおほはし
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
「町は清住町、
永代
(
えいたい
)
のじき
傍
(
そば
)
さ」
深川女房
(新字新仮名)
/
小栗風葉
(著)
永代
(
えいたい
)
橋畔、都川。
六百句
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
さも/\
衰
(
おとろ
)
へた
形
(
かたち
)
で、
永代
(
えいたい
)
の
方
(
はう
)
から
長
(
なが
)
く
續
(
つゞ
)
いて
居
(
ゐ
)
るが、
圖
(
づ
)
に
描
(
か
)
いて
線
(
せん
)
を
引
(
ひ
)
くと、
文明
(
ぶんめい
)
の
程度
(
ていど
)
が
段々
(
だん/\
)
此方
(
こつち
)
へ
來
(
く
)
るに
從
(
したが
)
うて、
屋根越
(
やねごし
)
に
鈍
(
にぶ
)
ることが
分
(
わか
)
るであらう。
三尺角
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
あくる日になると、ゆうべの風雨の最中に、
永代
(
えいたい
)
の沖から龍の
天上
(
てんじょう
)
するのを見た者があるという噂が伝わった。
異妖編
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
「ちょっかいなんか出せるものですか。神妙に後を
跟
(
つ
)
けて行くと、
亀戸
(
かめいど
)
へ行って、深川へ廻って、それから
永代
(
えいたい
)
を渡ってまたこっちへ戻るじゃありませんか」
銭形平次捕物控:071 平次屠蘇機嫌
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
しんから途方にくれた鈴川源十郎が、五十両に魂を失って操り人形のように、仙台堀から千鳥橋を渡って
永代
(
えいたい
)
に近い相川町、お船手組の横丁へでたときだった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
隅田川
(
すみだがわ
)
の両岸は、
千住
(
せんじゅ
)
から
永代
(
えいたい
)
の
橋畔
(
きょうはん
)
に至るまで、今はいずこも散策の興を催すには適しなくなった。
放水路
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
得石は外へ出ると、京橋まで歩いて
駕籠
(
かご
)
をひろい、「
永代
(
えいたい
)
まで」と云って乗った。
五瓣の椿
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
船が、
永代
(
えいたい
)
に着くと、
橋袂
(
はしたもと
)
に、迎えの灯が待っていた。
無宿人国記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
さもさも
衰
(
おとろ
)
えた
形
(
かたち
)
で、
永代
(
えいたい
)
の方から長く続いて居るが、
図
(
ず
)
に
描
(
か
)
いて線を引くと、文明の程度が段々
此方
(
こっち
)
へ来るに
従
(
したご
)
うて、
屋根越
(
やねごし
)
に
鈍
(
にぶ
)
ることが分るであろう。
三尺角
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
永代
(
えいたい
)
へ行ったか両国へ行ったか、それとも
向島
(
むこうじま
)
へ遠っ走りをしたか見当がつかねえ、——ともかく、
近間
(
ちかま
)
の両国へ駆け付けて、幸い間に合ったからいいようなものの
銭形平次捕物控:075 巾着切りの娘
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
滑るがように心持よく
三十間堀
(
さんじっけんぼり
)
の堀割をつたわって、夕風の空高く竹問屋の青竹の
聳立
(
そばだ
)
っている
竹河岸
(
たけがし
)
を左手に眺め
真直
(
まっすぐ
)
な
八丁堀
(
はっちょうぼり
)
の
川筋
(
かわすじ
)
をば
永代
(
えいたい
)
さして進んで行った。
散柳窓夕栄
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
甲州屋に取っては、それがおぼつかない
一縷
(
いちる
)
の望みであった。娘が家出のことは無論、
町
(
ちょう
)
役人にも届けて置いた。両国や
永代
(
えいたい
)
の川筋へも人をやって、その注意を橋番にもたのんで置いた。
半七捕物帳:35 半七先生
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
「偏耳録」によると、双子家は
永代
(
えいたい
)
御堀支配という役で、家禄は百八十石三十五人
扶持
(
ぶち
)
だとある。城の
内濠
(
うちぼり
)
外濠の水量を監視したり、泥を
浚
(
さら
)
ったり、石垣の崩れを修理したりするものらしい。
ひとごろし
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
夕方
永代
(
えいたい
)
の橋から見ると
羽田
(
はねだ
)
の沖に血の色の入道雲が立っているがあれこそ国難の
兆
(
しるし
)
であろう——流言
蜚語
(
ひご
)
、
豆州
(
ずしゅう
)
神奈川あたりの人は江戸へ逃げ込むし、気の早い江戸の町人は在方を指して
つづれ烏羽玉
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
「一と晩大騒ぎをしましたが、なんにもわからず、とうとう朝になってしまい、八五郎親分も来てくれましたが、昼近くなって、あの通りの姿で
永代
(
えいたい
)
の下に浮んだそうで」
銭形平次捕物控:152 棟梁の娘
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
永代
(
えいたい
)
の橋の上で巡査に
咎
(
とが
)
められた結果、
散々
(
さんざん
)
に
悪口
(
あっこう
)
をついて
捕
(
つかま
)
えられるなら捕えて見ろといいながら四、五人一度に橋の欄干から
真逆様
(
まっさかさま
)
になって水中へ飛込み、暫くして四
夏の町
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
……
人生
(
じんせい
)
苟
(
いやし
)
くも
永代
(
えいたい
)
を
渡
(
わた
)
つて、
辰巳
(
たつみ
)
の
風
(
かぜ
)
に
吹
(
ふ
)
かれようといふのに、
足駄
(
あしだ
)
に
蝙蝠傘
(
かうもりがさ
)
は
何事
(
なにごと
)
だ。
深川浅景
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
永代
(
えいたい
)
橋が
墜
(
お
)
ちたという噂が神田辺に伝わった。
半七捕物帳:37 松茸
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
「一と晩大騷ぎをしましたが、なんにもわからず、たうとう朝になつてしまひ、八五郎親分も來てくれましたが、晝近くなつて、あの通りの姿で
永代
(
えいたい
)
の下に浮んださうで」
銭形平次捕物控:152 棟梁の娘
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
一寸
(
ちよつと
)
話題
(
わだい
)
には
成
(
な
)
らうと
思
(
おも
)
ふ、
武生
(
たけふ
)
から
其
(
そ
)
の
道程
(
みちのり
)
、
實
(
じつ
)
に
二十七里
(
にじふしちり
)
である。——
深川
(
ふかがは
)
の
俥
(
くるま
)
は
永代
(
えいたい
)
を
越
(
こ
)
さないのを
他
(
た
)
に
見得
(
みえ
)
にする……と
云
(
い
)
つたもので、
上澄
(
うはずみ
)
のいゝ
處
(
ところ
)
を
吸
(
す
)
つて
滓
(
かす
)
を
讓
(
ゆづ
)
る。
麻を刈る
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
両国から
向嶋
(
むこうじま
)
、
永代
(
えいたい
)
から品川の砲台あたりまで漕ぎ廻ったが、やがて二、三年過るとその興味も追々他に変じて、一ツ舟に乗り合せた学校友達とも遠ざかり、中には病死したものもあるが
向島
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
永代
(
えいたい
)
まで行くと、後ろから影のごとく
跟
(
つ
)
いて来る、子分の八五郎に気が付きました。
銭形平次捕物控:048 お藤は解く
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
船で
永代
(
えいたい
)
の知合の家へ隠してくれ、日は両国稲荷の御縁日の前の晩、時刻は
丑刻
(
うしのこく
)
(午前二時)前後、場所は横山町三丁目、と話が決って、銅六はいかさまの河童の見世物まで用意し
銭形平次捕物控:055 路地の小判
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
「そんな
代物
(
しろもの
)
とは訳が違う。ね、親分、ちょっと逢ってやっておくんなさい。
永代
(
えいたい
)
から身を投げそうにしているのを、一生懸命
宥
(
なだ
)
めすかして、ここまで
伴
(
つ
)
れて来たんじゃありませんか」
銭形平次捕物控:070 二本の脇差
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
丁度
(
ちょうど
)
緩
(
ゆる
)
い引き汐で、舟は放って置いても静かに
永代
(
えいたい
)
の方へ流れております。
奇談クラブ〔戦後版〕:12 乞食志願
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
「ちょっと
永代
(
えいたい
)
まで——」
銭形平次捕物控:093 百物語
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
“永代”の意味
《名詞》
永代(えいたい)
長い間。永世。永久。
(出典:Wiktionary)
“永代”の解説
永代(えいたい)は、東京都江東区の町名。現行行政地名は永代一丁目および永代二丁目。住居表示実施済区域。
(出典:Wikipedia)
永
常用漢字
小5
部首:⽔
5画
代
常用漢字
小3
部首:⼈
5画
“永代”で始まる語句
永代橋
永代安堵
永代橋河口
永代蔵
永代不易
永代主義
永代御預
永代扶持
永代新田
永代河岸