永代えいたい)” の例文
以前木造であった永代えいたい両国りょうごくとの二橋は鉄のつり橋にかえられたのみならず橋の位置も変りまたその両岸の街路も著しく変っていた。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
久しいあとで、その頃薬研堀やげんぼりにいた友だちと二人で、木場きばから八幡様はちまんさままいって、汐入町しおいりちょう土手どてへ出て、永代えいたいへ引っ返したことがある。
海の使者 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と足を早めると、なるほど、泰軒と栄三郎は、もう永代えいたい寺門前通り山本町、名代の火の見やぐらの下あたりにさしかかっている。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
平助は正直者であるので、座頭が形見の小判五枚には手を触れず、すべて永代えいたい回向えこう料としてその寺に納めてしまった。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
伊達領内の金山は、豊臣秀吉から「永代えいたい伊達家の専有」とすると約束され、徳川氏もそれを認めて課税さえもしない。
同じ夜、子刻ここのつ(十二時)過ぎ、永代えいたいのあたりからぎ上がった伝馬てんまが一そう、浜町河岸に来ると、船頭がともを外して、十文字に二度、三度と振りました。
味覚としての「いき」は「けものだな山鯨やまくじら」よりも「永代えいたい白魚しらうお」の方向に、「あなごの天麩羅てんぷら」よりも「目川めがわ田楽でんがく」の方向にもとめて行かなければならない。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
『今夜の会は、永代えいたいの千鳥庵でして、大川尻のながめもなかなかいい所です。まあ一度来てごらんなさい』
濞かみ浪人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうして毎日出て本所から直ぐ鼻の先の大川の永代えいたいかみあたりでもって釣っていては興も尽きるわけですから、話中の人は、川の脈釣でなく海の竿釣をたのしみました。
幻談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
だ一体に清潔なのと観望に富んで居るのとが遊客いうかくを喜ばせる。永代えいたい供養を捧げる富家ふかの信者が在住支那人中に多いと見えていづれの堂にも朱蝋燭らふそくあかりと香煙とを絶たない。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
随って昔のおもかげは明治半ばにおおよそ退転、まず旧永代えいたいは無論木橋でやや上流の箱崎町寄り、橋の上から下流を見ると、まだ月島の埋立地はなく佃島つくだじまだけで、今よりもよく海が見えた。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
「どうです。先生、もう弓も飽いたから——貴様、この矢場で、鳥でも飼え、なんと来た日にゃあ、それこそ此方こっちのものだ……しかしこの弓は、永代えいたい続きそうだテ」こんなことを言って混返まぜかえすので
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
昔の永代えいたい橋の右岸のたもとから、左の方の河岸かしはどんな工合になって居たか、どうもく判らなかった。その外八丁堀、越前堀、三味線堀しゃみせんぼり山谷さんや堀の界隈かいわいには、まだまだ知らない所が沢山あるらしかった。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
止め給ふ事肝要かんえうならんと申ければすなはち兩國橋りやうごくばし永代えいたいとの間へ新大橋しんおほはし
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「町は清住町、永代えいたいのじきそばさ」
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
永代えいたい橋畔、都川。
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
さも/\おとろへたかたちで、永代えいたいはうからながつゞいてるが、いてせんくと、文明ぶんめい程度ていど段々だん/\此方こつちるにしたがうて、屋根越やねごしにぶることがわかるであらう。
三尺角 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
あくる日になると、ゆうべの風雨の最中に、永代えいたいの沖から龍の天上てんじょうするのを見た者があるという噂が伝わった。
異妖編 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「ちょっかいなんか出せるものですか。神妙に後をけて行くと、亀戸かめいどへ行って、深川へ廻って、それから永代えいたいを渡ってまたこっちへ戻るじゃありませんか」
しんから途方にくれた鈴川源十郎が、五十両に魂を失って操り人形のように、仙台堀から千鳥橋を渡って永代えいたいに近い相川町、お船手組の横丁へでたときだった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
隅田川すみだがわの両岸は、千住せんじゅから永代えいたい橋畔きょうはんに至るまで、今はいずこも散策の興を催すには適しなくなった。
放水路 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
得石は外へ出ると、京橋まで歩いて駕籠かごをひろい、「永代えいたいまで」と云って乗った。
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
船が、永代えいたいに着くと、橋袂はしたもとに、迎えの灯が待っていた。
無宿人国記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さもさもおとろえたかたちで、永代えいたいの方から長く続いて居るが、いて線を引くと、文明の程度が段々此方こっちへ来るにしたごうて、屋根越やねごしにぶることが分るであろう。
三尺角 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
永代えいたいへ行ったか両国へ行ったか、それとも向島むこうじまへ遠っ走りをしたか見当がつかねえ、——ともかく、近間ちかまの両国へ駆け付けて、幸い間に合ったからいいようなものの
滑るがように心持よく三十間堀さんじっけんぼりの堀割をつたわって、夕風の空高く竹問屋の青竹の聳立そばだっている竹河岸たけがしを左手に眺め真直まっすぐ八丁堀はっちょうぼり川筋かわすじをば永代えいたいさして進んで行った。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
甲州屋に取っては、それがおぼつかない一縷いちるの望みであった。娘が家出のことは無論、ちょう役人にも届けて置いた。両国や永代えいたいの川筋へも人をやって、その注意を橋番にもたのんで置いた。
半七捕物帳:35 半七先生 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「偏耳録」によると、双子家は永代えいたい御堀支配という役で、家禄は百八十石三十五人扶持ぶちだとある。城の内濠うちぼり外濠の水量を監視したり、泥をさらったり、石垣の崩れを修理したりするものらしい。
ひとごろし (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
夕方永代えいたいの橋から見ると羽田はねだの沖に血の色の入道雲が立っているがあれこそ国難のしるしであろう——流言蜚語ひご豆州ずしゅう神奈川あたりの人は江戸へ逃げ込むし、気の早い江戸の町人は在方を指して
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「一と晩大騒ぎをしましたが、なんにもわからず、とうとう朝になってしまい、八五郎親分も来てくれましたが、昼近くなって、あの通りの姿で永代えいたいの下に浮んだそうで」
永代えいたいの橋の上で巡査にとがめられた結果、散々さんざん悪口あっこうをついてつかまえられるなら捕えて見ろといいながら四、五人一度に橋の欄干から真逆様まっさかさまになって水中へ飛込み、暫くして四
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
……人生じんせいいやしくも永代えいたいわたつて、辰巳たつみかぜかれようといふのに、足駄あしだ蝙蝠傘かうもりがさ何事なにごとだ。
深川浅景 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
永代えいたい橋がちたという噂が神田辺に伝わった。
半七捕物帳:37 松茸 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「一と晩大騷ぎをしましたが、なんにもわからず、たうとう朝になつてしまひ、八五郎親分も來てくれましたが、晝近くなつて、あの通りの姿で永代えいたいの下に浮んださうで」
一寸ちよつと話題わだいにはらうとおもふ、武生たけふから道程みちのりじつ二十七里にじふしちりである。——深川ふかがはくるま永代えいたいさないのを見得みえにする……とつたもので、上澄うはずみのいゝところつてかすゆづる。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
両国から向嶋むこうじま永代えいたいから品川の砲台あたりまで漕ぎ廻ったが、やがて二、三年過るとその興味も追々他に変じて、一ツ舟に乗り合せた学校友達とも遠ざかり、中には病死したものもあるが
向島 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
永代えいたいまで行くと、後ろから影のごとくいて来る、子分の八五郎に気が付きました。
船で永代えいたいの知合の家へ隠してくれ、日は両国稲荷の御縁日の前の晩、時刻は丑刻うしのこく(午前二時)前後、場所は横山町三丁目、と話が決って、銅六はいかさまの河童の見世物まで用意し
「そんな代物しろものとは訳が違う。ね、親分、ちょっと逢ってやっておくんなさい。永代えいたいから身を投げそうにしているのを、一生懸命なだめすかして、ここまでれて来たんじゃありませんか」
丁度ちょうどゆるい引き汐で、舟は放って置いても静かに永代えいたいの方へ流れております。
「ちょっと永代えいたいまで——」