曠野こうや)” の例文
実にこの二つの者は、芸術の曠野こうやを分界する二の範疇はんちゅうで、両者は互に対陣し、各々の旗号を立て、各々の武器をもって向き合ってる。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
筆をって書いていても、魏叔子ぎしゅくし大鉄椎だいてっついでんにある曠野こうや景色けいしょくが眼の前に浮んでくる。けれども歩いている途中は実に苦しかった。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そして、自軍には、守るに足る力はあるが、何らの条件もない曠野こうやに出て、かれと戦うには、なお力が足らないことを知っていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
然るに『罪と罰』を読んだ時、あたかも曠野こうやに落雷に会うて眼くらめき耳いたる如き、今までにかつて覚えない甚深の感動を与えられた。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
思い出の届くかぎり遠くに——時の遠い曠野こうやの中に、生涯のいかなる時代にもせよ——それらの奥深い親しい声は、常に歌っている……。
北海道かどこかの広い広い、はだら雪の人けもない曠野こうやを、頭を垂れ、うちひしがれた心をいだいた自分が、独りとぼとぼと歩いてゆく。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
たたずんでただながめるだけなら、ああ美しいと思うような草でも、土地を再び曠野こうやに返すまいと思えば、精出して抜かねばならぬものが多い。
腹巻の上に引きまとった紅の掛け布が斜陽に射られて血のように深紅に輝くのが荒涼たる曠野こうやと相映じ一種の鬼気を呼び起こす。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
山岳や茫々ぼうぼうたる沙漠さばく曠野こうやの大海を彷徨さまよった原始の血であろうか。あるいは南方の強烈な光りによって鍛えられた血であろうか。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
じつのない君臣の名に縛られて、この曠野こうやに、あてのない彷徨ほうこうをつづけている、解放してやらねばなりませんよ、阿賀妻さん?
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
そして楼蘭ろうらんを中心とする一帯の発掘に惨憺さんたんたる辛苦しんくをなめた上に、更に楼蘭を起点とする古代支那路線をたずね、「塩の結晶の耀かがや無涯むがい曠野こうや
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
彼等は、早朝から雪の曠野こうやを歩いているのであった。彼等は、昼に、パンと乾麺麭かんめんぽうをかじり、雪を食ってのどを湿した。
渦巻ける烏の群 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
一隊商が曠野こうや颶風ぐふうに遇った時、野神にそなうる人身御供ひとみごくうとして案内人を殺した。案内人を失った隊商等の運命は如何。
百喩経 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
わたしは、このちいさなをいじめるのではありません。つよく、つよく、つよくならなければ、どうしてこの曠野こうやなかでこのちましょう。
明るき世界へ (新字新仮名) / 小川未明(著)
あるいは曠野こうやのうちに大河の一方から他方へ呼びかわすアメリカ土人の粗野な叫びだろうと思うかもしれないが、実は読者自身が日常使ってる言葉で
そこで兵馬は、茫々然ぼうぼうぜんとして自失するの思いです。跫音あしおとに導かれて、かえって無人の曠野こうやへ連れて来られたような心持を如何いかんともすることができません。
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「すがの荒野」を地名とすると、和名鈔わみょうしょうの筑摩郡苧賀ソガ郷で、あずさ川と楢井ならい川との間の曠野こうやだとする説(地名辞書)が有力だが、他にも説があって一定しない。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
なおその火の支流は本郷ほんごうから巣鴨すがもにも延長し、また一方の逆流は今の日本橋区にほんばしくの目抜きの場所を曠野こうやにした。
函館の大火について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ある時は彼は北海道の曠野こうやに立つという寂しいトラピストの修道院に自分の部屋をたとえて見たこともある。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
将軍に従った軍参謀の一人、——穂積ほづみ中佐ちゅうさくらの上に、春寒しゅんかん曠野こうやを眺めて行った。が、遠い枯木立かれこだちや、路ばたに倒れた石敢当せきかんとうも、中佐の眼には映らなかった。
将軍 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
輸送力の欠乏から屍体したいはすべて曠野こうやに遺棄するほかはなかったのである。この夜、陣中視察のとき、李陵はたまたまある輜重車しちょうしゃ中に男の服をまとうた女を発見した。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
今日アルゼンチナ等の曠野こうやを駈け廻る野馬によく似居るので、この野馬は南米固有のものと説く人もあるが、実は西大陸にあった馬属は過去世全滅し、今ある所は
自殺などせず生きぬきそして地獄にちて暗黒の曠野こうやをさまようことを希うべきであるかも知れぬ。
堕落論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
絶巓は渺々びょうびょうたる曠野こうやであって一帯の芝生に、小池が所々にあって無数の南京小桜なんきんこざくらが池を廻って※娜じょうだとして可憐かれんを極めている、この曠野は三角点附近を最高点としていて
平ヶ岳登攀記 (新字新仮名) / 高頭仁兵衛(著)
申すまでもなく、曠野こうやにさ迷うその旅人こそは、私どもお互いのことです。一疋の狂象は、「無常の風」です。流れる時間です。井戸とは生死の深淵しんえんです。生死しょうじ岸頭がんとうです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
巌窟がんくつにとじこめられて三年、今では、荒れ果てた曠野こうやに捨てられ、一本足の身で生きています。たとえこの身は胡の国で死んでも、魂は決して君のお側を離れぬつもりです」
まるでちがった別な奇妙な生き物みたいな気がして来て、自分ひとりだけ置き去りにされ、呼んでも叫んでも、何の手応てごたえの無いたそがれの秋の曠野こうやに立たされているような
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
野末のずえ一流ひとながれ白旗しらはたのやうになびいて居たのが、横に長く、縦に広く、ちらと動いたかと思ふと、三里の曠野こうや、真白な綿わたで包まれたのは、いまげようとするとほとん咄嗟とっさかんこと
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
と云つてもそれは、いづこを指すともさだめのない、曠野こうやの風みたいな粗々しいものには違ひなからうがね。僕はさうした青年の野心を、尊敬はしないが、……尊重はするつもりだ。
灰色の眼の女 (新字旧仮名) / 神西清(著)
船腹は白粉おしろいでもふりかけたように、霜の結晶でキラキラに光った。水夫や漁夫は両頬をおさえながら、甲板を走った。船は後に長く、曠野こうやの一本道のような跡をのこして、つき進んだ。
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
曠野こうやにて悪魔より誘惑の声を聞き給うたイエスは、神の肯定をば信仰をもって素直に受け入れ、悪魔の否定をば知恵をもって強く反撥はんぱつし、積極消極両方面から神の子たる自覚を確かめ
湖海の渺茫びょうぼうたる、山嶽の巍峨ぎがたる、大空の無限なる、あるいは千軍万馬の曠野こうやに羅列せる、あるいは河漢星辰かかんせいしんの地平に垂接せるが如き、皆壮大ならざるはなし。勢力の多き者は雄渾なり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
こう思いながら、鞍馬くらまの竹童は、野末にうすづく夕陽ゆうひをあびて、見わたすかぎり渺茫びょうぼうとした曠野こうやの夕ぐれをトボトボと歩いていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北海道かどこかの広い広い、はだら雪の人けもない曠野こうやを、頭を垂れ、うちひしがれた心をいだいた自分が、独りとぼとぼと歩いてゆく。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
私はまたある時、亜米利加アメリカ曠野こうやを過ぎていて、二羽の闘う小鳥が中空に向き合って、羽ばたきをする姿の美しいシンメトリイを見たことがある。
この自分も曠野こうやのなかのこの闇のなかで、生きている相手がほしかったのだ。そうして、彼は、殴り疲れてぶっ倒れた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
あの満目荒寥こうりょうたる無人の曠野こうやを、汽車で幾日も幾日も走った後、漸く停車した沿線の一小駅が、世にもにぎわしく繁華な都会に見えるということだった。
猫町:散文詩風な小説 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
長い街道を行き抜けて、だらだら坂を丘へ上ぼり、吹きさらしの曠野こうやを真っ直ぐに、やがて濃緑かぐろい森へ来た。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
甚だしいソフィスチケーションの迂路うろを経由して偶然の導くままに思わぬ効果に巡り会うことを目的にして盲捜りに不毛の曠野こうや彷徨ほうこうしているような気がする。
二科展院展急行瞥見 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
白い曠野こうやに、散り散りに横たわっている黄色の肉体は、埋められて行った。雪は降った上に降り積った。
渦巻ける烏の群 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
ほんのわずかの供廻ともまわりを連れただけで二人は縦横に曠野こうや疾駆しっくしてはきつねおおかみ羚羊かもしかおおとり雉子きじなどを射た。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
太陽が傾いて没せんとする時、小石さえその影を地上に長く引く頃、ジャン・ヴァルジャンは全く荒涼たる霜枯れ色の曠野こうやの中に、一叢ひとむらやぶのうしろにすわった。
曠野こうやと、焼け石と、砂と、烈風と、土地の事情に精通した名主の話は尽きるということを知らなかった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
もしKと私がたった二人曠野こうやの真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
花咲いた灌木かんぼく曠野こうやの中の、寂しい丘の上に、牧童が寝そべって、日向ひなたで夢想にふけっていた。
がつ赫灼かくしゃくたる太陽たいようもとで、まつは、この曠野こうや王者おうじゃのごとく、ひとりそびえていました。
曠野 (新字新仮名) / 小川未明(著)
多分、今晩もそうしたような場合から、弁信はひとり曠野こうやをさまようて、むなしくこぼたれたる性格の、のろいの、若き女人のために、無限の同情を寄せているゆえんでありましょう。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
徒らに焦り、ただもう、もがきのたうつ如く心は迷路をさまよい曠野こうやをうろつく。
オモチャ箱 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
小宮山は三蔵法師をさらわれた悟空という格で、きょろきょろと四辺あたりみまわしておりましたが、頂は遠く、四辺あたり曠野こうや、たとえ蝙蝠の翼に乗っても、虚空へ飛び上る法ではあるまい、またたき一つしきらぬうち
湯女の魂 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そして遥かに、呉の陣を見わたすと、長江の支流は百ちょうのように曠野こうやを縦横にうねり、その一つの大きな江には数百艘の兵船が望まれる。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)