旗本はたもと)” の例文
そこには、白旗しらはたみやのまえから、追いつ追われつしてきた小幡民部こばたみんぶが、穴山あなやま旗本はたもと雑兵ぞうひょうを八面にうけて、今や必死ひっしりむすんでいる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おん旗本はたもとのすえに加えられたまわば、かならずお役に立つべしと存じまする、御恩賞として乞いたてまつるはこの一事のみでござります。
死処 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
相糺あひたゞし候處嘉川主税之助惣領そうりやう藤五郎と申者に候と御旗本はたもとの事故内々ない/\申立てければ越前守殿是を聞れ扨々不行跡ふぎやうせき千萬なり是を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そういう学士も維新の戦争に出た経歴のある人で、十九歳で初陣ういじんをした話がよく出る。塾では、正木大尉はもとより、桜井先生も旧幕の旗本はたもとの一人だ。
岩石の間 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その落款らっかんに書いてある筒井憲つついけんという名は、たしか旗本はたもとの書家かなにかで、大変字が上手なんだと、十五、六の昔此所ここの主人から教えられた事を思い出した。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
吾人は寛政時代の賢相松平越中守が旗本はたもと八万の士に向かって厳論したるの文を読み実に慨嘆に堪えざるものあり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
二度目に美妙をおとのうたのは駿河台するがだいの自宅であった。水道橋すいどうばし内の皁莢坂さいかちざかを駿河台へ登り切った堤際どてきわの、その頃坊城伯爵がすまっていた旗本はたもと屋敷の長屋であった。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
昔の旗本はたもとのお屋敷のようです。お座敷へ通っても私はただ後の方に小さくなって、黙って坐っていました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
松浦さんのお家は旗本はたもとですとさ。秀子さんのお母さんは家つきの娘で、病気のお父さんは養子なんですよ。それでお母さん一人で威張り腐っているんですって。
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
疑心暗鬼互に走る時は違うが維新前、文久三、四年の頃、江戸深川六軒掘に藤沢志摩守ふじさわしまのかみと云う旗本はたもとがある。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
そのまた首の左右には具足をつけた旗本はたもとが二人いずれも太刀たちつかに手をかけ、家康の実検するあいだはじっと首へ目をそそいでいた。直之の首は頬たれ首ではなかった。
古千屋 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
徳川は、全く下り坂で、旗本はたもとも腰が抜けてしまった、関東の武士も今は怖るるところはない、ただ新徴組の一手と——それに東北の質樸しつぼく国侍くにざむらいに歯ごたえがある。
「ですがお師匠さん、お客様は割下水わりげすいのお旗本はたもと阪上主水さかもともんど様からの、急なお使いだとおっしゃいますよ」
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
その小供こども相当そうとう地位ちいのあるひと……たしか旗本はたもととかもう身分みぶんひとせがれでございまして、平生へいぜい江戸住えどずまいなのですが、おきの女中じょちゅうもうすのが諸磯もろいそ漁師りょうしなので
東京にも、こんな古い建物があるかと思う程、時代のついた荒れ果てたやしきである。恐らく旗本はたもとかなんかの建てたものであろう。一体の造りがまるで現代のものではない。
恐怖王 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
古い旗本はたもとの家で、ずっと濶達かったつなくらしをして来たせいで、六十を越えたこの年になっても、相変らず、派手で大まかで、元気いっぱいに、男のような口調でものをいう。
キャラコさん:06 ぬすびと (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
飯田町三丁目に住んでゐる、三百五十石の旗本はたもと、大野田仁左衞門の伜金之助が、場所もあらうに、中坂下の小料理屋、柳屋の奧の一と間で、首筋をされて死んで居たのです。
つい、その一時代前ひとじだいまへには、そこは一面いちめん大竹藪おほたけやぶで、よわ旗本はたもとは、いまの交番かうばんところまでひるけたとふのである。酒井家さかゐけ出入でいり大工だいく大棟梁おほとうりやうさづけられて開拓かいたくした。
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
明治六七年の頃、わたしうち高輪たかなわから飯田町いいだまちに移つた。飯田町の家は大久保何某なにがしといふ旗本はたもとの古屋敷で随分広い。移つてから二月ふたつきほど経つた或夜の事、私の母が夜半よなかに起きて便所に行く。
雨夜の怪談 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
それから三代目がよめもらつたのは、名前は忘れたが、なんでもお旗本はたもとのお嬢様ぢやうさまとかなんとかいふことだつた。お旗本はたもとのお嬢様ぢやうさまよめるやうな身代しんだいになつたのだから、たいした身代しんだいになつた。
塩原多助旅日記 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
細面ほそおもてきれいな女でした、その女が、下谷したやに住んでいる旗本はたもとの三男に見染みそめられて、たってと所望しょもうされて、そこに嫁に往ったところが、その男がすぐやまいで亡くなったので、我家うちへ帰って来ているうちに
鼓の音 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
千代田の三助……あかすり旗本はたもと
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
多くの近侍きんじ旗本はたもとをあいてに、ほがらかな座談ざだん。それがむと、つづみの名人大倉六蔵おおくらろくぞうに、つづみをうたせて聞きとれる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
にわかに講武所こうぶしょの創設されたとも聞くころで、旗本はたもと御家人ごけにん陪臣ばいしん浪人ろうにんに至るまでもけいこの志望者を募るなぞの物々しい空気が満ちあふれていた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一、外国公使奉行ぶぎょうならびに諸侯鎮台等の御役人関東御辞職といえども諸侯の長にて候えばその職一人は旗本はたもとの士より選用に定めその余は下院中より選挙。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
一寸ちょいとした事だが可笑おかしい話があるその次第は、江戸で御家人ごけにんの事を旦那だんない、旗本はたもとの事を殿様とのさまと云うのが一般の慣例である、所が私が旗本になったけれども
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
いずこの大名だいみょう旗本はたもと屋敷やしきに、如何いかなるさわぎが持上もちあがっていようとも、それらのことは、まったくべつ世界せかい出来事できごとのように、菊之丞きくのじょううちは、しずかにしめやかであった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
買上げた宝石を、誰に与えるのか、夫人も子供もない全くの独り者で、小石川こいしかわ区内の、もと旗本はたもとの邸だという、古い大きな家を買求めて、数人の召使と共に住んでいた。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
お松がここで行けと言われている家は、四谷の伝馬町てんまちょうの神尾という三千石の旗本はたもとであります。
「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも百二十までは受け合う。御維新前ごいっしんまえ牛込に曲淵まがりぶちと云う旗本はたもとがあって、そこにいた下男は百三十だったよ」「そいつは、よく生きたもんですね」
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
喜三郎きさぶろう旗本はたもと能勢惣右衛門のせそうえもん年期切ねんきぎりの草履取ぞうりとりにはいった。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
む、ほかではないが、こよいの計略けいりゃく呂宋兵衛るそんべえ妖術ようじゅつにやぶられ、いままた、伊那丸いなまるさまはじめ、その他の旗本はたもとたちは人穴ひとあなの殿堂さして攻めのぼっていった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ソレカラ江川太郎左衛門えがわたろうざえもんも幕府の旗本はたもとだから、江川様とかげでもきっ様付さまづけにして、これも中々評判が高い。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
御家人ごけにん旗本はたもとの間の大流行は、黄白きじろな色の生平きびらの羽織に漆紋うるしもんと言われるが、往昔むかし家康公いえやすこうが関ヶ原の合戦に用い、水戸の御隠居も生前好んで常用したというそんな武張ぶばった風俗がまた江戸にかえって来た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
何某なにがし御子息ごしそく何屋なにや若旦那わかだんなと、水茶屋みずちゃやむすめには、勿体もったいないくらいの縁談えんだんも、これまでに五つや十ではなく、なかには用人ようにん使者ししゃてての、れッきとしたお旗本はたもとからの申込もうしこみも二三はかぞえられたが
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
宿直をして鼻垂はなった小僧こぞうにからかわれて、手のつけようがなくって、仕方がないから泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本はたもとだ。旗本の元は清和源氏せいわげんじで、多田ただ満仲まんじゅう後裔こうえいだ。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)