うたい)” の例文
旧字:
少しき気味になると父上にうたいをうたえの話をせよのとねだっているうちに日が西に傾く。しかし今度は朝のような工合に行かぬ。
(新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「酒はむが、呑んでも赤くならない」と書いた。「御父さんのようにうたいをうたう代りに義太夫を勉強しているそうだ」と書いた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この一語は、彼の心の護符ごふだった。生死の境に立つと、われ知らず、念仏ねんぶつのように、また、うたいの文句のように、くちからいて出た。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
須磨、明石と来た頃には、文字通り紋太郎は乞食となり、口へ破れた扇をあて編笠の奥から下手なうたいを細々うたわなければならなかった。
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「走りかかってちょうと切れば」と米八はうたいがかりに身振りをした、「そむけて右に飛びちがう、取り直して裾をぎはらえば」
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
その姿を見ると、芝居でする法界坊の姿そのままですから、あほだら経でも唸り出したのかと見ればそうでもなく、うたいの調子——
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
このうたいに猩々が霊泉を酒肆しゅしの孝子に授けた由を作ってより、猩々は日本で無性に目出たがられ、桜井秀君は『蔭涼軒日録いんりょうけんにちろく』に
翁の皮肉もまた、尋常でなかった。何やらの地謡の申合わせの時に、翁の居間の机の前に六七人並んでうたい合わせながら翁に聴いてもらっていた。
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
深田君は出来そこないのうたいか何かを小声で唸りながら、植え込みの間をぶらぶら歩いているうちに、かれはたちまち女の声におどろかされた。
探偵夜話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
露路奥の浪人ものは、縁へ出て、片襷かただすきで傘の下張りにせいを出し、となりの隠居は歯ぬけうたい。井戸端では、摺鉢のしじみッ貝をゆする音がざくざく。
顎十郎捕物帳:03 都鳥 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
同時に下谷竹町に向った一隊は、浪宅で下手なうたいを唸っている、宇佐美敬太郎を召し捕ったことは言うまでもありません。
且つ病者のきたるを喜んで診療するを勤め、尚好む処のうたいと鼓とを以てたのしみとせり。二月、亡妻の白骨を納むるの装飾ある外囲の箱を片山氏は作る。
関牧塲創業記事 (新字新仮名) / 関寛(著)
連歌俳諧もうたい浄瑠璃じょうるりも、さては町方の小唄こうたの類にいたるまで、滔々とうとうとしてことごとく同じようなことをいっている。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
あるいぬ上刻じょうこく頃、数馬は南の馬場ばばの下に、うたいの会から帰って来る三右衛門を闇打やみうちに打ち果そうとし、かえって三右衛門に斬り伏せられたのである。
三右衛門の罪 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
父の道楽といえばうたいぐらいであった。謡はずいぶん長い間やっていたが、そのわりに一向進歩しないようであった。
私の父と母 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
が別に文学上の述作をするのでもなく、あまり俳句を作るでもなく、碧梧桐君と一緒にうたいなど謡って遊び暮らした。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
うぐいすがささ鳴きをし、目白めじろが枝わたりをしている。人声もきこえぬ静かさで、何処からかうたいつづみの音がきこえてくる。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
いや、あらためて、とくと、見せてもらおうじゃが、まずこっちへ寄らしゃれ。ええ、今のうたいの、気組みと、そのかた。教えも教えた、さて、習いも習うたの。
歌行灯 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
向象賢はまた『仕置』の中に以後士族として学文がくもん、算勘、筆法、うたい、医道、庖丁、馬乗方、唐楽、筆道、茶道
琉球史の趨勢 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
あるいはうたいを聞きあるいは義太夫ぎだゆうを聞いて楽しんだのは去年のことであつたが、今は軍談師を呼んで来ようか
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
と大藏はわざと酔った真似をして、雪駄をチャラ/\鳴らして、井筒のうたいを唄いながら玄関へかゝる。お菊は其の足音を存じていますから、すぐに駈出して両手を突き
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
叔父はうたいの会に出て行き、下男のこうは庭先の米倉こめぐら軒下のきしたで米をいており、部屋の中では、障子しょうじをしめきって、祖母が三味しゃみを弾いて叔母が踊りのおさらいをしていた。
「それじゃ僕はちょいと行って来ます。今日はうたい稽古日けいこびなのでね。お銀ちゃんもごゆっくり。」
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
父は患者をことわっておおかみのような声でうたいをうたう、母は三味線しゃみせんいてチントンシャンとおどる、そうして手塚はほうきをふるって、やあやあ者共と目玉をむき出す。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
うたいうたうとか、角力すもうを見るとか、芝居を見に行くというくらいに、政治の趣味がないといかぬ。今度の内閣はうまいことをやるとかなんとか始終批評をする。正直に批評をする。
政治趣味の涵養 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
さらにその上に「うたい」の旋律による表現が加わり、それがことごとく面の表情になる。これほど自由自在に、また微妙に、心の陰影を現わし得る顔面は、自然の顔面には存しない。
面とペルソナ (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
彼はいくらかやつれても見えた。うたいの会の噂、料理の通、それから近く欧洲を漫遊し帰って来たある画家の展覧会を見たことなど、雪の日らしい雑談をした後で、正太は帰って行った。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そして、道後へ着いてからも、毎日毎日退屈な日を、父のうたいを聞かされたり、の相手をいいつかったりして暮しながら、何と父に持ちかけようか? とその機会おりばっかりうかがっていました。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
舞を舞うのが好きと見えて、始終、何やら舞うていると聞きましたので、私が、うたいをうたってみますと本当に舞いはじめました。男女さまざまな狂態を見まして、これは一種の天国だと思いました。
中年より禅に参し、また幸若こうわかうたいたのしみとなした。明治以後幸若の謡を知るものは川辺御楯、西田春耕の二人のみであったという。明治二十年春耕は『嗜口しこう小史』を著して名士聞人の嗜口しこうを列挙した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そのころには奥で父親のうたいがいつも聞こえた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
花咲かば告げんと云いし山里の、使者つかいは来たり馬に鞍……と、鞍馬天狗のうたいである。能の催しでもあると見え、凛々として聞こえて来る。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ある時友達からうたい稽古けいこを勧められて、ていよくそれを断わったが、彼は心のうちで、他人ひとにはどうしてそんな暇があるのだろうと驚ろいた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
かれは飄々ひょうひょうと歩みかけた。弦之丞を射った得意や思うべしである。五、六歩、何か微吟びぎんうたいのひとふしを口ずさんでいた。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その時に「景清」の「松門謡」に擬した次のようなうたいが出来たといって、古い日記中から筆者に指摘して見せた。
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
何も驚くことはない、昔から例のあることじゃ、この石和川で禁断の殺生せっしょうしたために、生きながら沈めにかけられた鵜飼うかいの話がうたいの中にもあるわい。
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
さればとなく、昼となく、笛、太鼓、鼓などの、舞囃子まいばやしの音にして、うたいの声起り、深更時ならぬに琴、琵琶びわなどひびきかすかに、金沢の寝耳に達する事あり。
妖僧記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そこで彼等はまず神田の裏町うらまちに仮の宿を定めてから甚太夫じんだゆうは怪しいうたいを唱って合力ごうりきを請う浪人になり、求馬もとめ小間物こまものの箱を背負せおって町家ちょうかを廻る商人あきゅうどに化け
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
一、高等学校生某いわく、私は今度の試験に落第しましたから、当分の内発句ほっくうたいもやめました。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
おとうさまはうたいがお好きで、五日にいちどずつ、宝生ほうしょうなにがしという師匠が教えにみえる。
やぶからし (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
人の門口かどぐちに立って、下手なうたいうたうよりはと思って、二年越し世話になっているんだが——
歯ぬけうたいをうなるほか能のないおじいさんが、そこまでの洞察をしようとは考えられないが、五月の末に、大晦日の話をもちだすような気のまわりようでは、油断がならない。
我が家の楽園 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
黒縮緬の宗十郎頭巾そうじゅうろうずきんかぶって、かなめの抜けた扇を顔へ当てゝ、小声でうたいを唄って帰ります所へ、物をも言わず突然だしぬけに、水司又市一刀を抜いて、下男の持っている提灯を切落すと
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
『鉢の木』のうたいに佐野の源左衛門が「あゝ降つたる雪かな」と貧乏人のひだる腹を抱えながら雪の降って来るのを興じているが、それと同じことで、むさくるしい男世帯でも
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
うたいもうたい、歌の話もするが、なにしろ尾州藩の宮谷家から先代菖助の後妻に来た鼻のたかい人で、その厳格さがかえって旦那を放縦ほしいままな世界へと追いやったかとおもって見ることもある。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
つづみの箱も運び出されて来た。鼓とうたいは堂にっているといわれている彼女ひとだった。
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
これがうたいの稽古でもして、熊坂や船弁慶を唸るのならば格別の不思議もないのですが、清元の稽古本にむかっておかる勘平や権八小紫を歌うことになると、どうもそこが妙なことになります。
三浦老人昔話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
今伝わっているうたいの辞句も、表現がいかにも素樸そぼくであって、室町期の気分が感じられるほかに、一方には寛永の頃、諸国に疫癘えきれいわざわいがあり、鹿島の神輿みこしを渡してそのうれいを除かんことをいのった際に
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その間紋太郎はどうしていたかというに、例のうまくもないうたいをうたいただあてもなく長崎市中を歩き廻っていたのであった。
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
茶を品し花にそそぐのも余裕である。冗談じょうだんを云うのも余裕である。絵画彫刻にかんるのも余裕である。つりうたいも芝居も避暑も湯治も余裕である。
高浜虚子著『鶏頭』序 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)