“羅紗(らしゃ)” の例文
扉(ドア)に背を向けているのは若い院長の健策で、糊(のり)の利(き)いた診察服の前をはだけて、質素な黒羅紗(らしゃ)のチョッキと、ズボンを露わしている。
復讐 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
強く摩擦すれば被害者の着ていたメルトン(羅紗(らしゃ)の一種)の服地から細かい毛がかすりとられて、窓枠に付着するに相違ありません。
五階の窓:02 合作の二 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
羅紗(らしゃ)の筒袖羽織に野袴を穿(は)いて、蝋鞘(ろうざや)の大小を差し、年は三十前後と思われるほどの若さを持っているのが、爽やかな声で言います
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
羅紗(らしゃ)ズボンだの、陣羽織だの、足軽笠(あしがるがさ)だの、そして、荷駄(にだ)や馬の首の流れて行く行列の上に、銃と槍と、旗差物(はたさしもの)が、燦々(きらきら)していた。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この月夜の果樹園のような空気を呑んで陶酔を覚えたものにとって、「緑色の羅紗(らしゃ)」の手ざわりは一生峻拒(しゅんきょ)出来ない魅惑なのだ。
踊る地平線:09 Mrs.7 and Mr.23 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
辮髪(べんぱつ)を自慢そうに垂らして、黄色の洋袴(ズボン)に羅紗(らしゃ)の長靴を穿(は)いて、手に三尺ほどの払子(ほっす)をぶら下げている。そうして馬の先へ立って駆(か)ける。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
と父親は主張したが、これは至極道理(もっとも)だった。スカートを短くすればそれ丈け羅紗(らしゃ)が節約される。然るに西川さんは銀座の羅紗問屋である。
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
二頭曳ですと、車輪だって窓硝子だって音なんぞはしません。車輪にはゴムが附いていて、窓枠には羅紗(らしゃ)が張ってあります。
辻馬車 (新字新仮名) / フェレンツ・モルナール(著)
甲斐はおくみを呼んで、羅紗(らしゃ)のくび巻を持って来させた。周防は頭巾をした上からそれを巻き、合羽(かっぱ)をはおりながら訊いた。
ここへ引移って来てから、貸越の大分たまって来ている羅紗(らしゃ)の仲買などに、お島は投出したような棄鉢(すてばち)な調子で言っていた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
羅紗(らしゃ)、唐桟(とうざん)、金巾(かなきん)、玻璃(はり)、薬種、酒類なぞがそこからはいって来れば、生糸、漆器、製茶、水油、銅および銅器の類(たぐい)なぞがそこから出て行って
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
袷(あわせ)では少し冷(ひや)つくので、羅紗(らしゃ)の道行(みちゆき)を引かけて、出て見る。門外の路には水溜(みずたま)りが出来、熟(う)れた麦は俯(うつむ)き、櫟(くぬぎ)や楢(なら)はまだ緑の雫(しずく)を滴(た)らして居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎、徳冨蘆花(著)
しかしその言(ことば)の通りにすると、蓑(みの)を着よ、そのようなその羅紗(らしゃ)の、毛くさい破(やぶれ)帽子などは脱いで、菅笠(すげがさ)を被(かぶ)れという。
神鷺之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ハルビンでどうせ裏毛にするのだから、そのときちゃんと体に合わせればいいと、伸子の厚い黒羅紗(らしゃ)の外套は、身たけなどをいい加減に縫ってあった。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
五色(ごしき)のシナ縮緬(ちりめん)で捲立(まきた)てられた柱もあれば、またある大きな柱は赤地に青と白との唐草(からくさ)模様の羅紗(らしゃ)で捲立ててある。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
幸い平次から預かった羅紗(らしゃ)の紙入、それへポンと投(ほう)り込んで、素知らぬ顔をすることに決めてしまいました。
書物(しょもつ)の側(そば)にはいつもウォッカの壜(びん)を置(お)いて、塩漬(しおづけ)の胡瓜(きゅうり)や、林檎(りんご)が、デスクの羅紗(らしゃ)の布(きれ)の上(うえ)に置(お)いてある。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
身体にぴッたり合った年わかい女の猟人たちの羅紗(らしゃ)服には雨が透っていた。彼らはこうして、毎日夕がたになると、身心ともに疲れはてて館へ帰って来るのだった。
寡婦 (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
其の時店先へ立止りました武士(さむらい)は、ドッシリした羅紗(らしゃ)の脊割羽織(せわりばおり)を着(ちゃく)し、仙台平(せんだいひら)の袴(はかま)、黒手(くろて)の黄八丈(きはちじょう)の小袖(こそで)を着(き)、四分一拵(ごしら)えの大小、寒いから黒縮緬の頭巾を冠(かぶ)り
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
黒ずんだ羅紗(らしゃ)の上をのろのろ歩く球が、なんだか生き物みたいで薄気味が悪くなって来て、勝負のつかぬうちに、よそうや、よそう、と言って、外に出てしまった。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
緑の葉の間に白い羅紗(らしゃ)の夏服がちらちらしたり、おりおり声高(こわだか)く快活に笑う声がしたりする。その洋服や笑い声は若い青年にとってこの上もない羨望の種であった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗(らしゃ)や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
『注文の多い料理店』序 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
乳液でまんべんなく手の甲を叩(たた)いておくだけで、爪は癇性(かんしょう)なほど短く剪(き)って羅紗(らしゃ)の裂(きれ)で磨(みが)いて置く。
晩菊 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
こんなに夥しい麻布や羅紗(らしゃ)や、羊の皮の鞣(なめ)したのや生のままのや、乾した魚や、いろんな青物や、肉製品で一杯にしている者が他にあったらお目にかかりたいものだ。
与里は毎日の詰襟服を身に着けて、さらに又ドス黒い厚羅紗(らしゃ)の、膝から下へだらしなく垂れ落ちた冬の外套を纏うてゐた。それは破れて、肱や衣嚢(かくし)は綴布(つぎ)だらけであつた。
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
窓の明りが左手から斜(ななめ)に差し込んで、緑の羅紗(らしゃ)の張ってある上を半分明るくしている卓である。
かのように (新字新仮名) / 森鴎外(著)
撞球(たまつき)の玉のように、羅紗(らしゃ)の台の上をころがって歩いているとしますならば、彼の愛する妻たるわたくしが、どうして同じところにとどまっていられるものでございましょう。
右上がりの広い肩。眼深に冠(かぶ)った羅紗(らしゃ)の頭巾(ずきん)。宵闇(よいやみ)の中に黒い口髯(くちひげ)が判然(はっきり)と浮かんで来た。
熊の出る開墾地 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
宗忠の持ってきた怪しげな縞毛布が、二人に一枚かけられてある。私は、彼らが手にとって見て、ゾッキ毛糸だと驚いた厚(あつ)羅紗(らしゃ)の外套を着たまま、有合せの蒲団を恐る恐るかけた。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
兵営は暗く、新しく着せられるカーキ色の羅紗(らしゃ)の服は固ッくるしい。若ものたちは、送ってきた親や、同志たちと、営庭で別れる。そして、大きな茶碗で兵営の小豆飯を食わされる。
この物々しい地下街の中心である警備司令室では、真中に青い羅紗(らしゃ)のかかった大きい卓子(テーブル)が置かれ、広げられた亜細亜(アジア)大地図を囲んで、司令官を始め幕僚(ばくりょう)の、緊張しきった顔が集っていた。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
着なれない和服の盛装と、一旦途切れて気がゆるんだ後の冒険の期待とに妙に興奮して息苦しかった。羅紗(らしゃ)地のコートを着ると麻布の家を出た。外は一月にしては珍らしくほの暖かい晩であった。
越年 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
黄金の羅紗(らしゃ)の上の黒点と見えるだろう、というように私には思われる。
死刑囚最後の日 (新字新仮名) / ヴィクトル・ユゴー(著)
赤い羅紗(らしゃ)で拭き清めるのです。
市郎の店 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
羅紗(らしゃ)の合羽(かっぱ)を纏(まと)っている。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
相手というのは羅紗(らしゃ)の道行(みちゆき)を着た六十恰好(ろくじゅうがっこう)の爺(じい)さんであった。頭には唐物屋(とうぶつや)を探(さが)しても見当りそうもない変な鍔(つば)なしの帽子を被(かぶ)っていた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
雨の夜に、日本近く、とぼけて流れ込む浦川へ、黒船に、乗りこむ八百人、大づつ小づつをうちならべ、羅紗(らしゃ)しょうじょう緋(ひ)のつっぽ襦袢(じゅばん)……
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
今度こそは最早(もはや)、とても我慢出来ない戦慄が、私の全身に湧き起った。頭をシッカリと抱えて、緑色の羅紗(らしゃ)の上に突伏した。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
時間割表などの刷込まれた、二つ折小形のその広告札を、羅紗(らしゃ)の袋に入れて、お島は朝早く新入生などの多く出入(ではいり)する学校の門の入口に立った。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
その瓢箪(ひょうたん)を、朱房(しゅぶさ)のついた短槍の先にくくりつけ、羅紗(らしゃ)張りの笠に、蓑(みの)を着込み、がらと吹雪の戸をあけて外へ出た。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
帽子を拾いあげて羅紗(らしゃ)にくっついている雪を落してかぶった。今までポケットへ手をつっこんでいたので気がつかなかったが、手袋が片っぽしかない。
犠牲者 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
羅紗(らしゃ)、精巧な「びいどろ」、「ぎやまん」の器(うつわ)、その他の天産および人工に係る珍品をヨーロッパからもシャムからも東インド地方からも輸入して来て
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
また税関のある地方からは珊瑚珠(さんごじゅ)、宝石、布類、羅紗(らしゃ)、絹(きぬ)及び乾葡萄(ほしぶどう)、乾桃(ほしもも)、乾棗(ほしなつめ)類、また地方によっては皮あるいは宝鹿(ほうろく)の血角(けっかく)を納めるところもある。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
不意に藪を分けて一人、日下部欽之丞の行手に立ち塞(ふさ)がりました。羅紗(らしゃ)の陣羽織、細雨を凌(しの)ぐ陣笠、抜刃(ぬきみ)のままの一刀を側構えに、一寸(ちょっと)の油断も無い気組です。
芳年写生帖 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
いかにも鮮やかな緑色羅紗(らしゃ)に毛皮のふちをつけた御者の丸形帽に雪は降りかかり、乗っている伸子たちの外套の襟や胸にも雪がかかる。それは風のない雪だった。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
老人はすっかり着古してすり切れてしまった羅紗(らしゃ)の外套(がいとう)をひきかけ、すばらしく大きな古い麦藁(むぎわら)帽子をかぶって身動きもせずにじっと遠く沖のかなたを見戍(みまも)っていた
麦藁帽子 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
古靴屋の手に靴は穿(は)かぬが、外套(がいとう)を売る女の、釦(ぼたん)きらきらと羅紗(らしゃ)の筒袖。小間物店(こまものみせ)の若い娘が、毛糸の手袋嵌(は)めたのも、寒さを凌(しの)ぐとは見えないで、広告めくのが可憐(いじ)らしい。
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「違いますと直ぐ言わないで、『此方は銀座の寿商店、羅紗(らしゃ)一切を扱います』と言ってやりなさい。それから切っても晩(おそ)くない。つまり電話料は先方持(むこうも)ちで此方の広告が出来る」
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
と穴てんてんの青き表現の羅紗(らしゃ)かぶせたる机にしがみつき、すがりつき、にかわづけされて在る状態の、『不正。』に気づくべき筈(はず)なのに、帰りて、まず、唯物論的弁証法入門
HUMAN LOST (新字新仮名) / 太宰治(著)
おどろいて、顔の上にかがみ込んで見ると、酒気と濡れた羅紗(らしゃ)から発散する鋭い臭(にお)いとが交り合って、ツンと鼻を刺す。枕元にウイスキーの瓶がいくつもごろごろ転がっていた。
キャラコさん:05 鴎 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)