独語ひとりごと)” の例文
旧字:獨語
「これは妙だ。おつにひねつてゐらあ。」どんなお客でもが独語ひとりごとのやうに言つたものだ。「伯爵の持物にしては少し洒落過ぎてら。」
「気まぐれものの景彦がまた何をしでかすかな。まあ、じっとして見ていてやろう」と独語ひとりごとのようにいって、鶴見は黙ってしまう。
八太郎はさう独語ひとりごとつて、二匹の子犬を拾ひ上げて、懐の中に入れてやりました。子犬はあたたかい懐の中で、うれしがつて鼻を鳴らしました。
犬の八公 (新字旧仮名) / 豊島与志雄(著)
そして十歩ばかりも歩いた時、僕は左手に並んでいる二階造の家を見て、「ここが桜痴おうち先生と末造君との第宅ていたくだ」と独語ひとりごとのように云った。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
「どうしたのだろう」と独語ひとりごとった。そして自分もどうしていか、分らなかった。ただ意味もなくさくの内をあちこち走りまわっている。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
それが独語ひとりごとのやうな調子である。こんな時の友達の様子が、余所に気を取られたやうな、不思議な様子だと云ふ事は、己は前に話した筈だ。
どうかするとくうを見て独語ひとりごとを言つてゐる。これで三度目に樺太を脱ける筈のこの年寄の流浪人は、見る見る弱つて行くらしい。
「もうすつかりになりました。」長火鉢の前に坐つてすず子は独語ひとりごとのやうに云つた。いかにもがつかりしたやうな風も見えた。
計画 (新字旧仮名) / 平出修(著)
『来ないのは来ないでせうなア。』と、校長は独語ひとりごとの様に意味のないことを言つて、つくゑの上の手焙てあぶりの火を、煙管でつついてゐる。
足跡 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
くまいと思った……そうすると独語ひとりごとを始めた、往来を歩いていても何か言うように成った……とても沈黙を守るなんてことは出来ない……
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
と思わず独語ひとりごとした其の物音に熊は起上り、暫く四辺あたりを見廻して居りましたが、何思いけん、また穴の入口を目がけ、ひらりと飛上りました。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「どうだね。七尺からある。三円は安いもんだ」と老爺は独語ひとりごとのようにいっております。全くその通りで私は三円でその樹を買い取りました。
平田は驚くほど蒼白あおざめた顔をして、「遅くなッた、遅くなッた」と、独語ひとりごとのように言ッて、忙がしそうに歩き出した。足には上草履を忘れていた。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
擦れ違った拍子に、この探偵が毒蛇コブラからでも頼まれたのであろう、唇を動かさずに腹話術みたいな声で、独語ひとりごとを言った。
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)
「私、これから帰って、清月にいって菊ちゃんを呼んでもらおうかしら!」独語ひとりごとのように考えかんがえいってやった。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
と、或朝あるあさはや非常ひじょう興奮こうふんした様子ようすで、真赤まっかかおをし、かみ茫々ぼうぼうとして宿やどかえってた。そうしてなに独語ひとりごとしながら、室内しつないすみからすみへといそいであるく。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
まぶたを潤おす涙も見えた。併も女は泣く事に依て一層勇気付けられ、一層雄弁に成るのであった。「口惜くやしいッ」独語ひとりごとの様にこう云って置いて又続けた。
偽刑事 (新字新仮名) / 川田功(著)
大原ばかりは朋友と話す時にも教師の事はいつでも誰先生と尊敬していうし、独語ひとりごとにも先生先生という。最も感心な事は朋友の事をも決して呼捨よびずてにしない。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
極めて突然、全く無意味と云ってもよい取り止めのない独語ひとりごとらす癖がある、それは大概そばに聞いている者がいないと思う時に洩らすらしいのであるが
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
彼はこう独語ひとりごとをつぶやきながら、鋤頭すきがしらによりかかったまま、教会で祈祷をする時のように両手に額をうずめた。
黒吉は、自分の一寸した独語ひとりごとにも、葉子が聞きとがめて、わざわざ来てくれるのが、たまらなく、嬉しかった。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
「しかし、いったいここは、どこなんだろう。」と、雪割草ゆきわりそうは、あたりをながめて、独語ひとりごとをもらしました。
みつばちのきた日 (新字新仮名) / 小川未明(著)
しかし非常に平凡な、そして相当に貧乏な、(決して石の家には住まつてゐないところの——)、更に又、時々私がわけの分らぬ独語ひとりごとを思ひ余つて呟く時にも
と相手の顔は見ず、質問のように、独語ひとりごとのように、駱駝の膝掛に話しかけるように、立ん坊を繰り返した。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
文三はほっと一息、寸善尺魔せきまの世の習い、またもや御意の変らぬ内にと、挨拶あいさつ匆々そこそこに起ッて坐敷を立出で二三歩すると、うしろかたでお政がさも聞えよがしの独語ひとりごと
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
こういいながら、彼は起ち上がって、大きな帳簿をもって何かぶつぶつ独語ひとりごとを言って引きかえしてきた。
私はかうして死んだ! (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
「軽便かしら。」と、青年が独語ひとりごとのやうに云つた。いかにも、自動車の爆音にもまぎれない轟々と云ふ響が、山と海とに反響こだまして、段々近づいて来るのであつた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
自分の身に金があろうとなかろうとあえて他人に関係したことでない、自分一身の利害を下らなく人に語るのは独語ひとりごとを言うようなもので、こんな馬鹿気ばかげた事はない
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「沢田君、敗けてるんだよ、敗けてるんだよ。ヘビーを出さう。」と独語ひとりごとして全速力で駆け出した。
月下のマラソン (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
その迷惑をするのが却て慰藉なぐさめになり、たよりになるのである。ステパンはこんな独語ひとりごとを言つてゐる。
門外に佇んで勘右衛門の独語ひとりごとを、聞くともなしに聞いた宮川茅野雄は、こう思わざるを得なかった。
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
勿論粗末な品では有るが、此の様な旨い思いは、覚えてから仕た事がない。甚蔵は感心した様子で「アア好い度胸だ、立派な悪党に成れる」と独語ひとりごとの様に云うて居る。
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
「おれのつのはなんてうつくしいんだらう。だが、このあしほそいことはどうだろう、もすこしふとかつたらなア」と独語ひとりごといつた。そこへ猟人かりうどた。おどろいて鹿しかげだした。
帰る途中、祖父は独語ひとりごとをやめなかった。ハスレルから受けた賛辞に有頂天になっていた。ハスレルこそは一世紀に一人くらいしか見られないほどの天才だと叫んでいた。
「有難い。これで今夜からあたたかに眠られるて。」といふ独語ひとりごとを云ひながら、にやにや笑つてゐる。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
父は少し落ち着いたらしく、半分は言い聞かすような、半分は独語ひとりごとをいうような調子になった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
これは譫言うわごとではなかったのです。眼がさめて、正確な意識を取戻した時の独語ひとりごとでありました。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
はなはだ機嫌が悪く、ぶつぶつ独語ひとりごとをつぶやきながら、金剛杖で立木を撲りなどしていた。
怪異暗闇祭 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
「紀州は親も兄弟も家もなきわらべなり、我は妻も子もなきおきななり。我彼の父とならば、彼我の子となりなん、ともに幸いならずや」独語ひとりごとのようにいうを人々心のうちにて驚きぬ
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
明後日あさっては市の立つ日だな。」と、安行は独語ひとりごとのように、「うか天気にたいものだ。」
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
これほどに吾家うち母様おっかさんさるのも、おまえのためにいいようにと思っていらっしゃるからだとお話があったわ。それだのにとりを見て独語ひとりごとを云ったりなんぞして、あんまりだよ。
雁坂越 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
彼はそう、併し、独語ひとりごとのように云いながら、階上うえへ行って了うのであったが、それはおそらく、解剖のときに、自分の手が思うように動かないことを気にんでいたのに相違ない。
手品師は、急にさびしくなつてきたので、かう独語ひとりごとをしてむつくり起きあがりました。
小熊秀雄全集-14:童話集 (新字旧仮名) / 小熊秀雄(著)
これは鴉の独語ひとりごとである。実に円いをころがす。上機嫌の場合にそれが限るのである。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
独語ひとりごとを洩らしつつ頭に手をって見ると……又も不思議……今朝から私が感じていた奇怪な頭の痛みは、どこを探しても撫でまわしてもない。拭いて取ったように消え失せていた。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「はてな、今の弾丸たまは確かにあたつたはずだが……」と独語ひとりごとを言ひながら与兵衛は樫の大木に近づきました。すると大きな猿が一疋、右の手で技をつかんで、ぶらりとぶら下つてゐました。
山さち川さち (新字旧仮名) / 沖野岩三郎(著)
いまも夕雲の赤きに対して、かれはそんな独語ひとりごとをもらしていたのではあるまいか。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠方から来て群衆の中に混じっていましたが、人波をかきわけてひそかにイエスの後ろに寄り「その衣にだにさわらば救われん」と独語ひとりごとを言いながら、イエスの衣に触りました(五の二五—二八)。
「そのめえもね、毎日だ。どこかで見掛ける。いつも雷神坂を下りて、この町内をとぼくさとぼくさ。その癖のん気よ。角の蕎麦屋から一軒々々、きょろりと見ちゃ、毎日おなじような独語ひとりごとを言わあ。」
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
波越氏はやや憤怒ふんどの色を現わして、独語ひとりごとのように囁いた。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)