灯影ほかげ)” の例文
旧字:燈影
金網を張った白壁の切窓きりまどに、かすかな灯影ほかげがゆらめいていたので、何心なくのぞいてみると、さっきの二人が、ここへ入り込んでいた。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとひととのあひだすこしでも隙間すきま出来できるとるとあるいてゐるものがすぐ其跡そのあと割込わりこんで河水かはみづながれと、それにうつ灯影ほかげながめるのである。
吾妻橋 (新字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
うっとりせしが心着きぬ。此方こなたには灯影ほかげあかく、うつくしき小親の顔むかいあいて、額近きわが目のさきに、いたく物おもう色なりき。
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
川にのぞんだ座敷には、いく張りかの涼しげな夏提灯がつるされて、青い灯影ほかげが川風にゆれながら流れ散って、ひとしおに涼しげでした。
後ろ手にほんの形ばかり縛られた女は、灯影ほかげに痛々しく身をくねらせて、利助の荒くれた手に、遠慮会釈もなく凝脂ぎょうしを拭かせております。
まぶしいような電燈の灯影ほかげみなぎったところに、ちょうど入れ替え時なので、まだ二人三人のたちが身支度をして出たり入ったりしている。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
道傍みちばたには盗んでゆかれそうな街灯がポツンと立っていて、しっぽり濡れたアスファルトの舗道に、黄色い灯影ほかげを落としていた。
人造人間事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
と恨みを言って、姫君は他人に見られる用意の何一つなかった自身の喪服姿を灯影ほかげで見られるのが非常にきまり悪く思うふうで泣いていた。
源氏物語:49 総角 (新字新仮名) / 紫式部(著)
とり分け、西のはずれの真黒な部屋は血色の色絹を通して暗い掛毛氈の上に落ちる灯影ほかげが、ゾッとする程怪奇な感じを与えた。
黄金仮面 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
美奈子は、ホテルの部屋々々からの灯影ほかげで、明るく照し出された明るい方を避けて出来るだけ、庭の奥の闇の方へと進んでゐた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
灯影ほかげの、濃く、しめやかに、眼立しく感じられる程度に……そのくせまだ空はさえ/″\とあかるく……たそがれていた。
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
街灯はまだともされず、ただそこここの家の窓に灯影ほかげがさしはじめたばかりであったが、横町よこちょう袋小路ふくろこうじでは、兵隊や馭者や労働者がわんさといて
灯影ほかげの暗い室内に、狂気のようにあせり動くお梶の影だけが、大入道のようにゆらいで、なんとも不気味な景色であった。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
夜になってから、塀のそばへ行って、お隣りの二階のほうを見上げますと、どこもここもすっかり鎧扉よろいどがとざされて、灯影ほかげひとつれて来ません。
キャラコさん:08 月光曲 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
私はそう云ってほっと溜息ためいきをつきながら、窓の外にちらちらしている都会の夜の花やかな灯影ほかげを、云いようのないなつかしい気持で眺めたものです。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そして行手の闇の中にまたたく希望の灯影ほかげといったようなものを作家とともに認めてささやき合うような気がする。
帝展を見ざるの記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
急ぎしゆゑ少しも早くと思ふねんより八ツを七ツと聞違きゝちがへて我をおこくれしならんまだか/\に夜は明まじさて蝋燭らふそくなくならばこまつたものと立止り灯影ほかげに中を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ぼんやりした提灯ちやうちん灯影ほかげが障子の中ほどを、大きな蛍のやうに仄して、三つの黒い影がゆら/\とゆらめいた。
父の帰宅 (新字旧仮名) / 小寺菊子(著)
盛な歓楽の声は二階に湧上つて、屋外そとに居る二人の心に一層の不愉快と寂寥さびしさとを添へた。丁度人々は酒宴さかもりの最中。灯影ほかげ花やかに映つて歌舞のちまたとは知れた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
ときとしてかれは師範学校の裏手を通る、寄宿舎には灯影ほかげが並んでおりおりわかやかな唱歌の声が聞こえる。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
一段を下り、二段を踏んで、まともに、照らす灯影ほかげを浴びたる時でなくては、男とも女とも声は掛けられぬ。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
鷺太郎が相手にならないので、いつか山鹿も黙ってしまうと、二人は黙々として、細い絶入りそうなカンテラのゆれる灯影ほかげを頼りに、夜路を歩きつづけていた。
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
どの横町も灰色の夜陰やいんに閉ぢられて灯影ほかげすくなく、ゴルキイの「よる宿やど」の様な物凄さを感じないでもない。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
そして薄暗い電燈の灯影ほかげで、小柄な小林氏を透すやうに見下みおろしながら、何やら話し出した。それを聞いて小林氏は吃驚びつくりした。言葉はまがひつのない支那語だつた。
静かなやみにゆらりゆらりと揺れて、夕靄の立ち籠むる湖面の彼方、家々の窓にともる赤い灯影ほかげ、アンジアン娯楽場カジノの不夜城はキラキラと美しくに映っている。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
えならぬ物のかおりがして、花やかなすそ灯影ほかげにゆらいだと思うとその背後から高谷千代子が現われた。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
彼は一思いにがばとね起きて、いきなり壁ぎわに寄せておいた小刀を取るなり、すらりとそのさやを払った。そして、行灯あんどん灯影ほかげに曇りのないその刀身を透してみた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
らくなった谷をへだてて少し此方こっちよりも高い位の平地に、忘れたように間をおいてともされた市街地のかすかな灯影ほかげは、人気ひとけのない所よりもかえって自然を淋しく見せた。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
私の宿の近所は色街いろまちで、怪しげな灯影ほかげ田舎女郎いなかじょろうがちらちらしています。衰えた漁村の行燈あんどんに三味線の音などこおりつくようにさむざむと聞こえます。近状知らせて下さい。
青春の息の痕 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
テーブルの上の古いランプの灯影ほかげは一心に耳を傾けてゐる人達の横顔を画のやうに照してゐる……炎え盛る火と切りに降る雪と葡萄酒の香りとに抱かれて過ぎゆく冬の夜……を
嘆きの孔雀 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
故枝太郎の「島原八景」は朧夜おぼろよの百目蝋燭の灯影ほかげきらめく大夫のかんざしのピラピラが浮き彫りにされ、故枝雀の「野崎詣」は枝さし交わす土手の桜に夏近い日の河内平野が薄青く見えた
寄席行灯 (新字新仮名) / 正岡容(著)
東の河面に向くバルコニーの硝子扉ガラスとびらから、陽が差込んで、まだつけたままのシャンデリヤの灯影ほかげをサフラン色に透き返させ、その光線が染色液体のように部屋中一ぱいみなぎあふれている。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
人の往き来は一層繁く、灯影ほかげはまた一段と輝かしく、暗いけれど高い空にほんのりと余光をあげてゐた。風を切つて行きちがふ電車のあおりを喰つて、街樹の柳がすうと枝を靡かせて行く。
散歩 (新字旧仮名) / 水野仙子(著)
かすか灯影ほかげに照らされた薄ら明るい天幕の中には、一杯に獣皮じゅうひが敷き詰めてあった。壺や皿や樽や桶が雑然として置かれてあった。天幕の梁には牛酪を充たした大きな革袋が釣るしてある。
喇嘛の行衛 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
植源と出ている軒燈けんとうの下に突立って、やがてお島は家の方の気勢けはいに神経を澄したが、石を敷つめた門のうちの両側に、枝を差交した木陰から見える玄関には、灯影ほかげ一つ洩れていなかった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
灯影ほかげ明るい祇園町の夜、線香のけぶり絶々たえだえの鳥辺山、二十一と十七、黒と紫とに包まれた美しい若い男女が、美しい呂昇の声に乗ってさながら眼の前におどった。おしゅんのさわりはます/\好い。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
声もなく眠っているきょうの町は、加茂川の水面みのもがかすかな星の光をうけて、ほのかに白く光っているばかり、大路小路の辻々つじつじにも、今はようやく灯影ほかげが絶えて、内裏だいりといい、すすき原といい
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
こう言った市平の眼も、薄暗いカンテラの灯影ほかげに、ちかちかと光っていた。
土竜 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
うす暗いカンテラの灯影ほかげにその男の顔をすかしてた父は、一けんばかり行き過ぎてから私に二十銭紙幣を渡して、これをあの人にやって来いと命じ、かつ与ったらばすぐに駈けて来いと注意された。
思い出草 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
男の太いいびきが耳の近くで聞えた。その鼾に混つて、窓のカーテンをかした路上の灯影ほかげで、誰かがひそひそとさゝやきあひ、寄り添つてゐる人の気配がした。ゆき子は咽喉が焼けつくやうだつた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
その波の底には薄蒼うすあを灯影ほかげの町が沈んでゐる
太陽の子 (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
つくばひにまわ燈籠どうろ灯影ほかげかな
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
もるる灯影ほかげにかしこまる
煤掃 (旧字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
支那料理しなれうり、よひの灯影ほかげ
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
静夜の揺るゝ灯影ほかげ
閑天地 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
すると、彼方あなたに静かな灯影ほかげを見せていた二棟つづきの離亭はなれ。その一方の障子がスーッと開いて、銀のような総髪白髯の一人の老人が
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
美奈子は、ホテルの部屋々々からの灯影ほかげで、明るく照し出された明るい方を避けて出来る丈、庭の奥のやみの方へと進んでいた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ぐいと大川からこっちへ切りこんでいる小堀こぼりのかどの出っ鼻に、なるほど於加田と書いたあんどんが、ゆらめく水に灯影ほかげを宿して見えました。
外は庭と同じく真暗であるが、人家の窓から漏れる灯影ほかげをたよりに歩いて行くと、来た時よりはわけもなく、すぐに京成電車の線路に行当った。
羊羹 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
小さい鐘を横にしたような中に、細いカンテラの灯が動いている、そのかすかな灯影ほかげの周囲に三四人の兵士がすわっていた。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)