憧憬あこが)” の例文
乱闘の場の剣戟けんげき叫喚、そういうものに関わりなく、狂女特有の締りのない、洞然ぽかんとしたうつろの声で、しかし何かに憧憬あこがれるように
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
都会の空気に憧憬あこがれる彼女等はスマートな都会青年の代表のように復一に魅着の眼を向けた。それは極めて実感的な刺戟を彼に与えた。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
かねて写真で見たやうな片眼鏡は掛けて居ない。コイヅミヤクモやロテイの書いた物を読まない前から自分も東洋に憧憬あこがれて居た。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
私が登りたいと憧憬あこがれてゐたのはこれであつた。岩やヒースの境界線のこちらはどこもみな、牢獄の庭に、流謫の地に見えた。
「鳥が鳴くあづまの空に僥倖ふさへしに、行かんと思へど便宜よし旅費さねもなし」との述懐は、当時の都人士の憧憬あこがれるところを露骨に歌ったものであった。
兎角理想というものは遠方から眺めて憧憬あこがれていると、結構な物だが、直ぐ実行しようとすると、種々いろいろ都合の悪い事がある。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
健康な血統ちすじの子孫を設けたいものと、一心に憧憬あこがれ願っていた心情がハッキリと首肯うなずかれる訳で、T子が家出をした当時に
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「三面の仙境には、江戸にいる頃から憧憬あこがれておりました。そこをぜひ画道修業の為に、ておきとう御座りまする」
壁の眼の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
私はまた雑草をわけ木立の中を犬のようにくぐって崖端へ出て見はるかす町々の賑わいにはかなく憧憬あこがれる子となった。
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
修道院へ——それは、私が北海道へ旅立つ以前から樂しみ憧憬あこがれてゐた、深く心惹こゝろひかれる一つの眼あてであつた。
処女作の思い出 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
例えば、私は幼い時から、日本へ渡って来たいと憧憬あこがれた。然し、その願いが果たされたのは、横浜で病いにかゝった叔父を看護する目的からであった。
ラ氏の笛 (新字新仮名) / 松永延造(著)
そして、日がつに従うて、見もせず聞きもせぬけれど、浮名うきなが立って濡衣ぬれぎぬ着た、その明さんが何となく、慕わしく、懐かしく、はては恋しく、憧憬あこがれる。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
昔の夢に憧憬あこがれるやうな顏をして、こればかりが昔の記念かたみだといつてゐる金の吸口の煙管でタバコを喫んだ。
父の婚礼 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
山に憧憬あこがれながらもうつらうつらとして、遠く身辺を離れ得なかった魂は夜の寂寥を破って山々に反響する鋭い汽笛の音に、吃驚びっくりしてわれにかえったものらしい。
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
唐土もろこしの山のかなたに立つけむりのごとく、ほとんどわれわれと没交渉のように心得、理想に憧憬あこがれているという青年男女などは、日々学課をそっち退けとし、月や星をなが
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
……ボクさんが憧憬あこがれているのは、実は、ほんとうの『星の世界』のことなのかも知れない。
キャラコさん:08 月光曲 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
自ら落着くべき故郷も無く、息ふべき宿も無く、徒らに我慾の姿に憧憬あこがれて、あえぎ疲れて居る。旅の恥はかき棄てと唱へて、些かも省みる処なく、平気で不義、破廉恥を行ふ。
土民生活 (新字旧仮名) / 石川三四郎(著)
そして、そこの多くの女性のうちでも最も羨望せんぼうされる寵妃ちょうひとなって、上皇の愛を賜うほどな身になった今日になってみれば、昔の憧憬あこがれは、まことに幼稚な少女の夢にすぎなかった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
欧米文学の絢爛荘重なるを教えられて憧憬あこがれていた時であったから
自分が卑しい側女などになったのも、蝙也という男がいたからである、——世に優れた良人おっとの妻として、正しい女の道を生きよう、そう考え憧憬あこがれていた乙女の夢を、無慙むざん蹂躪ふみにじったのは蝙也である。
松林蝙也 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
あんなに憧憬あこがれていた裏日本の秋は見る事が出来なかったけれども、この外房州は裏日本よりも豪快な景色である。市振から親不知おやしらずへかけての民家の屋根には、沢庵石のようなのが沢山置いてあった。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
何んなにこの遠い土地に向つて憧憬あこがれたらう。
時子 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
その上、母に似て恋の美しい幻影には人一倍憧憬あこがれる性質の若者だ。(沈思)それに、若も明晩の音楽の競技には出場すると云うではないか。
レモンの花の咲く丘へ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
むろん無理な註文も多いに違いないが、それでも自分の註文にまった本格探偵小説を憧憬あこがれ望んでいる事は決して人後に落ちないつもりである。
探偵小説漫想 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
樹々きゞえだのこンのゆきも、ちら/\とゆびかげして、おほいなる紅日こうじつに、ゆきうすむらさきたもとく。なん憧憬あこがるゝひとぞ。うたをよみてえだ紅梅こうばいつぼみかんとするにあらず。
婦人十一題 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
生活の向上に憧憬あこがれる事を知らぬ桃源場裏の村落へ行ってみると、一・二室しかない粗末なる家に荒蓆を敷いて一家族が団欒し、所謂父はててらにはふたのした気軽な暮らしに
かつてゲーテをめたなかに、青年はとかくシラーに憧憬あこがれて、ゲーテをうとんずるの傾向があるが、三十歳に至れば、思慮しりょもややじゅくし、人生のなにものたるかもいくぶんか判明し
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「杉右衛門の娘の俺の許婚いいなずけ、あの美しい山吹が、部落を捨て俺を見限り下界の虚栄に憧憬あこがれて多四郎めと駈け落ちした」
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
骨の髄までシャブリ上げられたら、どんなにかいい心持ちであろう……というような、たまらない慾望に憧憬あこがれつつある……そうして伊奈子のスゴ腕にかかって
鉄鎚 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
其の白妙が、めされて都にのぼると言ふ、都鳥の白粉おしろいの胸に、ふつくりと心魂こころだましいめて、肩も身も翼に入れて憧憬あこがれる……其の都鳥ぢや。何と、げるどころではあるまい。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
憧憬あこがれるように呟いた。山を越したらいい国があろう! 山国に育った少年の、おおかた起こす空想であった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それは彼が永いこと飢え、憧憬あこがれて来たチャブ屋の赤い光りとは全然違った赤さであった。又、彼が時々刻々に警戒して来た駐在所や、鉄道線路の赤ラムプの色とも違っていた。
白菊 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
と荒唐無稽に過ぎるようですが、真実まったくで、母可懐なつかしく、妹恋しく、唯心もそら憧憬あこがれて、ゆかりある女と言えば、日とも月とも思う年頃では、全くりかねなかったのでございます。
甲乙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
虚栄虚飾に憧憬あこがれている山の乙女山吹の心をその本来の質朴の心へ返そうとしているのは確からしいが、はたして山吹は彼の言を聞き元の乙女に立ち返るか
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
諸君は常識の世界に住んでいながら、非常識の世界に憧憬あこがれている人々である。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ふぢはなむらさきは、眞晝まひる色香いろかおぼろにして、白日はくじつゆめまみゆる麗人れいじん面影おもかげあり。憧憬あこがれつゝもあふぐものに、きみかよふらむ、高樓たかどのわた廻廊くわいらうは、燃立もえた躑躅つゝじそらかゝりて、宛然さながらにじへるがごとし。
月令十二態 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
こう如何にも憧憬あこがれるように、陣十郎が云いだしたのは、かなり間を経た後のことであった。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
たまか、黄金こがねか、にもたうと宝什たからひそんで、群立むらだつよ、と憧憬あこがれながら、かぜ音信たよりもなければ、もみぢを分入わけいみちらず……あたか燦爛さんらんとして五彩ごさいきらめく、天上てんじやうほしゆびさしても
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
同窓の少女たちは、めいめいに好き勝手な雑誌や、書物や、活動のビラみたようなものを持ちまわって、美しい化粧法や、編物や、又はいろいろなローマンチックな夢なんぞに憧憬あこがれておられます。
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
それはもう決して無邪気な童心な、小娘などの声ではなく、肉体も感情も成熟し、異性に憧憬あこがれ恋の苦しみに、さいなまれている女の苦しみ——それを現わした声であった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
恍惚うっとりとなるような、まあ例えて言えば、かんばしい清らかな乳を含みながら、生れないさきに腹の中で、美しい母の胸を見るような心持の——唄なんですが、その文句を忘れたので、命にかけて、憧憬あこがれて
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
将しく彼女には審美眼がある。だが以前むかしの彼女には、すくなくともマチスに憧憬あこがれるような、そんな繊細な審美眼は、なかったように思われる。長足の進歩をしたものさなあ。
銀三十枚 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
わざと途中、余所よそで聞いて、虎杖村に憧憬あこがく。……
雪霊記事 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
暖かい人情に憧憬あこがれながら、産れ故郷の甲府を差して、仮面の城主は歩いて行った。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
わざ途中とちう餘所よそいて、虎杖村いたどりむら憧憬あこがく。……
雪霊記事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
「これをお前から越中へ——定信の手へ渡してくれ。……わたしから渡すのでござりますのね」という、若い女の情熱的の、しかしあどけない憧憬あこがれるような、涙を誘うような声であった。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
何とこうした時は、見ぬ恋にも憧憬あこがれよう。
雛がたり (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と城主は憧憬あこがれるように云った。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)