きぬ)” の例文
私は、家の前の戸口に立って、青白い薄いきぬをこの世の上にかけたような、草木の葉の、色艶も失せて凋れている景色を眺めた。
夜の喜び (新字新仮名) / 小川未明(著)
三人の登って行くところから十四五間も右手に、雪まみれになって倒れている者があった……汗止めの白いきぬが鮮かに三人の眼にしみた。
夜明けの辻 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
道義の力、習俗の力、機会一度至ればこれを破るのはきぬを裂くよりも容易だ。ただ、容易にきたらぬはこれを破るに至る機会である。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
明智がここまで喋った時、邸内のどこかできぬを裂く様な女の悲鳴が聞えた。伯爵も明智も座に居合わせた波越警部も、ハッと聞き耳を立てた。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
たちまちレールは山角さんかくをめぐりぬ。両窓のほか青葉の山あるのみ。後ろに聞こゆるきぬを裂くごとき一声は、今しもかの列車が西に走れるならん。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
馬車に乗っていたのは若い外国婦人で、これもきぬを裂くような声をあげた。私をいたと思ったからである。私も無論に轢かれるものと覚悟した。
御堀端三題 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
われはまなじりを決して東のかたヱネチアを望みたるに、一群の飛鳥ありて、列を成してかなたへ飛び行くさま、一片のきぬの風に翻弄せらるゝに似たり。
心當こゝろあてにかなたと思はるる方をぢつと見てゐると眞白な霧の中に薄々と、薄青いきぬを下げたやうにそれとうなづかるゝものがかすかに透かして見えた。
華厳滝 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
さう思つてゐると、又カンバスを引き裂いてゐるらしい、きぬを裂く激しい音が聞えた。瑠璃子は、思はず両手で、顔を掩うたまゝかすかに顫へてゐた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
雲雀ひばりの唄う声をまねているくらいで、あの彼女が持ち前のキキというきぬを裂くようなはげしい声はあげないのだ。
探巣遅日 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
説教の坊さんの声が、にはかにおろおろして変りました。穂吉のお母さんのふくろふはまるできぬを裂くやうに泣き出し、一座の女の梟は、たちまちそれにいて泣きました。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
常にキヌの襟と袖とに花やかなきぬを付けるのを、元来が襦袢だから身ごろだけには倹約をしたためと見る人は、いわば自分のあたじけなさをもって他を推すもので
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
余りの犠牲に、佐久間勢のうちの一部将が、きぬくような声で叫んでいた。——が、それにしても、多数の行動を変じるにも自然、遅鈍ちどんならざるを得ないのである。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
恭一は、きぬをさくような声で、そう叫ぶと、敷蒲団の上につっぷして、はげしく息ずすりをした。
次郎物語:02 第二部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
とたんに「ヒェーッ」ときぬを裂くような凄じい掛け声が掛かったかと思うとピューッと空を抜く矢走りの音に続いて聞こえる弦返つるがえりの響き! しかしそれより驚いたのは
日置流系図 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
玉はきぬを引き裂いてそれをくるんでやった。女は気がまわって来て始めてうめきながらいった。
阿英 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
さうして朱塗のやうな袖格子が、ばら/\と焼け落ちる中に、のけつた娘の肩を抱いて、きぬを裂くやうな鋭い声を、何とも云へず苦しさうに、長く煙の外へ飛ばせました。
地獄変 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
晏平仲嬰あんぺいちうえいは、(三六)らい夷維いゐひとなりせい靈公れいこう莊公さうこう景公けいこうつかへ、節儉力行せつけんりよくかうもつせいおもんぜらる。すでせいしやうとして、(三七)しよくにくかさねず、せふ(三八)きぬず。
彼がこう云う途端に、女のきぬを裂くような悲叫さけび! 恐怖のために狂乱してしまった咽喉から絞り出た、血も吐くような女の悲叫さけびが、私たちの前方の籔のかげから聞こえて来た。
きぬをさくやうな、さしせまつた、異常な恐怖を訴へる、誰れにともない救急の呼びごゑのやうな節も感ぜられたし、かと思ふと、そこの入江にのぞんで建つてゐる料亭の広間で
海辺の窓 (新字旧仮名) / 三好達治(著)
馬をはかると一匹長かった故とか、馬死んで売るときぬ一匹得たからとか種々の説を列べた中に、〈あるいはいわく、馬は夜行くに目明るく前四丈を照らす、故に一匹という〉とある。
さときぬを裂くが如き四絃一撥の琴の音にれて、繁絃急管のしらべ洋々として響き亙れば、堂上堂下にはか動搖どよめきて、『あれこそは隱れもなき四位の少將殿よ』、『して此方こなたなる壯年わかうどは』
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
弱いきぬを長く裂いてゆくように泣き続けて、やがてむせるようになって消えたかと思うと、また物悲しそうに泣くを立てて欷歔しゃくり上げる泣き声が、いじらしくてたまらなく聞えます。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
といった葉子の声は低いながらきぬを裂くように疳癖かんぺきらしい調子になっていた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
玉をまろがすと言つては明るきに過ぎ、きぬを裂くと言つては鋭きに過ぐる。
梅雨紀行 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
「怖くないようにきぬで眼隠しをしてやる。なあに、すぐすんでしまうから」
無月物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
どんなきぬを、どんな形に裁ち縫ひしたものか知らないが、この不思議なふくろを腰に下げて高山に登り、白雲のたよたよと揺れ動いてゐるなかを渉り歩くと、別に嚢の口を開かうともしないのに
独楽園 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
すると、かたわらにごろ寝していた小屋係りの一人がぎりぎりと歯をきしらせた。きぬをさくような険しい音が闇を貫いた。高倉祐吉は片膝かたひざついた中途はんぱな恰好かっこうで歯ぎしりする男をのぞき込んだ。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
空には數知れぬ人の顏の、羽搏の響きと、きぬ裂く如く異樣な泣聲。……
散文詩 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
下界げかいるとまなこくらむばかりで、かぎりなき大洋たいやうめんには、波瀾はらん激浪げきらう立騷たちさわぎ、數萬すまん白龍はくりよう一時いちじをどるがやうで、ヒユー、ヒユーときぬくがごとかぜこゑともに、千切ちぎつたやう白雲はくうん眼前がんぜんかすめて
数へおよばぬきぬうはだたみ
晶子詩篇全集拾遺 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
馬車に乗っていたのは若い外国婦人で、これもきぬを裂くような声をあげた。私をいたと思ったからである。私も無論に轢かれるものと覚悟した。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そう思っていると、又カンバスを引き裂いているらしい、きぬを裂く激しい音が聞えた。瑠璃子は、思わず両手で、顔をおおうたまゝかすかにふるえていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
説教の坊さんの声が、にわかにおろおろして変りました。穂吉のお母さんの梟はまるできぬくように泣き出し、一座の女の梟は、たちまちそれにいて泣きました。
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
そこで始めて皆が疑いだしたが、周は成の心の異っていたことを知っているので、人をやって成のいそうな寺や山をあまね物色ぶっしょくさすと共に、時どき金やきぬをその子にめぐんでやった。
成仙 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
逃げそこねた者が二、三人、異様な声をあげて横たわった。折も折、彼らが二町も後ろに置き捨ててきたくるまのあたりから、姫の声にまちがいないきぬくような悲鳴が流れてきた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大きい文字を書く折にはわざと筆を用ゐないで、きぬをぐるぐる巻にして、その先に墨汁すみを含ませて、べたべたなすくるのをひどく自慢にしてゐたといふ事だが、これなどもまあ一寸したおもつきいたづらだ。
ひらき戸から奥へ消える時、店にいる正吉をみつけたかして娘がきぬを裂くように叫んだ。——正吉は亭主の方へ振返った、亭主はそ知らぬ顔で小鍋こなべの下をあおいでいる、正吉はすっと立って行った。
お美津簪 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
『漢書』に漢武守宮やもりを盆で匿し、東方朔とうぼうさくてしめると、竜にしては角なく蛇にしては足あり、守宮か蜥蜴だろうとてたので、きぬ十疋を賜うたとある。蜥蜴を竜に似て角なきものと見立てたのだ。
宋の紹興二十八年の夏、きぬのたぐいを売りながら、妻と共に州を廻って、これから昌楽しょうらくへ行こうとする途中、日が暮れて路ばたの古い廟に宿った。
その響きに応ずるように、荘田も木下も子爵ししゃくも「アッ」と、叫んだ。それと同時に、どうと誰かが崩れるように倒れる音がした。きぬを裂くような悲鳴が、それに続いて起った。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
きぬける音がぴっと鳴った。警吏は法衣ころもの片袖だけをつかんで前へのめっている。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
するとまた一と声、きぬを裂くような声が聞えた。
やぶからし (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
州の南門、黄柏路こうはくろというところにたん六、詹七という兄弟があって、きぬを売るのを渡世としていた。
「——誰か来てえッ……」ふた声めが、きぬを裂くように、二人の耳を打った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もし金やきぬが欲しいというのならば、どんなことでもいてあげる。しかし明君が世を治めている今の時代に、人殺しの罪をゆるすなどということは出来るものでない。
「めでたい者達だ」と、曹操は、酒を飲ませたり、きぬを与えたりした。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし三本の糸をまき付けると、力が不足で切ることが出来ません。それですから、きぬのなかに麻を隠して置いて縛ったらば、おそらく切ることは出来まいと思われます。
呂布は、耳元に、きぬを裂くような悲鳴を聞いた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
町の小児しょうにらが河に泳いでいると、或る物が中流をながれ下って来たので、かれらは争ってそれを拾い取ると、それは一つの瓦のかめで、厚いきぬをもって幾重いくえにも包んであった。