何処どこ)” の例文
旧字:何處
「往来で物を云いかける無礼なやつ」と云う感情をたちま何処どこへか引込めてしまって、我知らず月給取りの根性をサラケ出したのである。
途上 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それにしてもあんな方角に、あれほどの人家のある場所があるとすれば、一たい何処どこなのであろう。私は少しに落ちぬ気持がする。
一方は急峻な傾斜になっている上に、途は細いし、草も木も手ごたえにするものがないのだから転ぶと何処どこまで落ちて行くか分らぬ。
武甲山に登る (新字新仮名) / 河井酔茗(著)
されば比律賓は西島とも呼ばれ東島とも称された。かくては「東は東、西は西、両者永遠に相逢うことなし」の面目は何処どこにあるか。
東西相触れて (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
かかる折から、柳、桜、緋桃ひもも小路こみちを、うららかな日にそっと通る、とかすみいろど日光ひざしうちに、何処どこともなく雛の影、人形の影が徜徉さまよう、……
雛がたり (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「昨日ノ朝、妙ナ船ニ会イマシタ、三本帆檣マストノ二千トンバカリノ奴デス。船内ニハ誰モ居ナイ様子デ……何処どこ彼処かしこモ血ダラケデシタ」
流血船西へ行く (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
行き合う人や後から来る人に顔を見られても、彼処あすこまで行ってしまえば何処どこから来たのだか分るまいと云うような気がするのである。
買出し (新字新仮名) / 永井荷風(著)
弥吉は、鞍ヶ岳の池のまわりで、そよりと立った鷹狩の、児太郎の可憐かれんな姿を、いまは何処どこにもみることができないのに気が附いた。
お小姓児太郎 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
例の如くややしばし音沙汰おとさたがなかった。少しれ気味になって、また呼ぼうとした時、いたち大鼠おおねずみかが何処どこかで動いたような音がした。
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「音に聞えし真柄殿、何処どこへ行き給うぞや、引返し勝負あれ」と呼びければ、「引くとは何事ぞ、にくい男の言葉かな。いでもの見せん」
姉川合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
Sのこの判断はまことに妥当で、今ではそうとしか考えられませんが、それにしても、藤波金三郎は何処どこへ姿を隠したことでしょう。
女子の特質とも言うべき柔和な穏やかな何処どこまでもやさしいところを梅子さんは十二分にもっておられる。これには貴所あなたも御同感と信ずる。
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
「おおむぞやな。な。何ぼがいだがな。さあさあ団子だんごたべろ。食べろ。な。今こっちを焼ぐがらな。全体ぜんたい何処どこまで行ってだった。」
種山ヶ原 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
と呼ぶ声が何処どこからとなしに聞えて来ましたので、私等は暗い木の中から少し上の明るい、幾分道のやうになつた所へ出て来ました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
帽も上衣うはきジユツプも黒つぽい所へ、何処どこか緋や純白や草色くさいろ一寸ちよつと取合せて強い調色てうしよくを見せた冬服の巴里パリイ婦人が樹蔭こかげふのも面白い。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
一人ひとりすはつて居ると、何処どことなく肌寒はださむの感じがする。不図気が付いたら、机の前の窓がまだてずにあつた。障子をけると月夜だ。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
大学を出て何処どこへ行く? モウよい年だから隠居する? トボケタこと言うナイ、吾等の研究はマダ終っていないでなお前途遼遠ダ。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
九月は農家の祭月まつりづき、大事な交際季節シーズンである。風の心配も兎やらうやら通り越して、先収穫しゅうかくの見込がつくと、何処どこの村でも祭をやる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
普請ふしんは上出来で、何処どこ彼処かしこも感心した中に特に壁の塗りの出来栄えが目に止まった。そこで男は知人に其の塗り方を訊いてみた。
愚かな男の話 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
何処どこにその人はいるかとの質問に、何処にいるかといってその人は協会員で来ておられるというと、では早速逢いたいというので
夜もすがら枕近くにありて悄然しよんぼりとせし老人としより二人のおもやう、何処どこやら寝顔に似た処のあるやうなるは、こののもしも父母にては無きか
うつせみ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「日本という国はいい国だ。街の一番下層の労働者が、外国人を見た時、もしもし西洋の旦那とよぶような国は、世界中何処どこにもない」
日本のこころ (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
『お前も一杯やってみるか』と言った父の言葉が頭の何処どこかをかすめた。そこで、ただ何となく『飲んでみるか』と軽く考えたのである。
酒渇記 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
何処どこへ行くの?」光子がいきなりきいた。森先生のとこへといえば、また何とか意地悪い事を言われるのがいやさに、それとなく
先生の顔 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
園芸を好み、文芸をも好みしが、二十はたちにもならざるうちに腸結核ちやうけつかくかかりて死せり。何処どこか老成の風ありしも夭折えうせつする前兆なりしが如し。
学校友だち (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
その方法は何処どこまでも徹底せる懐疑的自覚でなければならない、詳しくいえば絶対の否定的自覚、自覚的分析でなければならない。
デカルト哲学について (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
それでは塩原しほばらてら何処どこでせうと聞いたところが、浅草あさくさ森下もりしたの——たしか東陽寺とうやうじといふ禅宗寺ぜんしうでらだといふことでございますといふ。
塩原多助旅日記 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
鬼ごっこ、子をとろ子とろ、ひな一丁おくれ、釜鬼かまおに、ここは何処どこ細道ほそみちじゃ、かごめかごめ、瓢箪ひょうたんぼっくりこ——そんなことをして遊ぶ。
旧聞日本橋:02 町の構成 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
或る日、私がそうやって一人で無花果の木かげで余念なく遊んでいると、私の母が何処どこからか、一人の見かけない女の子を連れて来た。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
今夜だけはまあ泊めてるから、あしたになったら何処どこへでも勝手に出て行ってくれ。長く泊めて置くことは出来ねえぞ。いいか。
影:(一幕) (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
人工の・欧羅巴ヨーロッパの・近代の・亡霊から完全に解放されているならばだ。ところが、実際は、何時いつ何処どこにいたってお前はお前なのだ。
譬えて申せば貴方が一杯の酒を呑乾のみほしておしまいなさる時、その酒のがいつか何処どこかであった嬉しさのにおいに似ていると思召おぼしめすように
私は、これからいったい何処どこへ行こうとしているのかしら……駅々の物売りの声を聞くたびに、おびえた心で私は目を開けている。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
何処どこかに見覚えのある事物は残っていまいか、何処かに人間の痕跡は無いだろうか、それを捜すにはなお遠く進んでみねばならぬ。
暗黒星 (新字新仮名) / シモン・ニューコム(著)
それも決して座成的ざなりてきのものでないと見え、何処どことかへ代議士が集った席でも話出て感心しきりだったと、中村啓次郎氏から承った。
私は平常のままなら何処どこへでも行けるが、これを着てはもう一歩も恥かしくて外へは出られないので、私は憂鬱に陥るのであった。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
牛肉とさえ言えば何処どこでも同じ事だと思って内ロースをシチューにしたり、こわい肉をビフテキにしたりして毎度失敗しくじっていました。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
しかしながら人は、何処どこにか心のうちに道理を有する時にしか憤慨しない。ジャン・ヴァルジャンは憤慨の気持ちを覚えたのであった。
『そんなことを告げに来たんじゃありません。その宗次の弟子が、何処どこかで、家のお師匠様に、斬られたことがあるんですってね』
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何処どこまではずむか知れないような体を、ここでまた荒い仕事に働かせることのできるのが、むしろその日その日の幸福であるらしく見えた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
寝ても寝られないという風に、達雄は間もなく身を起したが、紳士らしい威厳のあるその顔には何処どことなく苦痛の色を帯びていた。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
白峰を写すには何処がよかろう、十重二十重とえはたえ山は深い。富士のように何処どこからも見えるというわけにはゆかぬ。地図を調べ人にもきいた。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
けれど彼は、足にまかせて行ける処まで行こうと思った。いつしか細い道は、何処どこにか消えて、自分は道のない沙原を歩いている。
薔薇と巫女 (新字新仮名) / 小川未明(著)
彼は何処どこまでも書籍を重位に置き、書籍の上に養われた眼目を以て社会を眺め渡さんとするけれども、これは事実を本位に置き
我輩の智識吸収法 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
卓子テーブルそばわづかすこしばかりあかるいだけで、ほか電灯でんとうひとけず、真黒闇まつくらやみのまゝで何処どこ何方どちらに行つていかさツぱりわからぬ。
検疫と荷物検査 (新字旧仮名) / 杉村楚人冠(著)
心ばかりが、本当にポプラの葉のやうにふるへる。そして何処どこからともなく、金属のふれ合ふやうな響を感じて彼女は、たえずおびえた。
青白き夢 (新字旧仮名) / 素木しづ(著)
ちょうどひるで、私は温泉宿に入って、一ふろあびて一ぱいやるつもりをしていたが、さて何処どこへ往っていいのか見当がつかない。
火傷した神様 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「こんな弱った事はない、」と、U氏はた暫らく黙してしまった。やがて、「君は島田のワイフの咄を何処どこかで聞いたろう?」
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
事務所の社員に対しては、これは何処どこにでもあるでしょう。——女事務員は大抵女学校は出ているので、服装から違うわけです。
工場細胞 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
そんなことを聞き覚えている僕は、今でも神田川から出る時は何処どこ、品川は何屋、洲崎は誰と舟宿を決めてあまり浮気をしない。
江戸前の釣り (新字新仮名) / 三遊亭金馬(著)