蔵前くらまえ)” の例文
旧字:藏前
そこで、京の芸子や仲居たちは、江戸蔵前くらまえ大通だいつうのお嬢様が、いよいよお立ちというので、走井はしりいの茶屋まで見送ってきたものである。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そぞろに蔵前くらまえの旦那衆を想像せしむる我が敬愛する下町したまちの俳人某子なにがししの邸宅は、団十郎だんじゅうろうの旧宅とその広大なる庭園を隣り合せにしている。
銀座 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それがしばらくするうちに二十四か所ぐらいにふえた。蔵前くらまえの高工からは物凄ものすごい火の柱が立ち、十二階はてっぺんから火を吹いた。
地異印象記 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
私の生れは栃木県の宇都宮在で、国の中学校を卒業すると東京へ来て蔵前くらまえの高等工業へ這入り、そこを出てから間もなく技師になったのです。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
吾妻橋あづまばしから川下ならば、駒形こまかた、並木、蔵前くらまえ代地だいち柳橋やなぎばし、あるいは多田の薬師前、うめ堀、横網の川岸——どこでもよい。
大川の水 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
幸田露伴翁の「水の東京」に、「浅草文庫の旧跡の下にはまた西に入るの小渠しょうきょあり、須賀町地先を経、一屈折して蔵前くらまえ通りを過ぎ、二岐となる。 ...
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
という見得みえ半分の意地っ張りから、蔵前くらまえ人形問屋の若主人清水きよみず屋伝二郎は、前へ並んだ小皿には箸一つつけずに、雷のこわさを払う下心も手伝って
で、そこまでくと、途中は厩橋うまやばし蔵前くらまえでも、駒形こまがたでも下りないで、きっと雷門まで、一緒にくように信じられた。
妖術 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
さて、東雲師は、いよいよこの名前で浅草蔵前くらまえの森田町へ店を出しました。すなわち仏師の職業を開いたのである。
蔵前くらまえふうの根の高いのめし髷。紫の畝織縮緬うねおりちりめんに秋の七草を染めた振袖。下膨しもぶくれのおっとりした顔つきの十六七の娘。
顎十郎捕物帳:20 金鳳釵 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
金助は晦日みそかまえで、蔵前くらまえ辺に何かの商売用があって出て来たついでに、延津弥の家へちょっと立寄ったのである。
廿九日の牡丹餅 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
何でもかんでも大きいものが流行はやって、蔵前くらまえの八幡の境内に、大人形といって、海女あまの立姿の興行物があった。
江戸か東京か (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
蚊帳かやから出た時に、薄暗い庭の植込みに、大輪な紫陽花あじさいの花を見出すと、その時の九女八のおでんが浮びあがるといったことや、それは、浅草蔵前くらまえの宿で
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
二十二でせがれの千きちみ、二十六でおせんをんだその翌年よくねん蔵前くらまえ質見世しちみせ伊勢新いせしん番頭ばんとうつとめていた亭主ていしゅ仲吉なかきちが、急病きゅうびょうくなった、こうから不幸ふこうへの逆落さかおとしに
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
勝三郎はついで明治二十九年二月五日に歿した。年は七十七であった。法諡ほうし花菱院照誉東成信士かりょういんしょうよとうせいしんしという。東成はそのいみなである。墓は浅草蔵前くらまえ西福寺さいふくじ真行院しんぎょういんにある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
浜町はまちょう蔵前くらまえあたりの川岸かわぎしで、火におわれて、いかだの上なぞへとびこんだ人々の中には、どおし火の風をあびつづけて、生きた思いもなく、こごまっていた人もあり
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
危ねえよ、どいたどいた、と云うどなり声でわれに返ると、右の脇をすれすれに、駕籠かごが走りぬけてゆき、そこが蔵前くらまえの通りであることに、おみきは気がついた。
枡落し (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
これは三十そこそこ、金があって、年が若くて、男がよくて、蔵前くらまえ切っての名物男でした。
私の妻の祖母は——と云って、もう三四年前に死んだ人ですが——蔵前くらまえ札差ふださしで、名字帯刀御免みょうじたいとうごめんで可なり幅をかせた山長——略さないで云えば、山城やましろ屋長兵衛の一人娘でした。
ある恋の話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
先生様は御番料ごばんりょうを千俵もいただく御典医で、せつ蔵前くらまえの旦那衆というようなかおをしたって誰もとがめる者はござんせん、ワザワザ十八文と書いて、暗闇の恥を明るみへ出さずとも……
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「左様でこざいますか。あさっては蔵前くらまえの八幡の祭りでありますが一ケンカやりましょうから一しょにいらッしゃいまして一勝負なさいまし」(文字を書き変えた以外は原文のまま)
安吾史譚:05 勝夢酔 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
椿岳が師と仰いでを執ったのは大西椿年おおにしちんねんであった。当時椿年は蔵前くらまえに画塾を開いていたので、椿年の画風を喜んだというよりは馬喰町の家から近かったのでその門に入ったのだろう。
二人も不憫ふびんに思い、蔵前くらまえの座敷に有合ありあ違棚ちがいだな葡萄酒ぶどうしゅとコップを取出して、両人ふたりの前へ差出さしだせば、涙ながらにおいさが飲んで重二郎へしまするを見て、丈助はよろこび、にやりと笑いながら。
後には東京浅草の蔵前くらまえにあった高等工業学校の先生にまで進んだ人です。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
敬太郎はこの企図くわだてもまた例によって例のごとく、突き抜けずに中途でおしまいになるのかも知れないと思って少し失望しながら蔵前くらまえまで来た。するとやっとの事で尋ねる商売のうちが一軒あった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
望月は好い気で、「橋を右へ折れて蔵前くらまえか、へっへっへ」
助五郎余罪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
にわかにあわてた足どりで、三筋町すじまちから新堀端しんほりばたに沿い、蔵前くらまえの通りをまっすぐに出て、見付から横山町の抜け道にはいります。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
枕山がその叔父次郎右衛門の媒介で蔵前くらまえ札差ふださし太田嘉兵衛の女梅を後妻に迎えたのは信州より帰府した後であろう。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
昔は蔵前くらまえ札差ふださしとか諸大名の御金御用とかあるいはまたは長袖とかが、楽しみに使ったものだそうだが、今では、これを使う人も数えるほどしかないらしい。
野呂松人形 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
蔵前くらまえの八幡町、森田町、片町かたまち須賀町すがちょう(その頃は天王寺ともいった)、茅町かやちょう、代地、左衛門河岸さえもんがし(左衛門河岸の右を石切いしきり河岸という。名人是真ぜしん翁の住居があった)
あたしは何の気もなく蔵前くらまえにいって、階段に足をかけながら振りむくと——しょうのもののおばけかと思った。
服装なりだけはりゅうとして凝ったもの。蔵前くらまえ旦那だんなみたいに気取り返って、雪駄せったを突っかけて出て行った。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
その頃の蔵前くらまえの住居と云うのは、今の京都の西陣あたりの店の構えと同じように、表通りは間口の狭い格子こうし造りになっていて、奥の方が外から見たよりはずっと深く
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
境内けいだいを廻って、観音を拝んで、見識人みしりにんを桜井に逢わせて貰った礼を言った。それから蔵前くらまえを両国へ出た。きょうは蒸暑いのに、花火があるので、涼旁すずみかたがた見物に出た人が押し合っている。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
蔵前くらまえどおりを鉄道馬車が通るというので、女中に連れられて見に行ったことがある。目隠しをした二頭の馬が走ってゆくのは、レールの上を動く車台を引くので車房には客が乗っている。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
「どうもお気の毒さま、これから蔵前くらまえのお得意まで行くんでございますから」
大菩薩峠:10 市中騒動の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
芳町よしちょう蔵前くらまえわかわかれにむようになったばかりに、いつかってかたもなく二ねんは三ねんねんは五ねんと、はやくも月日つきひながながれて、辻番付つじばんづけ組合くみあわせに、振袖姿ふりそですがた生々いきいきしさはるにしても
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
「私は蔵前くらまえ札差ふださしせがれで名は清一、親は香屋忠兵衛といいます、これは近いうち私の妻になる倫ですが、いったいどういう御不審でお取調べを受けるのか、それを先に聞かして頂けませんか」
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
蔵前くらまえ大通だいつうと姉の情事を岡っ引の耳へなど入れたくなかったのでしょう。
「ゆうべの五ツ(午後八時)少し過ぎに蔵前くらまえでまたられた」
半七捕物帳:18 槍突き (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
でも、根気よく、構えのいい武家屋敷や、でなければ、豪家の隠宅いんたく——蔵前くらまえ札差ふださし——そんな所を、よって持ちあるいた。
野槌の百 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
学校の事も何もも忘れて、駒形こまかたから蔵前くらまえ、蔵前から浅草橋あさくさばし……それから葭町よしちょうの方へとどんどん歩いた。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
決してまた他事ひとごとでなく、自分が十二歳の時に蔵前くらまえの師匠の家に行き、年季奉公を致した時から以来のことなども思い合わされ、多少の感慨なきあたわずともいわばいわれます。
蔵前くらまえの家からくるまの上を母の膝に乗せられて木挽町こびきちょうへ行った五つか六つの頃、茶屋から母に手をかれて福草履を突っかけながら、歌舞伎座の廊下へ上るときがちょうどこんな工合であった。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
桜痴居士こじは、現今の歌舞伎座を創立し、九代目団十郎のために、いわゆる腹芸の新脚本を作り、その中で今でも諸方でやる「春雨傘はるさめがさ」が、市川家十八番の「助六」をきかせて、蔵前くらまえ札差ふださし町人
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
これは浅草蔵前くらまえ兎桂とけい等で、二十枚百文位で買った絵であるが、当時三枚二百文乃至ないし一枚百文で売ることが出来た。成善はこの金を得て、なかばとどめて母におくり、半はこれを旅費と学資とにてた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
蔵前くらまえに火事があった事——一々数え立てていたのでは、とても際限がありませんが、中でも一番嬉しそうだったのは、彼が五姓田芳梅ごぜたほうばい画伯に依頼して、細君の肖像画しょうぞうがいて貰ったと云う一条です。
開化の良人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
また、あちらの座敷に陣取っている師匠と蔵前くらまえのお旦那が、晩酌のすさびに音じめを直したのでしょう。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
俳諧師のむれ瓢箪ひょうたんを下げて江東こうとうの梅花に「ややとゝのふ春の景色」を探って歩き、蔵前くらまえの旦那衆は屋根舟に芸者と美酒とを載せて、「ほんに田舎もましば橋場はしば今戸いまど
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
土曜といわず日曜といわず学校の帰り掛けに書物の包を抱えたまま舟へ飛乗ってしまうのでわれわれは蔵前くらまえ水門すいもん、本所の百本杭ひゃっぽんぐい代地だいちの料理屋の桟橋さんばし橋場はしばの別荘の石垣、あるいはまた小松島こまつしま
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)