素朴そぼく)” の例文
葉子の郷里から上京して来たお八重は顔容かおかたちもよく調ととのって、ふくよかな肉体もほどよく均齊きんせいの取れた、まだ十八の素朴そぼくな娘だったので
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
素朴そぼくな生活への復帰を願うドヴォルシャークの心が、この郷愁となって、幾多いくた傑作をのこし、ともすれば虚偽と繁雑とにき込まれて
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
都会の人種とはまるきり違ふ、素朴そぼくな眼色をした中年の男が、番傘をゆき子の上へ差しかけてくれた。堤の上までは砂地続きである。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
素朴そぼくにふくらんだところはかわやなぎの趣に似て、もっと恥を含み、しかもおとめらしい誇りをみせているものは桃のつぼみです。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
私はただ現代に生まれた一人の科学の修業者として偶然ルクレチウスを読んだ、その読後の素朴そぼくな感想を幼稚な言葉で述べるに過ぎない。
ルクレチウスと科学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ここでは旧套きゅうとうの良心過敏かびん性にかかっている都会娘の小初の意地も悲哀ひあい執着しゅうちゃくも性を抜かれ、代って魚介ぎょかいすっぽんが持つ素朴そぼく不逞ふていの自由さがよみがえった。
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
非常に子どもらしい素朴そぼく過ぎたうらないかただけれども、前にはこうして右か左かの疑いをきめるという信仰もあったのではないかと思われる。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
美しい未来のために、人間の自由のために、彼らの運動はあるのではないのかと、素朴そぼくに考え、その反逆精神に疑問をもった。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
年齢よりませた経験をもってるらしかった。彼女は素朴そぼくであるとともにまた悟ってるらしく、敬虔けいけんであるとともにまた非空想的らしかった。
かなり日にやけた頬に、例の大きなえくぼが柔かいかげを作っているのが、先生夫妻の眼には、いかにも素朴そぼくにうつった。
次郎物語:04 第四部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
こいというには、あまりに素朴そぼくな愛情、ろくろく話さえしなかった仲でしたから、あなたはもう忘れているかもしれない。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
この言葉のうち、神楽かぐらの面々、おどりの手をめ、従って囃子はやし静まる。一連皆素朴そぼくなる山家人やまがびと装束しょうぞくをつけず、めんのみなり。
多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
素朴そぼくに、天真爛漫てんしんらんまんに、おのおのの素質そしつに依つて、見たり、感じたり、考へたりしたことが書いてあれば、それでよろしい
解嘲 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
もっと素朴そぼくな、それが自分の仕事であるという、ごくあたりまえな態度であり、半年ち、一年ちかく経っても、その仕事ぶりに変りはなかった。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それは、素朴そぼくそのままの、何ら飾り気のない文章で、七年ぶりに帰還した、土人ナガウライの談話と銘打たれてある。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
右大臣の別荘も田舎いなからしくはしてあったが、宮のおやしきはそれ以上に素朴そぼくな土地の色が取り入れられてあって、網代屏風あじろびょうぶなどというものも立っていた。
源氏物語:48 椎が本 (新字新仮名) / 紫式部(著)
素朴そぼくな村人たちは、博士が自分たちを友だちのように、したしげに話しかけてくれることにたいへん満足をおぼえた。
超人間X号 (新字新仮名) / 海野十三(著)
その名に比して、何と素朴そぼくな男だろうと、兄弟は、しげしげ彼の風采を見直していたが、疑うらしい眼ではなかった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この歌も民謡的だが、素朴そぼくでいかにも当時の風俗が分かっておもしろい。旋頭歌の調子は短歌の調子と違ってもっと大きく流動的にすることが出来る。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
私がこれから書こうとしているきわめて奇怪な、またきわめて素朴そぼくな物語については、自分はそれを信じてもらえるとも思わないし、そう願いもしない。
黒猫 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
素朴そぼくな愛の言葉が欲しい。ハムレット、お前を好きだ! と大声で、きっぱり言ってくれる人がないものか。
新ハムレット (新字新仮名) / 太宰治(著)
彼には東京人の上手じやうずに立ち廻る社交術がたまらなかつた。彼は穀物の素朴そぼくさを思ひ出した。残りの日数の少ない点からも、彼の試験勉強は気狂きちがひじみたものだつた。
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
一——自由な明晰めいせき真摯しんしな眼、ヴォルテールや百科全書派アンシクロペジストらが、当時の社会の滑稽こっけいと罪悪とを素朴そぼくな視力によって諷刺ふうしさせんがために、パリーにやって来さした
奈良を立ったのが早かったので、われわれはひる少し過ぎに上市の町へ這入はいった。街道にならぶ人家の様子は、あの橋の上から想像した通り、いかにも素朴そぼくで古風である。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ああ、なんでも単純たんじゅんかぎる。単純たんじゅんで、素朴そぼくなものは、きよらかだ。ちょうど、文明人ぶんめいじんより、原始人げんしじんのほうが、誠実せいじつで、感覚的かんかくてきで、能動的のうどうてきで、より人間にんげんらしいのとおなじだ。
金歯 (新字新仮名) / 小川未明(著)
溌剌はつらつとして美しい彼女という人間のなかには、ずるさと暢気のんきさ、技巧ぎこう素朴そぼく、おとなしさとやんちゃさ、といったようなものが、一種特別な魅力みりょくある混り合いをしていた。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
殊更ことさらに何かを考えるということもなく、ただ散歩の延長のようなつもりで、旅の誘いのまにまにぶらりと家を出る。素朴そぼくなひとりの旅人であればそれでいいと思うようになった。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
牝鹿めじかのように敏感な岡さえがいっこう注意しない葉子の健康状態を、鈍重らしい古藤がいち早く見て取って案じてくれるのを見ると、葉子はこの素朴そぼくな青年になつかし味を感ずるのだった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ところで前にいうように、共同生活の統制秩序ということこそ国家の本質なのであるから、国家の萌芽ほうがそのものは、どんなに素朴そぼくな形であっても、人間とともに発生したものだと考えざるを得ぬ。
政治学入門 (新字新仮名) / 矢部貞治(著)
……「素朴そぼくな」人間の心を喪失そうしつしている。都の人達はみんな利己主義です。享楽きょうらく主義です。自分の利慾しか考えない。自分の享楽しか考えない。みんな自己本位の狭隘きょうあいなる世界に立籠たてこもっています。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
わたくし良人おっと素朴そぼく物語ものがたりたいへんな興味きょうみもってききました。ことわたくし生存中せいぞんちゅうこころばかりの祈願きがんが、首尾しゅびよく幽明ゆうめいさかいえて良人おっと自覚じかくのよすがとなったというのが、にもうれしいことかぎりでした。
彼等の素朴そぼくな心盡しを受け、また、それに心を籠めて報いることが——彼等の心持を細かく察して——私には一つの樂しみであつたが、恐らくさうした心遣こゝろづかひには、彼等は常に慣れてはゐなかつたし
あの小さな素朴そぼくな頭が無辺大の夢でさかまいてゃないか。
ぼろぼろな駝鳥 (新字旧仮名) / 高村光太郎(著)
素朴そぼくこと
貧しき信徒 (新字新仮名) / 八木重吉(著)
彼女はまだ若かった父や母にねこの子のように育てられて来た。銀子の素直で素朴そぼくな親への愛情は、均平にもうらやましいほどだった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
素朴そぼくで不器用なモイ族を怠惰たいだな奴隷として、日本の軍隊ははしく酷使してゐた。——ビールを飲みながら、富岡は植物誌を読み出した。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
彼女は普通の生活においては利己的で平凡で不誠実であったが、愛のために、素朴そぼくに真実にほとんど善良にさえなっていた。
青や朱や黄の顔料の色の美しいあざやかさと、古雅な素朴そぼくな筆致とは思いのほかのものであった。そこには少しもある暗い恐ろしさがなかった。
旅日記から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
素朴そぼくな感動は、すぐ動揺どよめきを起した。夜の明けたばかりの街々は、そのどよめきに、日頃にない光景を作った。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
折目の入つた單衣ひとへを着て、十九、二十歳はたちが精々と思はれる若さを、紅も白粉も拔きの、痛々しいほど無造作な髮形、——それから發散される素朴そぼくな美しさは
その境内の小さなほこらの前に見いださるる幾多の奉納物は、百姓らの信仰のいかに素朴そぼくであるかを語っている。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その一つ以前の素朴そぼくなる人たちが、まのあたり天然の不可思議に驚き、是に隠れたる霊の作用を認めようとした場合とは、仮にかすかな記憶のつながりはあるにしても
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
まあ、ここにいる間だけでも、うるさい思念の洪水こうずいからのがれて、ただ新しい船出という一事をのみ確信して素朴そぼくに生きて遊んでいるのも、わるくないと思っている。
パンドラの匣 (新字新仮名) / 太宰治(著)
人影は見るあざやかになった。それはいずれも見慣れない、素朴そぼくな男女の一群ひとむれだった。彼等は皆くびのまわりに、にぬいた玉を飾りながら、愉快そうに笑い興じていた。
神神の微笑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
かれのにうつった中佐の顔には、多くの隊付き将校に見られるような素朴そぼくさが少しもなかった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
大きな自然のふところにいだかれて、原始人げんしじんのような素朴そぼくな生活がつづいた。あるときは油を流したようをしずかな青い海の上を、モンパパ号は大いばりで進んでいった。
恐竜島 (新字新仮名) / 海野十三(著)
いったん真佐子の影響に降伏して蘭鋳の素朴そぼくかえろうとも、も一度彼女の現在同様の美感の程度にまで一匹の金魚を仕立て上げてしまえば、それを親魚にして、に仔を産ませ
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そして上流の左の岸に上市かみいちの町が、うしろに山を背負い、前に水をひかえたひとすじみちの街道かいどうに、屋根の低い、まだらに白壁しらかべ点綴てんてつする素朴そぼく田舎家いなかやの集団を成しているのが見える。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
少し腺病質らしいが、貞子のいう通り全く顔立ちのやさしくととのったきれいな子供たちだった。野村の田舎者らしい素朴そぼくさに似ぬほど、色の白い、都会の子らしい顔つきをしていた。
妻の座 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
私はこの素朴そぼくな日常経験を基として唐招提寺の円柱に対するのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)