こぼ)” の例文
露垂るばかりの黒髪は、ふさふさと肩にこぼれて、柳の腰に纏いたり。はだえの色真白く、透通るほど清らかにて、顔はいたく蒼みて見ゆ。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
林「へえ恐入おそれえりました、ヒエ/\こぼれます/\……有難い事で、お左様なれば頂戴いたします、折角しっかくの事だアから誠にはや有難い事で」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
気にしながらえぬものは浮世の義理と辛防しんぼうしたるがわが前に余念なき小春がとし十六ばかり色ぽッてりと白き丸顔の愛敬あいきょうこぼるるを
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
小万も何とも言い得ないで、西宮の後にうつむいている吉里を見ると、胸がわくわくして来て、涙をこぼさずにはいられなかッた。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
よく二人の仲が無事であった時分に私が手伝って西洋料理をこしらえて食べた時のパン粉やヘットのにおいがして、戸棚の中にこぼれている。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
そうして可哀そうに思って涙ばかりこぼして居りましたが暫くするとヤクの首を切ったと見えてズドンと落ちた音が一つしました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「随分と厚い硝子だ。これなら少し位の事ではこわれっこない。けれど、こんなに水が一ぱい入ってるんじゃ、こぼさずに動かすのは一寸六ヶ敷むずかしいな」
赤い手 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
大きい花崗石みかげいしの台に載つた洗面盥には、見よ見よ、こぼれる許り盈々なみなみと、毛程の皺さへ立てぬ秋の水が、玲瓏れいろうとして銀水の如く盛つてあるではないか。
葬列 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「すると、人形はその時のこぼれた水を踏んだという事になるね」と検事は、引きつれたような声を出した。「もう後は、あの鈴のようなおとだけなんだ。 ...
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
し乃公がの時の侭死んでしまったら、お母さんはんなに歎いたろう。それを思い出すと今でも涙がこぼれる。
いたずら小僧日記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
迷亭の箸は茶碗をる五寸の上に至ってぴたりと留まったきりしばらく動かない。動かないのも無理はない。少しでもおろせばツユがこぼれるばかりである。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
時には涙をこぼして聞きながらいつかしら寝入るのであったがある晩から私は乳母に添い寝されるようになった。
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
「このお椀を左右へこんなに動かすと、それ、だらだらと砂がこぼれる。砂が溢れると、あとに残るのがこのピカピカする物。おじさん、これを何だと思う」
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
こう言って校長は自分のになみなみといだ。泡が山をなしてこぼれかけるので、あわてて口をつけて吸った。娘がそこにブッカキをどんぶりに入れて持って来た。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
空涙そらなみだこぼしたかてあかん。」といふかと思ふと、京子はすツくと立ち上つて、次の室から臺所の方へ歩き出したので、道臣もお時も周章あわてた風で其の後にいた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
オホホホと笑いをこぼしながら、お勢は狼狽あわてて駈出して来てあやうく文三に衝当ろうとして立止ッた。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
と、この時にわかに独言ひとりごとのように溜息をいて目から涙がこぼれる。しかしれも見ているのでないから、落つるままにしておくと、涙が頬を伝うてぽたぽたと膝の上に落ちた。
稚子ヶ淵 (新字新仮名) / 小川未明(著)
下町育ちで、言葉使いは少しはしたない代り、天成のかがやく美貌に、愛嬌はこぼるるばかり、一と月足らずのうちに、屋敷中の者から豊、豊と眼を掛けられるようになりました。
礫心中 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
涙は流れ、笑はこぼれ、いのちの同じりつつて、底知れぬ淵穴ふちあな共々とも/″\落込んで了ふのである。
落葉 (旧字旧仮名) / レミ・ドゥ・グルモン(著)
随分おもしろい盛んな湾泊者わんぱくもので、相撲を取って負かして置いて罵って遣ると、小さい眼からポロポロと涙をこぼしながら非常な勢いで突かかって来るというような愉快な男でした。
少年時代 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
侍女一 でも、殿様のあのお言葉、ほんとうに女冥利、嬉し涙がこぼれてなりませぬ。
てくりながらそんなにのべつ愚痴をこぼすくらいなら、早くタキシにでも乗ったらいいじゃないかと思うだろうが、いくら私が酔狂だってこうして郵便脚夫みたいに歩きたかないけれど
無理やりに葡萄酒のびんつかませて、男の手の上に御自分の手を持添えながら、茶呑茶椀へ注ごうとなさいました。御二人の手はぶるぶるとふるえて、酒は胡燵掛こたつがけの上にこぼれましたのです。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それを今すッかり忘れて、その風呂敷を手離して、娘と手柄を争ッたので、風呂敷の中から採ッたのがこぼれて、あたりに散るという大失敗、あわてて拾い集めるうちに、娘は笑いながら
初恋 (新字新仮名) / 矢崎嵯峨の舎(著)
ちょうどいま月の流れが本堂の表へこぼれるようにあたっているので、蒼い明るみの真中へうしろ向きに見えて出ました——恐ろしい蜘蛛くもでも這い上るように、一つ一つ段へつかまりながら——
道成寺(一幕劇) (新字新仮名) / 郡虎彦(著)
イヤ腹の中へ飲んだのならまだいいが、やっこさん一口でも多く飲んでやろうと周章あわてたため、水汲み隊が汗水流して汲んで来た大事な水をば、大半ゴボゴボとこぼして地面に飲ませてしまったのだ。
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
旦那様のお世話は不行届きがちでお気の毒やと、お艶の居ぬ間はいっそう旦那に気を兼ねらるる様子、まるで初心の嫁御寮が、姑の前へ出るやうなと、己れは見てさへ涙がこぼれると老人の一徹に
野路の菊 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
腹の中で胃と腸とが対談はなしをしてしきりに不平をこぼしている所を見ました。僕は学校にいた時分から校中第一の健啖家けんたんかと称せられて自分も大食を自慢にしたくらいですから僕の胃腸は随分骨が折れましょう。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
斉興が、興奮した手から、湯をこぼそうとするのを、由羅が、手を添えて
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
草を踏み分けて、左岸の森林の中に迷い込む、木はようやく細く痩せて、石楠花が多いが、その白花はもうないかわりに、マイヅル草の白い小花が、米粒でもこぼしたように、暗く腐蝕した落葉の路に
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
私は、幸吉さんがお可愛想になって思わず涙をこぼしました。
ただ涙が、さんさんと止めどなくこぼれ出した。
自殺を買う話 (新字新仮名) / 橋本五郎(著)
見事みごと肉汁スープ澤山たくさんこぼれさう
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
きゝ道理もつともの願なりゆるし遣はすへだたれば遲速ちそくあり親子三人一間ひとまに於て切腹せつぷくすべければ此所へ參れとの御言葉に用人はかしこまり此旨このむね奧方おくがたへ申上げれば奧方には早速さつそく白裝束しろしやうぞくあらためられ此方の一間へ來り給ひなみだこぼさず良人をつとそばざして三人時刻を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
あるひつゆこぼ
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
眺望するに山々には殘りの花あり雲雀ひばり鶯の聲は野に滿ち下は湖水へ注ぐ大河ありて岩波高きに山吹危うげに咲きこぼれたる此景色今まで何とて目にはらざりしといぶかるやがしもの諏訪秋の宮に詣づ神さびたるよき御社みやしろなりかみの諏訪に春の宮あり莊嚴目を
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
と云ってると、不思議な事にはたれも机の傍へ寄りもしないのに、位牌の前に据えた盃がひッくりかえり、酒がこぼれてポタ/\したゝりました。
遠くで蚊の鳴くのかとも聞えるし、鼠がこぼしたかとも疑われて、渇いた時でも飲みたいと思うような、快い水の音信おとずれではない。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そうして、それとともにやる瀬のない、悔しい、無念の涙がはらはらとこぼれて、夕暮の寒い風にかわいて総毛立った私のせたほおに熱く流れた。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
大日本帝国はじまってこのかたほとんど三千年を経ましたけれども今始めてかと思いますと何となく有難き感に打たれて、われ知らず涙がこぼれました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
景気のいいところを見せつけられながら、たそや行燈の数をかぞえて歩くなんぞは我ながら、あんまり気が利かな過ぎて涙がこぼれらあ、なんとか工面はつかねえものかな
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「お酒で苦しいくらいなことは……。察して下さるのは兄さんばかりだよ」と、吉里は西宮を見て、「堪忍して下さいよ。もう愚痴はこぼさない約束でしたッけね。ほほほほほほ」
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
お駒がまた笑ひながら押し戻したので、酒はだら/\と疊の上にこぼれた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
お勢がこぼれるばかりに水を盛ッた「コップ」を盆に載せて持ッて参ッた。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
そうして、最後に立箪笥キャビネットが載せられたとき、検事と熊城はハッとして息をんだ。と云うのは、松毬コーンの形をしたその頂飾たてばなが口を開いて、そこからサラサラと、白い粉末がこぼれ出たからであった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
今日結ひたての大丸髷も、うつむきめの艶やかに、縞絽の浴衣は、すらりと肩を流れし恰好、何としてこれが女教師上がりの夫人おくさまと思はるべき。笑みもこぼるる、青葉の雫、あれ御覧あそばしませ。
移民学園 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
「ああ、周さん、薬がこぼれるよ。」というと
黄色い晩 (新字新仮名) / 小川未明(著)
棚から牡丹餅に転げ込んで来たこぼ果報かほう
いや以てのほかの騒動だ。外濠そとぼりからりょういても、天守へらいが転がつても、太鼓櫓たいこやぐらの下へ屑屋がこぼれたほどではあるまいと思ふ。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
そうして右の掌だけ半分ほど胸の処からのぞかして、襦袢の襟を抑えた。その指に指輪が光っていた。崩れた膝の間から派手な長襦袢がこぼれている。
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)