湿うるお)” の例文
旧字:
しかるに形躯けいく変幻へんげんし、そう依附いふし、てんくもり雨湿うるおうの、月落ちしん横たわるのあしたうつばりうそぶいて声あり。其のしつうかがえどもることなし。
牡丹灯籠 牡丹灯記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
他の良人りょうじんは彼等の妻の墓を飾るに菫菜草すみれそう薔薇花ばらのはなとを以てするなれど我がパマカスはポーリナの聖なる遺骨を湿うるおすに慈善の香乳こうにゅう
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
舟は桃花村のある方へ白い水脈をひいて、目ぐるわしくはしった。眠元朗の目は湿うるおうてそのもてあそぶ砂は手のひらを力なげにこぼれた。
みずうみ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
口辺をおおうて居る頭巾のきれが、息の為めに熱く湿うるおって、歩くたびに長い縮緬の腰巻のすそは、じゃれるように脚へもつれる。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
めずらしく顔に光沢つやが出て、目のうちにも美しい湿うるおいをもっていた。新吉はうっとりした目容めいろで、その顔をながめていた。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
夏の日にされたりし草木の、雨に湿うるおひたるかをり車の中に吹入るを、かつしたる人の水飲むやうに、二人は吸ひたり。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
葉は水に湿うるおいていよいよくれないに、真白ましろの皿に置かれしさまはめきて見ゆ。この時青年わかものは少女の横顔の何者にかたるように覚えしも思いださざりき。
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
私は今湿うるおえる心をもってしみじみと自己の姿を眺めなければならない。私の頑健な肉体が限りなく私を不幸にする。
語られざる哲学 (新字新仮名) / 三木清(著)
女が「じゃ切りがないから、もう帰りますよ。」と言って帰って行った後で、女中の持って来た桜湯にかわいた咽喉を湿うるおして、十時を過ぎて、其家そこを出た。
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
湿うるおえる燄は、一抹いちまつに岸をして、明かに向側むこうがわへ渡る。行く道によこたわるすべてのものを染め尽してやまざるを、ぷつりとって長い橋を西から東へける。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
四里間に家無きも、山間或は原野にして、シオポロ川の源に出で、川畔にうてくだる。終日暴雨なり。三時愛冠に着す。全身は肌迄湿うるおうたり。夜中やちゅう熟眠す。
関牧塲創業記事 (新字新仮名) / 関寛(著)
一時動揺したらしい夫人の表情は、恢復かいふくした。涙などは、一滴だって彼女の長いまつげをさえ湿うるおさなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
趣味の上から、その生活に湿うるおいのある点から、或いはその環境が女性の上に及ぼす体験から、到底男性に持ち得ないと思われる何ものかを持っていると思います。
真鍮しんちゅうなどのみがいた鏡面を水で完全に湿うるおすのが困難であるのは、目に見えない油脂の皮膜のためである。
鐘に釁る (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
私は去年、花やかさにも湿うるおいにも乏しきO市の片隅の下宿において、冷たい、暗い、乾ききった空気の中に住むことをいかほど辛く味気なく思ったことであろう。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
おもうにその青年輩をして、気達し、意昂り、砂漠の枯草が甘露に湿うるおうて、欣々然きんきんぜんとして暢茂ちょうもするの観を呈したるまた知るべし。また高杉晋作に与えたる書中に曰く
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
月を見たり花を見たりすると一種のかんがえおこるものだから、自分も今宵こよい露に湿うるおった地に映る我影わがかげを見ながら、黙って歩いて来ると偶然故郷のことなどが、頭脳あたまに浮んだ
死神 (新字新仮名) / 岡崎雪声(著)
「実は檀渓だんけいを跳んで、九死のうちにのがれて来ましたので、衣服もこんなに湿うるおうてしまいました」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はかく述ぶるとともに、暫時その咽喉のど湿うるおすべく、冷水の杯を手にしたのであったが、かかる分秒時とも、彼らの聴衆は静かに俟つだけの時間を有さなかったのである。
太陽系統の滅亡 (新字新仮名) / 木村小舟(著)
枕もとには白衣の看護婦が氷に和せし赤酒せきしゅを時々筆に含まして浪子のくちびる湿うるおしつ。こなたには今一人の看護婦とともに、目くぼみ頬落ちたる幾がうつむきて足をさすりぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
川は、底を傾けて、水を震うので、森の中まで、吹雨しぶきが迷い込んで、満山の樹梢を湿うるおす。
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
さあ菓子もはさんではやらぬから勝手につまんでくれ、と高坏たかつき推しやりてみずからも天目取り上げのど湿うるおしたまい、面白い話というも桑門よすてびと老僧わしらにはそうたくさんないものながら
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そいつ、大理石の色に光って、静かにそこに立っていたが、そのまわりには銀碧ぎんぺきの色湿うるおう茂みに、柘榴ざくろの花は口を開いてゆすぶれてい、沢山の蜂のそこに飛んでいるのがありありと見えた。
なぜと知らぬ涙がその時せきを切ったように流れ出した。そして涙はあとからあとからみなぎるようにシーツを湿うるおしながら、充血した口びるは恐ろしい笑いをたたえてわなわなと震えていた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
椿つばきあり、つつじあり、白丁はくちょうあり、サフランあり、黄水仙きずいせんあり、手水鉢ちょうずばちの下に玉簪花たまのかんざしあり、庭の隅にかわらのほこらを祭りてゴサン竹の藪あり、その下にはアヤメ、シヤガなど咲きて土常に湿うるおへり。
わが幼時の美感 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
危くすると命にもかかわりそうになったので、彼はかくも友人の家に落着いて何よりもず、痛みを感じる程に、カラカラに渇いた喉を、コップに何杯も何杯もお代りをして、湿うるおしたのだった。
恐ろしき錯誤 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
浴衣ゆかたを引かけ、低い薩摩下駄を突かけて畑に出た。さしもはしゃいで居た畑の土がしっとりと湿うるおうて、玉蜀黍とうもろこしの下葉やコスモスの下葉や、ね上げた土まみれになって、身重げに低れて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
黒目は大きく睫毛まつげが開いて、艶やかに湿うるおって、唇のくれないが濡れ輝く。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
総監は、湿うるおった眼をもって暫らく松島氏の顔をながめた。
外務大臣の死 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
ビテ水雲くらシ/手ニ到ル凶函涙痕湿うるおフ/蕙帳夜空シク謦欬ノ如ク/松堂月落チテ温存ヲ失フ/俊才多ク出ヅ高陽里/遺業久シク伝フ通徳門/天際少微今見エズ/誦スルニ招隠ヲもっテ招魂ニ当ツ〕『春濤詩鈔』にこの挽詞ばんし
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いわんやこの清平の世、坦蕩たんとうの時においておや。而るに形躯けいくを変幻し、草木に依附いふし、天くもり雨湿うるおうの夜、月落ちしん横たわるのあしたうつばりうそぶいて声あり。
牡丹灯記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
蒼白い顔は、すこしばかりの水気によってやや湿うるおうたが、その皮膚はもう冷たくなっていたのである。
音楽時計 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
お国の目の縁が少し紅味をさして、猪口ちょくをなめる唇にも綺麗な湿うるおいを持って来た。睫毛まつげの長い目や、ぎわの綺麗な額のあたりが、うつむいていると、莫迦ばかによく見える。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
それには女の首がいてあった。その女は黒い大きな眼をもっていた。そうしてその黒い眼のやわらかに湿うるおったぼんやりしさ加減が、夢のようなにおいを画幅全体に漂わしていた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
女を生めばなお比隣ひりんに嫁するを得、男を生めば埋没して百草にしたがう。君見ずや青海のほとり、古来白骨人の収むるなし。新鬼は煩寃はんえんし旧鬼は哭す。天くもり雨湿うるおうて声啾々しゅうしゅうたり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
水にって、湿うるおされた勝平の咽喉は、初めてハッキリした苦悶くもんの言葉を発した。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
快楽主義は君にとっては今や一つの尊き信念になった。しかし君はあの手紙を書いて以来、柔らかな、優しい、湿うるおうた、心地で日を送ってるかい。おそらくはすさんだ、すてばちな気持ちであろう。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
茶碗ちゃわん取る手もおずおずとして進みかぬるばかり、済みませぬという辞誼じぎを二度ほど繰り返せし後、ようやくかわききったる舌を湿うるおす間もあらせず、今ごろの帰りとはあまり可愛がられ過ぎたの、ホホ
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
かすみ庭湿うるおふ。
雲の日記 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
母親と幸さんとは、壺の前に時々線香を立てたり、しきみ湿うるおいをくれたりしていたが、お庄はただれた頭顱あたまを見てから、気味が悪いようで、傍へ寄って行く気になれなかった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)