怒濤どとう)” の例文
男は大股に、私の方から逃げてゆく。心のなかでは、疾風怒濤どとうが吹きつけていながら、生きて境界のちがう差異が私には判って来る。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
唯々衝突が、岩に当る怒濤どとうのように繰返された。彼等は息が切れた。声をも立てられなかったのに、其処には劇しい騒音があった。
決闘場 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
まちの人々は、涙ながらに少年たちの追善ついぜんをやっているとき、富士男はサクラ号のふなばたに立って、きっとあわだつ怒濤どとうをみつめていた。
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
みゝかたむけると、何處いづくともなく鼕々とう/\なみおときこゆるのは、この削壁かべそとは、怒濤どとう逆卷さかま荒海あらうみで、此處こゝたしか海底かいてい數十すうじふしやくそこであらう。
津幡つばたを留守していた城中の将士は、末森方面から、にわかに逆転して来た佐々勢の怒濤どとうを認め、すわと、洪水こうずいを見たように騒ぎたった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
万寿丸はデッキまで沈んだその船体を、太平洋の怒濤どとうの中へこわごわのぞけて見た。そして思い切って、乗り出したのであった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
またあるときは、ひくい暗雲あんうんの下に、帆柱のうえにまでとどく荒れ狂う怒濤どとうをかぶりながら、もみくちゃになってただようこともあった。
恐竜島 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そのころは風も吹きつのるばかりだし、雨もすごいような降りかたで、屋敷ぜんたいが怒濤どとうまれてでもいるような感じだった。
榎物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
いったい私たちの年代の者は、過去二十年間、ひでえめにばかりって来た。それこそ怒濤どとうの葉っぱだった。めちゃ苦茶だった。
十五年間 (新字新仮名) / 太宰治(著)
村人は総出になったが、火はふくれ拡がり、深く野の胴腹どうばらえぐって山麓の方に、怒濤どとう状の起伏を音響のある火風になって押し寄せて行った。
野に臥す者 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
音に聞えた昔の海賊村上流の水軍でも、又、山のような怒濤どとうをものともしなかったバイキング海賊でも、この水門だけは乗り切れないだろう。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
但し、環礁の外は相変らず怒濤どとう飛沫しぶきが白く立っているらしい。耳をすませば、確かに其の音が地鳴のように聞えて来る。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
と叫んだときに、彼の生れつき低い声が怒濤どとうのように高まってブルブルとふるえた。弁護人のいかなる言葉も及ばない悲痛なプロテストであった。
被告席の感情 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
そこへ、山のような怒濤どとうが、ざぶっ、とやって来た。ただひとのみ。あっというまに、伝馬船も人も、見えなくなった。
無人島に生きる十六人 (新字新仮名) / 須川邦彦(著)
ただ貞之助の場合にはその海を東の岸から展望したのであるが、妙子はその海の殆ど真ん中に立って、四方を取り巻く怒濤どとうを見渡した訳であった。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それなればこそ、でるような、柔らかな、あられのたばしるような、怒濤どとうのくるような響き——あの幽玄さはちょっと、再び耳にし得ない音色ねいろだった。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
巨大な壁が真っ二つに崩れ落ちるのを見たとき、私の頭はぐらぐらとした。——幾千の怒濤どとうのひびきのような、長い、轟々ごうごうたる、叫ぶような音が起った。
これはお話が余事にれ恐れ入りましたが、左様な御気象をお持ち遊ばす方々でいらせられますから、ナニ暴風怒濤どとうなんぞにビクとも為さる気遣いはない
始めから終わりまで繰り返さるる怒濤どとうの実写も実に印象の強く深い見ものである。波の音もなかなかよくれていて、いつまでも耳に残るような気がした。
映画雑感(Ⅳ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
その感情の波は共鳴作用によって、見る見る振幅を増し、あたりの大気をブルブルと震わせ、果ては怒濤どとうのごとき力をもって二人を圧倒し去るのであった。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
年代茫々ぼうぼうたり、暦日茫々たり、高天茫々たり、海洋茫々たり、山岳茫々たる時に、鹿島灘の怒濤どとうの土を踏んで、経津主ふつぬし武甕槌たけみかずちの両神がこの国に現われた。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
わかい漁師は、赤い手柄てがらをかけた女房を引っ抱えるようにして裏口に出たが、白いきばき出して飛びかかって来た怒濤どとうき込まれて、今度気がいた時には
月光の下 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
(だが、彼の力の絶したところに、やはり死守すべきものがあることだけは疑えなかった)生計の不安や激変の世の姿が今怒濤どとうとなって身辺にあれ狂っていた。
冬日記 (新字新仮名) / 原民喜(著)
万里の海風が颯々さっさつとして、ここに立っていても怒濤どとう飛沫しぶきでからだから、しずくが滴り落ちそうな気がします。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
伊東は苛々いらいらしながら裏の小窓を開けて、雨の吹き込む中にやみを透かしたり、また表側に回っていって、怒濤どとうの荒れ狂う暗い海の中に見えないボートを捜し求めた。
暴風雨に終わった一日 (新字新仮名) / 松本泰(著)
百雷の様な吶喊とっかんの声、暗夜の磯の怒濤どとうの様な闘錚とうじょうの声を、遠く聞きながら無難に過ぎることが出来た。
東京市騒擾中の釣 (新字旧仮名) / 石井研堂(著)
宝貝の需要がさまで痛切ならず、人がそのために身命をし、怒濤どとうを乗り切るまでの大きな刺戟しげきがなくなったのは、徐福じょふくのローマンスよりもさらに前のことであろう。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
椴松帯とどまつたいが向うに見えた。すべてのが裸かになった中に、この樹だけは幽鬱ゆううつな暗緑の葉色をあらためなかった。真直な幹が見渡す限り天をいて、怒濤どとうのような風の音をめていた。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
もし大洋が堤防を築くとするならば、おそらくかかる防寨ぼうさいを築くであろう。狂猛な怒濤どとうの跡はその畸形きけいな堆積の上に印せられていた。しかもその怒濤は、下層の群集だったのである。
宮田が悲鳴をあげたとき、二人の身体は、そこで一回転すると、もつれ合ったまま、四間に近い断崖を、折りしも砕け散った怒濤どとうのしぶきの中へ、烈しい水音を立てながら転落した。
第二の接吻 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
草の花が、どっと怒濤どとうの寄せるように咲き出して、山全体が花原見たようになって行く。里の麦は刈り急がれ、田の原は一様に青みわたって、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
狂乱に近い画家の精神が一種の自爆性を帯びて激しく発散する。いかなる怒濤どとうにもほろぼされまいとする情意の熱がそこにまばゆいばかりの耀かがやきを放って、この海景の気分をまとめようとあせる。
大風たいふう颯々さっさつたる、怒濤どとう澎湃ほうはいたる、飛瀑ひばく※々かくかくたる、あるいは洪水天にとうして邑里ゆうり蕩流とうりゅうし、あるいは両軍相接して弾丸雨注うちゅうし、艨艟もうどう相交りて水雷海をかすが如き、皆雄渾ならざるはなし。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
聞きとれぬくらい低い声で、どっと押しよせて来る言葉の怒濤どとうをくぐりぬけ、けろッとした表情であった。彼は来訪者のうえにばくとした視線を置いたが、注意がそこにあるとは見えないのだ。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
生れ落ちると怒濤どとうの声を聞き、山なす激浪を眺め、長ずればかじも取りも漕ぎ、あるいは深海に飛込んで魚貝をあさって生活しているので、おのずから意志が強固になり、独立自存の気象に富んでいる。
無言! とはいえ磅礴ほうはくとした殺気! 怒濤どとう! 藪を背に切り込んで来た。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
数百尺の大断崖だんがいから落ちて、湧き返る怒濤どとうの中に押し流され、それっきり死骸も上がらなかったという事件は、当時神田日本橋かけての噂になったことを、平次はまざまざと記憶していたのです。
まぐろのいろの狂爛きょうらんのかげにたぎり立つ油の音の怒濤どとうである。——が、かつてそこは、入るとすぐおもてにあらい格子を入れて左官の親方が住んでいた。その隣に「きくもと」という待合があった。
雷門以北 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
二人ふたりはあのおそろしいあらしの怒濤どとうにもまれて、くらなかただよっていたこと、また、けると、あおい、あおい、はてしもないうみうえを、幾日いくにちも、幾日いくにちただよっていたこと、そしてそのあげくに
幸福に暮らした二人 (新字新仮名) / 小川未明(著)
怒濤どとう岩をむ我を神かとおぼろ
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
怒濤どとう……。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
と、一戦に備えたが、稲富伊賀が変心して、一方の門を敵方にゆだねたので、三成の兵は、怒濤どとうのように門内へなだれこんで来た。
富士男のことばがおわるかおわらないうちに、大山のごとき怒濤どとうが、もくもくとおしよせたかと見るまに、どしんと甲板かんぱんの上に落ちかかった。
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
馳駆ちくする騎馬、討合う軍兵、敵も味方も入乱れて、雄叫おたけびとときの声と、さながら荒れ狂う怒濤どとうのような白兵戦になった。
蒲生鶴千代 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
難破船は、薄やみの中に、れ狂う怒濤どとうの中に、伝奇小説の中で語られた悲しき運命の船のごとくに、とり残された。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
こういっているうちにも、船はよく走って、陰気な岩山も、怒濤どとうのひびきも、いつか後方はるか、水平線のかなたに、だんだん小さくなっていった。
無人島に生きる十六人 (新字新仮名) / 須川邦彦(著)
たのみにおもう無電はきかず、愛機は雨と風とにたたきつけられ、ともすれば車輪がざざーっと怒濤どとうに洗われます。
怪塔王 (新字新仮名) / 海野十三(著)
こゑわめこえあはれ救助たすけもとむるこゑは、すさまじき怒濤どとうおと打交うちまじつて、地獄ぢごく光景ありさまもかくやとおもはるゝばかり。
これが実現した暁には北西の空からあらゆる波長の電磁波の怒濤どとう澎湃ほうはいとしてわが国土に襲来するであろう。
北氷洋の氷の割れる音 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
恋の身投をするならば、よし死にきれずとも、そのこがれた胸のおもいが消えうせるという迷信を信じ、リュウカディアの岬から怒濤どとうめがけて身をおどらせた。
(新字新仮名) / 太宰治(著)