夕餉ゆうげ)” の例文
その日は藩主の越後守信俊のぶとしに望まれて、「新律」の講話をした。下城の太鼓のあとから始め、夕餉ゆうげをたまわったあと八時まで続けた。
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
夕餉ゆうげが少しおそくなって済んだ、女房は一風呂入ろうと云う、糸七は寐る前にと、その間をふらりと宿を出売、奥の院の道へ向ったが
遺稿:02 遺稿 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
夕餉ゆうげ膳部ぜんぶもしりぞけて、庭のおもて漆黒しっこくの闇が満ちわたるまで、お蓮様はしょんぼり、縁の柱によりかかって考えこんでいたが——。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
夕餉ゆうげどきに帰りをわすれてあそんでいるおとうとを、父や母がおこらぬうちにとハラハラしてさがすあねのような愛が、彼女の眼にこもっていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もう今頃は火の気もないだろう。薔薇色のラムプもないだろう。夕餉ゆうげもないだろう。火のほてりを受けながらお話をしてくれたり、本を
外が真暗まっくらになってから家の中へ入った。やはり来ていたのは刺繍の先生であった。米のその夜の夕餉ゆうげの様は常日とは変っていた。
(新字新仮名) / 横光利一(著)
そして一日の仕事を終った時には、疲れてまったくの無心になって空腹を感じて家路を急ぐのである。それは夕餉ゆうげと睡眠とだけしかない。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
夕闇ゆうやみの中に泉邸の空やすぐ近くの焔があざやかに浮出て来ると、砂原では木片を燃やして夕餉ゆうげしをするものもあった。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
夕餉ゆうげの時老女あり菊の葉、茄子など油にてあげたるをもてきぬ。鯉、いわなと共にそえものとす。いわなは香味こうみあゆに似たり。
みちの記 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
話が面白かったので、銚子は一向にあきませんが、四辺あたりはすっかり暗くなって、お静は諦めたように、コトコトと夕餉ゆうげの支度をしております。
すだれ捲上まきあげし二階の窓に夕栄ゆうばえ鱗雲うろこぐも打眺め夕河岸ゆうがし小鰺こあじ売行く声聞きつけてにわか夕餉ゆうげの仕度待兼まちかぬる心地するも町中なればこそ。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
夕餉ゆうげの膳に向った時などは、お雪ちゃんの心も春のようになって、今のさきまで、ついて廻ったイヤなおばさんの思い出などは、この瞬間に
大菩薩峠:30 畜生谷の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
このひととき、家々からは夕餉ゆうげの煙が立上り、人々は都大路から姿をひそめる。その名もまさに平安の、静けき沈黙ちんもくが街々の上をおおうている……
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
わたしはにわかに空腹をおぼえ、月の出を待つあいだに何処どこかで夕餉ゆうげをしたためておく必要があることを思ってほどなく堤の上を街道の方へ引き返した。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
と子供らは歌いながらあっちこっちの横町や露路に遊び疲れた足を物のにおいの漂う家路へと夕餉ゆうげのために散って行く。
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
子供達の夕餉ゆうげのために、アカギ鯛を十枚ばかりブラさげ、国府津で見つけてきたけんどよ、小田原に魚がねえと言ふだから、話にならねえ、と言つた。
真珠 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
日暮時うちに帰って見ると、母は私のために夕餉ゆうげの御馳走を拵えて待っていて呉れたが、おはぎのおかげで私は最早やそれを食べることが出来なかった。
御萩と七種粥 (新字新仮名) / 河上肇(著)
鼈四郎は、笑いに紛らしながら、幼時、母子二人の夕餉ゆうげの菜のために、この河原で小魚をすくい帰った話をした。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
隣の普請ふしんにかしましき大工左官の声もいつしかに聞えず、茄子なすの漬物に舌を打ち鳴らしたる夕餉ゆうげの膳おしやりあへぬほどに、向島むこうじまより一鉢の草花持ち来ぬ。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
最後の夕餉ゆうげをしたためた食器。最後の時間まで照していたランプ。それらは、それらをもらった八百屋やおやが取りに来る明日の朝まで、空家の中に残されている。
過古 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
足のついたまな板をちゃぶ台にして、きゃっきゃっと笑いながらふたりはむかいあって最初の夕餉ゆうげをとった。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
と遅い夕餉ゆうげの膳を運んで来たお内儀かみさんに、もちろん私はさっきの三人が拝んでいた墓のことを問うてみた。
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
絆創膏ばんそうこう、衣服の修繕の糸や針、そういうものが、人々の手から手に取り交わされた、谷川の清い水で、鍋や茶碗が充分に洗われた、この日の夕餉ゆうげはうまかった。
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
おりから夕餉ゆうげぜんむかおうとしていたおれんは、突然とつぜんにしたはし取落とりおとすと、そのまま狂気きょうきしたように、ふらふらッと立上たちあがって、跣足はだしのまま庭先にわさきへとりてった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
何といって見ても、彦太郎が黙っていて答えないので、父親は仕方なく、よっこらしょと立上って、勝手もとへ下りて、ゴソゴソと夕餉ゆうげ支度したくにとりかかるのであった。
夢遊病者の死 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
長屋にはところどころ人声がして、どこからともなく水を汲む音、夕餉ゆうげの支度をするらしい物音が聞えてきた。が、どちらを見ても、別段目に立つような異状はない。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
この夕もまた黄昏たそがれより戸を締めて炉の火影のうちに夫婦向きあい楽しき夕餉ゆうげを取りおれり、やがて食事のおわるころ、戸の外に人の声あり「兄貴はうちにおらるるや」と
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
瞬間しゅんかんそれがきらきらと少女の眼ざしのようにかがやく……家の中からは夕餉ゆうげ支度したくをしている
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
夕餉ゆうげ前のわずかな時間を惜しんで、釣瓶落つるべおとしに暮れてゆく日ざしの下を、彼らはわめきたてる蝙蝠こうもりの群れのように、ひらひらと通行人にかけかまいなく飛びちがえていた。
卑怯者 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
みちみち源叔父は、わが帰りの遅かりしゆえ淋しさに堪えざりしか、夕餉ゆうげは戸棚に調ととのえおきしものをなどいいいい行けり。紀州は一言もいわず、生憎あやにくに嘆息もらすは翁なり。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
浴室の煙突からは、白い煙が立上り、薪割りをしながら湯槽ゆぶねの金剛と交しているらしい安吉老人の話声が、ボソボソと呟くように続く。おとみ婆さんは、夕餉ゆうげの仕度に忙しい。
闖入者 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
高南病棟の上の谷間に男組は板を拾いわらを集めて仮小屋を造り、女組は鉄兜で南瓜を煮て夕餉ゆうげの支度をととのえた。長井君と田島君とが県庁まで非常食糧を貰いに出かけていった。
長崎の鐘 (新字新仮名) / 永井隆(著)
随分とみごとに面の数々がそちこちの家ごとに行渡ったもので、家々の前に差かかる度に振返って見ると、夕餉ゆうげの食卓を囲んだあかりの下で、面をもてあそんでいる光景で続けさまにうかがわれた。
鬼涙村 (新字新仮名) / 牧野信一(著)
どこからか早い夕餉ゆうげの油揚焼く匂いの流れてくる七軒町の裏長屋までかえってきた。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
良人は夕餉ゆうげの時刻にならなければ帰って来なかった。絶えず猟に出かけていたからである。猟に行かなければ行かないで、種蒔きやら耕作やら、耕地のさまざまな仕事に追われていた。
初雪 (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
この間、満目の耕野に灌漑かんがいの水の流るるあり。田園の少婦踏切りに群立して手を振るあり。林帯小駅に近く、線路工事の小屋がけの点々として落日にきらめくあり。夕餉ゆうげの支度ならん。
踊る地平線:05 白夜幻想曲 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
新橋へ、人を見送りに行ったと云う以上、二時間もすれば帰って来るべきはずの夫を、夕餉ゆうげの支度をえて、ボンヤリと待ちあぐんでいる妻の邪気あどけない面影が、しばらく彼の頭を支配した。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
夕餉ゆうげはかくして晩春のひと夜を迎えるために、かなり永い間かかって終った。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
やがて笑ひにまぎらしつつ、そのままうちに引入れて、共に夕餉ゆうげくらひ果てぬ。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
花を墓に、墓に口を接吻くちづけして、きわれを、ひたふるに嘆きたる女王は、浴湯をこそと召す。ゆあみしたるのち夕餉ゆうげをこそと召す。この時いやしき厠卒こものありて小さきかご無花果いちじくを盛りて参らす。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
才蔵は夕餉ゆうげ仕度したくをしようとくりやの釜に火を仕掛けた。庵室の中は静かである。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そして偃松の生枝なまえだをもやしては、ささやかな夕餉ゆうげを終えた時分には、すでに夜は蒼然と自分のまわりをとりかこんできていた。それはまたすばらしくいい夜だった。すてきに星の多い晩だった。
烏啼の本塞ほんさいの奥の間で、夕飯の膳が出ていた。烏啼天駆と、問題の義弟の的矢貫一と、そしてかねて烏啼が的矢にめあわせたいと思っている養女のお志万と、この三人だけの水入らずの夕餉ゆうげだった。
マグダラのマリヤにきまとった七つの悪鬼あっきを逐われたことを、死んだラザルを活かされたことを、水の上を歩かれたことを、驢馬ろばの背にジェルサレムへ入られたことを、悲しい最後の夕餉ゆうげのことを
おしの (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
の人の夕餉ゆうげの支度はととのった
西のかたに山の見ゆる町の、かみかたへ遊びに行つて居たが、約束を忘れなかつたから晩方ばんがた引返ひっかえした。これから夕餉ゆうげすましてといふつもり。
処方秘箋 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
石沢には正之助という六歳の子供がいて、夕餉ゆうげは必ずいっしょに喰べる約束だし、それをやぶると罰をくう、ということであった。
霜柱 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
風呂を出て、夕餉ゆうげの膳にむかいながら、かれは、述懐をまぜて、きょうの出先の結果を、常におなじおもいの、老妻に告げていた。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
深夜というほどではないが、夕餉ゆうげはとうに終って、夜具もなかなか派手やかなのが、いつでもやすめるようにべられている。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
長屋には、もうすっかり灯がはいって、主人のいない作爺さんの家には、狭い水口でお蓮様が、かたことささやかな夕餉ゆうげのしたくを急いでいる。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)