駿河台するがだい)” の例文
旧字:駿河臺
少し考えて「あすの朝早くしようじゃアないか。中西が来たとなれば、僕はこれから駿河台するがだいの大将に会っておくほうがいいと思う。」
疲労 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
彼が江戸へ入ると真っ先に、この駿河台するがだいすみ屋敷、甲賀家の門を訪れたのは無論だったが、ひょいと見ると門札の名が変っている。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
春永はるながとはいえ、もう往来の土に冷たい影が細長く倒れて、駿河台するがだいの森の烏の群れがさわぎ出したのに男はまだそこらをぶらついている。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
オヤマア駿河台するがだいの若殿様。お久しぶりでございます。この間御洋行からお帰りになりましたと。宮崎さんから伺いましたが。ようまア。
藪の鶯 (新字新仮名) / 三宅花圃(著)
私はさっきから少年と肩を並べて駿河台するがだい下のヴァローダ商会から、小川町おがわまちの方へと灯のまばゆい電車通りを歩いていたのであった。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
要するに嶺松寺にあったという確証のある墓は、この書に注してある駿河台するがだいの池田氏の墓五基と、京水の墓とで、合計六基である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
然れども文化ぶんか初年長崎赴任の後駿河台するがだいに移り住みし頃より再び文壇に接近し『南畝帖千紫万紅なんぼちょうせんしばんこう』『南畝莠言ゆうげん』等の出板しゅっぱんを見るに至れり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
糺は方々駈けずりまわった果てに、前に下宿していたことのある友達が助手をしている、駿河台するがだいの病院の方へようやく掛け合ってくれた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
この成立学舎と云うのは、駿河台するがだいの今の曾我祐準さんの隣にったもので、校舎と云うのは、それは随分不潔な、殺風景きわまるものであった。
私の経過した学生時代 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
自分は考えるともなしこんなことを考えながら、心のすきすきにあによめの頼み少ない感じが動いてならなかった、博士は駿河台するがだいの某病院長である。
去年 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
とりあへずお母さんとHさんは駿河台するがだい従姉いとこの家へ、のこる家族は駒込こまごめだかの親類の家に転がりこむことになりました。
死児変相 (新字旧仮名) / 神西清(著)
自動車は、駿河台するがだい、M大学前でとまった。見るとM大の正門に、大きい看板が立てられていて、それには、斎藤市蔵先生特別講演と書かれていた。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「天下の大事と来たね、——それじゃ聴いてやらなきゃア駿河台するがだいの殿様に済まないだろう、此方こっちへお入りよ、ホホホ」
黄金を浴びる女 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
翌日になると、明るい光線の中では別に何ともないと言って、家内は駿河台するがだいの眼医者のところまで診て貰いに行った。
芽生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
またその頃駿河台するがだいにクレツカという外国人がいまして、その人の所へバイブルの事を聞きに行った事もありました。明治十年頃でもありましたろうか。
我が宗教観 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
三田の慶応幼稚舎、小石川の同人社、淡路町の共立学校、駿河台するがだいの大成学舎などが、主なるもの、本郷元町の進文学舎などは今その名を知る人もない。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
二度目に美妙をおとのうたのは駿河台するがだいの自宅であった。水道橋すいどうばし内の皁莢坂さいかちざかを駿河台へ登り切った堤際どてきわの、その頃坊城伯爵がすまっていた旗本はたもと屋敷の長屋であった。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
練塀小路ねりべいこうじあたりで按摩あんまの笛、駿河台するがだいの方でびょうびょうと犬が吠える。物の音はそのくらいのもので、そこへ二ちょうの駕籠が前後して神田昌平橋にさしかかる。
なにあれは東京の駿河台するがだいあたりの士族で、まだわかえ男だが、お瀧が東京の猿若町で芸者をて居た時分に贔屓に成った人で、今零落おちぶれて此地こっちへ来て居ると云うので
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
御茶の水橋は中程の両側が少し崩れただけで残っていたが駿河台するがだいは全部焦土であった。明治大学前に黒焦の死体がころがっていて一枚の焼けたトタン板が被せてあった。
震災日記より (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
学校に近い駿河台するがだいに引越して、紅葉も寄宿し、八畳のへやに、二人が机を並べ、そのうちに、おなじ予備門の学生石橋思案いしばししあんも同居し、文壇を風靡ふうびした硯友社けんゆうしゃはその三人に
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
弥生やよひヶ岡の一週、駿河台するがだいの三週、牛門の六閲月、我が一身の怱忙そうばうを極めたる如く、この古帽もまた旦暮たんぼ街塵に馳駆ちくして、我病める日の外には殆んど一日も休らふ事あたはざりき。
閑天地 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
露西亜ロシヤの虚無党などとも通信し合つて居るさうに御座りまするし、其れに彼奴、教会を放逐された後は、何でも駿河台するがだいのニコライなどへ出入ではひりするとか申すので、警視庁でも
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
神田駿河台するがだいの裏通りに、硝子をはめた格子戸造りの二階家が並んで、製本、図案、揉療治もみれうぢ、素人下宿といふ風に、住居と生産とを兼ねた、下町的特色を見せてゐる一角がある。
双面神 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
ついでながらこのころ神田明神は芝崎村といッた村にあッてその村は今の駿河台するがだいの東の降口の辺であッた。それゆえ二人の武士が九段から眺めてもすぐにその社の頭が見えた。
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
晴れていたら駿河台するがだいから湯島ゆしま本郷ほんごうから上野うえのの丘までひと眼に見わたせるだろう、いまは舞いしきる粉雪で少し遠いところはおぼろにかすんでいるが、焼け落ちた家いえのはりや柱や
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そこで私はグデングデンに酔っ払ったふりをしながら朦朧もうろうタクシーを拾い直して来て、駿河台するがだいの坂を徒歩かちで上って、午前四時キッカリにお茶の水のグリン・アパートに帰り着いた。
けむりを吐かぬ煙突 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
根岸の里の雪のの花、水の紫陽花あじさいの風情はないが、木瓜ぼけ、山吹の覗かれる窪地の屋敷町で、そのどこからも、駿河台するがだいの濃い樹立の下に、和仏英女学校というのの壁の色が、こがらしの吹く日も
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
駿河台するがだい保命館ほめいかんに御出でしょうと思います」書生は迂散うさんくさそうに答えた。
真珠塔の秘密 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
其内そのうち山田やまだしばからひとばしまで通学つうがくするのはあまとほいとふので、駿河台するがだい鈴木町すずきちやう坊城ばうじやう邸内ていない引越ひつこした、石橋いしばし九段坂上くだんさかうへの今の暁星学校ぎやうせいがくかうところたのですが、わたし不相変あひかはらずしばからかよつて
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
駿河台するがだいへの路なれば茂れる森ののしたやみわびしけれど、今宵は月もさやかなり、広小路ひろこうぢいづれば昼も同様、雇ひつけの車宿とて無き家なればみちゆく車を窓から呼んで、合点が行つたらともかくも帰れ
十三夜 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
駿河台するがだい、日本出版文化倶楽部。
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
神田かんだ駿河台するがだいだよ」
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そこを通り過ぎると、右へ廻って爼橋まないたばしの手前の広い町に出る。この町は今のように駿河台するがだいの下まで広々と附いていたのではない。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
議会の開催中彼は駿河台するがだいに宿を取っていたが、この土地の宿坊にも着替えや書類や尺八などもおいてあり、そこから議会へ通うこともあれば
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ここは江戸表——お茶の水の南添いに起伏している駿河台するがだいの丘。日ごとに葉をもがれてゆく裸木はだかぎは、女が抜毛ぬけげいたむように、寒々と風に泣いている。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
駿河台するがだいのヴァローダ商会はこれらの荷物や従僕たちで毎日ごった返す騒ぎを演じていた頃だったと覚えている。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
始めて彼を知ったのは駿河台するがだいの成立学舎というきたない学校で、その学校へは佐藤も余も予備門に這入はいる準備のために通学したのであるからよほど古い事になる。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この時もまた家族を伴わず長男文豹と二、三の門人を従えて東京に来り、駿河台するがだい皀莢阪さいかちざか下の官舎に入った。皀莢阪は駿河台の西端より水道橋の方に下る阪である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
と大威張りで吹聴ふいちょうして歩いている風変りの学生さえあったほどで、自分が時たま、神田駿河台するがだいの清国留学生会館に用事があって出かけて行くと、その度毎に二階で
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
自分は駿河台するがだいの友人をたずねて、に入ってその家を辞して赤坂の自宅をしてみちを急いだ。
まぼろし (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
その一方は駿河台するがだいへ延びて神田かんだを焼きさ、伝馬町てんまちょうから小舟町こぶなちょう堀留ほりどめ小網町こあみちょう、またこっちのやつは大川を本所ほんじょに飛んで回向院えこういんあたりから深川ふかがわ永代橋えいたいばしまできれえにいかれちゃった
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ただその後に一度駿河台するがだいの家へ何かの演奏会の切符をもらいに行った事がある。その時は今の深田ふかだ博士が玄関へ出て来て切符を渡してくれた事を覚えている。これも恥ずかしい事である。
二十四年前 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
第一次西園寺内閣の当時、駿河台するがだいの私邸へ文士を呼び集め、「雨声会」と号して、文学談を交わしたことは、世間周知であるが、その頃、私は新聞記者であって、まだ小説は書いていなかった。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
駿河台するがだいの山田の家とはいくらも距離がなかったから、自然と足近くなっていった。美妙は文学者の話をよくしてくれた。そのうちに、手を入れてやった錦子の小説を、発表してくれるとも言った。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
お茶と水とは附いて廻る、駿河台するがだい水車みずぐるまかかったか、と云う。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
独美は寛政四年に京都に出て、東洞院ひがしのとういんに住んだ。この時五十九歳であった。八年に徳川家斉いえなりされて、九年に江戸にり、駿河台するがだいに住んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
神田山からは、富士がよく見えるし、近年、駿河衆が移住して来て、邸宅の地割がこの辺に当てられたので、この山一体を、近頃は駿河台するがだいとも呼び始めている。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神田お茶の水の昌平坂しょうへいざか駿河台するがだい岩崎邸門前いわさきていもんぜんの坂と同じく万世橋まんせいばしを眼の下に神田川かんだがわを眺むるによろしく、皀角坂さいかちざか(水道橋内駿河台西方)は牛込麹町の高台並びに富嶽ふがくを望ましめ
其処そこで僕も大いに発心ほっしんして大学予備門へ入る為に成立学舎——駿河台するがだいにあったが、たしか今の蘇我祐準の隣だったと思う——へ入学して、ほとんど一年ばかり一生懸命に英語を勉強した。
落第 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)