繁昌はんじょう)” の例文
「すこし繁昌はんじょうして来ますと、すぐその土地にできるものは飲食店と遊郭です。」と牡丹屋の亭主も夕飯時の挨拶あいさつに来て、相槌あいづちを打つ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
何しろその頃洛陽といえば、天下に並ぶもののない、繁昌はんじょうきわめた都ですから、往来にはまだしっきりなく、人や車が通っていました。
杜子春 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
誤って呼ばれるのは迷惑千万であるがつまりは商売人や宿屋の亭主の身としてはやたらに言葉とがめをしては商売が繁昌はんじょうせぬゆえに
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ただその一つさえ祭の太鼓はにぎわうべき処に、繁昌はんじょう合奏オオケストラるのであるから、鉦は鳴す、笛は吹く、続いて踊らずにはいられない。
怨霊借用 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
おのずから南は人口も多く、町々も多くまた繁昌はんじょうきたしました。しかしどういうものか、それに比べ手仕事が特にゆたかだとは申されません。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
この事業じぎょうにして果たして社会に必要あるものならば、それ相応の需要じゅようあらわれて、この会社も相応に繁昌はんじょうし、その結果相応の利益を得る。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
平氏の繁昌はんじょう振りをみて、これは、熊野権現くまのごんげんのご加護だと誰からとなくいい出した。ところが、この噂の出どころは、実は清盛なのである。
なかには、そうなるのをのぞむものもありますが、わたしたちは、かくべつ繁昌はんじょうしなくとも、いつまでも平和へいわらしてゆくのをのぞんでいます。
船でついた町 (新字新仮名) / 小川未明(著)
当時はまだ御改革以前の事とて長垂阪なだれざか上の女郎屋じょろうやいたって繁昌はんじょうの折から、木戸前を通りかゝり呼び込まれ候まゝ、こゝに一夜を明し申候。
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
巨匠の山賊役は終ったようだったが、彼は仕事がけっこう繁昌はんじょうしているらしい様子だった。計画どおり、私は大チャンをダマしつづけた。
軍国歌謡集 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
三女のしづ、あるじは和助といって、船宿経営の手腕は浦粕随一といわれたし、客筋のいいこと、常に繁昌はんじょうしていることも事実であった。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そうしてなかなか商売は繁昌はんじょうして居る。かえってダージリンよりもあきない高は多い。従って上等の物は売れないけれども安物やすものは沢山売れる。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
したがってこの病気が流行はやれば流行るほど、恐れられれば恐れられるほど軽焼は益々繁昌はんじょうした。軽焼の売れ行は疱瘡痲疹の流行と終始していた。
東京初めその他の都市において芸妓げいぎという売笑婦の営業が今日のように繁昌はんじょうを極めるに到った根源は彼ら政治家の堕落に由来するのである。
鏡心灯語 抄 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
養殖うなぎの値が天然のそれに比して高ければ、一般の人々は手を出さないであろうし、従って、おのずと天然うなぎが繁昌はんじょうする結果となる。
鰻の話 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
「フェリックス、」と彼女は言った、「何といい言葉でしょう。あたしそういう名前が好きよ。ラテン語だわね。繁昌はんじょうという意味でしょう。」
金博士の住居は、南京路でも一等値段がやすく、そして一等繁昌はんじょうしている馬環ばかんという下等な一膳飯屋いちぜんめしやの地下にあるのだ。
前に囲ってくれた旦那と二人して妨害運動をしたりしたが、律気な——鉢植えのけやきみたいな生れつきのひとにも芽が出て、だんだんに繁昌はんじょうして来た。
うらやましい死に様である。ある婆さんは、八十余で、もとは大分難義もしたものだが辛抱しんぼうしぬいて本家分家それ/″\繁昌はんじょうし、まご曾孫ひこ大勢持って居た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
その日を始めとして、美人鷹匠はそのあだめいた姿を毎日空地に現わした。夕方引揚げる時には鳥籠は空っぽで、雀も鳩も売切れという繁昌はんじょうぶりだった。
美人鷹匠 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
繁昌はんじょう盛りの商売から日々揚がる莫大な金も追々彼にはうとましくなつて行つた。彼はなほ委細に彼の身辺に何か業因らしいものを認めようとあせつた。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
だから不景気な店はますます不景気になり、繁昌はんじょうする店はどしどし繁昌するってな道理だ。で、売ろうと思うにゃやっぱり店を立派にしとかなくちゃね
伊作はある年の夏、橋のたもとに小さな居酒屋をこしらえましたが、村には一軒も酒屋がなかったので、この居酒屋が大層繁昌はんじょうしてだんだんもうかって行きました。
三人の百姓 (新字新仮名) / 秋田雨雀(著)
又「なアに桂枝けいし沃顛よじいむという松本先生が発明のお薬が入って居りまして、これは繁昌はんじょうで、其の湯に入ると顔が玉のように見えると云うことでございます」
それからその布団は、ものを言うことをめました。そして宿屋もたいへんに繁昌はんじょうしたということであります。
神様の布団 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
青年はひとりで「ふんだいぶ広いな」「なかなか繁昌はんじょうすると見える」「なんだ、妙な所へ姿見の広告などを出して」などと半分口のうちで云うかと思ったら
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この店は二年前までは至極しごく小さな店で文房具少しばかりと絵本少しを並べていたのだが、見る見る繁昌はんじょうしだして書籍や雑誌がくずれるまでに積まれてある。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
江戸の繁昌はんじょうこわされたままで、そうしてまた明治の新しい時代が形にならない間の変な時でありました。
それが戦後旅館に転向して繁昌はんじょうしていると聞いた。女主人とは顔なじみだし、そこから電報を打てばいい。
幻化 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
自分が来て世話を焼くようになってから、メキメキ商売が繁昌はんじょうするようになったという自慢話も出ていた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
その頃はことの外繁昌はんじょうした目黒の不動ですが、朝の事で境内には女乗物がたった一つ、深々と扉を引いて、陸尺ろくしゃくが二人、石畳の上に踞んで煙草を吸んで居ります。
一気に繁昌はんじょうおもむいたが、もとよりあまねく病難貧苦を救うて現安後楽の願ひを成就じょうじゅせんとの宗旨しゅうしであれば、やがて江州ごうしゅう伊吹山いぶきやまに五十町四方の地をひらいて薬草園となし
ハビアン説法 (新字旧仮名) / 神西清(著)
「しかし、この村の漁場をよくして村を繁昌はんじょうさせるのはおもしろい事業じゃないか。食うに困らないで、そういう公共的の仕事をやってるのは愉快じゃないかなあ」
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
そんな珍らしい人達に御馳走しておけば、おれたちの家が名高くなってドンナに繁昌はんじょうするかわからない
豚吉とヒョロ子 (新字新仮名) / 夢野久作三鳥山人(著)
それがうまく当って、一時は店も繁昌はんじょうした。私の母しげが長女として生れたのはその飯倉であった。
花を持てる女 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
なお少し行きますと、左手は春木座はるきざのある横町です。それほど高級の芝居ではありませんから、上手の役者ばかり出るのではないでしょうが、いつも非常な繁昌はんじょうです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
つまりはしょうが合わないんでしょうね。十月に這入はいって、土地もとしきり繁昌はんじょうする時節だから、その稼ぎ時に五六日もうちをあけて、っと主人を困らせてりたいのさ。
影:(一幕) (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
艶子にしてみれば家の繁昌はんじょうしていたころは記憶前のことだし、貧乏な生活には慣れているし、真の両親は早く失ったけれども、代わりに優しい養父母を得たのであるから
五階の窓:04 合作の四 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
南蛮なんばん寺の壮観は、京都に聳え、交市場の繁昌はんじょうは、堺浦をして天下の富の中心点たらしめんとす。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
金竜山きんりゅうざん浅草寺せんそうじ名代の黄粉きなこ餅、伝法院大えのき下の桔梗屋安兵衛ききょうややすべえてんだが、いまじゃア所変えして大繁昌はんじょうだ。馬道三丁目入口の角で、錦袋円きんたいえんと廿軒茶屋の間だなあ。おぼえときねえ
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
江戸の十八大通じゅうはちだいつうの話だとか、天保年度の水野越前守えちぜんのかみの改革だとか、浅草の猿若町さるわかちょうの芝居の話だとか、昔の浅草観音の繁昌はんじょうだとか、両国の広小路に出た奇抜な見世物の話だとか
ある恋の話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
二軒共にこの土地では旧いようで、店の構えも立派であったが、また相応に繁昌はんじょうしていたのかも知れないが、いい店だという感じに欠けていた。つまり活気や明るさがなかった。
安い頭 (新字新仮名) / 小山清(著)
すると、甚兵衛の評判ひょうばんはもうそのみやこにもつたわっていますので、見物人けんぶつにんが朝からつめかけて、たいへんな繁昌はんじょうです。甚兵衛は得意とくいになって、毎日ひょっとこの人形をおどらせました。
人形使い (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
これ一切経いっさいきょうにもなき一体の風流仏、珠運が刻みたると同じ者の千差万別の化身けしんにして少しも相違なければ、拝みし者たれも彼も一代の守本尊まもりほんぞんとなし、信仰あつき時は子孫繁昌はんじょう家内和睦わぼく
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
自然伏見は京大阪を結ぶ要衝ようしょうとして奉行所ぶぎょうしょのほかに藩屋敷が置かれ、荷船問屋の繁昌はんじょうはもちろん、船宿も川の東西に数十軒、乗合の三十石船が朝昼晩の三度伏見の京橋を出るころは
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
だがその町中で、しきりと今を楽しんでいるような繁昌はんじょうを示しているのは鎧師よろいしとか、塗師ぬしとか、染屋とか、鍛冶かじとか、馬具屋とかいう類の軍需品ぐんじゅひんをうけっている工商の家々だった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
糧食を積ませ乗船せしむると俄かに風吹いて七人を本国へ送る、七人かの島へ往かんという者を語らい七艘に乗船し、諸穀菜の種を持ち渡りその島大いに繁昌はんじょうするがみだりに内地人を上げず
砂糖店は開かれた。そして繁昌はんじょうした。しなも好く、はかりも好いと評判せられて、客は遠方から来た。汁粉屋が買いに来る。煮締屋にしめやが買いに来る。小松川こまつがわあたりからわざわざ来るものさえあった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「日本ではシュールリアリズムは地震だけで結構ですから、繁昌はんじょうしません」
厨房日記 (新字新仮名) / 横光利一(著)
王朝の頃大江匡衡おおえのまさひらは『見遊女序ゆうじょをみるのじょ』を書いてこの川筋の繁昌はんじょうをしるし婬風いんぷうをなげいているなかに、河陽ハすなわチ山、河、摂、三州ノ間ニ介シ、天下ノ要津ようしんナリ、西ヨリ、東ヨリ、南ヨリ、北ヨリ
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)