梅雨つゆ)” の例文
二週間がアト一日となった五月十一日は折角せっかく晴れ続いていた天気が引っくり返って、朝から梅雨つゆのような雨がシトシトと降っていた。
冥土行進曲 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
梅雨つゆ降頻ふりしきる頃には、打渡した水の満ちた田に、菅笠すげがさがいくつとなく並んで、せつせとなへを植ゑて行つてゐる百姓達の姿も見えた。
ある僧の奇蹟 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
家を離れて一人病院の一室に夢を見るのもまた始めてである。東京の家に帰ったのは梅雨つゆも過ぎて庭の樹に蝉の声を聞くころであった。
十六、七のころ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
梅雨つゆ降りつゞく頃はいとわびし、うしがもとにはいと子君伯母おば二処にしょ居たり、君は次の間の書室めきたるところに打ふし居たまへり。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
花が散り、梅雨つゆが過ぎ、そろそろ蝉が鳴き出す季節になったが、その間、次郎の身辺には、心配されたほどの事件も起らなかった。
次郎物語:02 第二部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
これからが話の本筋ですよ、親分、——昨日はまた妙に薄寒かつたでせう、梅雨つゆ明けには、よくあんな天氣があるんですつてね。
ただ、これからみんなで唯一の頼みにしようとしてゐた五郎が、その梅雨つゆさきから、突然足を患ひ出した。リウマチスといふ診斷だつた。
ふるさとびと (旧字旧仮名) / 堀辰雄(著)
「そうです。俄か天気で暑くなりました。しかし梅雨つゆもこれで晴れるでしょう。」と、わたしもだんだんに落着いて話し始めた。
深見夫人の死 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
毎年まいとし梅雨つゆがあけると蜂の巣からは蜂の子が巣立ちをし、方々の大学からは、口髯をちよつぴり生やした若い学士が巣立ちをする。
ありのように四方から集ってくる群衆のうえに、梅雨つゆらしい蒸暑い日が照りわたり、雨雲が陰鬱な影を投げるような日が、毎日毎日続いた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「おまえあの雨をどう思う」紋太夫は庭のほうを指さした、「もう四日も降り続いている返り梅雨つゆのようなあの雨をどう思う」
評釈勘忍記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
梅雨つゆ上がりの、田舎道いなかみちがまの子が、踏みつぶさねば歩けないほど出るのと同じように、沢山出ているはずの帆船や漁船は一そうもいなかった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
白粉草おしろいそうが垣根の傍で花を着けた。手水鉢ちょうずばちかげに生えた秋海棠しゅうかいどうの葉が著るしく大きくなった。梅雨つゆは漸く晴れて、昼は雲の峰の世界となった。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
低く浮んだ雲の蔭に強い日光を孕んでをる梅雨つゆ晴の平原の風景は睡眠不足の眼に過ぎる程の眩しい光と影とを帶びて兩側の車窓に眺められた。
水郷めぐり (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
この日は近ごろ珍しいいい天気であったが、次の日は梅雨つゆ前のこととて、朝から空模様怪しく、午後はじめじめ降りだした。
郊外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
最早梅雨つゆに入って、じめ/\した日がつゞく。簑笠みのかさで田も植えねばならぬ。畑勝はたがちの村では、田植は一仕事、「植田うえだをしまうとさば/\するね」
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
やが梅雨つゆおびたゞしく毒々どく/\しいくりはなくさるまではとしたのでをんなきたなげなやつれた姿すがたふたゝられなかつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「越前守さまのお末の子——お三ツになられるのが、春には重い風邪を病み、また梅雨つゆすぎから疫痢えきりにかかって、まだ捗々はかばかしくないのでしてな」
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
梅雨つゆのころ、みかどの御謹慎日が幾日かあって、近臣は家へも帰らずに皆宿直とのいする、こんな日が続いて、例のとおりに源氏の御所住まいが長くなった。
源氏物語:02 帚木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「……入梅に入つてゐるのにおしめりがないのを案じてゐたんだが、まア好かつた、雨になつて来た、これで一と安心だ——カラ梅雨つゆは不吉だ。」
籔のほとり (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
返り梅雨つゆで庭先はぬかるみでしたから、地上にはかれが歩くのとともに、はっきりとうしろ前をさかしまにはいているわらじの跡がついたのです。
初夏とは云っても、おくれた梅雨つゆの、湿しめりがトップリ、長坂塀ながいたべいみこんで、そこを毎日通っている工場街の人々の心を、いよいよ重くして行った。
夜泣き鉄骨 (新字新仮名) / 海野十三(著)
日は五月、空は梅雨つゆあがりの爽やかな朝である。高原の寺は、人の住む所から、自ら遠く建つて居た。唯凡、百人の僧俗が、寺中に起き伏して居る。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
(松本へ行かっしゃる? ああああ本道じゃ、何ね、この間の梅雨つゆに水が出て、とてつもない川さ出来たでがすよ。)
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
お高は、梅雨つゆさえ越せば、もう初夏が来ることを思って、金雀枝に近づいて、花のにおいをかいでみた。金雀枝の花には、何のにおいもしないのだ。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
けれども梅雨つゆの終り頃になつて、すべてが濃い青葉につゝまれてしまつた頃、幸子さちこは小さな咳を二つ三つし初めた。
(旧字旧仮名) / 素木しづ(著)
それは、二、三日もの間、降りつづいた、梅雨つゆのように、うっとうしい雨が、からりと晴れて、身も心も晴々とするような午後のことでございました。
両面競牡丹 (新字新仮名) / 酒井嘉七(著)
梅雨つゆのうちに、はなというはなはたいていちってしまって、あめがると、いよいよかがやかしいなつがくるのであります。
海ほおずき (新字新仮名) / 小川未明(著)
蒸し暑い光と熱とを多量に含んだ初夏の風が、梅雨つゆばれの空を吹いていた。水気に富んだ低い雲がふわふわとちぎれては飛び、ちぎれては飛びしていた。
六月 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
鋪道は梅雨つゆあがりの日を受けて息ぐるしいほどの暑さである。草履の下でアスファルトがゴムのやうに凹んだ。
双面神 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
四月頃もまるで梅雨つゆの如く、びしょびしょと毎日の雨で、江戸の市中はいたる処、溝渠どぶが開き、特に、下谷したやからかけ、根岸ねぎし、上野界隈かいわいの低地は水が附いてすねを没し
梅雨つゆから土用まで降りつづいた上に、時候がたいそう寒うございまして、日々毎日、陰気に曇ってばっかり、晴れたかと思えば曇り、曇ったかと思えば雨が降る
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
六月の末、もう梅雨つゆにかかつてしよぼ降る雨の鬱陶うつたうしい日が幾日となく續いた。それは或る金曜日の第三時間目で、その日も小止をやみない雨に教室の中は薄暗かつた。
猫又先生 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
が、待たれたその日曜が来て見ると、昨夜ゆうべからの梅雨つゆらしい雨が、じめ/\と降っているのだった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
東京は、この手紙が着く頃はそろそろ梅雨つゆにはいることと思います。東京のあのじめじめと降りつづく雨から、僕たちは開放されたわけです。青空、そして豪快な雨——。
宇宙爆撃 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
うかね。しかし然う一々天氣にかこつけられちや、天氣もつらの皮といふもんさ。」と苦笑にがわらひして、「だが幾ら梅雨つゆだからツて、う毎日々々降られたんぢや遣切やりきれんね。 ...
青い顔 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
暗澹あんたんとした空の下で、蚕が病んでいるのである。空気は梅雨つゆで重たくしめり、地上は一面の桑畑である。この句には或る象徴的な、沈痛で暗い宿命的の意味を持った暗示がある。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
一雄はおもしろがって、おぜんの上をはしで突ッつきまわしていました。ちょうど梅雨つゆの時分で、お天気のわるい日がよくつづきました。そのうち毎日雨ばかり降るようになりました。
祖母 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
梅雨つゆ前から感冒にかかっていたようだが、抑えていたとみえて、とうとう肺炎でね」
痀女抄録 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
梅雨つゆがはれる頃までは仕事につくことはできますまい。それから妹が「葛の葉」というドラマを書きました。彼女ももはや二十五を過ぎますからこれからは発表させるつもりです。
青春の息の痕 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
晴れたり曇つたりする日の右手の車窓には梅雨つゆの雲の間に筑波の山が下總しもふさの青田の上、野州やしうの畑の上から美しいその姿を見せ、左方の日光つゞきの山々はなほ薄雲の中に隱れてゐて
華厳滝 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
梅雨つゆがあけて、ももが葉っぱの間に、ぞくぞくとまるい頭をのぞかせるころになると、要吉の家の人びとはいっしょになって、そのひとつひとつへ小さな紙袋かみぶくろをかぶせるのでした。
水菓子屋の要吉 (新字新仮名) / 木内高音(著)
梅雨つゆのころの田舎いなか悒欝うっとうしくって、とても長くは辛抱していられないので、京都の女のいる二階座敷の八畳の間が、広い世界にそこくらい住み好いところはないような気がするので
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
梅雨つゆに入ってからの太田はずっと床につきっきりであった。梅雨が上って烈しい夏が来てからは、高熱が長くつづいて、結核菌が血潮のなかに流れ込む音さえ聞えるような気がした。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
その時丁度北のタスカロラ海床かいしょうの上では、別に大きな逆サイクルホールがある。両方だんだんぶっつかるとそこが梅雨つゆになるんだ。日本が丁度それにあたるんだからね、仕方がないや。
風野又三郎 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
「されば」と戸田老人が注釈をつけた、「郷里ではあたかも梅雨つゆの季節でござる」
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
とても佐賀のマルボーロのように梅雨つゆしのいでも潤らないという訳に参りません。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
実際こんなときにこそ鬱陶うっとうしい梅雨つゆの響きも面白さを添えるのだと思いました。
橡の花 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
そうこうするうち日も移って、梅雨つゆもすっかり明けた真夏の頃となりました。
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そして梅雨つゆ明けをまたずにお定は息を引き取ったが、死ぬ前の日はさすがに叱言こごとはいわず、ただ一言お光を可愛がってやと思いがけぬしんみりした声で言って、あとグウグウいびきをかいて眠り
(新字新仮名) / 織田作之助(著)