つまびらか)” の例文
利害を重んずる文明の民が、そう軽卒に自分の損になる事を陳述する訳がない。小野さんはもう少し敵の動静をつまびらかにする必要がある。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その「仏店ほとけだな」の所在をいまわたしはつまびらかにしないが、何としてもそのあたり、あくまで東叡山寛永寺の支配をうけた、暗い、沈んだ
上野界隈 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
此碑は良郷りやうきやうより宛平県に、宛平県より順天府に入つて、信国祠しんこくしの壁にしうせられてゐるさうである。其拓本の種類等はこれをつまびらかにしない。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
多くは自製の品であります。煙草具で更に面白い一種のものがあり、呼んで「じんぎり」といいますが語原はつまびらかでありません。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
別家のようで且つ学問所、家厳はこれに桐楊とうよう塾と題したのである。漢詩のたしなみがある軍医だから、何等か桐楊の出処があろう、但しその義つまびらかならず。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
未だ学術上の調査はつまびらかでないが、仮りに彼らは北方より来たアキアン民族であったとしても、小亜細亜との関係の密なるものあることだけはたしからしい。
東西相触れて (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
しばらくも安らかなることなし、一度ひとたび梟身けうしんを尽して、又あらたに梟身を得。つまびらかに諸の苦患をかうむりて、又尽くることなし。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
ところで、この四諦の「諦」という字ですが、これは「審」とか「明」などという文字と同一で、「明らかに見る」ことです。「つまびらかに見る」ことです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
湯原王ゆはらのおおきみが吉野で作られた御歌である。湯原王の事はつまびらかでないが、志貴皇子しきのみこの第二子で光仁天皇の御兄弟であろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
今の我は斷えずふみを讀み、自然と人間とを觀察し、又自ら我心を顧みて己の長短利病をつまびらかにせんとせり。さるを人々は始終物學びせぬアントニオと呼べり。
街頭電車を待つの時電信柱に貼り付けたる夕刊の記事表題を眺めて天下の形勢を知り電車来って此れに乗るや隣席の人の読むものを覗いて事の次第をつまびらかにす。
偏奇館漫録 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
私は氏の熊本時代の生活をつまびらかにしないから分らない。この手紙の中にある俳句はどれも皆面白くない、当年の氏の俳句は決してこんなにつまらぬものではなかったと記憶する。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
社の方でも山田やまだ平生へいぜい消息せうそくつまびらかにせんと具合ぐあひで、すき金港堂きんこうどうはかりごともちゐる所で、山田やまだまた硯友社けんいうしやであつたため金港堂きんこうどうへ心が動いたのです、当時たうじじつ憤慨ふんがいしたけれど
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「実は、君より妻へてたる御書面、また妻より君へ宛てたる手紙、不図ふとしたることより生の目に触れ、一方には君の御境遇をもつまびらかにし、一方には……妻の心情をも酌取くみとりし次第に候……」
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
而して恋愛の本性をつまびらかにするは、古今の大詩人中にても少数の人能く之を為せり、美は到底説明し尽くすべからざるものにして、恋愛のうちに含める美も、到底説明しえらるまでには到ること能はず
「歌念仏」を読みて (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
他ヲ害シテ私ヲ利スルノ義ニモ非ラズ、唯心身ノ働ヲ逞シテ、人々互ニ相妨ゲズ、以テ一身ノ幸福ヲ致スヲ云フナリ。自由ト我儘トハ、動モスレバ其義ヲ誤リ易シ。学者宜シクコレヲつまびらかニスベシ。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
わたくしは大いにこれを疑うのである。そして墓誌の全文を見ることを得ず、その撰者をつまびらかにすることを得ざるのをうらみとする。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しばらくも安らかなることなし、一度ひとたび梟身きょうしんつくして、又あらたに梟身を得。つまびらかに諸の苦患くげんこうむりて又尽くることなし。
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
元八幡宮のことは『江戸名所図会ずえ』、『葛西志かさいし』、及び風俗画報『東京近郊名所図会』等の諸書につまびらかである。
元八まん (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これは高市黒人たけちのくろひとの作である。黒人の伝はつまびらかでないが、持統文武両朝に仕えたから、大体柿本人麿と同時代である。「船泊ふなはて」は此処では名詞にして使っている。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
あるいは一度新橋からお酌で出たのが、都合で、梅水にかわったともいうが、いまにおいてはつまびらかでない。
灯明之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
われは身のいづくの處にあるを知らずして、只だ熱の脈絡の内におこりたるを覺えき。わがいかにして救はれ、いかにしてこゝに來しをつまびらかにすることを得しは、時を經ての後なりき。
然れば宇宙有る所の諸国皆是れ一身体にして、人なく我なし。よろしく親疎の理をあきらかにし、内外同一なることをつまびらかにすべし。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
錦江は荻生徂徠の門人で才学義侠に富んだ有為の人物であった。その伝は原念斎の『先哲叢談』につまびらかである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しばらくも安らかなるなし、一度ひとたび梟身けうしんを尽して、又あらたに梟身をつまびらかに諸の苦患くげんかうむりて、又つくることなし。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
二つとも類似歌であるがどちらが本当だかつまびらかでないから、かさねて載せたという左注がある。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
昌黎しやうれいまこととせず、つまびらか仔細しさいなじれば、韓湘かんしやうたからかにうたつていはく、青山雲水せいざんうんすゐくついへ子夜しや瓊液けいえきそんし、寅晨いんしん降霞かうかくらふ。こと碧玉へきぎよく調てうたんじ、には白珠はくしゆすなる。
花間文字 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
壽阿彌の母、壽阿彌の妹、壽阿彌の妹の夫の誰たるをつまびらかにするに至らなかつたのは、わたくしの最も遺憾とする所である。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
しばらくも安らかなるなし、一度ひとたび梟身きょうしんつくして、又あらたに梟身をつまびらかに諸の苦患くげんこうむりて、又尽ることなし。
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
コスモスの花が東京の都人に称美され初めたのはいつ頃よりの事か、わたくしはその年代をつまびらかにしない。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
こゝに一夜いちやあけのはる女中頭ぢよちうがしらのおぬひ?さん(ねえさんのいまつまびらかならず、大方おほかたうだらうとおもふ。)朱塗しゆぬり金蒔繪きんまきゑ三組みつぐみさかづきかざりつきの銚子てうしへ、喰摘くひつみぜん八分はちぶさゝげてきたる。
熱海の春 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
しかしこれは蘭軒と頼氏長仲季ちやうちゆうきとの会見の時日である。その書信を通じた前後遅速は未だつまびらかにすることが出来ない。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
この蕪雑ぶざつなる研究の一章はつまびらかに役者絵の沿革を説明せんと欲するよりも、むしろこれに対する愛惜の詩情を吐露せんとする抒情詩じょじょうしの代用としてこれを草したるのみ。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
汝等なんぢらつまびらかに諸の悪業あくごふを作る。あるいは夜陰を以て小禽せうきんの家に至る。時に小禽すでに終日日光に浴し、歌唄かばい跳躍して疲労をなし、唯唯ただただ甘美の睡眠中にあり。汝等飛躍して之をつかむ。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
ったか未だつまびらかならずであるが、本望だというのに、絹糸のような春雨でも、襦袢じゅばんもなしに素袷すあわせ膚薄はだうすな、と畜生め、何でもといって貸してくれた、と番傘に柳ばしと筆ぶとに打つけたのを
遺稿:02 遺稿 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
およそ学問の道は、六経りくけいを治め聖人せいじんの道を身に行ふを主とする事は勿論もちろんなり。さてその六経を読みあきらめむとするには必ず其一言いちげん一句をもつまびらかに研究せざるべからず。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
身にんだ罪業ざいごうから、又梟に生れるじゃ。かくごとくにして百しゃう、二百生、乃至ないしこうをもわたるまで、この梟身をまぬかれぬのじゃ。つまびらかに諸の患難をこうむりて又尽くることなし。
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
かつまた吉田松陰と江戸橋の酒楼に邂逅した前後の関係もまたこれをつまびらかにすることができない。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いわゆる伝記は今存ずる所の『津軽藩旧記伝類』ではあるまいか。わたくしはいまだその書を見ざるが故に、抽斎の行状が采采択さいたくせられしや否やをつまびらかにしない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
鷲津氏の子孫は今なお丹羽の旧邸に住しているので、わたくしは当代の主人鷲津順光氏に問合せてこの忌辰を知ったのであるが、しかしその行年こうねんの幾歳なるかをつまびらかにしない。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
此等の小旅行の月日は、わたくしは今これをつまびらかにせぬが、北遊の翌年、文化二年の歳の暮に、霞亭が今の上総国君津郡きみつごほり貞元村さだもとむら湯江ゆえにゐたことは明である。渉筆にかう云つてある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
仕事師倶楽部の為す処吾人未之をつまびらかにせず若し徒に名を国粋にかり実は手拭をくばって花会を催すの類に過ぎざらんか吾人は文身の兄貴も亦当世の才子隅には置けぬと感心せんのみ。
偏奇館漫録 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
江戸時代にあっては堤上の桜花はそれほど綿密に連続してはいなかったのである。堤上桜花の沿革については今なお言問ことといの岡に建っている植桜之碑を見ればこれをつまびらかにすることができる。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
清常に至つては壽阿彌がこれを謂つててつとなす所以ゆゑんつまびらかにすることが出來ない。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
わが当代の芸術界は之がために如何なる薫化を蒙ったかはまだ之をつまびらかにすることができない。然し松方山本二氏の姓名の永くわが文化史上に記録せられべきものたることは言うをたない。
帝国劇場のオペラ (新字新仮名) / 永井荷風(著)