夜更よふ)” の例文
夜更よふけに歌をうたって歩く人たちの声は、たとえ上手ではないとしても、冬の真夜中に湧きおこって、無上の調和をかもしだすのだ。
それから三十分後だ、樫田刑事が、警官隊をつれて、夜更よふけの銀座の、泰昌軒へ駈けつけた時、中ではすばらしい大格闘最中だった。
謎の頸飾事件 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
夜更よふけ過ぎの飮食に胃の不健全が手傳つて、何か知ら覺めたのちには思ひ出せない夢を、戀人の手枕たまくらに見て驚くのもこんな場合が多い。
歓楽 (旧字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
そこで夜更よふけにはかまわず、またさっきのしおりみちをたどって、あえぎあえぎ、おかあさんをてて山奥やまおくまでがって行きました。
姨捨山 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
さだまりの女買おんながい費込つかいこんだ揚句あげくはてに、ここに進退きわまって夜更よふけて劇薬自殺をげた……と薄気味悪るく血嘔ちへどを吐く手真似で話した。
菜の花物語 (新字新仮名) / 児玉花外(著)
その夜更よふけ。ここは東京の月島という埋立地の海岸に、太った男が、水のボトボトれる大きな潜水服を両手に抱えて立っていた。
地中魔 (新字新仮名) / 海野十三(著)
その夜更よふけ、先に述べた地底の地獄巡りの穴の中で、湯本譲次とその恋人の原田麗子とが、彼等の日課である奇妙な遊戯を始めていた。
地獄風景 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
猟はこういう時だと、夜更よふけに、のそのそと起きて、鉄砲しらべをして、炉端ろばた茶漬ちゃづけっ食らって、手製てづくりさるの皮の毛頭巾けずきんかぶった。
眉かくしの霊 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それを聞いて、一匹の犬が馳出して行った。他の犬も後を追って、復た一緒に馳出して行った。互に鳴き合う声が夜更よふけた空に聞えた。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
かわらへ立つと、寒さに、骨が鳴った。石ころだの、水溜りだの、こおっている足袋たびの先が痛い。夜更よふけまで彼は荻江節おぎえぶしを流して歩いた。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
焚火たきびがたかれていた。そうして夜更よふけから、き出しがはじまった。その時分になっても、私の両親はそこへ姿を見せなかった。
麦藁帽子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
顳顬こめかみ即効紙そっこうしをはって、夜更よふけまで賃仕事にいそしむ母親のごとを聞くと、いかなる犠牲もえなければならぬといつも思う。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
夜更よふけの往来はもやと云うよりも瘴気しょうきに近いものにこもっていた。それは街燈の光のせいか、妙にまた黄色きいろに見えるものだった。
彼 第二 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
翌承久元年正月二十七日、前夜から雪であったが、鶴ヶ岡八幡宮つるがおかはちまんぐうに右大臣の拝賀の式を行う夜更よふけ、帰るさを別当公暁くぎょうのためにしいせられた。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
「しかし貴女あんたも、この商売はいい加減に足を洗ったらどうです。商売している間は、夜更よふかしはする、酒は呑む、体を壊す一方だからね。」
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
引けあとの電話は、大抵、明日あすの朝きいても間に合う事ばかりだからナ……しかし、あんまり夜更よふかしをすると身体からださわるぞ
鉄鎚 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
そうして、幾臼かの餅を搗いて、祝儀を貰って、それからそれへと移ってゆくので、遅いところへ来るのは夜更よふけにもなる。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
夜更よふけて四辺あたりしずかなれば大原家にて人のゴタゴタ語り合う声かすかきこゆ。お登和嬢その声に引かされて思わず門の外へでたり。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
早「欠伸い止せよ……これは少しだがの、われえ何ぞ買って来るだが、夜更よふけで何にもねえから、此銭これ一盃いっぺい飲んでくんろ」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
九時——九時といえば農場では夜更よふけだ——を過ぎてから仁右衛門はいい酒機嫌で突然佐藤の戸口に現われた。佐藤の妻も晩酌に酔いしれていた。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
まして夜更よふけの静かな時は尚更なおさらであるから、余程小声で話さなければいけなかったのに、誰もその辺にあまり注意を払わなかったのは事実である。
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「フランツとダニヱルお爺さんとが夜更よふけて一緒にゐたのよ、そしてフランツが、こはくて眼を覺まして了つた夢の話をしてゐるのよ、いゝこと!」
なるべく、夜更よふけに着く汽車を選びたいと、三日間の収容所を出ると、わざと、敦賀つるがの町で、一日ぶらぶらしてゐた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
妙信 (戦慄せんりつ)よさぬかというに、さもないでさえ恐ろしいこの夜更よふけに、そんな話をしなくとものことじゃないか。
道成寺(一幕劇) (新字新仮名) / 郡虎彦(著)
気持が幾分か落着いて来ると、私は毎晩毎晩、夜更よふけになってから他人目ひとめぬすんで、生前の娘にそっくり似ている等身大の人形をつくりにかかった。
その頃私は毎晩夜更よふかしをして二時三時まで仕事をするので十二時近くなると釜揚饂飩かまあげうどんを取るのが例となっていた。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
夏の夜更よふけの、外は露気を含んで冷や冷やと好い肌触はだざわりだけれど部屋の中は締め込んでいるのでむうっと寝臭い蚊帳かやの臭いに混ってお前臭いにおいが
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
「まあ、そんなことをおっしゃらないで、こんな夜更よふけに何の御用がおありになりますの、たまには遅く往って、じらしてやるがよろしゅうございますよ」
蟇の血 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
木枯しがつよく吹いている夜更よふけであった。私は、枕元のだるまに尋ねた。「だるま、寒くないか。」だるまは答えた。「寒くない。」私はかさねて尋ねた。
玩具 (新字新仮名) / 太宰治(著)
式をおこなった翌日から、夫婦は終日渋江の家にいて、夜更よふけて矢川の家へ寝に帰った。この時文一郎はあらた馬廻うままわりになった年で二十九歳、陸は二十三歳であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
運転手に虐待ぎゃくたいされても相変らず働いていたのは品子をものにしたという勝利感からであったが、ある夜更よふけ客を送って飛田遊廓の××楼まで行くと、運転手は
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
ある夜更よふけに冷たい線路にたたずみ、物思いに沈む抱月氏を見かけたというのもそのころの事であったろう。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
日のれから鳴き出して夜更よふけにも鳴くことがあるが時としては二羽のつれ鳴に鳴く声が聞える事がある。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
その晩もやうやく新太郎を寢かし付けて、さて雨戸をめようとすると夜更よふけまで開けて置いた窓の障子へ、おそい月に照らされて、ハツキリ映つてゐるものがあります。
源右衛門『夜更よふけといいかる荒家へ、お上人さま直々のお運び、源右衛門冥加みょうがの至りに存じます』
取返し物語 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
叡山えいざん西塔さいとうに実因僧都そうずという人がいたが、この人が無類の大力であった。ある日、宮中の御加持ごかじに行って、夜更よふけて退出すると、何かの手違いで、供の者が一人もいない。
大力物語 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
曠野こうや夜更よふけは星ひとつ見えぬ暗さであった。在るものは自分らだけと思い、他をおもい浮べる余裕もなかった。過ぎた戦乱の日は、忘れ去るほど遠ざかってはいなかった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
春の日の昼下りに、竿や竿竹、の呼び声を聞く時や、夜更よふけに耳に届いて来るチャルメラの響き、そんなのと趣きは違うけれど、何か郷愁を伴ったような、妙な哀感がある。
凡人凡語 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
そして、父が寝巻き姿のまま起き上って来て、母を邪慳じゃけんに部屋の外へ突き出したことをも。でもたまには父は、夜更よふけた町を大きな声で歌をうたいながら帰って来ることもあった。
すると、彼が占めていた空き部屋の扉を、夜更よふけて、こっそりと叩く者があった。
地虫 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
おかみさんは、こんな夜更よふけに何をするつもりか巳之助にきいたが、巳之助は自分がこれからしようとしていることをきかせれば、おかみさんが止めるにきまっているので、黙っていた。
おじいさんのランプ (新字新仮名) / 新美南吉(著)
馬賊達は、山塞さんさいでさつそく、お祝ひの酒盛りを夜更よふけまで賑やかにやりました。
小熊秀雄全集-14:童話集 (新字旧仮名) / 小熊秀雄(著)
夜更よふけまでじっと考えていて、修行者が来ても立合いということはほとんどせぬ、いて立合いを望むと、こうして相手のかおを、しばらくじっと見ておるじゃ、そうしてニコリと笑って
「もうそのような夜更よふけか。不思議な消え方を致しおった。よく調べてみい」
老中の眼鏡 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
夫は母と共に外出して夜更よふけても帰って来ない、もう病人は昏睡状態におちいって婢中じょちゅうかいなだかれていたが、しきりに枕の下を気にして口をきこうとして唇をかすかに動かせども、もう声が出ない
二面の箏 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
熱気に室内がむれて息もたえだえに思われる土用の夜更よふけなどに、けたたましく人を呼ぶ声がきこえ、その声に起き上って窓から見ると、白衣の人が長い廊下を急ぎ足に歩いて行くのが見える。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
表通りも夜更よふけになるとこの通りである。これは猫だ。私はなぜこの町では猫がこんなに我物顔に道を歩くのか考えて見たことがある。それによると第一この町には犬がほとんどいないのである。
交尾 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
永久に。——彼はこの頃夜更よふけて、物静かに鳴り渡る松風の音を聞きながら、あの下に、あゝあの下に、かう思ふのが何よりの楽しみであつた。冬になれば広い松林の上へ真白ろな雪が降るであらう。
(新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
源十郎がお艶の駕籠をかつぎこませた暴風雨あらしの晩、夜更よふけて、というよりも明け方近く、庭口にあたってただならぬ人声を耳にしたおさよが、そっと雨戸をたぐってのぞくと、濡れそぼれた丹下左膳
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
仕事の多い日には、しばしば夜更よふかしをして書きつづける。