たと)” の例文
これをたとうるに夫婦の関係とひとしく、勢力は亭主にして主人の位置に立ち、物質は女房にしてこれに付随するものでありましょう。
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
自暴自棄な年若の大之進が腕ができるにしたがい人斬り病にかかったのも、狂人きちがいに刃物のたとえ、無理からぬ次第であったとも言える。
花といへば必ずこれを雲にたとへ、雪と言へば必ずこれを綿に喩ふる連歌派、貞徳派よりは、たしかに一歩だけ深く文学に入りたり。
古池の句の弁 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
だから、半農半武士はんのうはんぶしの郷士に過ぎない、ここの小さな家族制度でも、一国にたとえれば、長男のことばは、主君のことばみたいであった。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
カンコこけ深しなんど申すは何事ぞ、諫鼓をばいさめの鼓と読む。たとえば唐の堯帝政を正しくせんがために、しき政あればこの鼓を
なお百喩経ひゃくゆきょうは、仏典の比喩経のなかの愚人(仏教語のいわゆる決定性けつじょうしょう)のたとえばかりを集めた条項からその中の幾千を摘出したものである。
百喩経 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
鍋のなかには予めあつものたぎつてゐて、三蛇は互に毒を以て毒を制し、その甘膩かんじ、その肥爛ひらんまことにたとふべからずと言ふのである。
たぬき汁 (新字旧仮名) / 佐藤垢石(著)
云はゆる夫婦は親しけれども而も瓦に等しく、親戚は疎くしても而も葦にたとふ、若し終に(伯父を)殺害を致さば、物のそし遠近をちこちに在らんか
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
之をたとえば熟眠、夢まさたけなわなるのとき、おもてにザブリと冷水を注がれたるが如く、殺風景とも苦痛とも形容のことばあるべからず。
人生の楽事 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
でも、対手は御愛妾の縁につながる治右衛門、泣く児と地頭には勝たれぬとのたとえもござります。いかほど御潔白でござりましょうとも、白を
私どもは人生を橋渡りにたとえた、アジソンの『ミルザの幻影』と思いくらべて、この人生の譬喩たとえを非常に意味ふかく感じます。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
それは蜂の女王が生殖機関たることに偏した結果、それ以外には畸形きけい的無能力者となったのにたとえても好いような状態に堕落してしまいました。
婦人改造の基礎的考察 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
われわれが知っているものを取ってこれをたとえるならば、お伽噺とぎばなしのごとく、『アラビア夜話』に似たものとなるであろう。
なんぼ兄弟の中でも金銭は他人と云うたとえ通りだ、なぜ金を返さぬ、貴様は正直な商人あきんどだからよもや倒しゃせまいと思い
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
雪渓を、ものの三千五百尺ばかり登ると、富士山の胸突八丁にもたとえられるところの、火口壁へとぶつかった。
火と氷のシャスタ山 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
人生常なく、たとえば朝露の如しで、まだ年が若く、嗣子の無い者でにわかに死亡する者も随分少なくはない。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
春枝夫人はるえふじん嬋娟せんけんたる姿すがたたとへば電雷でんらい風雨ふううそら櫻花わうくわ一瓣いちべんのひら/\とふがごとく、一兵いつぺいとききづゝたをれたるを介抱かいほうせんとて、やさしくいだげたる彼女かのぢよゆきかひなには
ことに私をば娘のやうに思ひ、日頃ひごろの厚きなさけは海山にもたとへ難きほどに候へば、なかなかことばを返し候段にては無之これなく、心弱しとは思ひながら、涙のこぼれ候ばかりにて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
髪を短く刈った時の感じにたとえたら、あたらずといえども遠からずということになりはしないだろうか。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
それからその間の村々の家の屋根には幾千幾万の燈明が上って居てその美しさはたとえようがない。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
グッと出口の警官隊を睨みつけたその顔の醜怪さは、なににたとえようもなかった。左半面には物凄い蟹の形の大痣がアリアリと認められた。ああ、遂に痣蟹が現れたのだ!
恐怖の口笛 (新字新仮名) / 海野十三(著)
その内容について考察を下す前に、この場合の事を今日の事にたとえて考うるははなはだ便利である。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
まだ現在のところ存在を認められながら正体を掴まれていないのです、しかしいずれは掴まれると思います、例えば陰陽術師のように、あらゆるものを陰陽にたとえるならば
宇宙爆撃 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
しかしながら前に我々の心を幅のある河にたとえた時、この川幅の一点だけが明暸めいりょうになるから、明暸になった一点だけが意識の焦点になって、他は皆茫々ぼうぼううちに通過してしまう。
創作家の態度 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
これを治道にたとうれば、なお聖王の後、けつちゅうを出すがごとし。それ邦の王を立つる、民を保するがためなり。しかして桀・紂のさかしまあり。人の教を立つるは世を救うゆえんなり。
教門論疑問 (新字新仮名) / 柏原孝章(著)
譬へば千尋ちひろの海底に波起りて、さかしま雲霄うんせうをかさんとする如し。我筆いかでか此聲を畫くに足らん。あはれ此聲、人の胸より出づとは思はれず。しばらく形あるものにたとへて言はんか。
青天せいてん霹靂へきれきにもたとうべくや、所詮しょせんは中江先生も栗原氏も深き事情を知り給わずして、一図いちずに妾と葉石との交情を旧の如しと誤られ、この機を幸いに結婚せしめんとの厚意なるべし。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
囃子連の喜びは、たとうるに物なく、囃子にいよいよ油が乗ってくると、踊りもいよいよ妙に入るかと思われる。最初は囃子が人を踊らせたのに、今は踊りが囃子を引立てるらしい。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「此歌上句ハ佞人ねいじんナドノ官ニ在テ君ノ明ヲクラマシテ恩光ヲ隔ルニたとへ、下句ハソレニ依テ細民ノ所ヲ得ザルヲ喩フル歟」(代匠記)等というが、こういう解釈の必要は毫も無い。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
それから後、幾時間かの間の俊寛の憤りと悲しみと、恥とはたとえるものもなかった。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
その頃の英語の教科書で習つたこの感傷的なたとばなしは、和作の心に適切だつた。
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
之が丁度現物がエーテルという虚空のみを介して鏡に像を結ぶ関係にたとえられて、認識するということを写すというのである。従って所謂模写説に対する非難は本末が顛倒しているのである。
辞典 (新字新仮名) / 戸坂潤(著)
それを、シャールシュタインは色彩円の廻転にたとえて、初め赤と緑を同時にうけて、その中央に黄を感じたような感覚が起るが、終いには、一面に灰色のものしか見えなくなってしまう——と。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
お光はたとえようのない嫌悪けんお目色まなざしして、「言わなくたって分ってらね」
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
氏は善を音楽の調和にたとえておる。英のシャフツベリなどもこの考を取っている。また中庸が善であるというのはアリストテレースの説であって、東洋においては『中庸』の書にも現われて居る。
善の研究 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
これを俗言にたとえていうと、我らが話しをする時に、きっと「何々です」とか「何々だ」とか「何々した」とかいう、この「です」「だ」「した」などいう文字がないと、話につづまりがつかぬ。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
しかし私の心が痛ましく裂け乱れて、純一な気持ちがどこのすみにも見つけられない時のさびしさはまたなんとたとえようもない。その時私は全く一塊の物質に過ぎない。私にはなんにも残されない。
生まれいずる悩み (新字新仮名) / 有島武郎(著)
雨の夜のさびしさに書を読みて、書中の人を思ひ、風静なる日その墳墓をたづねて更にその為人ひととなりを憶ふ。この心何事にもたとへがたし。寒夜ひとり茶を煮る時の情味いささかこれに似たりともいはばいふべし。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
以て申立て終に死人に口無くちなしたとへの通り彼札の辻の人殺しは道十郎に事きはまり殘骸は取捨に相成家財かざいは妻子に下し置れ店請たなうけ人なる赤坂の六右衞門方へ妻子の者は泣々なく/\引取れ長庵は何の御とがめもなく落着らくちやくせしかばこゝに於て三州藤川在岩井村へは此由を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「——残水の小魚、糞中の穢虫えちゅうとは——心憎くもたとえおったな。忌々いまいましい奴、北越でもこの高綱のうわさは伝えられているものとみえる」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
心のつのを折るものなりとありて、原意は、ともかく、当時専らあやまり入って来る者を、強いて苦しめる事はならぬというたとえに用いたと見える。
たとえば人の性質に下戸げこ上戸じょうごがあって、下戸は酒屋に入らず上戸は餅屋に近づかぬとう位のもので、政府が酒屋なら私は政事の下戸でしょう。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「冗談じゃアないぜ。ひょっとして、脇坂様御家中の方のお耳にでも入ったら、どうするのだ。たとえにもいう。口はわざわいのもと。ちと気をつけな」
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
りに機械にたとえるとの機械は、一個所、非常に精鋭な部分があり、あとは使用を閑却かんきゃくされていると言ってい。
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
たとえば砂糖の有無多少が必ずしも美味不美味に正比例をなさぬと同じきが如くに受取られるのである。
貧富幸不幸 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
やりが来たり鎧櫃よろいびつが来たりするから、近辺では大したお方だととうとむことで、小左衞門は金も沢山持って居りましたろうが、坐してくらえば山もむなしのたとえでございますから
その壮観といったら恐らくたとえようもないです。随分幅が広いのもあって沢山見えて居りましたがその内最も大きなのを選ぶと七つばかりある。その滝の形状の奇なることは
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
これを物にたとうれば、内心は物なり、外形は影なり。物、円なれば影もまた円なり。物、ほうなれば影もまた方なり。すなわち、その心正しければ、そのおこないもまた正しからざるを得ず。
教門論疑問 (新字新仮名) / 柏原孝章(著)
「だって君ゃ大学の教師でも何でもないじゃないか。高がリードルの先生でそんな大家を例に引くのは雑魚ざこくじらをもってみずかたとえるようなもんだ、そんな事を云うとなおからかわれるぜ」
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
多くの人がそれにたとえられたが、その名誉にあたいする者はすくない。