うごめ)” の例文
丁度それと同じ感じで、押絵の娘は、双眼鏡の中で、私の前に姿を現わし、実物大の、一人の生きた娘として、うごめき始めたのである。
押絵と旅する男 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そして、観衆が立ち去った後は、広い空間を、侘びしげな空気が揺れていてその中に、二、三蟻のようにうごめいて見えるものがあった。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
ガラッ八の鼻は少しばかりうごめきます。この鼻がまた銭形平次にとっては、千里眼順風耳で、この上もない調法な武器だったのです。
いたずらものの野鼠は真二つになって落ち、ぬたくる蛇は寸断ずたずたになってうごめくほどで、虫、けだものも、今は恐れて、床、天井を損わない。
神鷺之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼女の、ぴったりと体についた、肉襦袢に包まれたむちむちとした肉体は、歩く度に、怪しくうごめいて、又新らたに、黒吉の眼を奪った。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
そのほか、公園のやみ、郊外の夜の木立ちをさまよいうごめく、うら若い魂と魂のささやきは数限りもない。行きずりの人も怪しまぬ。
東京人の堕落時代 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
白昼雑踏の大道を、大手を振って行く道もあれば、暗夜に露地をコソコソと、うごめいて行くような道もある。どっちがいいとも云われない。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
亀が後脚に立つてうごめいてゐるやうだと、それを私に背負はせたお雪さん自身さへ、思ひ遣りなく手をつて笑つたほどだつた。
乳の匂ひ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
そのことでは「うごめくもの」時分よりもいっそう険悪ないがみ合いを、毎晩のように自分は繰返した。彼女の顔にも頭にも生疵なまきずが絶えなかった。
死児を産む (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
うごめき、まつわるものの、いやらしさ。周囲の空寂と神秘との迷信的な不気味さ。私自身の荒廃の感じ。絶えざる殺戮さつりくの残酷さ。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
かれらは、吉原に近い土手裏の湿め湿めした掘立小屋のような木賃に、うじのようにうごめきながら、朝から晩まで唄いつづけていたのであった。
幻影の都市 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
暗灰色の空に突きたっている山岳の斜面へ、傷痕きずあとのようにつけた赤黒い鉱山道でうごめいていたのは、荷をつけた駄馬と小さな人間の行列だった。
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
爬虫動物の常として極めて緩慢に、注意しなければ殆ど判らないくらい悠長な態度で、確かに首を前後左右へうごめかしている。
少年 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
彼はひて目をふさぎ、身のふるふをば吾と吾手に抱窘だきすくめて、恨は忘れずともいかりは忍ぶべしと、むちうたんやうにも己を制すれば、髪は逆竪さかだうごめきて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ドライサアの作品が感じさせる底なしのようなアメリカ生活のうごめきの圧力感は、一個ドライサアのものではなくて、単に世紀のものでもなくて
自分の思いがけぬ罪に対する恐怖に噛みさいなまれながら、彼女は亡失状態の中でかすかにひくひくとうごめいている蔦代の致死期の胴体を見詰めていた。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
さっきからこまかい虫の集りのようにうごめいていた、新嘉坡シンガポールの町の灯がだんだん生き生きときらめき出した。日本料理店清涼亭の灯も明るみ出した。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「何、賊だ。」と、人々は眼を皿にして衾の周囲まわりにどやどやとあつまった。重太郎は土龍もぐらもちのように衾の下でうごめくのであった。が、彼も流石さすがに考えた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
しかし稀に夢の中では、暗黒くらやみうごめく怪物や、見えない手のふるつるぎの光が、もう一度彼を殺伐な争闘の心につれて行つた。
老いたる素戔嗚尊 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
『麒麟』の一篇に於ては、斉の霊公が愛妃南子夫人の為めに酷刑を所せられた罪人の群が血にそまつて宮殿の階下にうごめいてゐる一節が挿入してある。
谷崎潤一郎氏の作品 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
日向の猫の欠伸あくびのように、山の字形にうごめきながら青白く光っているのは、先刻たしかに四尺は高い供壇そなえだんへ祭って置いたあの女の頬の肉ではないか。
うごめくものの影はいよいよその数を増し、橋むこうの向井将監の邸の角から小網町こあみちょうよろいの渡し、茅場町の薬師やくしから日枝神社ひえじんじゃ葭町よしちょう口から住吉町すみよしちょう口と
顎十郎捕物帳:14 蕃拉布 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
が、彼は自分が掘り穿った洞窟のうちに、獣のごとくうごめきながら、狂気のごとくその槌を振いつづけていたのである。
恩讐の彼方に (新字新仮名) / 菊池寛(著)
うごめかせて、裾端折り、してこいまかせと追ふてゆく。したり顔には引替えて。鹿子はさすが女気の、空恐ろしき成行きに、なりもやせむかと気遣はしさ。
したゆく水 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
凭り馴れた肱掛窓に凭つてかけ出しの樣になつてゐる窓下を見るともなく見てゐると、丁度干潟になつた其處に何やらうごめくものがある。よく見ると、飯蛸いひだこだ。
樹木とその葉:03 島三題 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
弘光はこう云って、私と離れて電車通りを横断よこぎって、日本橋のほうへ往ったが、その後姿は、黄昏ゆうぐれきいろな光の底にうごめいている人群の中へかくれてしまった。
妖影 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そして遠い所を見渡すようにしていたが、見当さえも定めかねた目にず映じたものは、時空のけじめを超えて、はてしもなくうごめく世界の獣の如き幻影である。
『深夜の市長』といえば、深夜のT市にうごめいている人たちから、生き神さまのように尊敬されている徳望の主ではないか。それが事もあろうに悪魔とは……。
深夜の市長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
その輪の中にうようよと音もなくうごめく、ちょうど海の底の魚群のように、人、人、人、人、……僕が眼を上げると、ほら、あすこのデパアトメントストオアね
(新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
幹太郎は、狂暴なものが、一時に、胸のなかでうごめくのを感じた。この二人に対してなにかしてやらねばならない!でなければ、胸のなかの苦痛は慰められない。
武装せる市街 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
二十余年前の——稲葉山の牢内にうごめいていた自分の姿だった。蜘蛛六くもろくだの何だのの影だった。またその中に交じっていた猿めいた顔をした針売りの小男だった。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
抱き合いながら妖しくうごめいている小娘のような、はしたない真似は、自尊心から言っても出来なかった。
それでも私は行く (新字新仮名) / 織田作之助(著)
白、黒、黄、青、紫、赤、あらゆる明かな色が、大海原おおうなばらに起る波紋はもんのごとく、簇然そうぜんとして、遠くの底に、五色のうろこならべたほど、小さくかつ奇麗きれいに、うごめいていた。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
従って機関部の人たちに遇うことは殆どなかった。石炭と灰と油にまみれて船底ダンビロうごめいている彼らを、何かと言えば軽蔑する風習がの船の甲板デッキ部員をも支配していた。
上海された男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
むっと鼻を突いて甘い巴里の体臭、各民族の追放者のような群集の吐息——そのなかにうごめく市場の「強い男達」と彼ら相手の女のむれ、焼粟屋の火花と肥った主人と
『君も酒仙だし、僕も曾つてその一人だつたから、よく飲み込めると思ふが、あの葛西善蔵の『うごめく者』はあれはくだぢやないか。酔払ひが管を巻いてゐるんぢやないか。
黒猫 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
指さされた所を覗いて見ると、葛籠の蔭のところにひと塊りの繿縷ぼろ切れがつくねられてあり、その真中のくぼみに、小さな薄紅い動物の仔が四五匹、ひくひくとうごめいていた。
お美津簪 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
卵は日光に照りつけられ、その熱の作用によって自然に孵化するが、生まれた一銭銅貨位のすっぽんは一両日穴の中にうごめいていて、やがて親のいる川の中へ入ってしまう。
すっぽん (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
足のふみ場もなかった倉庫は、のこる者だけでがらんとし、あちらの隅、こちらの陰にむくみきった絶望の人と、二、三人のみとりてが暗い顔でうごめき、傷にたかる蠅を追う。
原爆詩集 (新字新仮名) / 峠三吉(著)
何に致せ、古来学者を閉口させた平猴をコルゴと定めたは、予の卓見と大天狗の鼻をうごめかす。
大分待たせた挙句に、まるで家宝でもあるかのように、両手に捧げて来た粗末な檻の中にうごめいていたのは、なるほどダックスフントとウルフ・ハウンドとの混血種あいのこのような
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
そこには高い柱の頂上から降りそそぐ淡紫色の夢のやうな電燈の光が此の世のものとも思へないやうな影を落して無數の亡者どものうごめきを描き出してゐたが、ふと氣がつくと
大戦脱出記 (旧字旧仮名) / 野上豊一郎(著)
をりふし鵞鳥がてうのやうなこゑうたうた調しらべは左迄さまで妙手じやうずともおもはれぬのに、うた當人たうにん非常ひじやう得色とくしよくで、やがて彈奏だんそうをはると小鼻こばなうごめかし、孔雀くじやくのやうにもすそひるがへしてせきかへつた。
それはまるで兎のよう、目は赤く口元はごくごくうごめいている。が、彼は急にたまらなくなったとみえ、守衛が後を向いた瞬間にさっと飛び出して、最後の一群の中へまぎれ込んだ。
親方コブセ (新字新仮名) / 金史良(著)
そのうち場内のものがうごめき出した。大人は熱して浮かれて、子供は笑つてゐる。数千人が、早く帰つて晩食を食はうと思つて、場外へ押して出る。それが忽ち堅固な抗抵に遭遇した。
防火栓 (新字旧仮名) / ゲオルヒ・ヒルシュフェルド(著)
足のくるぶしが、膝のひつかがみが、腰のつがいが、くびのつけ根が、顳顬こめかみが、ぼんの窪が——と、段々上って来るひよめきの為にうごめいた。自然に、ほんの偶然こわばったままの膝が、折りかがめられた。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
ある日、私が授業をえて、二階から降りて来ると、先生はがらんとした工場のすみにひとり腰掛けていた。その側で何かしきりに啼声なきごえがした。ボール箱をのぞくと、ひなが一杯うごめいていた。
廃墟から (新字新仮名) / 原民喜(著)
いきなり手先器用でうまい字を書いて鼻高々とうごめかそうというのは無理なことでありまして、それは結局、うまい字を書こうということを簡単に考えたからだろうと思うのであります。
よい書とうまい書 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
何か言はうとする樣に、二三度口をうごめかしてチラリ仰向の男を見た目を砂に落す。
漂泊 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
でっぷりと小肥りの身体と、骨ばった痩躯も、対蹠的だ。しかし、湯に濡れて光る、友田の肌の大蛇おろち蝦暮がま蛞蝓なめくじなどの眼は、どれも、金五郎を睨んでいるように、妖しくうごめいている。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)