木枯こがらし)” の例文
雪こそは降り出さなかったが、その灰色をした雪雲の下に、骨を削ったようなくぬぎかしの木立は、寒い木枯こがらしに物凄い叫びをあげていた。
不幸 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
道也先生は例のごとく茶の千筋せんすじ嘉平治かへいじ木枯こがらしにぺらつかすべく一着して飄然ひょうぜんと出て行った。居間の柱時計がぼんぼんと二時を打つ。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
いつも寝入ればなかなか起きないこの人がたやすく起きる。そして涙ぐみつつふたり茶をのむ夜ふけ——外にはかすかな木枯こがらしの風。
愛よ愛 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
木枯こがらしすさまじく鐘の氷るようなって来る辛き冬をば愉快こころよいものかなんぞに心得らるれど、その茶室の床板とこいた削りにかんなぐ手の冷えわたり
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その頃錢形平次は、兇賊木枯こがらしの傳次を追つて、東海道を駿府へ、名古屋へ、京へと、揉みに揉んで馳せ上つて一と月近くも留守。
菊の花は既にしお山茶花さざんかも大方は散って、曇った日の夕方など、急に吹起る風の音がいかにも木枯こがらしらしく思われてくる頃である。
枇杷の花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
あたらしく力を得て、とにかくこれを完成させぬうちは、東京へ帰るまい、と御坂みさか木枯こがらしつよい日に、勝手にひとりで約束した。
I can speak (新字新仮名) / 太宰治(著)
十月の末から十一月の初めにかけては、もう関東平野に特色の木枯こがらしがそろそろたち始めた。朝ごとの霜は藁葺わらぶきの屋根を白くした。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
まともに風の吹払った庭の右手には、砂目の紋様もようが面白く、塵一つなくきれいだ。つい今しがたまで背戸山の森は木枯こがらしに鳴っていたのである。
新万葉物語 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
先づ木立深き処に枯木常磐ときわ木を吹き鳴す木枯こがらしの風、とろとろ阪の曲り曲りに吹きめられし落葉のまたはらはらと動きたる、岡の田圃たんぼに続く処
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
ちょうど我々が、春風が訪れても、木枯こがらしが吹きすさんでも、朝起きれば赤城、榛名の姿に接し、大利根の瀬音に耳を傾けつつ育ったのと同じであろう。
わが童心 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
老僧の孤影悄然木枯こがらしの荒野に落ちたやうに哀れであるが、このあつさりした転向ぶりはカトリックの執拗な信仰できたへたアルメーダには判らないから
そして凋落ちょうらくをまぬがれなかった。おおうものがなければ日の目はあからさまである。冷たい霜も降る、しぐれもわびしく降りかかる。木枯こがらしも用捨なく吹きつける。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
そのうちに一年ばかりった。それは木枯こがらしの寒い夕方であった。巳之吉は森からの帰りに渡船わたしに乗ったところで、風呂敷包を湯とんがけにした田舎娘が乗っていた。
雪女 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
彼女は、だんだん木枯こがらしじみて来る夜の、風の音を聴き分けるにつけ、現世の望みを、一ぱいに、波々と果たしてしまいたい気持に、身うちを焼かれて来るのだった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
火桶に火も絶えて木枯こがらしの吹き荒れる夜半や、じっとしていても汗のにじむような夏のひるさがりにも、お姉さまはそうやってわたくしや津留さんの物を縫って下すったのね
日本婦道記:風鈴 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しかもその表には、KDと、あきらかにドルセット侯爵夫人の頭文字かしらもじがうってあるのさえ見えた。その刹那せつな、博士の顔が絶望に木枯こがらしの中の破れ堤灯ちょうちんのようにゆがんだ。……
木枯こがらしの様にテクついている時にでも、いつも彼の身辺にフワフワと漂っているのであった。
接吻 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
湯元に来ると二度も雪が降ったという程あって、紅葉は既に爛熟して、次の木枯こがらしには一たまりもなく吹き掃われそうである。濃紅の色の中にもはや凋落ちょうらくの悲哀が蔵されている。
秋の鬼怒沼 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
木枯こがらしの吹く午後おそく、ひろ子は、前後左右ぎっしり職場の若い婦人たちで埋った講堂で、ニュース映画を観ていた。それは「君たちは話すことが出来る」と云う題であった。
風知草 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
寒い木枯こがらしの夕暮など、母親三人とも、ブルブルふるえながら、私のうちへよくやって来た。
あまり者 (新字新仮名) / 徳永直(著)
の『巌頭がんとうの感』は失恋の血涙の紀念です、——彼が言ふには、我輩は彼女かのぢよを思ひ浮かべる時、此の木枯こがらし吹きすさぶが如き荒涼くわうりやうの世界も、忽ち春霞しゆんか藹々あい/\たる和楽の天地に化する
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
その部屋に寝ていると、玻璃がらす窓越しに、戸外そとの中庭に、木枯こがらしの風が、其処そこ落散おちちっている、木の葉をサラサラ音をたてて吹くのが、如何いかにも四辺あたりの淋しいのに、物凄くきこえるので
死体室 (新字新仮名) / 岩村透(著)
まだ若い貞時はときに可笑おかしいくらい少年のような細かい気づかいで、筒井が川べりに出て仕えの女らを指図しながらいるのを見て、茫々ぼうぼうたる津の国にすさむ木枯こがらしいとうていった。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
二人で死体を運んで、三次と伊助、材木町通りのなかほどにある伊助の店江戸あられ瓦屋という煎餅屋へ帰って行った時は、冬の夜の丑満うしみつ、大川端の闇黒やみに、木枯こがらしが吹き荒れていた。
まるで病上やみあがりの権八のような恰好で木枯こがらしといっしょにひょろりと舞いこんで来た。
顎十郎捕物帳:02 稲荷の使 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
野邊山が原の中に在る松原湖といふ小さな湖の岸の宿に二日ほど休んだが、一日は物すごい木枯こがらしであつた。あゝした烈しい木枯は矢張りあゝした山の原でなくては見られぬと私は思つた。
ところがそのうちにそろそろ北海道の早い木枯こがらしが吹き始める頃になった。写生をするにも野趣のある草花はないし、花屋で売っているはなやかな花を描くには実力がるし、ちょっと困った。
南画を描く話 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
やがて、身を切るような木枯こがらしが野を横切って、暫時ざんじその音が止むと、一人は
北の冬 (新字新仮名) / 小川未明(著)
それ故にまた蕪村は、冬の蕭条しょうじょうたる木枯こがらしの中で、孤独に寄り合う村落を見て
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
烈しい木枯こがらしやさしい微風、荒れた日やなごやかな日、日の出や落日のとき、月の光や雲の夜は、この地方に於て彼等と同じ魅力を私に次第に募らせた——そして彼等を恍惚うつとりさせてゐるその同じ咒文は
一昨日とやら御こしなされまして富士の根方廻はりが二三日掛ると仰られましたから今日あたりは三島で御座りませうと云を聞と等く藤八は又々それいそげと聲をかけるに雲助ども合點がつてんと駕籠舁上かきあぐれば木枯こがらしもり
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
かれは文学の素養もあって、その当時の海軍大尉小笠原長生眷顧けんこをうけ、その紹介で『木枯こがらし』という小説の単行本を春陽堂から出版したこともあった。かれは書画にも巧みであったと聞いている。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
吹き出せば止むことを知らぬ江戸名物冬の木枯こがらしなのです。
木枯こがらしにぶつかつてくるまかな
荷風翁の発句 (旧字旧仮名) / 伊庭心猿(著)
木枯こがらし颯々さつ/\たりや、高樫たかがしに。
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
木枯こがらしに岩吹とがる杉間すぎまかな
芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
木枯こがらしに浅間の煙吹き散るか
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
あはれ木枯こがらしがままに
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
木枯こがらし
貧しき信徒 (新字新仮名) / 八木重吉(著)
木枯こがらしさけぶすがら手摺てずれし火桶ひおけかこみて影もおぼろなる燈火とうかもとに煮る茶のあじわい紅楼こうろう緑酒りょくしゅにのみ酔ふものの知らざる所なり。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯こがらしの吹かない日はほとんどまれになってから吾輩の昼寝の時間もせばめられたような気がする。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
木枯こがらしの傳次がこの路地の中に飛び込んだとすると、最初の晩は浪人の家、二度目と三度目は、お前の家へ飛び込むより外に逃げ路はないぜ」
木枯こがらしのような音が一しきり過ぎていった。そのあとはまたもとの静けさのなかで音楽が鳴り響いていった。もはやすべてが私には無意味だった。
器楽的幻覚 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
それで影絵が消えて仕舞ふと、彼は勝利を感じて箸をしまつた。南禅寺の本堂で、卸戸おろしどをおろす音がとどろいた。その間にほうきで掃くやうな木枯こがらしの音が北や西に聞えた。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
私が酒を飲みだしたのは牧野信一と知ってからで、私の処女作は「木枯こがらしの酒倉から」というノンダクレの手記だけれども、実は当時は一滴も酒をのまなかったのである。
二十七歳 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
野は秋も暮れて木枯こがらしの風が立った。裏の森の銀杏樹いちょう黄葉もみじして夕の空を美しくいろどった。垣根道にはそりかえった落葉ががさがさところがって行く。もず鳴音なきごえがけたたましく聞える。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
建築は手間どって、春から始めた工事がすっかり出来上ったのは、夏も過ぎ、秋もたけ、木枯こがらしの吹きまくったあとに、白いものがちらちらと空から落ちて来る冬の十二月はじめだった。
時計屋敷の秘密 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彼も初めての事なので、薄気味るく、うとうとしていると、最早もう夜も大分更けて、例の木枯こがらしの音が、サラサラ相変らず、きこえる時、突然に枕許まくらもとの上の呼鈴べるが、けだだましく鳴出なりだしたので
死体室 (新字新仮名) / 岩村透(著)
息をするたびに、どこかがピイピイと木枯こがらしのようなさびしい音をたてる。
キャラコさん:05 鴎 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)