くら)” の例文
そして、その足で、何処ともなく姿をくらましてしまった——と云うのが、恰度二月ほどまえ、三月十七日の夜のことだったのである。
オフェリヤ殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
殺したに違いあるまい。うんにゃ、隠したって駄目だ。お上の眼はくらませても俺の眼は誤魔化ごまかせねえ。あの水の中で、しゃけのように腹を
そのうちに暴雨出水と共に、三つの蛟はみな行くえをくらましたが、その後も雨が降りそうな日には、かれらが何処からか姿を見せた。
この孔明に兵千騎を託して、それで聚鉄山じゅてつざんの糧倉が焼き払えるものと考えているなどは、まったく陸戦にくらい証拠ではありませんか。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文壇の事にくらい坂本はその雑誌記者で新進作家川田氏に材料を貰い、それを坂本一流の瓢逸ひょういつまた鋭犀えいさいに戯画化して一年近くも連載した。
鶴は病みき (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
トラック三台ではこびつけたのだつたが、工事は中途から行き悩みで、木山が気をみ出した頃には、既に親方も姿をくらませてゐた。
のらもの (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
それから二千円の小切手を書かせ、後難を恐れて不意打に刺殺さしころし、発覚しないうちに金を受取って行衛ゆくえくらましたという事になるんだね。
二重心臓 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
以前にも申しました通り、和武はこの時に山から帰ってから、二三年消息をくらまし、再び現われた時にはころッと性質が変っています。
男が女のなりをしたり、女が男の風をしたりしてお関所をくらますようなことがあると、なかなか面倒には面倒になるんでございますね
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いつわりとは思いも寄らねば、その心に任せけるに、さても世には卑怯ひきょうの男もあるものかな、彼はそのまま奔竄ほんざんして、つい行衛ゆくえくらましたり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
人を殺して逃亡したとてもどうせ旨々とその筋の眼をくらまして一生を安穏に送ることのできないのはわかり切っていることであったから
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
わたしもちょうどああ云うように日本では姿をくらませていないと、今夜「みさ」を願いに来た、「ぽうろ」の魂のためにもすまないのです。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
坂本等が梅田を打ち倒してから、四辻に出るまで、だいぶ時が立つたので、この上下十四人は首尾好くあとくらますことが出来た。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
そして、今の平馬の言葉で聴けば、行方をくらましたという当の娘は、極めて身分の高い人に、かしずいている女性だという——
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
清一が二歳となった翌三十八年の盛夏のころ、雅衛はこれも突然姿をくらましてしまったのである。なんたる運命に魅入られた石坂家であろう。
岩魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
鉄管工場の人たちが観察しているように吉本が憂鬱ゆううつになったのは、永峯が彼らを裏切って行方をくらましたからではなかった。
街頭の偽映鏡 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
青年と駈け落ちした彼女は、夜になると住職の怨霊おんりょうに悩まされた。それと見た画家は女の金を奪って姿をくらましてしまった。
法華僧の怪異 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ああして結婚後すぐ金をさらって姿をくらました男ではあるが、ベシイは再会と同時にすべてを水に流して、またただちに彼と同棲どうせい生活を始めた。
浴槽の花嫁 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
政治家と相結んで国家的公共の事業を企画し名を売り利を釣る道を知らず、株式相場の上り下りに千金を一攫する術にもくらい。僕は文士である。
申訳 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これで事件は曖昧の裡に葬られ、彼の嫌疑は一往晴れたにもかかわらず、クリップンは何に慌てたか、翌日急にどこかへ姿をくらましてしまった。
詩に曰く風雨くらし、鶏鳴いてやまずと、もとこれ極めて凄涼せいりょうの物事なるを、一たび点破を経れば、すなわち佳境とると。
召集されて戦線に立つた画家連は、ちやうど舞台の背景画家がするやうに、敵の目をくらますために、戦場に色々な背景を拵へ上げることを考へついた。
振放すはずみ引断ひっちぎった煙草入、其の儘土手下へ転がり落ちた、こりゃたまらぬと草へつかまってあがって見たら、何時いつの間にか曲者は跡をくらましてしまう。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
家臣たちが亡命して身をくらますために元の姓を秘してその土地の名をとり三木と称したのに始まると伝えられている。
読書遍歴 (新字新仮名) / 三木清(著)
丁度葉裏はうらに隠れる虫が、鳥の眼をくらますために青くなると一般で、虫自身はたとい青くなろうとも赤くなろうとも、そんな事に頓着とんじゃくすべき所以いわれがない。
……ある日、嫂の高子がその家から姿をくらました。すると順一のひとり忙しげな外出が始り、家の切廻しは、近所にんでいる寡婦の妹に任せられた。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
重病人の親を捨てて姿をくらますような不埒な奴にはこの家の相続はさせられない、と、いうことになりますもの。
恐怖の幻兵団員 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
(間)二度目の夫は旅先で女をこしらへ、行衛ゆくゑくらましてしまひました。——この人が旅へ出る時は、わたくしもきつとついて行くつもりでをりました。
動員挿話(二幕) (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
しかし、もう一段、くだらない感情の為めにくらまされたT氏を見せつけられた時には、彼女はいろんな複雑した憎悪と憤りを感じずにはゐられなかつた。
監獄挿話 面会人控所 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
次第に空もくらく、日の光もおぼろに、ホテルの廊下などでは、電灯のスヰツチをひねらなければならないほどそれほどあたりが暗くなつて行くのを見た。
(新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
すると、お豊殺害の日から十二日を経た一昨日の朝、行方をくらましていた信次郎が、飄然ひょうぜんとして帰ってきたのであります。彼は四十前後の人相の悪い男です。
白痴の知恵 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
甥のリケットはそれっきり姿をくらまして了った。警察に引致いんちされたA夫人と、A嬢の監禁されていた宿の内儀さんの自白によって左記の事実が明白となった。
緑衣の女 (新字新仮名) / 松本泰(著)
無論、これは金を盗んだという証跡をくらます為だ。老婆の貯金の高は、老婆自身が知っていたばかりだから、それが半分になったとて、誰も疑う筈はないのだ。
心理試験 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
野獣のような盗伐者は、思慮分別もなく、きばんで躍りかかり、惨殺して後をくらましてしまうのである。
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
ある日私の目の前で彼女は窓から飛び出して再び行衛ゆくえくらましてしまった。袁更生の邪教に誘われてふたたび犠牲になったのだ。それからの私は狂人であった。
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
無心ながら巧みに敵の目をくらましているものがいかにして生じたやら、全く不可思議というの外はない。
人間生活の矛盾 (新字新仮名) / 丘浅次郎(著)
字書の語解は、この点に就いて完全な答案を持つであろう。にもかかわらず、古来多くの詩人等は、この点で態度をくらまし、いて字義の言明された定義を避けてる。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
その自動車は全速力で行方をくらましてしまった。博士の語るところによると、ある手術をしなければならない病人を診察するために連れていかれたということである。
二人はなお夜をめて語り明した。が、その夜のまだ明けきらぬうちに、二人手に手を取って、日の光を恐れるもののように、いずくともなく姿をくらましてしまった。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
八十助と露子とが恋の美酒に酔って薔薇色の新家庭を営む頃、失意のドン底に昼といわず夜といわず喘ぎつづけていた鼠谷仙四郎は何処へともなく姿をくらましてしまった。
火葬国風景 (新字新仮名) / 海野十三(著)
かつて木部孤笻にしてほどもなく姿をくらましたる莫連ばくれん女某が一等船客として乗り込みいたるをそそのかし、その女を米国に上陸せしめずひそかに連れ帰りたる怪事実あり。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ああ痛てえ! いかにも、三十両の小判に目がくらみまして、つい大それたことを致しましたが、しかし、毒蛇を頼まれましたのは、今のあの市毛の旦那様じゃござんせんよ。
「耳や眼はだまされやすい、真偽をくらますことは、さしてむずかしくはない」と甲斐は云った
かかるうちにも心にちとゆるみあれば、煌々こうこう耀かがやわたれる御燈みあかしかげにはかくらみ行きて、天尊てんそん御像みかたちおぼろ消失きえうせなんと吾目わがめに見ゆるは、納受のうじゆの恵にれ、擁護おうごの綱も切れ果つるやと
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
夫人やこの証人の方の遠目をくらます為にそんな奇矯な真似まねをしたのだとしても、今更そんな事を名乗って出る犯人などないんだから、まあ、直接の証拠をもっと探し出す事だよ
花束の虫 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
しかるに今日こんにちまで幾度いくたび各國市府かくこくしふ日本公使館につぽんこうしくわん領事館りやうじくわんおとづれたが、一もそれとおぼしき消息せうそくみゝにせぬのは、大佐たいさその行衞ゆくゑくらましたまゝあらはれてなによりの證據しようこ
おびただしい失政の責任をその袖のかげにかくれてくらまさうにも、今ではその相手をなんとしても見いだしがたい仕儀に立至つてすら、古ぼけた摂政の服をいつかな脱がうともせず
鸚鵡:『白鳳』第二部 (新字旧仮名) / 神西清(著)
社会の持つ響きを感じて、それから来る漢文学的影響位は出したかも知れぬが、漢学の素養があつて、あの詩形が出来たなど言ふのは、古代からの歌謡の発生の道筋にくらい人である。
叙景詩の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
マサカに足弱あしよわを連れて交通の不便なこの際に野越え山越え行方をくらましたとは思われない。ドコかに拘留されてるに違いないが、ドコの警察にもいないとすれば陸軍より外にはない。
最後の大杉 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
行方をくらましたのは策戦や、養子に蝶子と別れたと見せかけて金を取る肚やった、親爺が死ねば当然遺産の分け前にあずからねば損や、そう思て、わざと葬式にも呼ばなかったと言った。
夫婦善哉 (新字新仮名) / 織田作之助(著)