恍惚うっとり)” の例文
事実黄金色の軽快なアルコオルが体内に流れ込んだのだから、隣の食卓の一組は食堂に来た時より一層若やぎ恍惚うっとりとして来たらしい。
三鞭酒 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
ガルールはもう飲食のみくいどころではなかった。彼は眼を細めて、遠い、太陽と夢幻の国へ航海する光景を、恍惚うっとりと夢見ているのであった。
綺麗きれいつまをしっとりと、水とすれすれに内端うちわ掻込かいこんで、一人美人がたたずむ、とそれと自分が並ぶんで……ここまで来るともう恍惚うっとり……
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
遠く——遠く——静はひとみをやって、なお、舞い出さなかった。恍惚うっとりと、鶴ヶ岡のここの高さから空を見ていた。行く雲を見ていた。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
褪紅色たいこうしょくの上品な訪問着アフタヌーンを着けて綺麗きれいな優しそうな眼は幾分疲れを帯びた風情に恍惚うっとりと見開いていたが、こないだホテルで逢ったとおり
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
初は面白半分に目をねむって之にむかっているうちに、いつしかたましい藻脱もぬけて其中へ紛れ込んだように、恍惚うっとりとして暫く夢現ゆめうつつの境を迷っていると
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸ガラスどを開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚うっとりとこの稿を書き終るのである。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そのこぶしを両耳の根につけて、それを左右に揺ぶりながら、喜悦よろこばしさ恍惚うっとりとなった瞳で、彼女は宙になんという文字を書いていたことであろう。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
その時男は組み合せた両手を解いて柔く女の頸を抱いた……男は立ち上って櫂を手にした。女は空を恍惚うっとりと見上げている——
湖水と彼等 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
恍惚うっとりと見とれていましたが、又鏡の事を思い出しまして、斯様かような美しい処に隠して在る鏡というものは、どんな美しい不思議な宝物であろう。
白髪小僧 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
無心——というよりいつもいつも、心に執拗にこびりついている歌、例の歌を唄ってしまうと、彼女は恍惚うっとりと考え出した。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
スバーは、際限のない自分の寂しささえ超えて恍惚うっとりとして仕舞いました。彼女の心は、堪え難い程苦しく重い、而も、云うことは出来ないのです。
言葉はさもさも恍惚うっとりとして述べたけれども、さういふ言葉がやりきれないほど石碑のやうな顔付で、つづいて玄也の方へ孔のやうな視線をきりかへ
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
このなまめかしい羽織が女のような眉山の顔と釣合つりあって、影では蔭間かげまのようだと悪語わるくちをいうものもあったが、男の眼にも恍惚うっとりとするほど美くしかった。
また恍惚うっとりとしたような眼で彼を見あげ、からだじゅうが恍惚となったような声音でいった、「わたくしたち、もう身も心も、ぴったりといっしょですわねえ」
百足ちがい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
航海の話、印度の話——しかし、アアミンガアドを一番恍惚うっとりさせたのは、お人形についてのセエラの空想でした。
心持俯向うつむいていらっしゃるお顔のひんの好さ! しかし奥様がどことなくしおれていらしって恍惚うっとりなすった御様子は、トントうれしかった昔を忍ぶとでもいいそうで
忘れ形見 (新字新仮名) / 若松賤子(著)
いつか気持も安らかに恍惚うっとりとなったグーロフは、こんなことを心に思うのだった——よくよく考えてみれば、究極のところこの世の一切はなんと美しいのだろう。
部屋のしきりをて切って刺青の道具を手にした清吉は、暫くは唯恍惚うっとりとしてすわって居るばかりであった。彼は今始めて女の妙相みょうそうをしみ/″\味わう事が出来た。
刺青 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
昨日も、そうして、恍惚うっとりとお湯につかっていると、不意に戸があいて、浅吉さんが入って来ましたが、私のいるのを見つけて、きまり悪そうに引返そうとしますから
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
僕は少年心こどもごころにもこの美しい景色をながめて、恍惚うっとりとしていたが、いつしか眼瞼まぶたが重くなって来た。
鹿狩り (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
すれっからしの修業をつむことを念願にしている古市加十でも、さすがにこれには仰天せざるを得ない。やや暫くの間は思慮分別を失って恍惚うっとりと突っ立ったままになっていた。
魔都 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
喬介の説明に恍惚うっとりとして聞き入っていた私は、とうとうその興奮を爆発さしてしまった。喬介は、煙草に火を点けてぐっと一息深く吸い込むと、眼を輝かせながら言葉を続けた。
デパートの絞刑吏 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
若殿は恍惚うっとりとして、見惚みとれて、ござの上に敷いてある座蒲団ざぶとんに、坐る事さえ忘れていた。
悪因縁の怨 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
それで、たちまち、なんともいえない香気かおり恍惚うっとりとなってしまって、ちょうは、あとさきのかんがえもなく、その真紅まっか花弁かべんいつけられたように、そのうえりてまったのです。
ちょうと怒濤 (新字新仮名) / 小川未明(著)
手の上には、花のように繊麗せんれいな指先の、こまやかな接触を感じていた。そしていまだかつていだことのない美妙なかおりに、包み込まれ、恍惚うっとりとなり、ほとんど気を失いかけていた。
今年の一月彼はある運動会で一少年を見た、その時のその少年の顔には愛の色みなぎり、眼には天使エンジェルえみ浮んでいた、彼は恍惚うっとりとして暫く吾を忘れ、彼の胸中に燃ゆるほのおに油をいだのである。
愛か (新字新仮名) / 李光洙(著)
槍ヶ岳は大海から頭をのそりと出す烏帽子岩えぼしいわのようで、雪の白条しろすじは岩の上へかもめが糞を落したようだ、自分は恍惚うっとりとして、今山のいただきに立っているのか、波の寄るなぎさを歩いているのかと、惑った
奥常念岳の絶巓に立つ記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
とどめられたるそで思いきって振払いしならばかくまでの切なるくるしみとはなるまじき者をと、恋しを恨む恋の愚痴、われから吾をわきまえ難く、恍惚うっとりとする所へあらわるゝお辰の姿、眉付まゆつきなまめかしく生々いきいきとしてひとみ
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
どうしてそれが好かれずにいるものか! 何かしら恍惚うっとりするような不思議な魅力がひそんでいるのに、どうしてそれを好かずにおられよう? 恰かも眼に見えぬ力の翼にでも乗せられたように
そして列車が動かなくなった時、葉子はその人のかたわらにでもいるように恍惚うっとりとした顔つきで、思わず知らず左手を上げて——小指をやさしく折り曲げて——やわらかいびんおくをかき上げていた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
奥様は左からも右からも眺めて、恍惚うっとりとした目付をなさりながら
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その画面を指しながら、恍惚うっとりとして言います。
仏教人生読本 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
あいいて、ゆるく引張つてくゝめるが如くにいふ、おうなことば断々たえだえかすかに聞えて、其の声の遠くなるまで、桂木は留南木とめぎかおりに又恍惚うっとり
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
どうぞ私の身体をしっかりと抱いていらして……恍惚うっとりとしてきたその耳に口をつけて、私は言ったのです。お前の頼みは必ず引き受けた。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
見ると今美紅姫は自分のへやに閉じ籠もって、机の上に頬杖を突いて窓の外を見ながら何か恍惚うっとりと考えているところでした。
白髪小僧 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
法水は伸子と窓際に立って、パノラマのような眺望を、恍惚うっとりと味わっているうちに、彼女の肩に手を置き、無量の意味と愛着とをめて云った。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
お色は心が恍惚うっとりとなった。これまでも易は見て貰ったが、こんなすさまじい立てかたは、一度も経験したことがなかった。
銅銭会事変 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「よし、よし。……もうやがてお見えだろう」と、幸福そうに老眼をしわめて恍惚うっとりと庭園の春日に眸を細めた——。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてやがて、姉の千賀がほっと太息といきをついて恍惚うっとりとしたように泰助を眺め、それから母のほうへ振返って、胸の中からなにかあふれてでも来るようにささやいた。
思い違い物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
母親というものは、子供に添え乳をするところを見ると、不思議に恍惚うっとりとした眼付をして、莞爾莞爾にこにこしながら、子供の顔にやさしい接吻の雨を降らせるものだ。
小さきもの (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
空は、往来から見上げた時より、ずっと近くに見えるので、ロッティは恍惚うっとりとなってしまいました。
雪江さんのかおばかり見ていると、いつしか私は現実を離れて、恍惚うっとりとなって、雪江さんが何だか私の……さいでもない、情人ラヴでもない……何だか斯う其様そんなような者に思われて
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
彼はけちな、直きあかい顔をする中学生ではない。母親の横顔はつい三四人隔てて見えているのに、実際油井の握って離さないのは自分の手だという歓びが、みのえを恍惚うっとりさせた。
未開な風景 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
もう春もいつしか過ぎて夏の初めとなって、木々の青葉がそよそよと吹く風に揺れて、何とのう恍惚うっとりとする日である。人里を離れて独りで柴を刈っていると、二郎は体中汗ばんで来た。
稚子ヶ淵 (新字新仮名) / 小川未明(著)
と言って恍惚うっとりとさせてしまったことほど、能登守の男ぶりが立優たちまさって見えました。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
僕はその枕元にツクネンとあっけにとられてながめていると、やがて恍惚うっとりとした眼をひらいてフト僕の方を御覧になって、はじめて気がついて嬉しいという風に、僕をソット引寄て、手枕をさせて横に寐かし
忘れ形見 (新字新仮名) / 若松賤子(著)
春の日の午過ひるすぎなどに、私はよく恍惚うっとりとした魂を、うららかな光に包みながら、御北さんの御浚おさらいを聴くでもなく聴かぬでもなく、ぼんやり私の家の土蔵の白壁に身をたせて、佇立たたずんでいた事がある。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
風が添ったか、紙の幕が、あおつ——煽つ。お稲はことばにつれて、すべてしぐさを思ったか、ふりが手にうっかり乗って、恍惚うっとりと目をみはった。……
陽炎座 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
華やかな笑い声の中に、恍惚うっとりするような妻のうめきが交って、思わずギョッとして、私は顔色を変えた。相手は最早悲哀トリステサではないのであった。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)