山科やましな)” の例文
ある日のこと、よく出かける山科やましなへ行こうと思って出かけたのでありました。山科の農家や田圃は、いつも愉しくしてくれるのです。
蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ (新字新仮名) / 河井寛次郎(著)
山科やましな円山まるやまの謀議の昔を思い返せば、当時の苦衷が再び心の中によみ返って来る。——しかし、もうすべては行く処へ行きついた。
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
大石内蔵助くらのすけ山科やましなを引払った後、在京の同志も、前後して江戸へ下って行ったが、小野寺父子も、いよいよ都を立つことになった。
「この道を真直ぐに行くと山科やましなへ出ることに間違いはありますまいな。時に、この道中には目洗い地蔵というのはございませんか」
彼の山科やましな丿貫べちかんという大の侘茶人がのりを入れた竹器に朝顔の花を生けて紹鴎じょうおうの賞美を受け、「糊つぼ」という一器の形を遺したと共に
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
きやう山科やましな、近松半二の家。さのみ廣からねど、風雅なる家の作りにて、かみかたに床の間、それに近松門左衞門もんざゑもんの畫像の一軸をかけてあり。
近松半二の死 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
ああ、だいぶ遅くなってしまった。山科やましなの里では供奉ぐぶの者達がさぞや待ちかねていることだろう。では、文麻呂。さらばじゃ!
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
まず、ゆるゆると、異った世界の消息などを語りあうことに致しましょう。さいわい、ほど近い山科やましなの里に、私の召使う者の住居があります。
紫大納言 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
山科やましなに着きて、東行の列車に乗りぬ。上等室は他に人もなく、浪子は開ける窓のそばに、父はかなたにして新聞を広げつ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
其後ふっつりM君の消息を聞かなかったが、翌年よくとしある日の新聞に、M君が安心あんしんを求む可く妻子を捨てゝ京都山科やましな天華香洞てんかこうどうはしった事を報じてあった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
都へ入ることは許されなかったので、大津から山科やましな醍醐だいごを通ることとなった。この道筋からは、重衡の北の方、大納言佐殿が忍び住む日野は程近かった。
長歌の反歌で、長歌は、「山科やましな石田いはたの森の、皇神すめがみ幣帛ぬさとり向けて、吾は越えゆく、相坂あふさか山を」云々。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
山科やましな街道追分近くの裏道。冬も近くで畑には何も無い。ところどころ大根の葉の青みが色彩を点じている。あぜの雑木も葉が落ち尽し梢は竹藪と共に風に鳴っている。
取返し物語 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
人足等の総数は二十五萬人に達し、醍醐だいご山科やましな、比叡山雲母坂きらゝざかより大石を引き出すことおびたゞしく、堀普請などは、幾つにも区分けをして奉行衆が代る/″\人夫を督励し
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
山科やましな上醍醐かみだいご寺の宝蔵に「平中将将門へいちゆうじやうまさかど」の髑髏しやれかうべがある。桐の二重箱に入れて、大切にしまつてある。
九代目市川団十郎が『忠臣蔵』の大石内蔵之助くらのすけで、山科やましなの別れに「冬のめぐみ」をかなで、また四国旅行の旅土産たびづとに、「三津の眺め」の唱歌をつくったので、一層評判になった。
女の静養しているという山科やましなの方の在所へ往く道順や向うのところを委しく訊ねると、小村は、君がひとりで往ったのではとても分らない、ひどく分りにくいところだといっていたが
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
雨戸のうちは、相州西鎌倉乱橋みだればし妙長寺みょうちょうじという、法華ほっけ宗の寺の、本堂にとなった八畳の、横に長い置床おきどこの附いた座敷で、向って左手ゆんでに、葛籠つづら革鞄かばんなどを置いたきわに、山科やましなという医学生が
星あかり (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
七月のはじめには山名方が吉田に攻め寄せ、月ずえには細川方は山科やましなに陣をとります。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
先年江戸へ上るとき世話になった駿河本町するがほんまち二丁目、旅籠屋はたごや菱屋与右衛門ひしやよえもん方へ先度せんどの礼かたがた三日程泊り、八月二十四日に京都へ着いて山科やましな三井八郎右衛門みついはちろうえもん四季庵しきあんでまた三日ばかり
とにかく、内蔵助からしてそういう気持であったために、正月の山科やましな会議では、持重派じちょうはが勝ちを制して、今年三月亡君の一周忌を待って事を挙げようというかねての誓約も当分見合せとなった。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
伏見人形に思い出す事多く、祭り日ののぼり立並ぶ景色に松蕈まつたけ添えて画きし不折ふせつの筆など胸に浮びぬ。山科やましなを過ぎて竹藪ばかりの里に入る。左手の小高き岡の向うに大石内蔵助くらのすけの住家今に残れる由。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
近衛このえ殿老女村岡、御蔵おくら小舎人こどねり山科やましな出雲、三条殿家来丹羽豊前ぶぜん、一条殿家来若松もく、久我殿家来春日讃岐さぬき、三条殿家来森寺困幡いなば、一条殿家来入江雅楽うた、大覚寺門跡もんぜき六物ろくぶつ空万くうまん、三条殿家来富田織部。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
早いめに昼食を済ませて、わたしは山科やましなの方へ行ってみた。
田舎がえり (新字新仮名) / 林芙美子(著)
山科やましなを越ゆるあらしの音づれにこたへて動く庭の柴垣
礼厳法師歌集 (新字旧仮名) / 与謝野礼厳(著)
山科やましなや、たけ入日いりひ
哀音 (新字旧仮名) / 末吉安持(著)
まだ山科やましなは過ぎずや
「久太郎(堀秀政)はただちに兵をひきつれ、山科やましなから粟田口あわだぐちへ押し通れ。目的は大津へ出て、安土と坂本との通路を遮断しゃだんするにある」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あつたところでございますか? それは山科やましな驛路えきろからは、四五ちやうほどへだたつてりませう。たけなかすぎまじつた、人氣ひとけのないところでございます。
藪の中 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
姫君の首は死のうとしますが大納言のささやきに負けて尼寺を逃げて山科やましなの里へかくれて大納言の首のかこい者となって髪の毛を生やします。
桜の森の満開の下 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
五か月ぜん山科やましなの停車場に今この墓標のもとす人と相見し彼は、征台の艦中に加藤子爵夫人の書に接して、浪子のすでに世にあらざるを知りつ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
二人は山科やましなの方をさして夜の野路を急いで行った。いったんは男らしく強そうに言ったものの、少年の胸の奥にも三年坂の不安が微かに宿っていた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
竜之助と、薩州の壮士と、棒を持った変人と、三人の姿を山科やましな奴茶屋やっこぢゃやの一間で見ることができました。三人まるくなって、酒をみかわしながら、薩州の壮士いわ
山科やましな木幡こはたやまうまはあれどかちおもひかね 〔巻十一・二四二五〕 柿本人麿歌集
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
下では石清水八幡いはしみづはちまんの本宮の徒と山科やましなの八幡新宮の徒と大喧嘩をしたり、東西両京で陰陽の具までを刻絵きざみゑした男女の神像を供養礼拝して、岐神(さいの神、今の道陸神だうろくじんならん)
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
雨戸あまどうちは、相州さうしう西鎌倉にしかまくら亂橋みだればし妙長寺めうちやうじといふ、法華宗ほつけしうてらの、本堂ほんだうとなつた八でふの、よこなが置床おきどこいた座敷ざしきで、むかつて左手ゆんでに、葛籠つゞら革鞄かばんなどをいたきはに、山科やましなといふ醫學生いがくせい
星あかり (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
七月のはじめには山名方が吉田に攻め寄せ、月ずゑには細川方は山科やましなに陣をとります。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
母親の言ったつくりごとを真に受けて、あの十二月の初め寒い日に、山科やましな在所ざいしょという在所を、一日重い土産物みやげものなどを両手にさげて探し廻ったこと、それから去年の暮のしかも二十九日に押し迫って
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
山科やましなの里まで行けば、供奉ぐぶの者がたくさん待っているそうだから……
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
越路こしぢの「山科やましな」11・13(夕)
竹藪続きの山科やましな街道。
だから逢坂山を経、山科やましなをこえ、やがて洛中の屋根が一ト目に見えだすと、ものめずらしげに、うだるような汗もわすれて、どよめきあった。
が、あの山科やましなの駅路では、とてもそんな事は出来ません。そこでわたしは山の中へ、あの夫婦をつれこむ工夫くふうをしました。
藪の中 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
昨日きのう奈良ならより宇治に宿りて、平等院を見、扇の芝の昔をとむらい、今日きょう山科やましなの停車場より大津おおつかたへ行かんとするなり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
「木幡」は地名、山城の木幡こはたで、天智天皇の御陵のある山科やましなに近く、古くは、「山科の木幡こはたの山を馬はあれど」(巻十一・二四二五)ともある如く、山科の木幡とも云った。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
ひとりおぼろげな足どりをして、しょんぼりと、月夜の下に見えつ隠れつして、ふらふらと辿たどり行くのは、三条から白川橋、東海道の本筋の夜の道、蹴上けあげ、千本松、日岡ひのおか、やがて山科やましな
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
秋の宵はまだいぬの刻(午後八時)をすぎて間もないのに、山科やましなの村は明かるい月の下に眠っていた。どこのいえからも灯のかげは洩れていなかった。大きい柿の木の下に藻は立ちどまった。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
深草から醍醐だいご、小野の里、山科やましなへ通う峠の路も歩いたし、市街ときては、何処を歩いても迷う心配のない街だから、伏見から歩きはじめて、夕方、北野の天神様にぶつかって慌てたことがあった。
日本文化私観 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
驚きひるむ原士の前に、降って湧いたように立っていた編笠は、前の日、山科やましなから三挺の駕の行方を追跡していた常木鴻山こうざん
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、あの山科やましな驛路えきろでは、とてもそんなこと出來できません。そこでわたしはやまなかへ、あの夫婦ふうふをつれこむ工夫くふうをしました。
藪の中 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)