にお)” の例文
「いいかおりがする。あれは、すずらんのはなにおいだよ。」と、おとうさんはほどちかくに、しろいているはなつけておしえられました。
さまざまな生い立ち (新字新仮名) / 小川未明(著)
よい香りは、村の後ろの高い山の方からにおってきました。爺さんは天狗鼻をうそうそさせながら、山の奥へ奥へと登って行きました。
天狗の鼻 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
それが秋の日にかすかににおった。私はそのかすかな日の匂いに、いつかの麦藁帽子の匂いを思い出した。私はひどく息をはずませた。
麦藁帽子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
村はうららかな日にかすんでいた。麦は色づき始め、菜の花が黄色く彩どっていた。うぐいすが山に鳴き家々の庭には沈丁香じんちょうげの花がにおっていた。
妙法寺の境内けいだいに居た時のように、落合の火葬場の煙突がすぐ背後に見えて、雨の日なんぞは、きなくさい人を焼くにおいが流れて来た。
落合町山川記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
蔬菜の浅黄いろを眼にませるように香辛入りの酢がにおう。それは初冬ながら、もはや早春が訪れでもしたようなさわやかさであった。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
時としては青黒い苔桃こけもものような甘っぽい空疎な味であるが、しかし少なくとも大地のにおいをもっている、まだ若々しい芸術である。
しめやかな薫香くんこうにおいに深く包まれておいでになることも、柔らかに大将の官能を刺激しげきする、きわめて上品な可憐かれんさのある方であった。
源氏物語:39 夕霧一 (新字新仮名) / 紫式部(著)
……だが、彼はそれを払いのけるように首を振って、まだ冷えた冬の外気のにおいがする妻の身体を抱く両手に、力をこめていった。
待っている女 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
いや、争う場合に、切り落されるという例もままあるから、その指は、あまりあかしにはならぬ。もっと重要なことは、女の髪油のにおいだ。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ヘリオトロープのにおいがする。また大急ぎでここへ書きこむ。甘ったるいにおい、後家さんの色、こいつは夏の夕方の描写に使おう、とね。
けれどもこの論法を用うるためには『より善い半ば』よりも『より悪い半ば』——即ち桜の花のにおいを肯定しなければなりません。
侏儒の言葉 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
その地車の後から近所の娘たちがぞろぞろとついて行くところは、まだ何んといっても、徳川期のにおいを多量に含んでいたものだ。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
ことに国語のうるわしいにおい・つや・うるおいなどは、かつて我々の親たちの感じたものを、今もまだ彼らだけは感じているように思う。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
アメリカから買って帰った上等の香水をふりかけたにおだまからかすかながらきわめて上品な芳芬ほうふんを静かに部屋の中にまき散らしていた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
若葉のにおうような五月はじめのある朝、大石先生は校門をくぐるなり、一年生の西村勝子の待ちかまえていたらしい姿に出あった。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
見わたす限りこのような野生のひな罌粟のくれないに染まり、真昼の車窓に映り合うどの顔も、ほの明るくにおいさざめくように見えた。
罌粟の中 (新字新仮名) / 横光利一(著)
その民族のにおいと誇りとを持っているものであります。我が日本の文芸もまた日本に生れるべき運命を持って生れて来た文芸であります。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
お杉は避けようとはせず、つかまれたままじっとしていた。星の明るい夜で、かなり暖かく、薬園のほうから沈丁花がにおって来た。
ほのかなヘリオトロープのにおい、そして、息を殺す明智の眼の前を、白いもやのようなものがスーッと通りすぎたのだが、その時
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
におう藤沢の、野面のおもに続く平塚も、もとのあわれは大磯おおいそか。かわず鳴くなる小田原は。……(極悪きまりわるげに)……もうあとは忘れました。
海神別荘 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
小型ノ六十圓ノ事ダッタノデ木村ガ前ニ掛ケタ。ブランデーノにおイガ襦袢ヤ衣裳いしょうニ浸ミ通ッテイテ車ノ中ガせ返ルヨウダッタ。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ありません。その代りお直段ねだんは少し高うございますけれども京都の本場で、昨日きのうれた品ですからこの通りまだにおいが抜けません
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
あなたにも覚えがあるでしょう、生れた所は空気の色が違います、土地のにおいも格別です、父や母の記憶もこまやかにただよっています。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
顔を伏せるようにして、女は、たもとの端を噛みながら低声こごえにいった。白粉のにおいと温泉の匂いとが、静かに女の肌から発散した。
機関車 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
「鉄砲の音のようでした。驚いて音のした方へ飛んで行くと、川の方へ向いた部屋は煙硝えんしょうにおいで、お仏壇の前には、旦那がこんな具合に」
におわしてもない。しかし、私としては、そんな心持ちが自分の内に動いて来たというだけでも、子供らによろこんでもらえるように思った。
分配 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「ああッ、ああッ、あーあ。はて、おれは、さっきまで、一体なにしていたのかなあ。おや、これは妙だ。へんなにおいがする」
地底戦車の怪人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
言換えると『浮雲』の描写は直線的に極めて鋭どく、色彩や情趣に欠けている代りには露西亜の作風の新らしいにおいがあった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
そこで私はその花を摘んで、自分の鼻の先でにおうて見る。何という花だか知らないがいい匂である。指でつまんでくるくるとまわしながら歩く。
仏教の盛んな土地だけに、町全体の雰囲気には近代のにおいが全くなく、科学などというものには、およそ無縁の土地であった。
簪を挿した蛇 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
義姉だけはまだ逗留とうりゅうしていたが、家のうちは急に静かになった。床の間の骨壺のまわりには菊の花がひっそりとにおっている。
死のなかの風景 (新字新仮名) / 原民喜(著)
橘の姫は、津と和泉の人ととが相果てたほとりに、未だ化粧のにおわせたまま頭を土手の方に向けてあえなくなっていた。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
御小刀おこがたなの跡におう梅桜、花弁はなびら一片ひとひらかかせじと大事にして、昼は御恩賜おんめぐみかしらしかざせば我為わがための玉の冠、かりそめの立居たちいにもつけおちるをいと
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
あそこには、理想の高いにおいが無いばかりか、生活の影さえ稀薄きはくだ。演劇を生活している、とでもいうような根強さが無い。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
と金原は言って、さも軍の用務を帯びて来たかのようなことをにおわせた。こんなところへ来る以上、ただ者でないことは察したらしい歩哨が
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
その日も暮れて、暗くて暑い、『死せるがごとき』セヴィリヤの夜が訪れた。空気は『月桂樹とレモンの香ににおって』いる。
笑っていいか、泣いていいかわからないもののように、白いにおわしい美女の顔はゆがみ、紅い唇は、熱烈な呼吸に乾いて来る。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
この思慕エロスは彼の俳句に一貫しているテーマであって、独得の人なつかしい俳味の中で、ねぎにおいのようにけ流れている。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
本棚のしみを防ぐ樟脳しょうのうの目にしむ如きにおいは久しくこの座敷に来なかったわたしの怠慢を詰責きっせきするもののように思われた。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
お庄は一人で暗い外へ出ると、温かい湯のにおいのする溝際どぶぎわについて、ぐんぐん歩いて行ったが、どこへ行っても同じような家と町ばかりであった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「露の落つる音」とか「梅の月がにおふ」とかいうことをいうてたのしむ歌よみが多く候えども、これらも面白からぬ嘘に候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
ここではあらゆるのぞみがみんなきよめられている。ねがいの数はみなしずめられている。重力じゅうりょくたがいされつめたいまるめろのにおいが浮動ふどうするばかりだ。
インドラの網 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
と子供らは歌いながらあっちこっちの横町や露路に遊び疲れた足を物のにおいの漂う家路へと夕餉ゆうげのために散って行く。
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
老婦はお宮の絹手巾きぬハンケチで包んだ林檎りんごを包みのまま差し出した。手に取り上げて見るとお宮と一緒にいるようなかおりの高い香水のにおいが立ち迷うている。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
その友人というのは、咲きにおうような妻子をもっていて、みんなが強い愛情でむすばれていた。彼は熱心に言った。
(新字新仮名) / ワシントン・アーヴィング(著)
うなぎはにおいをいだだけでもめしが食えると下人げにんはいうくらいだから、なるほど、特に美味いものにはちがいない。
鰻の話 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
三吉があわてて電灯の灯の方へ顔をむけると、気のいい人の要慎ようじんなさで、白粉おしろいにおいと一緒に顔をくっつけながら
白い道 (新字新仮名) / 徳永直(著)
氷と雲とにおおわれたはだかの岩山が谷をとりまいていました。ヤナギとコケモモがきそろい、よいかおりのするセンオウはあまにおいをひろげていました。
靴も脱がずに外からのぞき込むのでしたが、あたりの森閑とした静けさといい、古びた昔のにおいといいいかにも昔祖母の語った怪奇な話が思い出されて
棚田裁判長の怪死 (新字新仮名) / 橘外男(著)