“せいき”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:セイキ
語句割合
旌旗26.2%
生気19.2%
凄気15.4%
正気6.9%
世紀6.2%
腥気3.1%
清規2.3%
清輝2.3%
生氣2.3%
精氣2.3%
成規1.5%
正氣1.5%
精気1.5%
凄氣0.8%
制規0.8%
悽気0.8%
成器0.8%
族旗0.8%
星旗0.8%
星輝0.8%
正旗0.8%
清気0.8%
腥氣0.8%
青帰0.8%
青気0.8%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
それに、双方とも長い旌旗せいきを持っているのですが、僕は最初、それを旌旗の入れ違いから推断して、犯人の殺人宣言と解釈したのです。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
風が変って海霧が流れ、雲とも煙ともつかぬ灰色の混濁の間から、雪を頂いた、生気せいきのない陰鬱な島の輪郭がぼんやりとあらわれだしてきた。
海豹島 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「しかし、あの虹の告げ口だけは、どうすることも出来ません」と法水はさらに急追を休めず、凄気せいきを双眼にうかべて云い放った。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
あのうたた気持きもち——正気せいきのあるような、またいような、んともえぬうつらうつらした気分きぶんなのでございます。
十七世紀せいきには王さまたちがエーランド島へよくりにおいでになりましたが、そのころは、領地ぜんたいがシカの猟苑りょうえんになっていました。
彼は、湯鑵ゆがまに新しく水をいれて来て火鉢に炭をつぎ添へてかけた。彼は水にやかましかつた。近所の井戸のものには腥気せいきがあるとか、鹹気かんきがあるとかいつて用ひなかつた。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
コロムボで名高い釈迦仏陀寺ぶだじふたが、近年スマンガラ僧正の歿後は僧堂の清規せいきふるはないらしく、大勢の黄袈裟きげさを着けた修行僧は集まつて居るが、寺内じないの不潔に呆れる外は無かつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
当時、この国では初めて二隻の新艦を製し、清輝せいき筑波つくばと名づけ、明治十二年の春にその処女航海を試みて大変な評判を取ったころである。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ホンノリ血の色がいて處女しよぢよ生氣せいき微動びどうしてゐるかと思はれる、また其の微動している生氣を柔にひツくるめて生々うい/\しくきよらかな肌の色==花で謂つたら、丁度ちやうど淡紅色の櫻草さくらさうの花に髣髴さもにてゐる
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
天之を生みて、天之をころす、一に天にまかさんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殼くかくは則ち天をおさむるの室なり。精氣せいきの物と爲るや、天此の室にぐうす。遊魂いうこんへんを爲すや、天此の室をはなる。
いづ示談に成りませうが、私の職務ですから成規せいきとほりに執行致しませう。』
執達吏 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
〔譯〕濁水だくすゐも亦水なり、一ちようすれば則ち清水せいすゐとなる。客氣きやくきも亦氣なり、一てんすれば則ち正氣せいきとなる。きやくふの工夫は、只是れ己に克つなり、只是れ禮にかへるなり。
雪中をする人陰嚢いんのう綿わたにてつゝむ事をす、しかせざれば陰嚢いんのうまづこほり精気せいきつくる也。又凍死こゞえしゝたるを湯火たうくわをもつてあたゝむればたすかる事あれども武火つよきひ熱湯あつきゆもちふべからず。
此時このときは一しゆべからざるの凄氣せいきたれたのである。此所こゝこれ、千すう年前ねんぜんひとほうむつた墳墓ふんぼである。その内部ないぶきながらつてつのである。白骨はくこつけるにあらぬか。
あづかる者ゆゑ天下の條目でうもく成敗せいはいの道も少は心得つらんが中にも重きばつといふは婚姻こんいんさまだげの罪科ざいくわなり之をばおもく爲時は死罪しざいの刑に處する可し又かるくなす其時は遠島とする制規せいきなるが其方之等を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
いや、たんなる山颪やまおろしとも思えないそれは悽気せいきをふくんだ家鳴りをなし、とたんに、天井でも落ちてきたような塵埃じんあいのかたまりが、墨みたいに捕手たちの松明たいまつを吹きつつんだ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長子こんあざな止所ししょが家を嗣いだ。号は厚朴軒こうぼくけんである。艮の子成器せいきは陸軍砲兵大尉である。成器さんは下総国市川町いちかわまちに住んでいて、厚朴軒さんもその家にいる。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
武都・陰平の二城を取った孔明は、さしずめ戦後の経策と撫民ぶみんのため、そのほうへ出向いているにちがいない。祁山きざんの本陣には依然、孔明がいるような族旗せいきが望まれるが、おそらく擬勢であろう。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
即ち星輝せいきびたる波の岸に碎くる處、漁父の歌ふ處、涼風の面をつ處なり。歩みて晝間過ぎし所の石橋の上に至りぬ。この時一人の身に大外套を被り、せはしげに我傍を馳せ去りたるあり。
是は姫路に妹婿土方伴ひぢかたはん正旗せいきを訪ひ、鳥取に顕忠寺中の兄田中悌庵が墓を展したのださうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
母屋おもやから廊下傳ひに續いて、其處にはおびたゞしい金銀と、數代にわたつてたくはへた骨董こつとう類が入れてあるのですが、三重の扉を開くとムツと腥氣せいきが漂つて、一歩踏み込んだ孫三郎も、思はず足を淀ませました。
そのもくを挙ぐれば、煩悶異文弁はんもんいぶんべん仏説阿弥陀経碑ぶっせつあみだきょうひ、春秋外伝国語ばつ荘子注疏そうしちゅうそ跋、儀礼跋、八分書孝経はちふんしょこうきょう跋、橘録きつろく跋、冲虚至徳真経釈文ちゅうきょしとくしんきょうしゃくぶん跋、青帰せいき書目蔵書目録跋、活字板左伝さでん跋、宋本校正病源候論跋
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
すると、かばねの山から一道の青気せいきがのぼって、空中に、霧の如く、ひとりの左慈が姿を見せた。左慈はそのとき、白い鶴に乗っていた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)