野分のわき)” の例文
遼東りょうとう大野たいやを吹きめぐって、黒い日を海に吹き落そうとする野分のわきの中に、松樹山しょうじゅざんの突撃は予定のごとく行われた。時は午後一時である。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
夏山 夏野 夏木立なつこだち 青嵐 五月雨さみだれ 雲の峰 秋風 野分のわき 霧 稲妻 あまがわ 星月夜 刈田 こがらし 冬枯ふゆがれ 冬木立 枯野 雪 時雨しぐれ くじら
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
野分のわきに伏した草むらや、白い流れや、眼をやる所に、おとといのいくさたおれた敵味方のかばねが、まだ一個も片づけられずにある。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
野分のわき立った朝、尼はその女のもとに菓子などを持って来ながら、いつものように色のめた衣をかついだ女を前にして、何か慰めるように
曠野 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
紫の女王の美は昔の野分のわきの夕べよりもさらに加わっているに違いないと思うと、ただその一事だけで胸がとどろきやまない。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
あたりはやがてひんやりと野分のわきふく秋の末のように、不思議な索莫さに閉ざされてきた。これはただごとではないらしい。
長崎の鐘 (新字新仮名) / 永井隆(著)
芭蕉ばしょう野分のわきして」の句では戸外に荒るる騒音の中からたらいに落つる雨漏りの音をクローズアップに写し出したものである。
映画芸術 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
これは勿論国技館の影の境内けいだいに落ちる回向院ではない。まだ野分のわきの朝などには鼠小僧ねずみこぞうの墓のあたりにも銀杏落葉いちょうおちばの山の出来る二昔前ふたむかしまえの回向院である。
少年 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
野にはもう北国の荒い野分のわきが吹きはじまって、きびの道つづきや、里芋の畑の間を人足どもの慌しい歩調がつづいた。
性に眼覚める頃 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
ただ薄尾花が一面の原野をなしているのだから、月に乗じて行く白衣の人の影は、そのまま銀のようにかがやいて、野分のわきに吹かれて漂うて行くばかりです。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
おもんが亡くなったのは十月下旬の、すさまじく野分のわきの吹きわたる夜だった。彼女はおせんを枕許まくらもとに坐らせ、その手を握って、じっとなにかを待つようにみえた。
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
山影やまかげながらさつ野分のわきして、芙蓉ふようむせなみ繁吹しぶきに、ちひさりんにじつ——あら、綺麗きれいだこと——それどころかい、馬鹿ばかへ——をとこむねたらひ引添ひきそひておよぐにこそ。
婦人十一題 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
武蔵野の冬の夜更けて星斗闌干せいとらんかんたる時、星をも吹き落としそうな野分のわきがすさまじく林をわたる音を、自分はしばしば日記に書いた。風の音は人の思いを遠くに誘う。
武蔵野 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
〽仮りの姿や友千鳥、野分のわき汐風いずれもに、かかる所の秋なりけり、あら心すごの夜すがらやな……
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
掏摸すりだ! 掏摸だアッ! とののしりさわいで、背後の人々が一団となって揺れあっている。腕が飛ぶ拳が振りあがる、なぐる蹴る。道ぜんたいが野分のわきのすすきのよう……。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
野分のわきの後のような大混乱の店先に、ガラッ八の糞力に組み伏せられて、フウフウ言っているのは、誰あろう、石原利助の一の子分、伊三松の忿怒ふんぬに歪む顔だったのです。
清治はうけたまわって引っ返そうとすると、またひとしきり強い嵐が足をすくうように吹き寄せて来て、彼は野分のわきになぎ伏せられたすすきのように両膝を折って倒れた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
黄ろくからびた刈科かりかぶをわたッて烈しく吹きつける野分のわきに催されて、そりかえッた細かな落ち葉があわただしく起き上り、林に沿うた往来を横ぎって、自分の側を駈け通ッた
あいびき (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
たゞ此かげに遊びて風雨にやぶやすきをあいす「はせを野分のわきしてたらひに雨をきく夜哉」此芭蕉庵の旧蹟きうせきふか清澄町きよすみちやう万年橋の南づめむかひたる今或侯あるこう庭中ていちゆうに在り、古池のあと今に存せりとぞ。
栗の林に野分のわきたちて、庫裡くりの奥庭に一葉ちるもさびしく、風の音にコホロギの声寒し。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
そういう支度で出かけたが、あまり野分のわきが吹きまくるので、途中で馬の荷を締め直す。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
さくで囲って、石を積み上げて、五輪の塔を据えたのもあり、簡単なのは、屍体を一枚のむしろで蔽うて、しるしの花を供えたゞけのものもあったが、中には又、此の間の野分のわきで卒塔婆が倒れ
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
常夏とこなつの国ではない我が日本国にあっては平均すると寒い期間、即ち影をひそめていなければならない期間の方が、多いようだから従って苦労も多い、そろそろと世も野分のわきの時分ともなれば
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
野分のわきのひどく吹き荒れている日でございまして、私たちはそのお綺麗な奥さんからお習字をならっていまして、奥さんが私の傍をとおった時に、どうしたはずみか、私の硯箱すずりばこがひっくりかえり
男女同権 (新字新仮名) / 太宰治(著)
野分のわきよさらば駆けゆけ。目とむればくさ紅葉もみぢすとひとは言へど
詩集夏花 (新字旧仮名) / 伊東静雄(著)
勢いよく吹くのは野分のわきの横風……変則のにおぶくろ……血腥ちなまぐさい。
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
野分のわきだちかけりつぎ來る秋鳥のきそふ鋭聲とごゑ朝明あさけまされり
白南風 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
大馬の黒の背鞍に乗りがほのをひはれぬ野分のわきする家
舞姫 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
夏をむねと作ればいお野分のわきかな 也有やゆう
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
脚早あはや野分のわきは、うしろざむ
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
野分のわきの後の水たまりは、まだ所々小さい湖水を作っているが、おとといのれは嘘のように、もずは低く飛び、空のあおさは、高く澄みきっている。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
野分のわきふうに風が出て肌寒はださむの覚えられる日の夕方に、平生よりもいっそう故人がお思われになって、靫負ゆげい命婦みょうぶという人を使いとしてお出しになった。
源氏物語:01 桐壺 (新字新仮名) / 紫式部(著)
吹き募る野分のわきともに烟を砕いて、丸く渦を巻いてほとばしる鼻を、元の如く窓へ圧し返そうとする。風に喰い留められた渦は一度になだれて空に流れ込む。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
野分のわき」「二百十日」こういう言葉も外国人にとっては空虚なただの言葉として響くだけであろう。
日本人の自然観 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
その後にある一間ばかりの丈の赤松の根元に二枚の板をもたせ置けるあり。こは前日の野分のわきに倒れたるを母などが引き起して仮初かりそめの板を置きそれで支へるつもりなり。
明治卅三年十月十五日記事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
その野分のわきに、衣紋えもんが崩れて、つまが乱れた。旦那の頭は下掻したがいの褄を裂いたていに、紅入友染べにいりゆうぜんの、膝の長襦袢ながじゅばんにのめずって、靴足袋をぬいと二ツ、仕切を空へ突出したと思え。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
大笑すると、両頬のひげが野分のわきの草のようにゆらぐ、忠相は心配そうな眼つきをした。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
たゞ此かげに遊びて風雨にやぶやすきをあいす「はせを野分のわきしてたらひに雨をきく夜哉」此芭蕉庵の旧蹟きうせきふか清澄町きよすみちやう万年橋の南づめむかひたる今或侯あるこう庭中ていちゆうに在り、古池のあと今に存せりとぞ。
ちなみに言ふ、追分おひわけには「吹き飛ばす石は浅間あさま野分のわきかな」の句碑あるよし。
病牀雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
ひどいあらしだったね。野分のわきというものなのかしら。これでは、アメリカの進駐軍もおどろいているだろう。E市にも、四、五百人来ているそうだが、まだこの辺には、いちども現われないようだ。
パンドラの匣 (新字新仮名) / 太宰治(著)
漱石氏が『野分のわき』の中でたった一枚梢に残っている桐の葉が、風に揺られて落ちるところを細叙したのは、それを見ている病人の心持と相俟あいまつ点があって、必ずしも自然の写生ばかりではないが
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
野分のわき夜半よはこそたのしけれ。そはなつかしくさびしきゆふぐれの
詩集夏花 (新字旧仮名) / 伊東静雄(著)
野分のわきだちかけりつぎ来る秋鳥のきそふ鋭声とごゑ朝明あさけまされり
白南風 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
野分のわきの風がさっと吹き渡ると、薄尾花すすきおばなが揺れます。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
我が息を吹きとゞめたる野分のわきかな
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
野分のわきが吹いて瓦が泣く。
長崎の鐘 (新字新仮名) / 永井隆(著)
草がのび草が枯れ、いつも蒼々そうそうたる野分のわきのそよぎがあるほか、春秋一様な転変をくりかえしているに似た武蔵野の原にも時と人との推移があります。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
風が野分のわきふうに吹く夕方に、大将は昔のことを思い出して、ほのかにだけは見ることができた人だったのにと、過ぎ去った秋の夕べが恋しく思われるとともに
源氏物語:41 御法 (新字新仮名) / 紫式部(著)
例年なら今頃はとくに葉をふるって、から坊主になって、野分のわきのなかにうなっているのだが、今年ことしは全く破格な時候なので、高い枝がことごとく美しい葉をつけている。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そうしてモンスーンのないかの地にはほんとうの「春風」「秋風」がなく、またかの地には「野分のわき」がなく「五月雨さみだれ」がなく「しぐれ」がなく、「柿紅葉かきもみじ」がなく「霜柱」もない。
連句雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)