“砌(みぎり)” の例文
あの夜逃がしてつかわす砌(みぎり)、もしや重罪人であってはならぬと、のちのち迄の見覚えに、奴めの頤(あご)に目印の疵をつけておいたのじゃ。
大正六年に京都行啓の砌(みぎり)、京都市公会堂で、梅の木を配して鶯の初音をきいている享保時代の娘を描(えが)きました。初音と題しました。
付させられ懷姙(くわいにん)し母お三婆の許(もと)へ歸る砌(みぎり)御手づから御墨付(すみつき)と御短刀(たんたう)を添(そへ)て下し置れしが御懷姙の若君(わかぎみ)は御誕生(たんじやう)の夜空(むな)しく逝去遊(おかくれあそ)ばせしを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
彼の朝鮮征伐の砌(みぎり)これは名産の薬用人参で候(そろ)と朝鮮人に騙されそれを真に受けてこれこそ貴い朝鮮人参だと信じて携え帰ったものらしい。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
その砌(みぎり)は、御ふびんと思召し、このかねにていかよう共、御始末たまわりたく、途上の仁人とおやくにん様方へ、おねがい申上げおきそろ
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大抵(たいてい)此(これ)には昔(むかし)の名僧(めいそう)の話(はなし)が伴(ともな)つて居(ゐ)て、いづれも讀經(どきやう)の折(をり)、誦念(しようねん)の砌(みぎり)に、其(そ)の喧噪(さわがし)さを憎(にく)んで、聲(こゑ)を封(ふう)じたと言(い)ふのである。坊(ばう)さんは偉(えら)い。
番茶話 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
家康の軍勢に大垣城が取囲まれ、落城する砌(みぎり)の実状を、そのとき城中にあった、おあんという女の想い出話の記録であります。
仏教人生読本 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
また一挙の後、老中自訴の砌(みぎり)、誰か惣代にならねば口上区々となって不都合を生ずる。これは、金君からかねて斎藤君へお願い申してある。
『七面鳥』と『忘れ褌』 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
かかる砌(みぎり)にも思う人は出来るものぞとか、月いでて後の帰るさに、宵までは見ず知らずの男と女とが、肩をつらねて語りつつ行くもおかし。
残されたる江戸 (新字新仮名) / 柴田流星(著)
(高綱はなほ答へず。)その砌(みぎり)、父が申しまするには、其方は叔父上のおん供して、今夕刻よりつゞいて出發いたせと……。
佐々木高綱 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
「隣村萩原村慶長年暦御検地の砌(みぎり)、皮田の者三人之由、此節にては多人数に相成、野山等苅込にて、本郷一統迷惑に及び」
特殊部落の人口増殖 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
幸い、先年長崎留学の砌(みぎり)、蘭語少々は記憶いたしてござるほどに、それを種といたし、共々このターヘルアナトミアを読みかかろうではござらぬか
蘭学事始 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
万法蔵院の婢女が、息をきらして走って来て、何時もなら、許されて居ぬ無作法で、近々と、廬の砌(みぎり)に立って叫んだ。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
ところが夏民藝館の田中洋子さんが九州帰省の砌(みぎり)、土地の窯々を訪ねる旅に出たので、是非多々良に立寄ってもらうことを頼むのを忘れませんでした。
多々良の雑器 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
前田利家や浅野長政からも、又秀吉の後たるべき三好秀次からも、明年小田原征伐の砌(みぎり)は兵を出して武臣の職責を尽すべきである、と云って来ている。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
秀次高野山で生害の砌(みぎり)、介錯を勤めたのは篠部淡路守、刀は浪游(なみおよぎ)と云う兼光の業物であったが、此の記事に依ると
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
晋の趙簡子(ちょうかんし)の所から荘公に使が来た。衛侯亡命の砌(みぎり)、及ばず乍(なが)ら御援け申した所、帰国後一向に御挨拶が無い。
盈虚 (新字新仮名) / 中島敦(著)
万が一にも雑兵(ぞうひょう)乱入の砌(みぎり)などには却(かえ)って僧形(そうぎょう)の方が御一統がたの介抱を申上げるにも好都合かと思い返し、慣れぬ手に薙刀(なぎなた)をとるだけのことに致しました。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
不束(ふつつか)ながら行末は儒者とも相(あい)なり家名を揚げたき心願にて有之候処、十五歳の春、父上は殿様御帰国の砌(みぎり)御供廻(おともまわり)仰付(おおせつ)けられそのまま御国詰(おくにづめ)になされ候に依(よ)り
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
私は日向(ひうが)國耳川(川口は神武天皇御東征の砌(みぎり)其處から初めて船を出されたといふ美々津港になつてゐます)
文化二年に武公治紀(はるとし)が家督して、四年九月九日に十代目眞志屋五郎兵衞が先祖書を差し出した。「先祖儀御入國の砌(みぎり)御供仕來元和年中引續」云々(うんぬん)と書してある。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
吉原開基の砌(みぎり)より寛永年中まで、吉原町の役目として、御評定所へ太夫遊女三人宛(ずつ)、御給仕に上りし也。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
または軍人の妻女が良人出陣の砌(みぎり)に痴情の涙を湛(たた)えて離別を惜しむと、あるいは潔(いさぎよ)く袂(たもと)を別ちて奉公義勇の精神を鼓吹(こすい)するとは、そのいずれか国家の富強に益あるか
国民教育の複本位 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
それはかつて欧洲大戦の砌(みぎり)、遥々(はるばる)欧洲の戦場に参戦して不幸にも陣歿したわが義勇兵たちのため建立(こんりゅう)してあった忠魂塔と、同じ形同じ大きさの記念塔をもう一つ作って
東京要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
すると築土は微笑したが、「その砌(みぎり)たしか天草殿には、巻軸をお持ち出しなされた由で」
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
もっともこの速記本の上梓(じょうし)されたは明治十七年、作者四十六歳の砌(みぎり)であるから、すこんからんと派手に画面の大見得を切った芝居噺のころの構成とはよほど異なっていることだろう。
そこには宮殿の楼閣が参差(しんし)と列っていて、その間には珍しい木や草が花をつけていた。すこし行くと大きな殿堂がきた。それは白壁の柱で、砌(みぎり)に青玉を敷き、牀(こしかけ)には珊瑚を用いてあった。
柳毅伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
當初御萱堂(ごけんだう)不幸之砌(みぎり)、存寄(ぞんじよ)らざる儀とは申(まうし)ながら、拙者の身上共禍因と連係候故、報謝の一端にもと志候御世話も、此の如く相終候上は、最早債を償(つぐの)ひ劵(ふだ)を折候と同じく、何の恩讐(おんしう)も無之
爺さんに聞いたら、果して其は事実であった。其後爺さんは湘南漫遊の砌(みぎり)老父が許(もと)に立寄って、八十八の旧患者は八十一の旧医師と互に白鬚を撫して五十年前崎陽の昔を語ると云う一幕があった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎、徳冨蘆花(著)
彼の父親は、大坂城代部下の、一勘定(かんじょう)役人であったが、お城修理の砌(みぎり)、作事奉行配下の、腕自慢の侍と口論し、筋が立っていたので、その場は言い分を通したが、程経て、闇打ちに会ってしまった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
熊本藩横井平四郎、壮年の砌(みぎり)諸国遊歴いたし、国々人物を尋ね廻(めぐ)り、人材と彼らが目し候人に、その後名を挙げざる者はこれ無く、加州の長沼某と申す者ただ一人、その名顕(あら)われざるよしに御座候。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
与作病死の砌(みぎり)より、専(もつぱ)ら切支丹宗門に帰依(きえ)致し、隣村の伴天連(ばてれん)ろどりげと申す者方へ、繁々出入(でいり)致し候間、当村内にても、右伴天連の妾(てかけ)と相成候由、取沙汰致す者なども有之、兎角の批評絶え申さず
尾形了斎覚え書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
取りましたが、その果合の砌(みぎり)、綱手殿が、二人の中へ、割って入り、止めようとなされたのへ——過ち、と申そうより未熟、不覚、血迷っていたと申しましょうか、打ち込んだ刀が、止まらずに、急所へ斬込み——
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
おとなひて待つ間(ま)は久し檐板(のきいた)の影は砌(みぎり)の外(そと)に移りぬ
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
の砌(みぎり)敢(あえ)なくも鉄の門扉(とびら)を
鬼桃太郎 (新字新仮名) / 尾崎紅葉(著)
燒け野つ原の砌(みぎり)の上で
駱駝の瘤にまたがつて (旧字旧仮名) / 三好達治(著)
そのほか戰場(せんぢやう)の砌(みぎり)は
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
「大慈大悲(だいじだいひ)、観世音(かんぜおん)。おなくなりの母ぎみも、あなたにお疎(うと)しかろうとは存ぜぬ。が、その砌(みぎり)、何ぞ怪我でもなさったか。」
菊あわせ (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
着御(ちゃくぎょ)の、その夜は休んで、あくる日、道誉は隠岐ノ判官佐々木清高を伴(ともな)って、御堂の縁の砌(みぎり)に、二人してひざまずき
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『御した』というのは、主上ご食事の砌(みぎり)ご正膳の外に、副膳を奉るのであるが、その副膳のことを称えるのである。
にらみ鯛 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
趣味の江戸ッ児はかくして常にこの唄にそそられ、建前のここかしこ、もしは祭りの日、物の催しの砌(みぎり)など、折りおりにこれを聞いては盃の数もめぐる。
残されたる江戸 (新字新仮名) / 柴田流星(著)
「左様でござります。政高公御最期の砌(みぎり)、お傷(いた)わしくも御遺骸(おんなきがら)に大切なものが缺けていらしった筈でござります」
桓武天皇崩御の砌(みぎり)は、慟哭して起つ事が出来なかつたと伝へて居る。其血は、皇孫行平・業平にも引いて居る。
万葉集のなり立ち (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
万が一にも雑兵(ぞうひょう)乱入の砌(みぎり)などには却(かえ)つて僧形(そうぎょう)の方が御一統がたの介抱を申上げるにも好都合かと思ひ返し、慣れぬ手に薙刀(なぎなた)をとるだけのことに致しました。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
引又所持(しよぢ)の鼻紙(はながみ)入が殺害(せつがい)人の傍邊(かたはら)に落(おち)て在しと申が此儀は如何なるぞと糺(たゞ)さるゝに九助は其儀は同日私し儀も金谷村の法會(ほふゑ)の席(せき)へ參り居り混雜(こんざつ)の砌(みぎり)鼻紙入を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ついこの春でござりました。念日様が御弘法旁々(ごぐほうかたがた)御修行のお山の川を下って岩淵の宿へおいでの砌(みぎり)、ついした事から割りない仲となりましたのでござります。
予には比企(ひき)の判官能員(よしかず)の娘若狹といへる側女(そばめ)ありしが、能員ほろびし其(その)砌(みぎり)に、不憫(ふびん)や若狹も世を去つた。今より後はそちが二代の側女、名もそのまゝに若狹と云へ。
修禅寺物語 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
御臨終の砌(みぎり)、嫡子(ちゃくし)六丸(まる)殿御幼少なれば、大国の領主たらんこと覚束(おぼつか)なく思召され、領地御返上なされたき由、上様(うえさま)へ申上げられ候処、泰勝院殿以来の忠勤を思召され
やつすとも、よも忘れはいたすまい。汝、市九郎と呼ばれし若年の砌(みぎり)、主人中川三郎兵衛を
恩讐の彼方に (新字新仮名) / 菊池寛(著)
空しく門前の大木を打仰ぎ候て、幹の穴に五拾両有之候上は、時節到来の砌(みぎり)は、如何なる浮世の楽しみも思ひのまゝなる身の上。別に急ぎ候には及ばぬ事と我慢致し月日を送り申候。
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)