つぶ)” の例文
手品師はそれを受取ると五尺ほどの足のついた台上に置いて、自らは蝋燭らふそくともし、箱の上下左右を照して、しばらくはぢつと目をつぶつた。
手品師 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
ぜんニョムさんは、息子達夫婦が、肥料を馬の背につけて野良へ出ていってしまう間、尻骨の痛い寝床の中で、眼をつぶって我慢していた。
麦の芽 (新字新仮名) / 徳永直(著)
上歯と下歯をまた叮嚀に揃え、その間へまた煎餅の次の端を挟み入れる——いざ、噛み破るときに子供は眼を薄くつぶり耳を澄ます。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
眼をつぶると、川船があらはれる。みぞれは雪に変りつゝある。それが川船の窓のところへ飛んで来たり、水の上へ落ちて消えたりして居る。
突貫 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
しかし外の時、殊に夜になって若い女の美しい顔をして、目を堅くつぶって、ぐっすりているのを見ると、女が際限もなく可哀かわゆい。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
新吉は硬いクッションの上に縮かまって横になると、じきに目をつぶった。中野あたりまでとりとめもなくお作のことを考えていた。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ほつと吐息をして眼をつぶる、剃刀が頬辺ほつぺたやりと辷る……怪しい罪悪の秘密と淫蕩な官能の記憶とが犇々と俺の胸を掻き毮る……
桐の花 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
智恵子は堅く目をつぶつて、幽かに唸りながら、不図、今し方戸外そとへ出た時まだ日出前の水の様な朝光あさかげが、快く流れてゐた事を思出した。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
私は右隣にすわっている私の護衛の私立探偵を盗み見た。彼は踏反ふんぞり返って、眼をつぶっている。私はしっかり内ポケットを押えた。
急行十三時間 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
つぶつた眼を、幽かに波打つ胸を、脹らんだ乳を、開き出された生々しい腹部を——鋭い視線の刄物で縱に斷ち切るやうにずつと見通した。
疑惑 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
目をつぶると種種の厭な幻覚に襲はれて、此正月に大逆罪で死刑になつた、自分の逢つた事もない、大石誠之助さんの柩などが枕許に並ぶ。
産褥の記 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
大きな眼にうっすら涙を浮べて、口を開き暫く呆然としていた彼は、やがてちょっと目をつぶるとほとんど聞きとれないほどのつぶやきで
禰宜様宮田 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
死ぬのを忘れ、知慧を忘れた老婆が眼をつぶり指を組んで其処に坐っている様であった。或る窪地では思いがけないしきみの密生林に出会った。
みなかみ紀行 (新字新仮名) / 若山牧水(著)
闇の中にばかりつぶって居たおれの目よ。も一度かっとみひらいて、現し世のありのままをうつしてくれ、……土竜もぐらの目なと、おれに貸しおれ。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
ガラツ八に彌次馬を追はせてこもを引剥ぐと、死んでから反つて綺麗になつたお勘は、濡れ腐つたまゝ何の苦勞もなく眼をつぶつて居るのです。
眼をつぶってだまって説教の木の高い枝にとまり、まはりにゆふべと同じにとまった沢山の梟どもはなぜか大へんみな興奮してゐる模様でした。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
と云い終るが早いか、朔郎は突然身を飜えして、背後にある配電函キャビネットの側に駈け寄った。硝子がパンと砕けると同時に法水は思わず眼をつぶった。
後光殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
その時はただじっと観念の眼をつぶってあきらめるよりほかはないだろうか。私はそんなことまで考えて、お宮も強盗のために汚されてしまったのだ。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
クサカは生れてから、二度目に人間の側へ寄って、どうせられるか、打たれるか、摩られるかと思いながら目をつぶった。しかし今度は摩られた。
由三は眼をつぶツて、何んといふまとまりのないことを考出した。「此うしてゐて何うなるのだ。」と謂ツたやうな佗しい感じが、輕く胸頭むなさき緊付しめつける。
昔の女 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
彼は仰向あおむけに目をつぶった。まぶたを掛けて、朱をそそぐ、——二合びんは、帽子とともに倒れていた——そして、しかと腕をこまぬく。
革鞄の怪 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そして青年は一寸眼をつぶった。彼は、頼むと云われた言葉に不安を感じた。そしてこれまでの、食事や入浴やが、ひどく不気味に悔いられて来た。
自殺を買う話 (新字新仮名) / 橋本五郎(著)
賢彌は、はっとして一度眼をつぶったが、さらにしっかりと見直した。けれど、はじめて見た姿と、なんの変化もない。
岩魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
彼は眼をつぶってその心を払い退けようとした。いっそこのまま女の顔を見ないで引返してしまおうかとも思ってみた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
彼は忌々いま/\しさに舌打ちし、自棄やけくそな捨鉢の氣持で空嘯そらうそぶくやうにわざと口笛で拍子を合はせ、足で音頭をとつてゐた。が、何時しか眼をつぶつてしまつた。
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
と、おもいました。それでかれつぶって、なおもとおんできますと、そのうちひろひろ沢地たくちうえました。るとたくさんの野鴨のがもんでいます。
お雪伯母は眼をつぶつて(それは背後からでもよく分つた)、如何にも気持よささうに、ぐい/\と胸をすかした。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
京子はもう石像のやうになつて、眼をつぶつてゐた。竹丸はおづ/\しながら進み寄つて、教へられるまゝに、ふるふ手で、紫色の硬さうな脣へ水を塗つた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
かれにはつていて與吉よきちた。與吉よきち横頬よこほゝいんした火傷やけどかれ惑亂わくらんしたこゝろさわがせた。勘次かんじまたそばつぶつて後向うしろむきつて卯平うへいた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「こういうのが正直正銘の盲判でしょうな。何も御覧にならないで、目をつぶって、おしになるんですから」
人生正会員 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
差入れて呼声『どなたも名物飴のご用はござんせんかい』『保命酒の小つさいものもありまつせ』『サー蒲鉾の出来たちも厶りまつせ』予は眼をつぶつて味つた。
坊つちやん「遺蹟めぐり」 (新字旧仮名) / 岡本一平(著)
それから末造の自由になっていて、目をつぶって岡田の事を思うようになった。折々は夢の中で岡田と一しょになる。煩わしい順序も運びもなく一しょになる。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
日出前の高原を場面として、(あるいは「黄昏」であって、日没後の余光ともおもう)左手に一人の女が石に腰を掛け、膝の上に両手を組んでまなこつぶっている。
リギ山上の一夜 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
主婦の眼にあてたガーゼから流れる水音が、酒と一緒に参木の脊骨を慄わせた。彼の前では、煉瓦の柱にもたれた支那人が、眼をつぶったまま煙管きせるっていた。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
それから例の太い針でちくり/\と突っ付きはじめたが、清吉は眼をつぶって、歯を食いしばって、じっと我慢をしている。痛むかと訊いても、痛くないと答える。
三浦老人昔話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
わたしだつて親に向つて言ひたくはありません。大概の事なら目をつぶつてゐたいのだけれど、実にこればかりは目を瞑つてゐられないのですから。始終さう思ひます。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
蒼い顔とつぶつた目とを見ました。併し妙な事にはキスをしない前程美しくはありませんでした。それから、えゝ、それでおしまひでした。わたしは逃げ出しました。
(新字旧仮名) / グスターフ・ウィード(著)
階下から上って来る跫音あしおとを聞いて、清三は電燈を消した。上り詰めた跫音は入口の襖の際で止まったが清三は眼をつぶって窓際にかがんだ、泪が出てしかたがなかった。
須磨寺附近 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
外からの音も聞こえず、魚類もまれにしか来ない所で、悟浄もしかたなしに、坐忘先生の前にすわって眼をつぶってみたら、何かジーンと耳が遠くなりそうな感じだった。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
弾力に豊富な頬の円みは、浅黒く短い髭に掩われて、閉じるともなく閉じた唇は謎のような深みと柔らかさをもっている。そして眼は眠っているのかつぶっているのだ。
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
死ぬ前の日になってから、おあいに向って、「私も、もう長くはないと思う。この家と、少しばかりの金をお前に遺して行く。」とただこういって目をつぶってしまった。
凍える女 (新字新仮名) / 小川未明(著)
入来いらっしゃいと呼ばれてもはや立退き難く、もとより立退くのが本意ではないので、やっとはらを据て下向いて這入り、どうぞお二階へと云れて、目をつぶるようにして駈上った。
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
「ふうむ、中良井の髯の塵を払って、幕政の面々、出羽の無道に眼をつぶっておったわけか。」
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
私はただ「真」といふ事一つを味方にしていろ/\なこゝろみを目をつぶつてうけました。
ところで厄介払いをするとなりゃ造作はない。……まず良心と博愛心に眼をつぶらせておいて、それから船の役人を騙しさえすりゃいい。もっともこの第一のほうは問題じゃない。
グーセフ (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
目をつぶったまま近くの寺々を思い浮べて見たが、さてどの辺とも分らない。やがて彼方此方、音色ねいろの違った、然し同じくやや高い鐘の音が、入交って静かに秋雨の中に響いて来る。
雨の宿 (新字新仮名) / 岩本素白(著)
鶴見はうっとりとして目をつぶった。目を瞑りながらもなお御影を仰いでいたのである。
運が悪いと云ふのはこのやうなことを云ふのだと栄一はひとりで眼をつぶつて考へた。
くづだなんてつては間違まちがひだ』と海龜うみがめひました、『くづみんうみなかあらながす。でも、なかにはのやうなものがある、理由わけは——』海龜うみがめあくびをして、それからつぶ
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
鶴代は励ますという気持ちからではなく、目をつぶるような気持ちで言うのだった。
或る嬰児殺しの動機 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)