なぶ)” の例文
それは紛れもなく何時いつぞや此処ここに迷い込んで、腰元達になぶりものにされた青侍の、見る影もなく痩せさらばえた姿ではありませんか。
今どきこの湯つぼへ下りて来る人はあるまいと、千浪は安心して、惜気おしげもなくその身体からだを湯になぶらせて、上ることも忘れたふうだった。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
大宮人のしなやかな辛抱づよさを笑みにもって、相手の風向きに逆らわず、なぶれば、嬲らせている世に古い老い柳のごとき姿であった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくして彼は心置なく細君からなぶられる時の軽い感じを前に受けながら、背後はいつでも自分の築いた厚い重い壁にりかかっていた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
停車場ステーション前へ出た。往来の両側には名物うんどん、牛肉、馬肉の旗、それから善光寺もうでの講中のビラなどが若葉の頃の風になぶられていた。
岩石の間 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
二人がひそひそと語らいながら、私の顔を見ては何事か笑い興ずるような時など、私は胸をえぐってなぶり殺しにされるような思いがした。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
この美女たちがいずれも長い裳裾もすそを曳き、薄い練絹ねりぎぬ被衣かつぎを微風になぶらせながら、れ違うとお互いにしとやかな会釈を交わしつつ
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
こびるやうな、なぶるやうな、そしてなにかにあこがれてゐるやうな其の眼……私は少女せうぢよの其の眼容まなざし壓付おしつけられて、我にもなく下を向いて了つた。
虚弱 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
柿丘秋郎は、とらえた鼠をなぶってよろこぶ猫のような快味を覚えながら、着々とその奇怪な実験の順序を追っていったことだった。
振動魔 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「なるほど、それほどの強情なら、殺されるまでも明かすまい。……女よ! お死に! 殺してあげよう! なぶり殺しだ、まずこうだ!」
神秘昆虫館 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
残酷だな、無慈悲じゃあないか、星が飛んだの、蛍が歩くのと、まるでなぶるようなもんじゃあないか。女の癖に、第一失敬ださ。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼は愛宕下あたごした辺の伯父の家に寄食しているとばかりで、どういうわけかだれにも自分の住居を知らせなかった。伊東は彼をなぶるときに、よく
暴風雨に終わった一日 (新字新仮名) / 松本泰(著)
柚木はこんな小娘になぶられる甘さが自分に見透かされたのかと、心外に思いながら「当てるの面倒臭い。持って来たのなら、早く出し給え」
老妓抄 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
さなきだに梢透きたる樹〻をなぶりて夜の嵐の誘へば、はら/\と散る紅葉なんどの空に狂ひて吹き入れられつ、法衣ころもの袖にかゝるもあはれに
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
燈火あかりそむいた其笑顏が、何がなしに艶に見えた。涼しい夜風が遠慮なく髮をなぶる。庭には植込の繁みの中に螢が光つた。子供達は其方にゆく。
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
人を馬鹿にしたようなあの茶目ぶり、読んで面白いには相違ありませんが、しかしなんだかなぶられているようで、寂しい感じも起こるのです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
梅「いやさ、云わんければ手前はなぶごろしにしても云わせなければならん、其の代り云いさえすれば小遣こづかいの少しぐらいは持たしてゆるしてやる」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
なぶりものにする積りか? 俺はな、忠君愛国の思想から煙筒の必要を考えてるのだ。——貴様は国を亡ぼさんがために労働者を煽動して、煙筒を
空中征服 (新字新仮名) / 賀川豊彦(著)
醜く・鈍く・ばか正直な・それでいて、自分の愚かな苦悩を隠そうともしない悟浄ごじょうは、こうした知的な妖怪ばけものどもの間で、いいなぶりものになった。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
吾々人間は云わばあとからあとへ生れて来る愚にもつかない幻影に魅せられて、永久にそのなぶりものになっているのだ。
ところが薄莫迦ばかげた物腰や異様な風采のために、爺は周囲の支械チゲ軍(担荷人)達に取り囲まれてなぶられるようになった。
土城廊 (新字新仮名) / 金史良(著)
一瞬ぎくっとしたようだが、すぐ勝気な眼色を見せ、それでも笑いを失わず、たんとおなぶりなさいといった表情をする。
メフィスト (新字新仮名) / 小山清(著)
「犬が女を喰い殺したのだ、」——彼にはやっとそれだけが分った。何となれば、エスはその時馬方に対する警戒を解いて、再び屍骸をなぶり始めた。
ところがこの怒目どもく主義を採用してから、未荘のひま人はいよいよ附け上がって彼をなぶり物にした。ちょっと彼の顔を見ると彼等はわざとおッたまげて
阿Q正伝 (新字新仮名) / 魯迅(著)
声が言うには「和尚さま。誤って有徳の沙門しゃもんなぶり、お書きなさいました文字の重さに、帰る道が歩けませぬ。不愍ふびんと思い、文字を落して下さりませ」
閑山 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
そうして最後おしまいには自分が可愛いと思っている相手を、自分の手にかけてなぶり殺しか何かにしてしまわなくちゃ、気が済まないようになるんですってさあ。
支那米の袋 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
表町へものこ/\と出かけるに、何時も美登利と正太がなぶりものに成つて、お前は性根を何處へ置いて來たとからかはれながらも遊びの中間は外れざりき。
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
昔、彼が、破産した男の土地を、値切り倒して面白がって買ったように、今度は、若いほかの男が、彼の土地をなぶるように値切りとばした。二束三文だった。
浮動する地価 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
ああしてなぶごろしにしなければ納まらないのでございます、苦しがらせて殺さなければ、虫が納まらないというものでございましょう、全く怖ろしいものです。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いつの代にもこの掟が色々の形になって現われて来るが、取分けて彼女の生れた江戸時代にはこの掟がきびしかった。主人は家来をなぶり殺しにしても仔細はない。
番町皿屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
小さいとききいた伯母さんの話によると天狗様はおりおりこんなことをして人をなぶりにくるという。まずはお気にさわるようなこともいわないでよかったと思う。
島守 (新字新仮名) / 中勘助(著)
君たちは、そういう調子で、僕をなぶるようなことはしないと思う。僕は疑わない。僕は夢を見ているのだとは思わない。僕はこういう自分を滑稽だとも思わない。
……なにもかも承知のくせに、すッとぼけてあたしをなぶろうとしたって、そううまくはゆきませんのさ。
顎十郎捕物帳:01 捨公方 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
彼等父娘おやこはちらちらと崩れかかる榾火ほだびを取り巻いて、食後のいこいを息ずいていたのであったが、菊枝は野を吹く微風になぶられて、ゆれる絹糸のもつれのような煙を凝視みつめて
緑の芽 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
私はまたさらに寂しい心地ここち滅入めいりながら、それでもやっぱり今柳沢に毒々しく侮辱された憤怒の怨恨うらみが、なぶり殺しにさいなまされた深手の傷のようにむずむず五体をうずかした。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
しか一思ひとおもいにいさぎよく殺され滅されてしまうのではなく、新時代の色々な野心家のきたならしい手にいじくり廻されて、散々なぐさまれはずかしめられた揚句あげくなぶり殺しにされてしまういたましい運命。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
アルトヴェル氏は突立ったまま夫人を手の甲で押しのけて、なぶるような口調でいった。
犬舎 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
おそらく私を見出したならば彼は会心の微笑を洩らして最も残酷ななぶり打ちを浴せ、跳ねては転びしながら逃げ回るであろう私達の悲惨な姿を現出させて鬱屈を晴らすに違いない。
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
諸共もろともやっつけてくれんと夜半夫婦の寝室に侵入し、まず清三を刺して重傷を負わせ、恨み重なる道子にはわざと急所を避けて傷をつけ、散々に苦しめた上、なぶり殺しにしたものであった。
彼が殺したか (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
するゆゑ宵にはすこしもねふられず又夜中にも此騷ぎヤレ/\とんだ目にあひしと云ながら皆々客人は我が寢所ねどころへぞ入にける因て家内の者は大勢おほぜいにて盜人を庭へ引出しなぶりものにしてやらんと騷ぎ立を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そして、なぶるように脛を竹刀で、あっち側こっち側と、間をおいてぶった。
刻々 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
俺はまだ君のような対手あいてに出っくわしたことがない。ガニマールでもショルムスでも俺はいつも奴らをなぶってやったんだ。だが俺は白状するが、今は俺の方が君に負けていると見なければならない。
手や足やをなぶらせながら、うつらうつらと眠っているのだったが、それもちょっとの間の疲れ休めで、彼女がある懇意な婦人科のK氏にてもらいに行ったのは、まだくるまでそろそろ行ける時分で
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
彼のひとみは小川に沿つてさまよひ、やがて小川を染める雲のない大空をよぎつて歸つて來た。彼は帽子を脱いで、微風に髮をなぶらせひたひに接吻させた。彼はそのあたりの妖精達と遊んでゐるやうに見えた。
昨年さくねんなつ女中ぢよちゆうから小田原をだはらのお婿むこさんなどなぶられてたのを自分じぶんつてる、あゝ愈々いよ/\さうだ! とおもふとぼくいやになつてしまつた。一口ひとくちへば、うみやまもない、おき大島おほしまれがなんだらう。
湯ヶ原より (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
「貴女は私をなぶっているんじゃないんですか?」
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
きっと困るであろうとなぶるのはチャントわかって居る。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
崩れた石垣の上から覗くと、其處にはとまを掛けた船が一隻、人が居るとも見えず、上げ潮に搖られて、ユラユラと岸をなぶつて居ります。
「その用というのは——あの、戸部近江之介と共に拙者をなぶり、ついに拙者をして今日の破目におとし入れた西丸御書院番の番士一統」
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
事実紋也は女のお喋舌しゃべりに、かなり参ってしまったのであった。しかし紋也は思い返した。「どこまでもこの俺をなぶる気なのだな」
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)