うるう)” の例文
うるうのあった年で、旧暦の月がおくれたせいか、陽気が不順か、梅雨の上りが長引いて、七月の末だというのに、畳も壁もじめじめする。
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この端数のために四年目毎に一日のうるうを入れたんですが、それでは実際には四百年間に三日だけ閏年を入れ過ぎることになるんです。
白金神経の少女 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
チュルゴーの在職およそ二十箇月、彼の改革の発端より当時に至る——天保十二年五月より同十四年うるう九月——二年四箇月なりとす。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
太祖の崩ぜるはうるう五月なり、諸王の入京にゅうけいとどめられてよろこばずして帰れるの後、六月に至って戸部侍郎こぶじろう卓敬たくけいというもの、密疏みっそたてまつる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
過ぐるうるう四月に、尾州の御隠居(徳川慶勝よしかつ)が朝命をうけて甲信警備の部署を名古屋に定め、自ら千五百の兵を指揮して太田に出陣し
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
天平感宝元年うるう五月六日以来、ひでりとなって百姓が困っていたのが、六月一日にはじめて雨雲の気を見たので、家持は雨乞あまごいの歌を作った。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
周の昭王の四十年うるう十二月某日ぼうじつ。夕方近くになって子路の家にあわただしく跳び込んで来た使があった。孔家の老・欒寧らんねいの所からである。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
この年は八月にうるうがあったそうで、ここにいう八月は閏の方であるから、平年ならばもう九月という時節で、朝晩はめっきりと冷えて来た。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
うるう八月十三日(文久二年)朝八時ロシフ※ルトにちゃく。ロシフ※ルトは巴里パリより仏里にて九十里の処にある仏蘭西フランスの海軍港なり。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ようや寳暦ほうれき四年になって死刑屍の解剖が許されることになり、その年のうるう三月七日に行われた死刑者のしかばねを請いうけてその解剖を実行したのでした。
杉田玄白 (新字新仮名) / 石原純(著)
しかし、治承五年うるう二月四日、清盛は死ぬ。ぼくは、他人の眼と、宇宙のこころをかりて、ていねいに、ひややかに、彼の死を観てゆこうとおもう。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此上は死を以って諫めるほかに道はないと決意して、天文二十二年うるう正月十三日、六十幾歳かの皺腹いて果てた。
桶狭間合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
正月にうるうがあって三月十一日が五月一日に当るから之も五月中で、結局三回とも大体五月中旬ということになる。
山の今昔 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
誰にも言わずに居ましたが、水野越前守忠邦は、天保十四年うるう九月十三日のこの日老中をめさせられたのです。
礫心中 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
抽斎の目見をした年のうるう四月十五日に、長男恒善つねよしは二十四歳で始て勤仕した。八月二十八日に五女癸巳きしが生れた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そのうるう五月には雨が殆ど絶え間もなしに降り続いていた。そうしてその月末から、どうしたのか、私は何処と云うこともなしに苦しくってまらなかった。
かげろうの日記 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
依って剃髪して宗享と号し、後には寿聖院第三世の大禅師となり、貞享じょうきょう三年うるう三月八日を以て寂したと云う。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その年うるう五月五日、咸臨丸かんりんまる無事ぶじ帰朝きちょうし、かん浦賀うらがたっするや、予が家の老僕ろうぼくむかいきたりし時、先生老僕ろうぼくに向い、吾輩わがはい留守中るすちゅう江戸において何か珍事ちんじはなきやと。
そういう因縁があって法然歿後の法要の導師を勤め前非を懺悔し、念仏の行怠りなく、建保四年うるう六月二十日に七十二の年で禅林寺のほとりに往生を遂げられた。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
だって去年がうるうだったでしょ、閏年のあくる年の中秋には、決して月の曇ることはないんですってよ。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
山陽道へ向い進発した討手は、備中の水島の瀬戸に着いた、ここから屋島へ一気に押し渡るつもりである。うるう十月一日、水島の瀬戸目指して漕ぎ寄せる一艘の小舟がある。
それはうるう二月の一日であったが、この日宮家には蔵王堂の御座ぎょざに、赤地の錦の鎧直垂よろいひたたれに、こくばかりの緋縅ひおどしの鎧——あさひの御鎧おんよろいをお召しになり、竜頭たつがしら御兜おんかぶとをいただかれ
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
元久二年、都では『新古今集』の竟宴が終ったのち、うるう七月、時政はまた妻のまきかたという女傑と共謀して、女婿平賀朝政ひらがともまさを将軍に立てようとし、十四歳の実朝をたおそうとした。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
全く三千六百五十三回、すなわうるう年も入れて十年という間、日曜も夏休みもなしに落第ばかりしていては、これが泣かないでいられましょうか。けれどもネネムは全くそれとはちがいます。
年も私とほとんど同じ位だとも知っていた。うるうの月に生まれて、五行のうちの土が欠けていたというので、彼のお父さんが閏土と名づけたのであった。彼はおとしをかけて小鳥を捉えるのが上手であった。
故郷 (新字新仮名) / 魯迅(著)
『新編鎌倉志』には、江島の神宝蛇角二本長一寸余り、慶長九年うるう八月十九日、羽州うしゅう秋田常栄院尊竜という僧、伊勢まいりして、内宮辺で、蛇の角を落したるを見て、拾うたりと添状そえじょうありとて図を出す。
うるう五月十六日、将軍はついに征長のために進発した。往時東照宮が関ヶ原合戦の日に用いたという金扇の馬印うまじるしはまた高くかかげられた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
天平勝宝四年うるう三月、多治比たじひ真人鷹主たかぬしが、遣唐副使大伴胡麿宿禰こまろのすくねうまのはなむけして作った歌である。「行き足らはして」は遣唐の任務を充分に果してという意。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
賀名生あのう行宮あんぐう発輦はつれんしていた後村上天皇は、住吉、天王寺などを経て、うるう二月二十九日、八幡やわたの男山にはいられた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
太祖の病は洪武三十一年五月に起りて、どううるう五月西宮せいきゅうに崩ず。その遺詔こそは感ずべく考うべきこと多けれ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
不在中桜田の事変帰る時は南の方をとおったと思う。行くときとはちがっ至極しごく海上は穏かで、何でもそのとしにはうるうがあって、うるうめて五月五日の午前に浦賀にちゃくした。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
この年にはうるうがあって、七月がふた月つづくことになる。それから言い出されたのであろうかとも思われるが、六月から七月にかけて、江戸市中に流言が行われた。
廿九日の牡丹餅 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
もう家康は駿府すんぷ隠居いんきょしていたので、京都きょうとに着いた使は、最初に江戸えどへ往けという指図さしずを受けた。使はうるう四月二十四日に江戸の本誓寺ほんせいじに着いた。五月六日に将軍に謁見えっけんした。
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「ええ、驚かしちゃあ不可いけねえ、張店はりみせ遊女おいらんに時刻を聞くのと、十五日すぎに日をいうなあ、大の禁物だ。年代記にも野暮の骨頂としてございますな。しかも今年はうるうがねえ。」
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
うるうが一と月あると思って、何処へでも差しかえて頂けば、それに越した幸せは御座いません
首尾しゅび彼岸ひがんに達して滞在たいざい数月、帰航のき、翌年うるう五月を以て日本に安着あんちゃくしたり。
清盛の死んだのは、うるう二月四日だった。その最後はあまりにも無慚むざんなものでありすぎた。
「寛保二年、うるう十月の饑饉ききん、武州川越、奥貫おくぬき五平治、施米ほどこしまいの型とござあい——」
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
周の敬王の四十年、うるう十二月某日蒯聵は良夫に迎えられて長駆都に入った。
盈虚 (新字新仮名) / 中島敦(著)
今年は三月にうるうがあって、旧盆は八月の二十九日が十三日に当っていた。
北岳と朝日岳 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
ようやく、その年のうるう三月を迎えるころになって、※(角万かくまん)とした生糸の荷がぽつぽつ寛斎のもとに届くようになった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
義仲の入洛が七月末、この回は、同年(寿永二年)のうるう十月下旬頃。その間、まだ百日も経っていない。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天平五年春うるう三月、入唐使(多治比真人広成たじひのまひとひろなり)が立つ時に、笠金村かさのかなむらが贈った長歌の反歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
うるう七月朔日ついたちにりよに酒井家の御用召があった。たつの下刻に親戚山本平作、桜井須磨右衛門が麻上下あさがみしもで附き添って、御用部屋に出た。家老河合小太郎に大目附が陪席して申渡もうしわたしをした。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
惜しいかな正治二年うるう二月六日生年四十八歳で法然に先立って死んでしまった。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
みん建文けんぶん皇帝は実に太祖たいそこう皇帝にいで位にきたまえり。時に洪武こうぶ三十一年うるう五月なり。すなわちみことのりして明年を建文元年としたまいぬ。御代みよしろしめすことはまさしく五歳にわたりたもう。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
過ぐるうるう四月の五日には木曾福島からの役人が出張して来て、この村社へ村中一統を呼び出しての申し渡しがあり
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
十橋じっきょうの柳は老い、四境の内は、まるでこの世の浄土曼陀羅じょうどまんだらだった。ことしはうるうで二月が二度かさなっていたから、いまの三月末は、例年の四月下旬の気候である。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天保六年うるう七月四日に、抽斎は師狩谷棭斎かりやえきさいを喪なった。六十一歳で亡くなったのである。十一月五日に、次男優善やすよしが生れた。後に名をゆたかと改めた人である。この年抽斎は三十一歳になった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
祖父の了簡次第りょうけんしだいになるがよかろうと思い、娘へ機嫌をとり、もも引と、きもののつぎだらけなのを一つ貰って、うるう八月の二日、銭三百文、戸棚にあるを盗んで、飯をたくさん弁当へつめて