糠雨ぬかあめ)” の例文
師泰は、半町ほどおくれていたが、白い糠雨ぬかあめの異様などよめき立ちに、あわてて馬を返しかけた。そこを、吉江小四郎の槍のために
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……二人ふたり三人さんにん乘組のりくんだのも何處どこへかえたやうに、もう寂寞ひつそりする。まくつてとびらろした。かぜんだ。汽車きしや糠雨ぬかあめなか陰々いん/\としてく。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
随筆家の友人と話題を多く持っているわかい新聞記者が、糠雨ぬかあめのちらちら降る中を外の方へ歩いて往った姿も浮んで来た。
青い紐 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
糠雨ぬかあめの降りこむ部屋のなかを、何万とも知れない羽根の黄色い家白蟻が、吹雪のようにチラチラと飛びちがっていた。
我が家の楽園 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
糠雨ぬかあめのようなこまかな繁吹しぶきが少女のほおらして、そのくせ澄んだ浅い色の空は、その日の上天気を約束していた。
朝のヨット (新字新仮名) / 山川方夫(著)
汽車の窓から怪しい空をのぞいていると降り出して来た。それがこまかい糠雨ぬかあめなので、雨としてよりはむしろ草木をらすさびしい色として自分の眼に映った。
初秋の一日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
点滴のといをつたわって濡縁ぬれえんの外の水瓶みずがめに流れ落る音が聞え出した。もう糠雨ぬかあめではない。風と共に木の葉のしずくのはらはらと軒先に払い落されるひびきも聞えた。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
打渡す深緑はこと/″\湿うるほひ、灰色の雲は低く向ひの山の半腹までかゝつて、夏の雨には似つかぬ、しよぼ/\とけぶるがごとき糠雨ぬかあめわびしさはたとへやうが無い。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
お山荒れは、どうやら納まったらしいが、こまかい糠雨ぬかあめが、山をひとつに抱いて、しとしと、しとしと、と。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
やがてまたうたたねが途中に入って来た——鋭く顔を刺して面立おもだちをこわばらせる、塩からい糠雨ぬかあめに妨げられながら。……彼がすっかり目をさました時には、もう夜が明けていた。
その風呂場の窓には、蜘蛛くもの巣がかかっていた。外では昨夜来の糠雨ぬかあめが音もなく降りつづき、隣家のすすけた屋根の彼方に、蒼ざめた空の一片が夕闇の底深く静まりかえっていた。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
品川で降りると、省線のホームの前に、ダンスホールの裏窓が見えて、暗い燈火の下で、幾組かがうづをなして踊つてゐる頭がみえた。光つて降る糠雨ぬかあめのなかに、物哀しいジャズが流れてゐる。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
細かな冷たい糠雨ぬかあめが音もなく落ちていた。停車場でクリストフは、金入れを開きながら、家までの汽車賃が不足してることに気づいた。シュルツが喜んで貸してくれるだろうとは承知していた。
同時に又丁度ちやうどその最中さいちう糠雨ぬかあめの降り出したのも覚えてゐる。
二人の友 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
一切の人と物との上に泣く様な糠雨ぬかあめが落ちて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
糠雨ぬかあめに身振ひするや原の雉子きじ
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
降らないでもない、糠雨ぬかあめの中に、ぐしゃりと水のついた畔道あぜみち打坐ぶっすわって、足の裏を水田みずたのじょろじょろながれくすぐられて、すそからじめじめ濡通って
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
糠雨ぬかあめのおぼつかなき髣髴はうふつの中に、一道の薄い烟が極めて絶え/″\になびいて居て、それが東から吹く風に西へ西へと吹寄せられて、忽地たちまち雲に交つて了ふ。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
薄茶色の芽を全体に吹いて、柔らかいこずえはじが天につづく所は、糠雨ぬかあめぼかされたかのごとくにかすんでいる。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
若葉の茂りに庭のみならず、家の窓もまた薄暗く、殊に糠雨ぬかあめしずくが葉末から音もなくしたたる昼過ぎ。
鐘の声 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その日は、寒々と細い糠雨ぬかあめが降っていた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
晩飯の菜に、塩からさめ過ぎた。どれ、糠雨ぬかあめでも飲むべい、とってな、理右衛門りえむどんが入交いれかわってがしつけえ。
海異記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
薄茶色うすちやいろを全体に吹いて、やわらかいこづえはじてんつゞく所は、糠雨ぬかあめぼかされたかの如くにかすんでゐる。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
点滴の音もせぬ雨といえば霧のような糠雨ぬかあめである。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
瞳が、動いて莞爾にっこり留南奇とめきかおり陽炎かげろうのような糠雨ぬかあめにしっとりこもって、からかさが透通るか、と近増ちかまさりの美しさ。
妖術 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
糠雨ぬかあめとまでも行かない細かいものがなお降りやまないので、海は一面にぼかされて、平生いつもなら手に取るように見える向う側の絶壁の樹も岩も、ほとんど一色ひといろながめられた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
糠雨ぬかあめが降って来たもの。その天窓あたまから顔へかかるのが、塵塚から何か出て、冷い舌の先でめるようです。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
古い京をいやが上にびよと降る糠雨ぬかあめが、赤い腹を空に見せていと行く乙鳥つばくらこたえるほど繁くなったとき、下京しもきょう上京かみきょうもしめやかにれて、三十六峰さんじゅうろっぽうみどりの底に、音は友禅ゆうぜんべにを溶いて
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
陰気な、鈍い、濁った——厭果あきはてた五月雨の、宵の内に星が見えて、寝覚にまた糠雨ぬかあめの、その点滴したたりびた畳に浸込しみこむ時の——心細い、陰気でうんざりとなる気勢けはいである。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
糠雨ぬかあめ朧夜おぼろよに、ちひさ山廓さんかくほこらまへやぶみののしよぼ/\した渠等かれら風躰ふうてい、……ところが、お年貢ねんぐ、お年貢ねんぐ、ときこえて、未進みしん科条くわでう水牢みづらうんだ亡者もうじやか、百姓一揆ひやくしやういつき怨霊おんりやうか、とおもく。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
もありなん。大入道おほにふだう眞向まむかうをとこは、たわいなくながら、うゝと時々とき/″\くるしさうにうなされた。スチームがまだとほつてる。しめつたそとすやうな糠雨ぬかあめだ。くさくないはずはない。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
木の葉をこぼれるしずくも冷い。……糠雨ぬかあめがまだ降っていようも知れぬ。
貝の穴に河童の居る事 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)