笑顔えがお)” の例文
旧字:笑顏
さいの出た跡で、更に酒を呼んだ宗右衛門は、気味の悪い笑顔えがおをして五百を迎える。五百はしずか詫言わびごとを言う。主人はなかなかかない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
尾上おのえてるは、含羞はにかむような笑顔えがおと、しなやかな四肢とを持った気性のつよい娘であった。浅草の或る町の三味線職の長女として生れた。
古典風 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そして、ふたりがうちにいて、ばらの花のあいだにすわってあそんだとき、カイちゃんがわらったとおりの笑顔えがおが、目にうかびました。
田川夫人はせわしく葉子から目を移して、群集に取っときの笑顔えがおを見せながら、レースで笹縁ささべりを取ったハンケチを振らねばならなかった。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
道路にのぞんだヴェランダに更紗さらさの寝巻のようなものを着た色の黒い女の物すごい笑顔えがおが見えた、と思う間に通り過ぎてしまう。
旅日記から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
と言って、笑顔えがおをしているのを見ては、弁の尼の心境とはあまりにも相違したものであると中の君はうとましく思った。もう一人の女房
源氏物語:50 早蕨 (新字新仮名) / 紫式部(著)
そこへ茶の間の唐紙からかみのあいたところから、ちょいと笑顔えがおを見せたのは末子だ。脛かじりは、ここにも一人ひとりいると言うかのように。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
小使が行ってみると、若い先生が指を動かしてしきりに音を立てているかたわらに、海老茶えびちゃはかまけたひで子は笑顔えがおをふくんで立った。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
こういって地蔵行者じぞうぎょうじゃは、小さい手に取りまかれながら、背なかあわせにおぶっている地蔵菩薩じぞうぼさつとそっくりのような人のよい笑顔えがおをつくった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先生の笑顔えがおがだんだんはっきりと近づいてくると、先生の両手が見えないつなをひっぱっていることがわかって、みんな笑った。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
進んで入牢じゅろうを急ぐ子どもたちと、喜んで牢を放たれるきょうだいたちが、右門のそでの陰でさびしく笑顔えがおを送り合いました。
おじいさんは、自分じぶんうえのことについては、なにをかれても、ただ笑顔えがおせて、あまりかたらなかったのであるが
なつかしまれた人 (新字新仮名) / 小川未明(著)
見ると母親はさっきの激昂げっこうした様子は幾らか和らいで、越前屋の者に対しては笑顔えがおをしながら、それでもまだ愚痴っぽく
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
語る人のあでやかな笑顔えがお。それよりも前に、わたしはかなり重く信用してよい人から、こういうふうにも聞いていた。
柳原燁子(白蓮) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
わたくしは一しょう懸命けんめいるべくなみだせぬようにつとめましたが、それはははほうでも同様どうようで、そっとなみだいては笑顔えがおでかれこれと談話はなしをつづけるのでした。
女はちょっと笑顔えがおをしてのんだ。彼は銚子を下に置かずに注いでやった。女は飲むたびに、「本当?」ときいた。
雪の夜 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
広子はいつか声の中にはいった挑戦ちょうせんの調子を意識していた。が、辰子はこの問にさえ笑顔えがおを見せたばかりだった。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「そうでござんすらいに……。」と、母親はさびしい笑顔えがおを作って、ずらりと傍に並んで坐った子供を見やった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
いつもニコニコ笑顔えがおを作ってわずか二、三回の面識者をさえ百年の友であるかのように遇するから大抵なものはコロリと参って知遇を得たかのように感激する。
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
にこにこした執事の笑顔えがおと、おどけた返事がかえってくるのに、おじさんはステッキをふりまわして、女の子には見向きもしないで、通りすぎたというのだ。
だから会っても深酷しんこくな話はひとつもない。例のごとく、こしゃこしゃした笑顔えがおで、不順序ふじゅんじょに思う事をいう。矢野が少し話をすれば大木はすぐのみこんで同情する。
廃める (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
朝倉夫人が、不安な気持ちを笑顔えがおにつつんでたずねた。次郎がむっつりしていると、今度は朝倉先生が
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
先刻さっき取次に出た女は其後そのご漸く下女と感付いたが、此時障子の蔭からヒョコリお亀のような笑顔えがおを出して
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
その一つ一つにちがった膚の色、肉のふくらみ、曲線の交錯、サイレンのようにみだらな笑顔えがお、それらの細部を見つくすまでは、男心を飽きさせることはないのだ。
影男 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ちょうど蝋細工ろうざいくの新婦の人形があって、首筋をあらわにしオレンジの花を頭につけ、窓ガラスの中で二つのランプの間にぐるぐる回りながら、通行人に笑顔えがおを見せていた。
しかしふと伊香刀美いかとみわきにかかえている羽衣はごろもると、きゅうかえったような笑顔えがおになって
白い鳥 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
御淋おさびしゅう御座りましたろう、御不自由で御座りましたろうと機嫌きげん取りどり笑顔えがおしてまめやかに仕うるにさえ時々は無理難題、先度せんど上田うえだ娼妓じょうろになれと云いかかりしよし。
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
次の日竜子は「わたし先生に手紙を上げて見ましょうか。」というと母はちょっと竜子の顔を見てすぐに笑顔えがおをつくり、「病気でもないのに、お気の毒です。」と言った。
寐顔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
人の良い兄弟子の嬉しそうな笑顔えがおを見て、若い子貢も微笑を禁じ得ない。聡明そうめいな子貢はちゃんと知っている。子路のかなでる音が依然いぜんとして殺伐な北声に満ちていることを。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
母は笑顔えがおを見せもしないで、不機嫌ふきげんな顔付をして、元のところへ置いて来るように言いつけた。
それからかの女はわたしの小ざらを取って、また父の所へ一ぱい入れてもらいに行った。いっぱいにしてもらうと、かの女はかわいらしい笑顔えがおをしながら、また持って来た。
そして「いつだってこうなんですの。」とややとげとげしくいって、そのとげとげしさにぽっとあからんだ笑顔えがおを裕佐に見せ、チラリとまた夫を顧みて、次の間へ立ち去った。
今度は急にわしねらわれてるはとみたいに思われて来て尚更なおさらいとしさ増したとこい、会うたんびに心配そうな様子してなさって前のような花やかな笑顔えがお見せなさること一日もないのんで
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
『ありがとう。』幸吉は急いで中二階の方へ行った、しかし頭をれたまま。お梅は座敷のすみの方の薄暗い所に蹲居つくなんで浪花節を聞いていたが、みんなが笑う時でも笑顔えがお一つしなかった。
郊外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
「ああ。今朝は大変気持ちがいいね。」こう云って親しい笑顔えがおを見せてくれた。
恩人 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
可憐かれんな処女の面影が拭い消されて、人をするような笑顔えがおがこれに代りました。お君は鏡にうつる自分の髪の黒いことを喜びました。そのかおの色の白いことが嬉しくてたまりませんでした。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
少女の泣顔の中からるそうな笑顔えがお無花果いちじくさきのように肉色に笑み破れた。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その笑顔えがおの中には全く、処女湖に宿す、処女林のような純な表情があった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
借金返えしも渋面じゅうめんつくって、さっさと返えしてはきょくが無い。『人生は厳粛也、芸術は快活也。』真面目まじめに計算しましょう。笑顔えがおで払いましょう。其為にこそ私共は生れて来、生きて来たのです。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
由良は顔色をかえかけたが、笑顔えがおになって、芳夫のほうへ向きかえた。
あなたも私も (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
座敷ざしきよといわれれば、三に一出向でむいてって、笑顔えがおのひとつもせねばならず、そのたびごとに、ああいやだ、こんな家業かぎょうはきょうはそうか、明日あすやめようかとおもうものの、さて未練みれん舞台ぶたい
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
がとにかく彼を馬鹿にしたような笑顔えがおであった。
笑われた子 (新字新仮名) / 横光利一(著)
笑顔えがおでいかなければならないんだ。
一坪館 (新字新仮名) / 海野十三(著)
照彦てるひこ様はようやく笑顔えがおが出た。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
笑顔えがおにおいは言わん方なし。
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
その青年の単純なあからさまな心に、自分の笑顔えがおの奥の苦い渋い色が見抜かれはしないかと、葉子は思わずたじろいだほどだった。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ゆがんだ笑顔えがおをしながら中の君を見て、これほどにもりっぱな方が凡人の妻におなりになったとしたらどんなに残念に思われるであろう
源氏物語:49 総角 (新字新仮名) / 紫式部(著)
たとえばまず弟子でしに対する教師ぐらいな、あるいは事によるともう少しいばった態度で、笑顔えがお一つ見せずにむしろ無愛想にあしらっている
試験管 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
と、うなずいた長安ながやす笑顔えがおを見ると、ふたりはすぐ、かげをけした。さっきの駕籠かごのあとをって夜道をいそいだようすである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先きの無邪気な、娘らしい処はもうなくなって、その時つつましいうちにも始終見せていた笑顔えがおが、今はめったに見られそうにもなくなっている。
百物語 (新字新仮名) / 森鴎外(著)