はば)” の例文
敬太郎は現代に教育された青年の一人として、こういう意味の言葉を、年長者の前で口にする無遠慮をはばかるほどの男ではなかった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
高枕したまま起きようともしない主水之介の居間にもその夕やみが忍びよったとき、突然、玄関先ではばるようにおとのうた声がある。
額を破りむねを傷つけるのをはばからずに敢て突進するの勇気を欠くものは、皆此の関所前で歩を横にしてぶらぶらしてしまうのである。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「ウム、其方そちの方が余程物が解わちよる、——アヽ、わづかの間でも旅と思へば、浜子、誰はばからず、気が晴々としをるわイハヽヽヽヽ」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
庸三はホテルのサルンへ顔出しするのもはばかられたが、ちょうど空腹も感じていたので、しばらくぶりで食堂へ入ってみたくもなった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
始めは客のある時は客の前をはばかってわずかに顔をしかめたり、僅に泣声を出す位な事であったが、後にはそれも我慢が出来なくなって来た。
病牀苦語 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
部屋が広くて人気ひとけがないので、一寸ちょっとした物音がこわい様な反響を起すので、足音ばかりではなく、せきばらいさえはばかられる様な気持だった。
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
さるはいといたく世をはばかり、まめだち給ひけるほどに、なよひかにをかしき事はなくて、交野かたのの少将には笑はれ給ひけむかし。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
私達は、この現実に於て、暴力がはばからずに行われていることを知っている。強者は、徒らに弱者を虐げている事実を見あきる程見ている。
人間否定か社会肯定か (新字新仮名) / 小川未明(著)
その事を言い出て大いに笑われたり。予は面目なく覚えたり。小女を見知りし事は主公も知らねば、人口をはばかりてともに知らぬ顔にて居たり。
良夜 (新字新仮名) / 饗庭篁村(著)
建築物を呼んでその中に住んでいる人を直接に呼ぶことをはばかった意味である。すなわち御屋敷ということであります。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
というのは、女故おんなゆえはずかしさが、裸体で飛び出す軽率けいそつはばからせたのと、一人ぽっちの空気が、隣の事件を決して重大に感ぜしめなかったものらしかった。
電気風呂の怪死事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
喪主の高倉祐吉は、若々しい黒い眉根をしかめてはばかるように腰をあげた。度をすぎた母の嘆きについて行けず、やりきれない気持が強くなって来た。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
公卿くげといえば、武家もはばかる厄介者であったが、今の京都の大町人は、そんな者を少しも厄介には思っていない。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぼくは一体、人目をはばかったのか、それともそうしたあなたがきらいだったのか、それもわからぬ複雑奇怪きかいな気持で、どうでもなれとバスにられていました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
自分が権力をはばかり、金力を恐れねばならぬ境遇にいるからの事でもあろう、君等の禅僧の地位が羨ましい。
僧堂教育論 (新字新仮名) / 鈴木大拙(著)
幸い男女取交ぜて八番目の末っ子で、猫の尻尾ほども役に立たないから、世間体をはばかって、表面は勘当だ。
うむ、解るまいと思って人の聞くのもはばからず、英語ですっかり白状した。つまり百円をえばにしてみんなを釣ったのだ。遺失おとしたもないものだ、時計は現在持っている。
金時計 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼女ガ不快ヲ感ズルデアロウヨウナヿ、彼女ノ耳ニ痛イヨウナヿモはばカラズ書イテ行カネバナラナイ。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
寺田屋には無事ぶじ平穏へいおんな日々が流れて行ったが、やがて四、五年すると、西国方面の浪人たちがひそかにこの船宿に泊ってひそびそと、時にはあたりはばからぬ大声を出して
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
うむ、土地のやつらあ俺をはばかって手が着けられねえのを、木端こっぱ役人め、出しゃばりやがったな、面白おもしれえ、どうするか見ていてやれ、百の野郎がなんとぬかすか聞きものだ
勿体もったいなくも、我等は光明の日天子にってんしをばはばかり奉る。いつもやみとみちづれぢゃ。東の空が明るくなりて、日天子さまの黄金きんの矢が高く射出さるれば、われらは恐れてげるのぢゃ。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
そこで彼は、自分について語ることを避けなどしてはいない。むしろ率直に自作の構想や進行状態を語り、自分のあけすけな意見を信仰問題についてさえ開陳してはばからなかった。
素人しろうとにして捨てて置くは惜しい物の中に加へぬ、さりとてお寺の娘にひだづま、お釈迦しやか三味しやみひく世は知らず人の聞え少しははばかられて、田町たまちの通りに葉茶屋の店を奇麗にしつらへ
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
はばかるようにキョロキョロと周囲を見まわしてから、一枚の地方新聞を浩の前に突出すと、往き来するものが、浩のそばへよらないように、彼の体の近くを行きつ戻りつしはじめた。
日は輝けり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
ゆえにかかる場合に身を処すること同一筆法に出ても、ごろの修養如何いかんによりてその価値がいちじるしく違う。白隠はくいんはなしは美事であるが、僕はこの筆法をすぐに各自に応用するをはばかる。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
長男は表徳へうとく文室ぶんしつと云ふ、癇癖かんぺきの強い男だつた。病身な妻や弟たちは勿論、隠居さへ彼にははばかつてゐた。唯その頃この宿にゐた、乞食宗匠の井月せいげつばかりは、度々彼の所へ遊びに来た。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
男も女も何のはばかる事なく大ビラに結婚すべしだ。そして子宝といわるる子供をウント拵えるべしだ。これがすなわち天から我等に賦課せられた最も重大な人間の責任である。私は絶叫する。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
よりて思うに、この論文はあえて世人に示すをはばかるべきものにあらず、ことにすでに世間に伝わりて転々てんてん伝写でんしゃの間には多少字句のあやまりなきを期せざればむしろその本文を公にするにかざるべしとて
瘠我慢の説:01 序 (新字新仮名) / 石河幹明(著)
……そのあたりはちょっと口にするのをはばかるような、けしからぬ名の付いた貧民長屋で、路次へ一歩はいるとなにやらすえたような匂いが鼻をつくし、長屋と長屋の間の狭いひさし間にさおを渡して
恋の伝七郎 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
仁右衛門は息気いきを殺して出て来る人々をうかがった。場主が帳場と一緒に、後から笠井にかさをさしかけさせて出て行った。労働で若年の肉をきたえたらしい頑丈がんじょうな場主の姿は、何所どこか人をはばからした。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
それは何時いつぞやもおはなししたとおり、あの方はおとしも若いし、美しい御顔でもあるし私が行ったりするのは、はばからなけりゃなるまいと思っています。幾度交際を断とうと思ったかも知れはしません。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
康雄はあたりをはばかるようにして、声をひくめ
好色破邪顕正 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
あさ子 はばかりさま。
みごとな女 (新字新仮名) / 森本薫(著)
善人はその友のために自家の不都合を犠牲にするをはばからぬ。夫婦は高柳君のためにアーチの下に待っている。高柳君は来ねばならぬ。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
会津山おろし肌にすさまじく、白雪紛々と降りかかったが、人の用いはばかりし荒気大将佐々成政の菅笠すげがさ三蓋さんがい馬幟うまじるしを立て、是は近き頃下野の住人
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
手品師も、見物を余りに恐怖せしめることをはばかったのか、解体の残虐場面は、またたく間に終って、次には、陽気な、美人組立て作業が始まった。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
森さんは去年細君にかれて、最近また十八になる長子とわかれたので、自身劇場なぞへ顔を出すのをはばかっていた。
挿話 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「ちとこれは他言をはばりまするが、遠藤主計頭かずえのかみ様が、お忍びでちょくちょくと参られまするでござります」
と図に乗って饒舌しゃべるのを、おかしそうに聞惚ききとれて、夜のしおの、充ち満ちた構内に澪標みおつくしのごとく千鳥脚を押据えてはばからぬ高話、人もなげな振舞い、小面憎かったものであろう
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
勿体もったいなくも、我等は光明の日天子にってんしをばはばかりたてまつる。いつもやみとみちづれじゃ。東の空が明るくなりて、日天子さまの黄金きんの矢が高く射出さるれば、われらは恐れてげるのじゃ。
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
そんなとき、いちばん誰はばからず、あなたのことを想って、たのしいときを過しました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
「実は伯父ご様の御文中にも若干の学資を持たせ遣したりとあれば、それを此方こちらへ御預かり申さんとは存ぜしが、金銭の事ゆえ思召す所をはばかりて黙止たりしが残念の事をつかまつりたり」
良夜 (新字新仮名) / 饗庭篁村(著)
妹のおとよは一つ違いの十八歳、姉に優る美しさと、辰巳たつみっ子らしい気象きしょうを謳われましたが、役人の目をはばかって、寄り付く親類縁者も無いのに業を煮やし、柳橋から芸者になって出て
礫心中 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
人数は二人らしく、あたりはばからぬ高声で何やら口論してゐる。乱暴な支那語で、もちろん中身はわからない。しばらく我慢してゐたが、やがてマッチをすつて時計を見た。四時だつた。
夜の鳥 (新字旧仮名) / 神西清(著)
それは根岸の孟宗藪もうそうやぶから声をかけて、頻りとかれを呼んだ男でしたが、あたりの人通りをはばかるのか、ここではただ先の姿を見失わないようにだけして、万太郎の行くがままに任せている。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その戦略せんりゃくさえ公言こうげんしてはばからざるは、以て虚喝きょかつに外ならざるを知るべし。
あたりはばからぬその太々しい説明をだんだんと聞いていると、この案内人は、この洞に飾ってある鬼仏像の一つが、台の上から下りて来て説明役を勤めているのじゃないかと、妙な錯覚を起しそうで
鬼仏洞事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
唯一ゆいいつの話相手とし折に触れてはき師匠の思い出にふけったのもそんな関係があるからである後年彼は検校となり今はだれにもはばからずお師匠様と呼ばれ琴台先生と云われる身になったがてる女からは佐助さんと呼ばれるのを
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
しかし単に夫を贔負ひいきにしてくれるという事が、何でその人を妻の前に談話の題目としてはばかられるのだろう。お延は解らなかった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)