亡骸なきがら)” の例文
墓碑に寛延の年号が刻んであるのを見るとよほど長命であったらしい。独身の彼は弟子たちの手に因ってその亡骸なきがらをここに葬られた。
磯部の若葉 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
彼女の亡骸なきがらを二週間(最後の埋葬をするまで)この建物の礎壁のなかにたくさんあるあなぐらの一つに納めておきたいという意向を述べた。
そうして、強情に、あくまでそのかれの言分を通した。——一つには、それは、汐見と小倉と田代の三人が引取りに行って来た亡骸なきがら
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
同時に、戸外おもて山手やまてかたへ、からこん/\と引摺ひきずつて行く婦人おんな跫音あしおと、私はお辻の亡骸なきがらを見まいとして掻巻かいまきかぶつたが、案外かな。
処方秘箋 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
如何なる故にかありけむ、その亡骸なきがらみる/\うちに壊乱えらんして、いまだその絵のなかばにも及ばざるに、早くも一片の白骨と成り果て候ひぬ。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
およそ何がはかないと云っても、浮世の人の胸の奥底に潜んだまま長い長い年月を重ねてついにその人の冷たい亡骸なきがらと共に葬られてしまって
(新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
棺も、葬儀社の手にかけなかった。小諸から書籍を詰めて来た茶箱を削って貰って、小さな棺に造らせて、その中へお繁の亡骸なきがらを納めた。
芽生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
してやるならば、してやるようにして、それからなさい、こいつは、この人でなしの亡骸なきがらは、この家から引き出さにゃなりませぬ
大菩薩峠:30 畜生谷の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それや路傍のえなき亡骸なきがらや、何を見るにつけ、秀吉も胸にいたみを覚えずには通れなかった。久しい年月、手塩にかけた旧領下の民である。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
俳優のいない舞台は、ペンキの匂いがまるで自作の亡骸なきがらの匂いのようであった。見物のいない客席は夜の火葬場のようにひっそりとしていた。
夜の構図 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
長くなり始めた夜もそのころにはようやくしらみ始めて、蝋燭ろうそくの黄色いほのおが光の亡骸なきがらのように、ゆるぎもせずにともっていた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
杜はミチミの亡骸なきがらをただひとりで清めた、それから白いかたびらを着せてみたが、いかにも寒々として可哀想であったので箪笥の引出を開いて
棺桶の花嫁 (新字新仮名) / 海野十三(著)
さうしてかへつてときは、ちゝ亡骸なきがらがもうつめたくなつてゐたのである。宗助そうすけいまいたまで其時そのときちゝ面影おもかげおもうかべてはまないやうがした。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
やがて彼女の亡骸なきがらが墓穴に移され、その棺のうえに土がかけられてしまうと、わたくしの精神は、突如として、はッきり冴えて来たのであります。
(新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
と、微かに来馬甚七の断末魔、左手にお俊の亡骸なきがらを、右に泣きくずれるお新の手をとって、今に残る雲母阪の心中物語。
新訂雲母阪 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
翌朝になると、果たして慈悲太郎は冷たい亡骸なきがらと変わり、胸には、横蔵と異ならない位置に、短剣が突き刺さっていた。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
それが村で持余された重右衛門の亡骸なきがらを焼く烟かと思ふと、自分は無限の悲感に打れて、殆ど涙もつるばかりに同情をそゝがずには居られなかつた。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
塔から塔へ架け廊の朱塗の欄干に干し忘れた夜着布団のいぎたないメリンス模様。瓦屋根に落ちている紙人形の亡骸なきがら
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
早速にかの柩をあけてあらためると、喬生は女の亡骸なきがらと折り重なっていて、女の顔はさながら生けるがごとくに見えた。
世界怪談名作集:18 牡丹灯記 (新字新仮名) / 瞿佑(著)
そこへ置いて来たわたしの物と、死んだ犬の亡骸なきがらとを引き取るためであったが、今度は別になんの邪魔もなかった。
以て訴ゆべしとて役人は歸へけり此家の番頭はお竹が父親なりしかば大いに悲みお竹の亡骸なきがら取納とりをさめける扨利兵衞はむすめきくを呼て其方盜賊の面體めんてい恰好かつかう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
人死にて神魂たま亡骸なきがらと二つにわかりたる上にては、なきがら汚穢きたなきものの限りとなり、さては夜見よみの国の物にことわりなれば、その骸に触れたる火にけがれのできるなり。
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
おおいなる病苦は大いなる療治を要する。わたしはクラリモンドが埋められている場所を知っている。わたしたちは彼女の亡骸なきがらを発掘して見る必要がある。
だが、ゆき子の土葬にした亡骸なきがらをあの島へ、たつた一人置いて去るにも忍びないのだ。それかと云つて、いまさら、東京に戻つて何があるだらうか……。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
人の亡骸なきがらを深い穴の底に、ことんと入れてしまう例は幾らもあるが、あれはナキガラであって霊魂ではない上に、そういう葬法もよほど新らしい起原であった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その母親にこうも急激に、思いがけなく死なれた私は、亡骸なきがらの傍にはべりながら夢に夢見る心地でした。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
諸方から来る花環は前へ飾るよりも、くずして彼女の亡骸なきがらに振りかけた方がよいに、とも思った。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
余は先に自分で其の顔に手巾を被せて置いた彼の亡骸なきがらの傍へ生き、震える手先で鍵を取った。
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
母の亡骸なきがらが、棺に納められた後、彼女は涙の裡に母の身辺のものを、片づけにかゝつてゐた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
人形はたちまち二つに割れ、水の底のような月光のみちた部屋の中で、破壊され、すでに亡骸なきがらと化した女の恋そのままのすがたに、生木の白い裂けめをあらわにしてころげた。
(新字新仮名) / 山川方夫(著)
むなく不幸なる恋人同士の亡骸なきがらは、今もなおブエノスアイレス市サン・ドミンゴ教会内に安置せられ、しかも世界の医学者海洋学者にして同地に殺到するもの枚挙にいとまあらず
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
いまもってみなの亡骸なきがらを雑倉にとりおさめてあるが、このになっても陸地くがちに辿り着かぬのは、ああいうものを船に置いてあるので、その穢れで祟りを受けているのではあるまいか。
重吉漂流紀聞 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
犬狗いぬえのこのように草叢くさむら打棄うちすててありましたのを、ようやく御生前に懇意になされた禅僧のゆくりなくも通りすがった者がありまして、泣く泣くおん亡骸なきがらを取収め、陣屋の傍につくえを立て
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
燧石ひうちいしのやうな眼は冷い眼瞼まぶたに覆はれ、額やしつかりした特徴のある目鼻立ちの面影には、未だその頑固な魂の影が殘つてゐた。その亡骸なきがらは私にとつて、不思議な、嚴肅なものであつた。
亡骸なきがらだけでもせめて見ていたいと宮はお惜しみになるのであったが、そうしたところでしかたのないことであると皆が申し上げて、入棺などのことをしている騒ぎの最中に左大将は来た。
源氏物語:39 夕霧一 (新字新仮名) / 紫式部(著)
蕪村もと名利を厭ひ聞達ぶんたつを求めず、しかれども俳人として彼が名誉は次第に四方雅客がかくの間に伝称せらるるに至りたり。天明三年十二月廿四日夜歿し、亡骸なきがらは洛東金福寺こんぷくじに葬る。享年きょうねん六十八。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
貫一は彼の死の余りにむごく、余りに潔きを見て、不貞の血は既にことごとそそがれ、旧悪のはだへは全く洗れて、残れる者は、悔の為に、誠の為に、おのれの為に捨てたる亡骸なきがらの、あはれみても憐むべく
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
私は棺側に進んで、おしづさんの亡骸なきがらまみえた。おしづさんは病症の所爲せゐとかで、宛然まるで石膏細工のやうな顏や手をして居ました。髮だけは生前私が記憶して居るまゝに、黒く長く枕邊に亂れて居た。
「青白き夢」序 (旧字旧仮名) / 森田草平(著)
北枕の亡骸なきがらの側に、法印を居残らせて、どこへか出て行った闇太郎、道具屋の小僧らしいのに、大きな箱のようなものを、大風呂敷で、背負わせて戻って来たが、ひろげて見ると、中から出たのは
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
いまその亡骸なきがらを骨にしてきたおしげであることに気づいて驚いた。
日日の麺麭 (新字新仮名) / 小山清(著)
主のない亡骸なきがらでは、どうも仕様がない。生きて居るものには何だか一種の暖かき空気のようなものが溢れ出る、その人の前へ来たり、又その人を思うたりすると、その気に包まれるような心持になる。
時勢の力に打ち勝つ能わず、見苦しき亡骸なきがらを残さんとするか。
太陽系統の滅亡 (新字新仮名) / 木村小舟(著)
その墓場には鳥のばねのやうに亡骸なきがらの言葉がにほつてゐる。
藍色の蟇 (新字旧仮名) / 大手拓次(著)
黄金蟲朝なさな掃き亡骸なきがらつやふかきからびんにつめつつ
白南風 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
息づくけはひさらになく、生命いのち絶えたる亡骸なきがらよ。
ただ一人杉田の亡骸なきがらのみが残っている。
月世界競争探検 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
わが亡骸なきがらにためらふ事なくくい入りて
悲しい亡骸なきがらになってしまいました。
偽悪病患者 (新字新仮名) / 大下宇陀児(著)
と聞いて文治は舟人の亡骸なきがらすがり。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
私は残る、亡骸なきがらとして——
山羊の歌 (新字旧仮名) / 中原中也(著)