うわ)” の例文
その諦めもほんのうわつらのもので、衷心に存する不平や疑惑をぬぐい去る力のあるものではない。しかたがないからという諦めである。
まことくんだって、なくすやい。昨日きのううわぐつをかたっぽおとしてきて、おかあさんにしかられていたから。」と、しょうちゃんはいいました。
ボールの行方 (新字新仮名) / 小川未明(著)
勿論、兇器きょうきは離さない。うわそらの足がおどつて、ともすれば局の袴につまずかうとするさまは、燃立もえた躑躅つつじの花のうちに、いたちが狂ふやうである。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
左手に細野の人家を眺め、うわぱらと呼ぶ平坦な原野に出る、木立の中や草原には桔梗ききょう女郎花おみなえし、松虫草、コマツナギ等が咲いている。
白馬岳 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
こう書いてある手紙の端を持ったまゝ、瑠璃光は自分の身を疑うが如く、たゞうわの空で、ところ/″\の文言をあわたゞしく読み散らした。
二人の稚児 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
細川家の者は、みな、死なぬ者が、うわずっていた。煙草盆を持ってきた小坊主は、原惣右衛門に、頭をなでられて、泣いてしまった。
べんがら炬燵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分のような九尺二間のあばらへ相応の家から来てくれてがあろうとも思わず、よしまた、あると仮定してうわかぶりするのはなおいや
そこで女はいら立たしいながらも、本堂一ぱいにつめかけた大勢の善男善女ぜんなんぜんにょまじって、日錚和尚にっそうおしょうの説教にうわそらの耳を貸していました。
捨児 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
いつでもうわそらで素通りをする事になっているから、自分がその賑やかな町の中にきていると云う自覚は近来とんと起った事がない。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
命がけに呼びかわす互い互いの声は妙にうわずって、風に半分がた消されながら、それでも五人の耳には物すごくも心強くも響いて来る。
生まれいずる悩み (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「見せては頂けませんかしら……ここへ呼んでくださいませんか……」と、妙にうわずった聲でヴェリチャーニノフは口ごもった。
いずれの説法の座でも、よくよく心をしずめ耳をすまして聴くことは大切なのじゃ。うわの空で聞いていたでは何にもならぬじゃ。
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
それがすむと、妖女はサンドリヨンに、それはそれは美しいリスの皮のうわぐつ(ガラスの上ぐつだともいいます。)を、一そくくれました。
気のいているお倉はうわの空で返事をしながら、婆さんを引っ張るようにして急いで帰った。町内の灯はもう目の前に見えた。
半七捕物帳:06 半鐘の怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
交番の中はすっかり焼けつくしたものと見え、窓外の石壁には、焔のあとがくろぐろとうわひろがりにクッキリとついていた。
棺桶の花嫁 (新字新仮名) / 海野十三(著)
最後にお染が幾度か自害しようとする興奮した動作も、適当な動機づけを欠くゆえに、ただうわずった神経的な騒ぎとしてしか印象を与えない。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
はじめから着ていた古いぼろぼろのうわっぱり一枚でとおしたので、これも、七年たつうちに、あっちもこっちもつんつるてんになっていました。
ただうわべだけを見て、それは喜助には身に係累がないのに、こっちにはあるからだと言ってしまえばそれまでである。しかしそれはうそである。
高瀬舟 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
シュルツとクンツとは、報知を心の中でくり返し考えながら、うわの空の言葉をかわしていた。突然クンツは立ち止まって、つえで地面をたたいた。
セーサルはこれを聞きますと、にくにくしそうにうわくちびるをむいて、を見せました。が、すぐに、ヤッローをはなしてやりました。そして
悲しさや涙をこぼしたいのをこらえてうわべで笑って居なければならないのを思えば私はひとママでに目をつぶりたくなる。
伊豆守様を最後にうわかたのご一統、いずれも引き揚げてしまったのを知ると、ふりかえりざまに鋭く伝六へいいました。
せっかく自分が好意ずくで話しかけるのを、うわそらで聞き流して、眼中にも、脳裏にも、置いていないようにも取れる。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「何か使い走りの男が、手紙のようなものを持って来たようですが、それを見ると急にソワソワして、私の言葉もうわそらに飛出してしまいました」
ある時はずるい作り方を覚えたり、うわべだけよく見せかけることなどをも考えました。もうけることに熱心になると、とかく正直な仕事を忘れます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
清原 (だんだんうわずって来る)だから僕はなよたけをあいつにゆずると云ってるんだ。石ノ上は今ではなよたけに夢中なんだ。……僕には分る。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
私ども内輪うちわでいくらやかましくいっていても、料理人たちはうわの空でだめですから、こういう機会に、本気で聞かせようと思っているのであります。
日本料理の基礎観念 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
極めて大掴みに考えて見ますと、鼻以外の表現はその人のうわつらの表現だけを受け持っているもののようであります。
鼻の表現 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
おとなしい錦子が、書くものや、うわつらだけではあろうが、なんとなく莫蓮ばくれんになって来た。美妙斎の影響だと、孝子は思わないではいられなかった。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
引っ詰め髪に黒いうわりを着けた、素朴な娘である。指の先を炭酸紙カーボンで青く染めている。ハキハキと答えてくれる。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
去秋、町方から来て以来、過失もなく、どこかに聡明をかくれて持ったようだが、うわべには、それが見られなかった。御達ごたち仲間のつきあいもよかった。
野に臥す者 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
うわあごがはれあがって鼻の高さに達している。歩くとなにかにつかえるような気がしたのはこれだった。くちびるをひろげてみたら、裏がさけていた。痛い。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
格太郎は、段々うわずった声を出しながら、このまま誰も来ないで、長持の中で死んで了うのではないかと考えた。
お勢登場 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
私はいま、とっても面白い小説を書きかけているので、なかばうわの空で、対談していました。おゆるし下さい。
「晩年」に就いて (新字新仮名) / 太宰治(著)
が、沼南の応対は普通の社交家のうわすべりのした如才なさと違って如何いかにも真率に打解けて対手を育服さした。
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
女は白頭巾ずきんに白のうわりという姿である。遺骨の箱は小さな輿こしにのせて二人でさげて行くのである。近頃の東京の葬礼自動車ほど悪趣味なものも少ないと思う。
札幌まで (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
世間の景気もいわれなくうわずッていたが、一つには倭が、その興行師としての手腕をあまりにふるいすぎたあげく失脚したのと、一つには、団十郎菊五郎死後の
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
「どっちへ向いて行くんだか、私にはちっとも分らないわ」彼女はいくらかうわずったような声で言った。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
その関係を前後混同して彼此かれこれ云ったところで、所詮しょせん戯論に終わるので、理窟は幾何いくらくわしいようでも、この歌から遊離したうわそらの言辞ということになるのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
「ぼくは、はじめのうち、この塾の先生たちには、何だか活気がなくて物足りない気がしていたんだが、今から考えてみると、こちらがうわっ調子だったんだね。」
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
きいた風な若旦那は俳諧師はいかいしらしい十徳じっとく姿の老人と連れ立ち、角隠つのかくしに日傘をかざしたうわかたの御女中はちょこちょこ走りの虚無僧下駄こむそうげた小褄こづまを取った芸者と行交ゆきちがえば
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
帝国主義戦争にもうわべだけでしか反対していないのだということを、皆の前で知らせる必要があった。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
その短見者流はとかくここまで達せずに、唯うわッつらばかりを見て平凡な句としてしまう傾きがある。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ぼくはうわの空で返事をしながら、甚五のことを考えていました。大部屋の片隅にじっと坐り込んで、毎日毎日女房のことを考えている。どこかに男がいるに違いない。
凡人凡語 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
モヂリ・鯉口こいぐちうわり、或いはこの頃はやる割烹着かっぽうぎの類まで、この作業の頻々ひんぴんたる変更に、適用せしめようとした発明は数多いが、もともと働かないための着物を
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
今でも憶えています、白い頭布プラトチカをして、灰色のうわっ張りを着て小さな腰掛に坐っていました。痩せこけて顔の色もなく、眼ばかりぎょろつかせて、見るも哀れな姿でした。
女房ども (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
その話を私はうわそらで聴きながらも、しかし、妻の顔に、いささかのくもりもなく、眼の底に何か明るい影のゆらぐのを見た。明るいといえば部屋全体が何となくあかるい。
親馬鹿入堂記 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
ただうわっつらな感情で達者な手紙を書いたり、こちらの言うことに理解を持っているような利巧りこうらしい人はずいぶんあるでしょうが、しかもそこを長所として取ろうとすれば
源氏物語:02 帚木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
祈祷きとうの前です、先生せんせい。」おびえてうわずった声で、シューラは小鳥ことりでもくようにいった。
身体検査 (新字新仮名) / フョードル・ソログープ(著)
天守閣のかすかに黄に輝き残る白堊はくあ。そうして大江のにおい深い色の推移、それが同じく緋となり、褪紅となり、やわらかな乳酪にゅうらく色となり、藤紫となり、瑠璃紺るりこんうわびかりとなった。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)