長押なげし)” の例文
「父は掃除がやかましくて、障子のさんや、長押なげしの上を一々指で撫でて見る人でした。現に昨日もその欄間をよく掃除さうぢさせたばかりで」
むかし、尾崎紅葉もここへ泊ったそうで、彼の金色夜叉の原稿が、立派な額縁のなかにいれられて、帳場の長押なげしのうえにかかっていた。
断崖の錯覚 (新字新仮名) / 太宰治黒木舜平(著)
二人の客はいつも来る人と見えて、何か親しげに子供に物を言ふ。主客とも雨覆を脱いで長押なげしくぎに掛けて、奥に這入つて行つた。
金貨 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
長押なげしの額面の文字を眺めて居る位の感じで、自由と云ふ文字を遠くに置いて之を惝悦しようきようして居たのである。今はそれが現実となつた。
逆徒 (新字旧仮名) / 平出修(著)
かれは即座に心をきめた、火桶の火を埋め、身支度を直し、久しく長押なげしに掛けたままの愛槍をとり下ろすと、燈火を消して住居を出た。
足軽奉公 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
長押なげしの上には香川景樹かげきからお婆さんの配偶つれあいであった人に宛てたという歌人うたよみらしく達者な筆で書いた古い手紙が額にして掛けてある。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
世にも悲しい泣く音がれると、白い細い手が柱から壁、壁から長押なげしと撫で廻しては、最後にまた絶え入るばかり、よよと泣き沈む……
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そして廊下へ出て行きますと、先に出た馬春堂が、何か奇妙な虫でもに見付けたような顔をして、入口の長押なげしに眉をしかめているので
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また上京かみぎょうの寝殿の長押なげしにい崩れて、柔媚じゅうびな東山を背にし、清澄な鴨川かもがわの水をひき入れた庭園に、恍惚こうこつとしてながめ入る姿を描くのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
権六は長押なげしに掛けられてある重籘しげどうの弓を取り下ろすと、鏑矢かぶらやまじえて矢三筋弓に添えて小脇に抱え、つと駈け抜けて先頭に立った。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しかし画架からはずして長押なげしの上に立てかけて下から見上げるとまるで見違えるような変な顔になっているのでびっくりする。
自画像 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
冷蔵庫の上部の長押なげしとの間にはいくらか隙間があって、そこに電灯の笠を引っ張ってきてあって、その明りが台所と湯殿の両方を照らした。
生い立ちの記 (新字新仮名) / 小山清(著)
長押なげし衣紋えもんかけで釣り下げられている下町風な柄の洋服と商人風の羽織。「けがされたものだ」わたくしは怒りに眠たさも覚めてしまいます。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その当時の能楽は全く長押なげしやり長刀なぎなた以上に無用化してしまって、誰一人として顧みる者がなかったと云っても決して誇張ではないであろう。
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
咄嗟にそこの長押なげしから短槍はずし取って青江流あおえりゅう手練てだれの位取りに構えながら威嚇したのは、九十一の老神官の沼田正守です。
長押なげしにかけてある手槍の鞘を払って、台所の方へ出てみると、一つの黒い影が今や雨戸をあけて出ようとするところでした。
三浦老人昔話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
長押なげしの下の壁の上塗うわぬりが以前から一ところ落ちていて、ちょうど俯伏うつぶせになった人間の顔の恰好をしていたのが、今日はいつもより大きく見える。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
柱にかけた鏡の上に飾ってあるバラの造花、ビール箱を四つ並べた寝台の頭上の長押なげしに、遠慮深くのせられてある三寸ばかりのキリストの肖像。
(新字新仮名) / 宮本百合子(著)
私の絵図はなってませんが、台所でも座敷でも天井が高く長押なげしは大きくいずれも時代のすすを帯びて十畳ぐらいの広さはありそうに思われました。
棚田裁判長の怪死 (新字新仮名) / 橘外男(著)
窓のあけかたや、長押なげしの壁に日時計をつけたところなどをみると、南瑞西スイスのモン・フォールの山小屋キャバーヌをまねてつくったものだということがわかる。
と言い、薫は縁側から一段高い長押なげしに上半身を寄せかけるようにしてしているのを見て、例の女房たちが
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
底に籠の附いた四季袋に持ち添へ、長押なげしの釘に掛けてあつた洋傘パラソルをも取り下ろして、ツカ/\と歩きかけた。
兵隊の宿 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
ねがうことならいま籠釣瓶の鞘払って、床柱といわず、長押なげしといわず、欄間といわず、そこらのもの片っ端から滅多斬りに斬りまくってしまいたいくらいだった。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
此奴こいつ容易ならぬ曲者なりと、平林は手早くも玄関の長押なげしに懸けてありました鉄砲へ火縄ひなわはさみ、文治へ筒口を向けましたから、文治は取って押えた両人を玉除たまよけかざ
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
八畳の一間で、長押なげしの釘には古袴ふるばかまだの三尺帯だのがかけてある。机には生徒の作文の朱で直しかけたのと、かれがこのごろ始めた水彩画の写生しかけたのとが置いてあった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
胴丸どうまるに積もるほこりうづたかきに目もかけず、名に負へる鐵卷くろがねまきは高く長押なげしに掛けられて、螺鈿の櫻を散らせる黒鞘に摺鮫すりざめ鞘卷さやまきし添へたる立姿たちすがたは、し我ならざりせば一月前ひとつきまへの時頼
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
そこの長押なげしに懸けてあった、古い額の、表装の破れ目から、ぐっと押こんで、一寸見たのでは少しも分らぬ様にして置いて、何食わぬ顔で、そのまま自宅に立帰ったのである。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
本堂も庫裡くり何時いつの建築だか、随分古く成つて、長押なげしゆがんだり壁が落ちたりて居る。
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
御殿ごてん玄関げんかん黒塗くろぬりりのおおきな式台しきだいづくり、そして上方うえひさしはしら長押なげしなどはみなのさめるような丹塗にぬり、またかべ白塗しろぬりでございますから、すべての配合はいごうがいかにも華美はでで、明朗ほがらか
長押なげしやりへいに鉄砲、かさみのなど掛けてある。舞台の右にかたよって門がある。外はちょっとした広場があって通路に続いている。雪が深く積もって道のところだけ低くなっている。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
安川の書斎の隅には長押なげしと長押に桟を渡して、ちよつとした物を吊すやうなぐあひに作つたものがあるのだが、彼はそこへ兵児帯へこおびを張つて首をくくつた。さうして彼は死んでしまつた。
老嫗面 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
その年の秋、御大典祝の飛行機が街の上を低く飛んで行った。父はフロックコートを着て、紀念の写真を撮った。その写真は父の死後引伸しされて、仏間の長押なげしに掲げられたのだった。
昔の店 (新字新仮名) / 原民喜(著)
壁の長押なげしや、障子の桟や、取り散した書棚や、或は夜更しをしすぎて何時になれば寝るものともきまらない夫を勝手にさせて自分だけ先づ眠つて居る彼の妻の蚊帳かやの上のどこかなどへ
初重の仕形だけのもあり、二手先または三手先、出組だしぐみばかりなるもあり、雲形波形唐草生類彫物しやうるゐほりもののみを書きしもあり、何より彼より面倒なる真柱から内法うちのり長押なげし腰長押切目長押に半長押
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
越後の中部ではこの日の行事に、米の粉を練って小狗こいぬの形をこしらえて戸のさんに飾り、または十二支の形を作り鴨居かもい長押なげしに引掛ける習わしがあり、犬の子正月の名はこれに基づいている。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
長押なげしの下に火を寄せて「へんつぎ」の遊びをやっていた女房たちは、彼女を見ると、「ああ嬉しい、早くいらっしゃい」などと言って歓迎するが、しかし中宮がもう寝室にはいっていられるので
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
長押なげしに「比翼連理ひよくれんり」という横額がかゝっている。墨痕ぼっこんだ新しい。
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
取卷く人達をかへりながら、平次は床の間に登つて、狆潜ちんくゞりのわくへ足を掛けると、長押なげしに片手を掛けて、床の間の天井の板を押して見ました。
あしかけ六年ぶりで寝る部屋である、壁もふすまも懐かしかった、天井も長押なげしも、眼にいるものすべてが幼ない日の記憶をよびさまして呉れる。
日本婦道記:おもかげ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
金砂子きんすなごの袋戸棚、花梨かりん長押なげし、うんげんべりの畳——そして、あわ絹行燈きぬあんどんの光が、すべてを、春雨のように濡らしている……。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
委細をすっかり聞取ってしまって、その最後のみやげが、あの長押なげしに貼った二枚の番附だけの獲物えもので充分に甘心して出て来たものと思われる。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼はまた、酒の上のきげんのよい心持ちなぞから、表玄関の長押なげしの上に掛けてある古い二本の鎗の下へ小忰こせがれを連れて行って
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それから帰って身支度をして、長押なげしにかけた手槍てやりをおろし、たかの羽の紋の付いたさやを払って、夜の明けるのを待っていた。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
が、そこには明るく洋灯ランプが輝いて、長押なげしの隅々、床の間、相変らずどこに何一つの変ったところもないのでございます。
蒲団 (新字新仮名) / 橘外男(著)
畳の上には汚れけの渋紙が敷き詰めてある、屏風びょうぶ長押なげしの額、床の置ものにまで塵除ちりよけの布ぶくろがかぶせてある。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
床脇の長押なげしに、一尺ほどの長さの薄赤いネオン燈がついているほか、灯影はなく、霊媒の顔がぼんやりと浮きあがっている闇の中で、トホカミエミタメ
雲の小径 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
お婆さんの部屋の長押なげしにはその人の肖像が額にしてけてある。私は一言か二言の中にその人のおもかげや生涯が彷彿ほうふつとしてくるような言葉をきくのが好きだ。
犬の生活 (新字新仮名) / 小山清(著)
居間長押なげし釘隠し等は、金銀無垢にて作り、これは銀座の者どもより、賄賂として取り候ものの由、不届き至極。
十二神貝十郎手柄話 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
やりかあるいは槍といっしょに長押なげしにかかっていたそでがらみのようなものかを持ち出して意気込んでいたが
亮の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
潔斎所の空気に威圧されながらも御簾の中へ上半身だけは入れて長押なげしに源氏はよりかかっているのである。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)