躊躇ためら)” の例文
しかもそれを眺めながらもまだ躊躇ためらっている私を見ると、この世慣れた探偵はもうそれ以上、私のために余計な口数は弄さなかった。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
行かぬといへば何となく済まぬ様なりて、少しく躊躇ためらつて居ると、母も出て参り升たから、母に頼んで諦めてらはうと思ひつき升た。
黄金機会 (新字旧仮名) / 若松賤子(著)
しばらく躊躇ためらったけれど、本当のことをいってしまう以外に、私の驚きの意味を、この男に呑込ませることは出来まいと思った。
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
木剣を木綿袋に入れて通う辰雄は、ひとなみの剣舞師の習得で少しも躊躇ためらわないで、袴の股立ちを取って剣の舞いを演じていた。
我が愛する詩人の伝記 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
「今日」と、お宮はうれしさを包みきれぬように微笑わらい徴笑い「これから? おそかなくって?」行きとうもあるし、躊躇ためらうようにもいった。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
渋沢の熱心にはたれながら、露八の頭には、お菊ちゃんだの、お喜代だの、お蔦だの、女たちの影がして決意を躊躇ためらわせた。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
躊躇ためらつてゐたらしい静子が、信一郎の顔を見ると、艶然と笑つて、はち切れさうな嬉しさを抑へて、いそ/\と駈け降りて来るのであつた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
餘り氣にかゝるので、竹丸は納戸の前まで忍び足で行つて、幾度か躊躇ためらひつゝ、青地に金粉でりようの丸をおいた襖を細目に開けて内をのぞいた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
阿母さんも居ない留守るすに兄をにがして遣つては、んなに阿父さんからしかられるかも知れぬ。貢さんは躊躇ためらつて鼻洟はなみづすヽつた。
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
十分間、私は、心をどきつかせながら、躊躇ためらつて立つてゐた。朝食堂のけたゝましい呼鈴ベルの音が、私を決心さした。もう這入るより仕方がない。
せっかくの思に、そで振り交わして、長閑のどかあゆみを、春のよいならんで移す当人は、依然として近寄れない。小夜子は何と返事をしていいか躊躇ためらった。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
なにかしばらく躊躇ためらっていたが、やがて、逃げるように出てゆくと、たちまち街路のむこうへ見えなくなってしまった。
金狼 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
何の御用と問はれて稍〻、躊躇ためらひしが、『今宵こよひの御宴のはてに春鶯囀を舞はれし女子をなごは、何れ中宮の御内みうちならんと見受けしが、名は何と言はるゝや』
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
唐義浄訳『根本説一切有部毘奈耶破僧事こんぽんせついっさいうぶびなやはそうじ』巻十五に昔波羅痆斯はらなし城の貧人山林に樵して一大虫とらに逢い大樹に上ると樹上に熊がいたのでおそれて躊躇ためらう。
火柱がしばらく躊躇ためらっていた。だが、ユラユラと左右へ揺れた。東に向かって歩き出した。武田左典厩さてんきゅうの屋敷の方へ、辻を曲がって行くらしかった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しばらく躊躇ためらっていたが、君子に、お前はしばらくここに待っているのだよ、お母さんはすぐに出てくるから、と言っていやがる君子をそこに待たせて
抱茗荷の説 (新字新仮名) / 山本禾太郎(著)
いや、取止とりとめて何も考えてなんかいなかったようです。唯、悠々と躊躇ためらわずに、玄関の呼鈴ベルを鳴らすと、やがて門が開きました。瓦斯ガスは消えていました。
無駄骨 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
そこにはもはや技術への躊躇ためらいがなく、意識への患いがないのです。この繰り返しこそは、すべての凡人をして、熟達の域にまで高めしめる力なのです。
民芸とは何か (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
座蒲団火鉢茶菓それから手を突てお肴はと尋ねるに、袂の巻烟草を出しかけて、さて何といったものかと躊躇ためらって居ると、見繕いましょうかといわれたので
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
あらひてあがりくれよとはさて意外いぐわいわからぬといへばほどわからぬはなしはなしなんとせばからんかと佇立たゝづみたるまゝ躊躇ためらへば樓婢ろうひはもどかしげにいそがしたてゝ
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
藻西太郎にあって見んとはもとより余の願う所ろ何かは以て躊躇ためらき、早速目科に従いて又もや此家を走りいでたり
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
伊助の潔癖は登勢の白い手さえ汚いと躊躇ためらうほどであり、新婚の甘さはなかったが、いつか登勢にはほくろのない顔なぞ男の顔としてはもうつまらなかった。
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
もウ棄ててはおかれぬ、そッと隣座敷まで往ッてはいろうか、はいるまいか、と躊躇ためらいながら客座敷の様子を伺うと、娘は面白そうにしきりに何か話していた。
初恋 (新字新仮名) / 矢崎嵯峨の舎(著)
すこ躊躇ためらッていて、「チョッ言ッてしまおう」と独言ひとりごとを言いながら、急足あしばやに二階を降りて奥坐舗おくざしきへ立入る。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
私達はその柵の中へはいろうとしかけながら、誰からともなしに少し躊躇ためらい出していた。そうして三人でちょっと顔を見合せて、困ったような薄笑いをうかべた。
木の十字架 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
彼は、畫室を出ることを定めて了つて、入口のドーアに手まで掛けたが、さて其の手を引つ込めて躊躇ためらつた。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
むら消えの雪間に咲きこぼれた白山小桜はくさんこざくらの花が、若草の野に立って歌を謡っている少女の頬のように美しい。私は躊躇ためらいながら其一片を摘んでそっと口にあてた。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
志津は「机は次手に頂いて行きます」と口先迄言葉が出かかり乍ら躊躇ためらった。気軽く云って仕舞へば何んでもなささうに思ひ乍ら圧されるやうで云ひ出せなかった。
夏蚕時 (新字旧仮名) / 金田千鶴(著)
だが、おれはまだ參内を躊躇ためらつてゐる——今だに西班牙から使節がやつて來ないのだ。使節も從へないでは體裁が惡い。第一、おれの身分にいつかう威嚴が添はぬ。
狂人日記 (旧字旧仮名) / ニコライ・ゴーゴリ(著)
真の恋は躊躇ためらい、怖れるかと申しまして、わたくしも確とした意見も言わず、あやふやに過して参りました。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
……又四郎はちょっと躊躇ためらいを感じたが、思いきって案内を乞うと、妖婆ようばのような女が顔を出して
百足ちがい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
不思議の力ありて彼を前より招きあとよりたちまち彼を走らしめつ、彼は躊躇ためらうことなく門を入った。
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
とこう想い浮べましたら、にわかに身の毛が弥起よだって、手も足も烈しく震えました。ふらふらとして其処へたおれそうにもなる。とても躊躇ためらわずにはいられませんのでした。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
わたくしがいささか躊躇ためらってりますと、指導役しどうやくのおじいさんがただちにそばからきとってわれました。——
われは函嶺かんれいの東、山水の威霊少なからぬところにうまれたれば、我が故郷はと問はゞそこと答ふるに躊躇ためらはねども、往時の産業は破れ、知己親縁の風流雲散せざるはなく
三日幻境 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
新三郎は一度はうなって躊躇ためらいましたが、次の瞬間には、障子に手を掛けるとサッと引開けました。
靜子は妙に躊躇ためらつた上で、急いで又離室はなれに來た。一枚殘した雨戸から、丁度吉野が上るところ。
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
言葉にも物腰にも深窓しんそう育ちがうかがわれ、いまも躊躇ためらったような初心初心うぶうぶしい言いかたをする。
人外魔境:05 水棲人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
うに任せ、かれは少しも躊躇ためらわで、静々と歩を廊下に運びて、やがて寝室に伴われぬ。
琵琶伝 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
陽子はちょっと気後きおくれがしたように躊躇ためらっていたが、兄を顧みて口早に云うのだった。
梟の眼 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
さうだとすれば、昨日の晩も、一昨日の晩も、夜な/\此の二階の窓の近くへ忍び寄つて、入れて貰はうかどうしようかと躊躇ためらひながら、中の様子をうかがつてゐたのかも知れない。
猫と庄造と二人のをんな (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
乳母おもも、子古こふるも、凡は無駄な伺ひだと思つては居た。ところが、郎女の返事はこだまかへしの様に、躊躇ためらふことなしにあつた。其上此ほど、はつきりとした答へはないと思はれた。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
彼女は何物が天よりり来りしとように驚きつつ、拾いとりてまたしば躊躇ためらいたり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
私の名前を呟くことによつて自分の心を空虚の中から探し出さうとするやうに、そして又、おどおどと怯えきつた様をして、私の気勢を怖れるやうに躊躇ためらひ乍ら、長く佇むのであつた。
やがて男は名残惜し気に幾度いくたび躊躇ためらいつつも漸くに気を取直し地に落ちた手拭に再び顔をかくして立上ると、女も同じく落ちたるくし心付こころづきながら乱れた姿を恥らう色もなく少時しばし寄添い
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
さて其次席につらなれる山木梅子が例の質素の容子ようすを見て、しば躊躇ためらひつ「山木様は独立で、婦人社会の為に御働おはたらきなさらうと云ふ御志願で、こと阿父おとつさんは屈指の紳商でいらつしやるのですから」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
のぶちゃんも不安と期待に眼を輝かせたが、ちょっと躊躇ためらうように
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
木之助は店にはいって行って、ちょっと躊躇ためらいながら、いった。
最後の胡弓弾き (新字新仮名) / 新美南吉(著)
わたしの魂よ、躊躇ためらはずに答へるがよい、お前の決心。
詩集夏花 (新字旧仮名) / 伊東静雄(著)
セエラは答える前に、ちょっと躊躇ためらいました。