薄墨うすずみ)” の例文
その三は太く黒きわくを施したる大なる書院の窓ありてその障子しょうじは広く明け放され桜花は模様の如く薄墨うすずみ地色じいろの上に白く浮立ちたり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
頃は長月ながつき中旬なかばすぎ、入日の影は雲にのみ殘りて野も出も薄墨うすずみを流せしが如く、つきいまのぼらざれば、星影さへもと稀なり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
幸助五六歳のころ妻の百合が里帰りして貰いきしその時りつけしまま十年ととせ余の月日ち今は薄墨うすずみ塗りしようなり、今宵こよいは風なく波音聞こえず。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
夜霧と明りのにじみ合っているところに、観音堂の法城が一まつの薄墨うすずみをはいているほかはすべてこれ、目まぐるしい交響とうごきでありました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明日あす午前ひたし、と薄墨うすずみはしがきの簡単極るもので、表に裏神保町の宿屋やどや平岡常ひらをかつね次郎といふ差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
ぽつぽつ帰り支度にかかろうかとようやく白みかけた薄墨うすずみの中に胡粉ごふんを溶かしたような梅雨の東空を、詰所つめしょの汗の浮いた、ガラス戸越しに見詰めていた時でした。
(新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
ひぐらしが谷になって、境は杉のこずえを踏む。と峠は近い。立向う雲の峰はすっくと胴をあらわして、灰色におおいなる薄墨うすずみまだらを交え、動かぬ稲妻をうねらしたさますさまじい。
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
思はず里言葉の出るお染の薄墨うすずみ太夫は、此處まで來る前に、この無法なくはだてをどんなに止めたことでせう。
ただぽかんと海面うみづらを見ていると、もう海の小波さざなみのちらつきも段〻と見えなくなって、あまずった空がはじめは少し赤味があったが、ぼうっと薄墨うすずみになってまいりました。
幻談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
駕籠かごなんぞに窮屈きうくつおもひをしてつてゐるよりは、かる塵埃ほこり野路のぢをば、薄墨うすずみかすんだ五月山さつきやまふもと目當めあてにあるいてゐたはうが、どんなにたのしみかれなかつた。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
一人ひとりづ目覚めて船甲板ボウトデツキを徘徊して居ると、水平線上の曙紅しよこうは乾いた朱色しゆしよくを染め、の三ぱうには薄墨うすずみ色を重ねた幾層の横雲よこぐもの上に早くも橙色オランジユいろ白金色プラチナいろの雲の峰が肩を張り
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
そこで屋形の船のひとつを私は小手招こてまねく、そこここの薄墨うすずみの、また朱のこもった上の空の、霧はいよいよ薄れて、この時、雲のきれ間から、怪しい黄色おうじきの光線が放射し出した。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
『汝、掠奪者よ』かう薄墨うすずみにかいた端書はがきが来たとき、私は実に熱鉄をつかんだ様な心持がしました。私は友に背き同志を売つた、と思ふと私は昼夜寝る目も寝られなかつたんです。
計画 (新字旧仮名) / 平出修(著)
寝よげに見える東山の、まろらの姿は薄墨うすずみよりも淡く、霞の奥所にまどろんでおれば、知恩院ちおんいん聖護院しょうごいん勧修寺かんじゅじあたりの、寺々の僧侶たちも稚子ちごたちも、安らかにまどろんでいることであろう。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
七曲りも曲りのぼつて、第一の實際トンネルを拔けると、十勝原野の秋色は、遠く義雄の視線と直角に横たはつた薄墨うすずみの低山の一直線に限られ、近い野山はゆふ空と共にほの赤くかすんで見える。
泡鳴五部作:04 断橋 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
能登守教経は、今までの度重なる合戦で一度も不覚をとったことのない武将であったが、この度はどう思ったか薄墨うすずみという馬を駆って西に落ち、播磨の高砂から船に乗って讃岐の屋島へ渡っていった。
聞くならく、こんどの合戦に、鎌倉殿のお厩から曳き出された逸物には、義経の料にとて薄墨うすずみ——乗更のりかえ駒に青海波。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
など書きつらねたるさへあるに、よしや墨染の衣に我れ哀れをかくすとも、心なき君にはうはの空とも見えん事の口惜くちをしさ、など硯の水になみだちてか、薄墨うすずみ文字もじ定かならず。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
兎角とかくするうちにせつ立秋りつしうつた。二百十日にひやくとをかまへには、かぜいて、あめつた。そらには薄墨うすずみ煑染にじんだやうくもがしきりにうごいた。寒暖計かんだんけいが二三にちがりりにがつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
「吉原の玉屋小三郎の店で、お職を張って居た薄墨うすずみという大夫たゆうを親分御存じですかえ」
夜久野やくのやま薄墨うすずみまどちかく、くさいた姫薊ひめあざみくれなゐと、——菖蒲しやうぶむらさきであつた。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
図を見るに川面かわづらこむる朝霧に両国橋薄墨うすずみにかすみ渡りたる此方こなたの岸に、幹太き一樹の柳少しくななめになりて立つ。その木蔭こかげしま着流きながしの男一人手拭を肩にし後向うしろむきに水の流れを眺めている。
巴里パリイ全市は並木も家も薄墨うすずみ色の情調に満ちて居る。正午ひる前に石井柏亭はくていが来た。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
とかくするうちにせつは立秋に入った。二百十日の前には、風が吹いて、雨が降った。空には薄墨うすずみ煮染にじんだような雲がしきりに動いた。寒暖計が二三日下がり切りに下がった。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「吉原の玉屋小三郎の店で、お職を張つてゐた薄墨うすずみといふ太夫を親分御存じですかえ」
左右さいう山々やま/\は、次第次第しだいしだいに、薄墨うすずみあはせ、ねずみくし、こんながし、みねうるしく。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
竹童と鷲の身辺だけが、薄墨うすずみをかけたように、まるくぼかされてしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「相手? どんな相手ですか」とかれたら、お延は何と答えただろう。それは朧気おぼろげ薄墨うすずみで描かれた相手であった。そうして女であった。そうして津田の愛を自分から奪う人であった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
処々ところどころ汽車の窓からた桜は、奥が暗くなるに従って、ぱっとさえを見せて咲いたのはなかった。薄墨うすずみ鬱金うこん、またその浅葱あさぎと言ったような、どの桜も、皆ぽっとりとして曇って、暗い紫を帯びていた。
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
内儀お染——薄墨うすずみ太夫の説明はなか/\行屆きます。