水草みずくさ)” の例文
なつは、水草みずくさはいいものだ。あれを一鉢ひとはちってもわるくないな。」と、わらいながら、おきゃくはなしとはまったく関係かんけいなしにかんがえていたのでした。
ガラス窓の河骨 (新字新仮名) / 小川未明(著)
なかにはえだこしかけて、うえから水草みずくさのぞくのもありました。猟銃りょうじゅうからあおけむりは、くらいうえくもようちのぼりました。
この島には草や木はえていませんでしたが、まわりの水の中には、いろんな水草みずくさがありましたので、みんなはそれをはらいっぱいたべました。
春信が女はいづれも名残なごり惜しき昼の夢よりめしが如き目容まなざししてあるものははぎあらはにすそ敷き乱しつつ悄然しょうぜんとして障子にりて雨ななめに降る池の水草みずくさを眺めたる
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いくら釣っても、ざすふなはかゝらず、ゴタルと云うはぜの様な小魚こざかなばかり釣れる。舟を水草みずくさの岸にけさして、イタヤの薄紅葉うすもみじの中を彼方あち此方こちと歩いて見る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
しじみちょうが小川のふちの水草みずくさの葉にとまってやすんでいますと、となりの葉のうらにみたことのない虫が一ぴきうつらうつらしていることに気がつきました。
木の祭り (新字新仮名) / 新美南吉(著)
ようやく頭だけ浮くからどこだろうと見廻わすと、吾輩は大きなかめの中に落ちている。このかめは夏まで水葵みずあおいと称する水草みずくさが茂っていたがその後烏の勘公が来て葵を食い尽した上に行水ぎょうずいを使う。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
世間せけん一般に今ショウブと呼んでいる水草みずくさを菖蒲と書くのは間違いで、菖蒲は実はセキショウの中国名である。ショウブの名はこの菖蒲から出たものではあれど、それは元来がんらいは間違いであることを
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
そしてそれが水上すいじょうわたってむこうへえたとおもうと、幾匹いくひきかの猟犬りょうけん水草みずくさの中にんでて、くさすすんできました。
いけみずしぬるんできて、ひかりがそのおもてらすようになりましたので、水草みずくさは、なつかしい太陽たいようをはじめてあおぐことができました。
太陽とかわず (新字新仮名) / 小川未明(著)
去年きょねんの秋のアシは、きしべや小島のまわりに、まだれのこっていましたが、新しい水草みずくさは底深くに根をおろして、そのみどりのさきは早くも水の上にまでとどいていました。
わたくしはむかし北廓を取巻いていた鉄漿溝おはぐろどぶより一層不潔に見える此溝も、寺島町がまだ田園であった頃には、水草みずくさの花に蜻蛉とんぼのとまっていたような清い小流こながれであったのであろうと
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
と、おもいました。そしてまだじっとしていますと、りょうはなおもそのあたまうえではげしくつづいて、じゅうおと水草みずくさとおしてひびきわたるのでした。
太陽たいようが、にこやかにわらってちいさな水草みずくさをじっとながめましたときに、くさはうれしさに、こころはもういっぱいで、なみだぐんで太陽たいよううったえました。
太陽とかわず (新字新仮名) / 小川未明(著)
一人ひとりむすめは、狭苦せまくるしい自動車じどうしゃうちで、きゃくにもまれて、切符きっぷをはさむあいだも、花屋はなやみせさきにあった、水草みずくさ黄色きいろはなこころおもかべていました。
ガラス窓の河骨 (新字新仮名) / 小川未明(著)
太陽たいようわらって、水草みずくさうったえをいていましたが、「わかった、わかった。」と、そのあたまってみせました。
太陽とかわず (新字新仮名) / 小川未明(著)
むらちかい、やま松林まつばやしには、しきりにせみがいていました。信吉しんきちは、いけのほとりにって、紫色むらさきいろ水草みずくさはなが、ぽっかりとみずいて、いているのをながめていました。
銀河の下の町 (新字新仮名) / 小川未明(著)
水草みずくさですわね。なんて、やさしいはなでしょう。わたしまえはらないけど。」
ガラス窓の河骨 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「このガラスのびんをうまくるのさ。そうすれば、いいものができるだろう……。」と、勇吉ゆうきちは、おおきなびんをながめて、そのなか水草みずくされ、あかべんたんや、えびをおよがせるおもしろみを
真昼のお化け (新字新仮名) / 小川未明(著)
きみ水族館すいぞくかんで、おさかながガラスのはこなかを、およぐのをたろう? 水草みずくさけて、ひらりひらりとるがしたり、また、すうい、すういとちいさなあわをくちからして。ぼく、あんなのをつくるんだよ。
真昼のお化け (新字新仮名) / 小川未明(著)
れると、すべてのさかなたちは、水草みずくさかげかくれて、じっとしてねむるのであるが、この金魚きんぎょたちは電燈でんとうひかりらされて、子供こどもらのす、さおのさきについているはりいまわされているのでした。
草を分けて (新字新仮名) / 小川未明(著)