死後しご)” の例文
しかし、A病院エーびょういんは、いまも繁栄はんえいしているけれど、慈善病院じぜんびょういんは、B医師ビーいし死後しご、これをひとがなかったためにほろびてしまいました。
三月の空の下 (新字新仮名) / 小川未明(著)
で、自然しぜん私達わたくしたち対話はなしんでからのち事柄ことがらかぎられることになりました。わたくし真先まっさきにいたのは良人おっと死後しご自覚じかく模様もようでした。——
死後しご幾年いくねんかをへて、それがはじめて舊石器時代きゆうせつきじだいであることにきまり、今更いまさらサウツオラの手柄てがら人々ひと/″\みとめるようになりました。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
送るさま側眼わきめで見てさへ不便ふびんなるに子の可愛かあいさの一筋に小半年ほどすごせしが妻のお久が病中より更に家業も成ぬ上死後しご物入ものいり何ややに家財雜具を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
しながそれほど苦勞くらうした米穀べいこく問題もんだい死後しご四五年間ねんかん惨憺さんたんたる境遇きやうぐうからやうや解決かいけつげられようとしたのである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
大島仁藏翁おほしまじんざうをう死後しご權藏ごんざう一時いちじ守本尊まもりほんぞんうしなつたていで、すこぶ鬱々ふさいましたが、それも少時しばしで、たちまもと元氣げんき恢復くわいふくし、のみならず、以前いぜんましはたらしました。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
日高川ひだかがは清姫きよひめなどは、きながらじやになつたといふから、これこの部類ぶるゐれてもい。死靈しれうは、死後しごたましひ異形いげう姿すがたあらはすもので、れい非常ひぜうおほい。そのあらはれかたみな目的もくてきつてことなる。
妖怪研究 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
蜀山先生かつて謂予よにいつていはくおよそ文墨ぶんぼくをもつて世に遊ぶもの画は論せず、死後しごにいたり一字一百銭にあてらるゝ身とならば文雅ぶんがの幸福たるべしといはれき。此先生は今其幸福あり、一字一百銭にあてらるゝ事嗟乎あゝかたいかな。
死後しご花見はなみ
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
死後しごわたくしはしばらくは何事なにごとらずに無自覚むじかくくらしました。したがってその期間あいだがどれくらいつづいたか、むろんわかはずもございませぬ。
父親ちちおや死後しご少年しょうねんは、労働者ろうどうしゃとなって、工場こうじょうはたらきました。運命うんめいは、いろいろに、もてあそんだ。かれは、機械きかいれて、不具者ふぐしゃになりました。
街の幸福 (新字新仮名) / 小川未明(著)
蜀山先生かつて謂予よにいつていはくおよそ文墨ぶんぼくをもつて世に遊ぶもの画は論せず、死後しごにいたり一字一百銭にあてらるゝ身とならば文雅ぶんがの幸福たるべしといはれき。此先生は今其幸福あり、一字一百銭にあてらるゝ事嗟乎あゝかたいかな。
十兵衞死後しごなるゆゑに右長庵賣主うりぬしにて小手塚三次といふ者受人に御座候と申立ける時越前守殿如何に長庵姉は十兵衞に相頼あひたのまれ賣しならんいもとの小夜衣は誰に頼まれて賣渡うりわたせしや長庵答へて弟十兵衞横死わうしの後金子は紛失ふんじつ致し彌々身體しんたい立行難たちゆきがたく十兵衞の妻安に頼まれ賣渡しの節三次を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
このかね死後しご始末しまつをしてもらい、のこりは、どうか自分じぶんおなじような、不幸ふこう孤独こどくひとのためにつかってもらいたい。
三月の空の下 (新字新仮名) / 小川未明(著)
小櫻姫こざくらひめ貞女ていじょ亀鑑かがみである』などと、もうしまして、わたくし死後しご祠堂やしろかみまつってくれました。それが現今いまのこっている、あの小桜神社こざくらじんじゃでございます。
とうさんはあさ仕事しごとて、れるとかえってきました。いままでは、れてからのお使つかいは、たいていおかあさんがしましたが、おかあさんの死後しごは、佐吉さきちがしなければなりませんでした。
酔っぱらい星 (新字新仮名) / 小川未明(著)